宿屋

 翌日


 いつもの癖で朝一番に目を覚ましベッドから体を起こす。

 一瞬自分の居場所がわからず狼狽えてしまったが、すぐ旅行に来ていたことを思い出し二度寝することを決める。

 ふと、隣のベッドに目をやるとクロの横に見知らぬ女が寝ていた。


 状況の把握に時間がかかる。

 その間に女は目を覚ましうっとりとクロ助の胸板にもたれかかりなまめかしく動き始めた。

 寝坊助はまだ目を覚まさない。

 あまりの光景に開いた口が塞がらないでいると、クロ助よりも先にあー坊の方が目を覚ました


「おはよ、ばあちゃん。どうし……」

 あー坊も一緒に固まる。

 わしとあー坊が見ている中

 女はクロにぶっちゅぶっちゅと熱い接吻を重ねはじめた。


「見ちゃいかん!!」

 あわててあー坊の目を塞ぎ部屋を出た。


 とりあえず一階の食堂におりて、あー坊と一緒にホットミルクを注文し無言で飲む。



 無言で飲む。



 無言で飲む。



 無言で


 ガタガタン!ドスン


 無言で飲んでいると二階から凄い物音が聞こえてきた。


「やっと起きたな」


 転がり落ちるように階段を下りてきたクロは二階を見上げる。



「どうして? 私の何が不満なの?」


 シーツで前を隠した女が階段の上に姿をあらわした。

 どう見てもシーツの下は全裸だ。


 急いであー坊の目をふさぐと「なんだよもーいいだろ別にー」と不満を漏らしてきた。


 けしからんけしからん!


「なんて格好してやがる!」

 宿屋の店主が女の恰好を見て怒りの声をあげた。


「まっず!お父さん」


 女は慌てて部屋に戻っていった。

 宿屋の娘だったか。そういえば昨日注文とりに来たのは今の子だった気がする。

 また惚れられたのか


「おい」


「お父さん」に声を掛けられ、クロ助の肩が跳ねた。


「お前はちょっとそこに座れ」


 クロ、背中を向けたまま動かない。


「座れ!!」



「あー、もう……」

 目元を押さえたクロは、覚悟を決め店主の前に座る。


「人の娘に何してくれてるんだおい」

「僕は何にもしてません」

「何にもしてないって裸だったじゃないか!」

「こっちが聞きたいですよ」

「娘が勝手に服を脱いだってのか!?」

「そうです」


 店主の体がワナワナと震える。


 まあ、男のそんな言い分誰も信じんわな。

 どう見ても男が女をもてあそんだ挙句、捨てようとしてるようにしか見えんよ。


「……俺の娘じゃ、不満だってのか!?」


「……はい?」


「俺の娘がそこまでしたのに、どうして抱かなかった」


「えええっっ!?」



 ……どうやら店主はクロの話を信じたようじゃの



「おまえ!ついとらんのか!」


 おかしな方向に進み始めた店主はクロを罵りだした。


「かー、情けない!」


「女にそこまでさせるとは男の恥だ!」

「女の気持ちを汲んで覚悟を決めるのが男ってもんだろうが甲斐性なしが!」


 店主の声で客が集まってきた。傍からみたら非常に面白い見世物よの。


「それとも他に抱けない理由があるのか」

「もしかして、立たない病気か?なら仕方ないな、不能野郎」


 ギャハハハと周囲から嘲笑の声があがった。


「ひでえな」あー坊が顔をしかめる。

 実にくだらないと思うのだが、男という生き物は股間の物体がよほど自慢らしい。


「いえ、不能ではないです」


 クロがきっぱり否定する。


 そこは不能としておけばいいじゃろが。そしたら全て丸く収まるものを。

 やはり男の沽券にかかわるのか。


「では、なんだ」


「なんだと言われても困るんですが」


「ははん。わかったぞ。さては、お前……」


 テーブルに肘を置きクロの顔をのぞき込んだ。

 店長の溜めに皆が注目する。


「男色だな!?」


 再びドッと笑い声があがる。


「イケメンなのにもったいねえ!」

「いやいや、よく見れば美人さんじゃないか」

「なんなら俺が相手になってやってもいいぜ?」


 ドわっはっはっは




「わかりました」


 嘲笑の中クロ助が顔をあげた。


「そこまで言われるなら、抱いて来ます」


 ため息交じりで立ち上がり「絶対責任とらないですけどね」と黒い笑顔を浮かべて二階へ向かう。


「抱いていいわけないだろが!!俺の娘だぞ!」

「どっちなんですか!」

「だから、どうして抱かなかったんだ!娘の何が不満だったんだ!」



「意味がわかんねー」

「あれじゃ。複雑な親心じゃな」


 早く嫁に行って欲しいが、いい加減な奴とは結婚してほしくない

 ちょうどクロ助がいい所にひっかかったが、当のクロ助に気がないのが残念なんじゃろ


「わかった。もういい、抱いてこい。むしろ抱いてください。

 お前でいい、お前がいい、お前合格だ、お前で許す、抱きやがれ」


 そういって背中を押して、催促する。


「責任取る気ないですからね!」

「ふざけてんのかお前!」


「娘の何が不満なんだ!」



「エンドレスだな」

 聞いていたあー坊が呆れた顔をしている。


 そろそろ助けに入ってやるかの。

 よいしょと立ち上がり、押し問答をつづける二人のもとへ向かう。


「それより、ここのカギの管理はどうなっとるのかの」

 折角カギをかけてるのに勝手に開けて入られてしまうようじゃ、安心して寝ることもできんの


 わしが苦情を言うと、店主が口を閉じこちらを向いた。


「それに小さな子供が寝てる部屋に夜這いに入るのは、ちょっと常識を疑うの」


 天の救いとばかりにクロがわしの後ろに逃げ込んできて、安堵の息を吐いていた。


 店主が父親の顔から商売人の顔にもどった。


「これは大変失礼しました。娘には後できつく叱っておきます」


 チッという舌打ちが聞こえてきて二階を見上げると、先ほどの女がこちらを覗いていた。


「おまいさん、もうちょっと自分を大切にせんといけんよ」


 そのうち、一番に思ってくれる相手が見つかるだろうに

 今、そこらの馬の骨に遊ばれて捨てられたら目も当てられなくなるぞ?


「大きなお世話よっ!」


「お嬢ちゃん。今夜はぜひおじさんのベッドで脱いでくれよ」

「俺の横ならいつでも空いてるからな」


「絶対ごめんよ!キモオヤジ!」


 店主が怒って娘を追い、娘は悲鳴を上げて逃げて行った。

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