見知らぬ土地

老人ホームは嫌じゃ

 目を開けると真っ白な見覚えのない天井が映る。


 もう一度開けなおしてみたが、いつもみる木目の天井ではなかった。

 天井から垂れ下がった電気も見当たらない。


 はて?


 人の声が聞こえて横をみると男二人が何やら話し合いをしていた。


 どうやら話の焦点は「わしをどこに預けるか」という事のようだ。



「わしをどこに入れる気じゃ」


 聞き捨てならない話の内容に、思わず口をはさむ。


「!!」


 わしが口をはさんだことで二人の目が驚愕で見開かれる。


「…お前、わかるのか?」


 なんじゃボケてわからんと思っておったのか。


「絶っ対! 家から動かんからな」


「だが、じいさんはもういない」

「わかっとるわ」


 じいさまはもう数年前に亡くなっておる。何を今更。


「わしゃ一人でいい、今まで一人でやってきたんじゃ、これからも一人で大丈夫じゃ」


「そういうわけにも…」

「大体、あんたら誰じゃ。他人にあれこれ言われとうないわ」


 わしが言い捨てると金髪は黙り込んだ。


 そう目の前の男二人は親族でも何でもなく全く見覚えがない者たちだった。

 話の流れから察するにおそらく介護関係の人たちと思われる。


 わしを老人ホームにいれようと企む奴らである。


 一人は見事な金髪だったので初めは外人さんかと思ったが流暢な日本語を喋ったのでおそらく髪の毛をそめているのであろう。


 もう一人は真っ赤な髪をしていた。


 いい年にもなってまあ……


 世の中、個性の尊重だのアイデンチチイだの言われているが、こんな赤い髪にどんなに正しいことを言われても従う気がなくなってしまう。なんて勿体のない。



 わしの名前は菊。


 竹葉ちくば 菊きく


 歳は数えていないが最近なにやら盛大に祝ってもらった気がする。

 夫は数年前に他界し子供も全員遠い昔に結婚しすでに孫もおり、ひ孫もいた気がする。

 日本の田舎に住む、どこにでもいる婆だ



 改めてぐるりと部屋を見渡す。

 白い壁と高い天井、洋風の窓、仰々しいカーテン、床には絨毯が敷かれている。


 ここは病院か?わしはいつの間にやら倒れて運ばれたということか?


 だとしても、もう体は大丈夫じゃ。むしろいつもより体が軽い気がする。

 体が不自由になってきたならまだ諦めもつくが、何が悲しくてて老人ホームに入らないといけないのか。断固拒否じゃ。


 頑として譲らない自分の態度に、二人は施設行きを諦めてくれた。というのはフリで、後日一人で音をあげている所を連れて行こうと企んでいるのはみえみえだった。


 まあ、勝手にせい。一人でやれるところを見せればいいんじゃろ。



「何か困ったことがあったら連絡なさい」


 赤い髪の男がそう言ってメモ紙を渡してきた。


 なんとこの男、スカートを履いているではないか!びっこひくぐらい長いスカートだ。

 その上ネックレスやらイヤリングやらをジャラジャラつけていた。


 メモを受け取りながら、上から下までじろじろ見る。

 こんなに髭面なのにオカマか。


 最近多いとは聞いていたが。まったくおかしな世の中になったものだの。


「……もう来んでええ」




 二人を見送るため、外に出るとこれまた見知らぬ風景広がっていた。


「ところでここはどこかの」


 ずっと黙り込んでいる金髪は、宝塚のような服を着ていた。これは施設の制服なのかの。

 二人とも介護するには、動きにくくはないだろうか。それとも営業担当か。


「どういう意味だ?ここはお前の家だが…」

「ここがわしの家?」


 何を言っておるんじゃこの男は

 わしの家は生粋の日本家屋じゃ。間違ってもこんな煉瓦造りの西洋風ではない。


「ここは病院じゃろう」


 眼前には見慣れた田園風景ではなく、麦畑がひろがりその奥の方には森があり郭公の鳴き声が聞こえてくる。


「何を言われますか。ここは貴女がずっと住んでいる家じゃないですか」


 アホな事言い続ける男達に大きなため息をついた。


「あんたぁ、これ全部わしの家だという気か?」


 年寄りをからかうんじゃないよ。まったく。

 だが赤髪は大真面目に「はい」と頷いた。

 男二人は顔を見合わせた後、かわいそうな子を見る目でわしを見てきた。


 これはあれだ痴呆症と思われたのだ。


「おばあちゃんこんなことも忘れちゃったの」といった顔だ。


 まずい。このままだと施設に入れられてしまう


「もしかして……」

「もちろんわかっておるぞ!ちょっととぼけてみただけじゃ」


 全く覚えていないことがバレそうになったが言わせる隙をつくらない。さっさと帰るように促す。

 男二人はわしに背中を押されながら、渋々といった足取りで帰っていった。


「わしゃ、まだボケてないぞ!」


 何度もしつこく振り返る二人に向かって叫んだ。



 二人の姿が森の奥へと消えていったのを見送った後、振り返る。

 目の前に構えるりっぱな洋館を見上げてはみるが


「はて、わしは一体いつ引っ越したのかの」


 さっぱり覚えていない。



 昨日もいつもと同じ部屋で、いつもと同じ布団で、いつもと同じように眠ったはずなのだ。

 間違いないかと聞かれたら自信はない。


 それが昨日の記憶なのか先週のもしくは数か月前の記憶なのかは覚えてないのだから。


 今の問題は、覚えていないことではない。

 そんなことよくあることだ。


 いちいち気にしていたらやっていけない。




 今の問題は


『前の家に帰るにはどうすればいいか』



 確かに前の家はボロボロではあったがもう長年住んでいて愛着があったのだ。


 自分はきっとあの家で一生を終えるのだろうと思っていたのに。それが一番幸せな事だと感じていたのに。


 あの家はもう売られてしまったのだろうか。

 戻れるものなら、戻りたい。


 男二人が帰っていった道を歩いていけば、そのうちバス停か何かあるだろう。

 そこからバスに乗り、そのままバスなり電車なり乗り継いでいけば何とかなる。


 思い立ったら吉日、早速元の家へ向かって歩きだした。

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