5話 「高校生の息子を持つ母親が若くて綺麗なはずがない」
光一の部活帰りのテンションは低い。これは毎度恒例のことだが、今日は特に背中が丸まって体が「疲れた」と猛アピールしている。
まぁ、普段が控えめな彼なのだ。嬉しいことがあってテンションが上がれば、その反動で部活終わりにテンションが下がるのも仕方がない。
「テンションって上がってるだけで疲れるんだな……」
ため息が出る。外灯の光で白銀に煌めくその息が心憎い。そんなもの見えなくたっていいのに、と思う。
ふと、手が右ポケットに触れる。もぞりと動く感触に忘れていた彼女を思い出した。
「おいナイト。もう顔出してもいいぞ」
右ポケットの膨らみが動き出す。と、水から顔を上げたようにぷぅ、なんて声を出しながらナイトがポケットから顔を覗かせた。
「『ガッコー』とやらはようやく終了したのですか? 随分と時間がかかるものなのですね」
「あぁ、俺は部活もやってるからな。特に遅くなるんだよ。待たせて悪かったな」
「いえ、お気遣いなく。その『ブカツ』というのも重要な鍛錬なのでしょう? 光一のその疲労を見れば分かります」
「たん……れんねぇ……間違ってはないけど」
ナイトとの会話は慣れない。昨日の今日で慣れるとは思わないけど、言葉や文化のすれ違いはそれ以上に溝というか、壁があるように思える。
──なんて、気にしたってしょうがねぇや。まずは帰って晩飯食おう
歩幅を大きくして光一は自宅へと踵を返す。水色の瞳はまだ彼を見つめていたが、光一は無視して歩くことにした。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「おけぇりぃ」
玄関の扉を開くと廊下の奥にあるリビングから母親の声が聞こえてくる。割と大声出しているのに気怠そうな感じなのはさすが
光一も呼応するように「たぁいまぁ」と返事をし、階段を上がって自分の部屋へと戻る。
「ふぅ……と。ナイト、出てこい」
ポケットの横に手を置き、小さな騎士の名前を呼ぶ。ぴょこと出てきたナイトはできるだけ下を見ないように彼の手のひらに乗ると、
「光一……ゆっくり降ろして下さい。ゆっくりと……」
「落ち着け。じゃねぇと落ちるぞ」
「……落ち着きます」
ゆっくりとベッドに降ろされる。高所恐怖症とは異世界の人間にしても中々厄介な症状らしい。
「じゃあ飯持ってくるから大人しく待ってろよ? ベッドから落ちないようにな」
「ご安心を。決して落ちたりしませんから」
ベッドにしがみつく彼女を横目で笑いながら光一は1階のリビングへと降りていく。
目的地は思ったよりも温かかった。部活で出た汗が冷えて凍えた体にはかなり嬉しい。
だが、そんな彼の心情も知らずに
「あ、光ちゃん! あんた部活終わりくさいんだからリビング入ってこないの! あーもうくさい! 汗臭い!」
キッチンに立つ女性がものすごく不快そうな表情をしながら辛辣なことを言ってきた。
眠たそうに細められた眼に、後ろで束ねられたボサボサの黒い長髪。黄色のエプロンには花のアップリケが散りばめられ、一見態度の悪そうな保育士にも見えるが彼女こそ光一の母親である。
若い頃はそれなりに美人であったが、愛想のなくなった顔にそんな面影は感じられない。時の流れがいかに残酷なものだと説明するには恰好の人物だろう。
「臭い臭い言うなよ、実の息子に対して」
「臭いものは臭いじゃない。はい、今日はハンバーグだよ。大根おろしの」
「お! やった」
湯気の立つハンバーグが乗った皿が光一に手渡される。
和と洋が絶妙に調和したこの一品。あっさりとしながらも濃厚な味わいは和食贔屓の光一も大好物であり、食べる前から舌鼓を打ってしまう。実に美味そうだ。
できることなら一人で食べてしまいたいが、ナイトも部屋で待っているのでぐっと我慢する。
「じゃあ俺、部屋に戻って食うよ」
「はぁ? なに、いじけちゃった? あはは、ごめんごめん冗談だって」
「いやナイトが──」
「ん? 『ないと』?」
「あ、いや……早く戻って勉強し『ナイト』ってこと! リビングでゆっくり食べる時間も惜しいからね!」
光一は嘘も下手だが、ジョークも苦手だ。こんな彼の言葉を17年間彼を育ててきた母親が信じるはずもない。
かといって何か疑ったりする事もなく、慌てて階段を上っていく息子を彼女はじっと見つめるだけだった。
「変な奴……」
エプロンを脱ぎ捨て、テレビのリモコンをつけながらソファに寝転がる母親。思春期の息子に対して何を思っているのかは知らないが、特に気にしてもいない様子。
ヴン、と音がして旧型のテレビがようやく映る。淡々とした口調のアナウンサーが『速報』の文字をひっさげて何かを喋っているようだ。が、眠気に負けて夢の中へと旅立った彼女の耳に届くことはなかった。
『──その謎の生命体は、体長が3メートルにも達し、体表が無数の岩石のようなものに覆われているとのことで──』
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