4話 「強い奴と弱い奴」

 


 『後悔先に立たず』。そんな言葉をいつ知ったのかは知らないが、この場で思い出すのは光一にしてみればかなり不遇だ。

 自分よりもでかい相手に、それも2人相手は分が悪すぎる。剣道を習っているとはいえ、互いに武器も持たないこの状況では、すり足で逃げることしか役に立ってくれそうにない。



 ──なんてこった。さっきの主人公っぽい俺はどこに行った!



 心の中で呼びかけるも、勇ましかった自分からの返答はなし。代わりに呼んでもいない手前の2人組がじわじわと距離を詰めてくる。



「なにお前? 面白いんだけど」


「『おっ、おいぃ』だってさ。格好いいー」



 すごく分かりやすい挑発。これにカッとなって掴みかかるような光一ではない。ものすごく憤慨はしているが、怖くて掴みかかれないというのが井利本光一なのだ。

 しかし困ってしまう。自分から声をかけておきながら怯えて何もできないのは格好がつかない。何かできることはないかと光一なりに考えてみるが、



「無視してんじゃんねぇぞコラ」


「あだっ!? ちょ、抜ける!」



 短気なヤンキーが待ってくれるはずもなく、彼の前髪は文字通り茶髪男の手中に収まってしまった。



「いだだだっ! やめろ! やめてねー! やめよー?」


「なんなんだお前……ナメてんのか?」



 刺激しないように言葉を選んでいたつもりだったが、バッチリ怒らせてしまった。こういう時に頭のいい人はこの状況を抜け出せる最適な言葉を出せるのだろうかと呑気に考える光一。



「悠斗、こいつ押さえて。マジでキレたわ」



 茶髪の生徒が小太りの生徒に光一の体を押しつける。がっしりと腕は掴まれ、汗臭いにおいが漂う。完全に彼の体の自由は奪われてしまった。



 ──あれ? 俺ピンチなんじゃ……?



「歯ぁ食いしばれよ。逃げんじゃねぇぞ?」


「え、ちょっと──」



「待って」も言わせずに茶髪男の拳が振りかざされた。思い切り引かれてからの一撃はさぞ痛いだろう。

 もうあと1秒も経たずに男の拳は光一の顔面に炸裂する。そしたら光一は「痛い!」と言ってその場に倒れる。後はもうそのままリンチされてゲームオーバーだ。



 ──あぁ、早く終わって欲しい



 目を瞑り、与えられる痛みをじっと待ち受ける光一。だが、じらす。かなりじらされている。男が拳を振り上げてからかなり時間が経ったはず。なのにまだ顔面には痛みを感じない。



「なん、だ……?」



 細く目を開けてみる。まだ男の拳は光一の顔から20センチくらい離れていた。まだまだ時間はかかりそうだ。鼻歌でも歌いながら当たるのを待って──



「……え?」



 廻りの悪い彼の脳みそもさすがに「はてな」と思ったようだ。こんな鈍いパンチで歯を食いしばるも何もないだろう。当たりに行ったって平気なんじゃないか。



 ──ってか、こいつ汗臭すぎる……! 冬なのに何で汗かいてんだ



 背後で光一の腕を拘束する男。のろのろ迫りくる拳よりこっちの悪臭の方が強烈だ。これはたまらんと、小太りの男をおんぶする形で前に屈み──



「うおぉっ!?」


「うわっ! 何すんだお前! 押さえとけって言っただろ!」



 ……普通に屈んだつもりだった。力なんてほとんど入れてない。いや、多少は入れたと思うけど、180センチ級の男を投げ飛ばせるほどの力なんて出してないし、そもそもない。


 地面には小太りの男と茶髪の男がまだ絡み合っている。よく分からないけどこれはチャンスだ。あそこで腰を抜かしている少年を連れて急いでここから離れよう。




 ◯ ◯ ◯ ◯ ◯




「ありがとう……ござい、ます……」



 校内に戻り一息つくと、小柄な少年がどもりながら礼を言ってきた。青の上履きと落ち着かない様子から1年生だと一目で分かる。

 光一も何だかんだ助けてよかったなんて感じながら、照れくさそうに頭を搔きむしっていた。



「いやーそんな大したことしてないって! 困ったらまた先輩に頼ってくれよ?」


「あ、はい……!」


「うん、そんじゃ。またどこかで会おう」



 今の彼は最高に気分がいい。そんなくさいセリフを校内で言っても恥ずかしいと思わないくらいに。左手をポケットに突っ込み、右手で背後の少年に手を振る。これを格好いいと思っているくらいに意気揚々なのだ。



「あの、先輩……! お名前は……?」



 背後から光一の待ち望んでいた言葉が飛んできた。名乗りを上げたい気持ちを抑えて、必死にクールを演じてみる。

 振り向かずにその場で立ち止まり、



「井利元光一。まぁ名乗るほどの者じゃないけどな」



 ……名乗ってしまった。この男は本当に馬鹿だと思う。

 光一の膨らんだ右ポケットも、彼の馬鹿さ加減に対してもぞもぞと嗤っていたことは恐らく誰も気が付いていないだろう。


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