3話 「校舎裏が不良のたまり場だってのは嘘だと思う」

 




 朝が来た。新しい一日がやってきた。



「ぜんっぜん眠れなかった……」



 そして──、光一は頭に来ていた。


 冗談を言っている訳ではない。彼は低血圧でもないのに、この朝は相当機嫌が悪い。いつもより余裕を持って家を出られたことを加算しても、その苛立ちを鎮めるには全然お代が足りなかった。


 その理由は先ほどの光一の言葉通り、睡眠不足である。ではなぜ睡眠不足なのか。

 その答えは彼の右ポケットに膨らんだ状態で隠されている。



「おい……いい加減に起きろよ迷惑女」


「いたっ! 痛いですよ光一! 叩かないで下さい!」



 べしべしと制服のズボンにできている膨らみを叩く。朝に相応しい小鳥のような声が聞こえたかと思うと、丸い膨らみは徐々に歪んで形を変え、



「まったく、この世界では手荒な起こし方が通例なのですか?」



 ふぅ、と息を抜く声と共に光一の睡眠を妨げた張本人が顔を出した。

 起こし方に不満があったのか、小綺麗な眉を少しつり上げ「いじけてますよ」とでも言いたげな目を光一に向けている。



「いけしゃあしゃあと何言ってやがんだ! 昨日はお前のせいで全く寝られなかったんだぞ! 電気消せばピーピー騒ぐし、ベッドから落ちるのが怖いって騒ぐしよう! はぁーあ、情けねぇ奴」



 たっぷり不快感を与える口調でナイトを責め立てる。まだ文句は山ほど残っているが、少しは怒りも収まったので後の材料に残しておこうと思う。


 言いたいことを言った光一はすっきりした。ならば当然言われたい放題言われたナイトは黙ってはいない。ましてやプライドの高い騎士という身分だ。罵声を浴びて怒らないわけがないのだ。



「……光一、私はあなたの部屋に居候している手前、失礼なことを口にするようなことは致しません」


「ん? あぁそう。気にしなくてもいいんだぜ?」


「えぇ、ですので今後は口を紡がせて頂きます。何があっても失言のないように努めなければなりませんからね」



 ──なんだ? こいつは怒ると無言になるタイプか。ははっ、案外単純思考



「……その前に一つだけ忠告します」


「おう、なんだよ──」

 べちゃ



「……あれ?」


「足下、動物の糞があるのでお気をつけて」



 足の裏に広がる柔らかい感触。光一はなぜかその感触を戒めとして噛みしめ、



「ナイト、謝るので今度から早く注意して下さい……」



 言い過ぎたことを自覚し、素直に謝罪できる人間へと成長した。




 ◯ ◯ ◯ ◯ ◯




 学校生活に特に変化はない。若干右半身が重たく感じるがその程度だろう。

 古典は寝たし、数学は寝た。日本史は寝てしまったけど、英語は頑張って寝ていた。つまり平常運転だったというわけだ。



「ナイトがいるせいで何か変化するかと思ってたけど……何もなし、か」



 安堵と期待はずれの混じったため息。吐いてばかりでは減るばっかりなので、そろそろお腹を満たしに購買へと向かうことにする光一。


 廊下に出ると彼と同じように購買へ走る生徒がちらほら。売り切れても困るので光一も駆け足気味に、しかし彼らとは逆方向に歩き出す。



「ふっ、走ったところで俺に先を越されるのは変わらねぇよ。なんせこっちのルートは購買直通だからな」



 にたりと口角をつり上げる。彼なりの悪者っぽい表現だが、八の字になった眉のせいでスケベったらしい顔にしか見えない。


 人のいない廊下に出た。そこで窓を開け、周りに人がいないことを確認してから外に出る。



 ──よし、あとはここを右に曲がれば愛しのカレーパンが……



「だからさぁ、借りるだけだって。ちゃんと返すよ」


「で、でも……このお金は……僕の昼食代で……」



 右に向きかけていた光一の体が止まる。左の校舎裏から聞こえてくる声に体が興味を持ってしまったようだ。



 ──勘弁してくれよ。俺は腹が減って……



「あ? 調子乗ってんのか? 貸せっつってんだから早く出せ」


「あんまふざけてると痛い目見るよ~? それでもいいの?」


「あ……ぅ……」




「……ちっ」



 体はもう左に向かっていた。行ったところで自分にとって何も利になることはない。頭の出来のよくない光一でもそれくらいは分かっている。

 なのに体は前へ、前へと確実に声がする方へと近づいていく。


 戻ってお昼ご飯食べよう、と最後に彼の中で声がかけられたがそれも無視。

 助けられるのに・・・・・・・助けない・・・・ことが光一にとって『絶対悪』だった。



「お、おいっ」



 光一の声が校舎裏にこだまする。胸ぐらを掴む茶髪の男と、横でタバコをふかす小太りの男の視線はすぐに彼に移った。

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