2話 「異世界からいらっしゃい」

 



 ポケットの少女は青ざめていた。ダラダラと冷や汗は流れ、小さな体はズボンを掴む光一の手が振動を感じるほど震えている。

 半分まで出ていた上半身も徐々に引っ込んで、今は頭だけが出ている亀状態だ。



「なんだ? ひょっとして……怯えてるのか?」



 ──まぁ、しょうがない。誰だって自分の何十倍もある体躯の持ち主に出会ったらこうなったりするだろうな。俺だってこんな状況に置かれたら泡を吹いてぶっ倒れる自信がある。



 何とも情けない自信を誇らしげに心中で語ったところで、彼の予想は外れていた。

 少女は光一などに畏怖していた訳ではない。そもそも彼女の視線は彼になど向けられておらず、



「ひ、ぃ……」



 一層青ざめた顔で、自分にとっては何十メートル下にも感じる床を遠い目で見つめていた。







 高所恐怖症の少女をベッドに降ろした光一は困惑していた。水を得た魚のように、大地に足をつけた少女は実に生き生きとしているのだ。


 それならまだいい。助けた甲斐があったと安心できる。ただ、剣を向けられるとは予想外だった。

 血なまぐさい展開は光一の好みではない。まずは彼女との意思の疎通を試みて、そこから会話に持ち込むことにする。



「えっと……こんにちは」



 挨拶は基本だ。どこの世界だって挨拶から始まり、そこから仲良くなるのが一般的な流れだろう。

 少なくとも彼の一般論だからあまり根拠はないのが、何事も実践は大事である。



「……」



 返事は返ってこない。言葉が通じていないのか、ただ単に自分を警戒してシカトしているのか。



「うーん、参ったな……」


「それは私の台詞だ、巨人族」



 後者だったようだ。少し凹みそうになったが、とりあえず意思の疎通はクリアー。そして新たな問題も発生。



 ──何だよ……巨人族って



 知らないワードだ。いや、漫画とかで出てきた気はするが、それ以外で耳にしたのは初めてだ。ますますこいつの正体が霧がかっていく。



「ここはどこだ。なぜ私は生きているのだ。そして貴様は誰だ」


「ちょ、ちょっと待て。いきなりそんなに聞かれても答えられねぇよ」


「『答える気がない、が答え』とでも言う気か? 巨人族にしては洒落の効いたことが言えるようだな。まったく笑えないが」



 無表情で冷たく言い放つ少女。空色の瞳も今は氷のようにしか見えない。

「答える気がない」じゃなくて「答えられない」が正解なのだが、今の光一にしてみればそんなことどっちでもよかった。



 頭に浮かぶ一つの「もしも」、あるいは「ひょっとして」



 このチビ女はどう見たって日本人の容姿ではない。その西洋風な鎧も剣も彼女が異国の者だと言葉なしにも語っている。

 でも彼女には日本語が通じる。加えて自身も流暢な語り口で日本語を操っているのだ。


 そして──、何よりもその小さな体。赤ん坊でもない人間が、いやそもそも普通、人間が手のひらに乗るわけがない。


 その他にも不可解な点はいくつもある。しかし、それらを引っくるめて解決できる、何とも都合の良い答えが光一のオタッキーな脳みそには存在した。



「お前、もしかして『異世界の人間』なのか?」



 正直、自分がもう一人いたら指さして大笑いしてやりたい。「架空の設定を現実に考えるとかバカじゃねぇの!?」とか言ってやりたい。

 だけどそんな現実離れした答えが出たのも、彼女の存在が余りにも現実離れしているからに他ならない。



「『異世界』……?」



 キョトンと目を点にして言葉を言いなぞる金髪の少女。初めてそんな言葉を聞いたとでも言う感じか。

 ここは光一の腕の見せ所だろう。上手いこと話のペースに乗せて彼女と交友を深めるのだ。



「そう。お前、こことは違う世界からやってきたんじゃないか? 巨人族とか言ってたしさ」


「……妄言は大概にしろ。温厚な私とて、人間以外の相手ならば容赦なくこの剣を振り下ろすぞ」



 さっそく望みは絶たれた。下がっていた剣先が再び光一の喉元に向けられる。


 こいつにはもう何を言っても「妄言」で片付けられてしまいそう。だからと言って力で分からせるなんてもっと無理。

 ……詰んでしまった。もうどうすればいいのかも──



 ぐうぅ……



「え?」


「うぅ、こんな時に空腹とは……」



 聞き間違いかと思ったが彼女の言葉で答え合わせができた。小さな体から聞こえたのはその体に比例した小さな腹の虫の声。


 彼女の剣先が僅かにブレる。勇ましく剣を構える彼女も空腹の魔力には勝てないみたいだ。



 ──しめた、これだ!



 ズボンのポッケに手を忍ばせ、あるもの・・・・を手に取る。

 光一にはポケットに何でもかんでも詰め込むあまり好ましくない癖がある。そしてそれもその癖によってリビングから拝借という名の略奪されたもの。



「む、貴様! その手に持ったものはなんだ!」


「くっくっく……これは『チョコレート』という菓子だ」


「なっ、菓子だと……!」



 赤い包装紙をプラプラと揺らし、少女を誘惑する。思ったよりも効果てきめんで心の中で笑いが止まらない。



「そうだ。空腹に悩むお前にも分けてやろうと思ったが……」


「うぅ……」


「その剣を下ろさない限りは恐ろしくて渡せねぇなぁ?」


「くっ……! 殺せぇっ!」



 ──やったぁ! 言わせてやったぜ! 



 剣をベッドに突き刺して叫ぶ少女に思わずガッツポーズ。本物、かどうかは分からないけどその響きが聞ける日が来るとは思わなかった。

 聞かせてくれた礼も含めてチョコレートを与えてやろう。



「ほら、チョコレートだ。その体なら腹も膨れるだろ」



 包み紙を開け、茶色の欠片を手渡す。おずおずと受け取った彼女はハンバーガーでも食べるような口でチョコを齧る。と──



「どうか……ご無礼をお許し下さい」



 頭をベッドに擦り付けながら土下座してきた。異世界でも謝罪の際には頭を垂れる習わしがあるらしい。

 それはよいとして、この小さな少女には対話に応じてもらうことにしよう。




 ◯ ◯ ◯ ◯ ◯




「──成る程、確かに私の世界に『二ホン』なんて国は存在しません。そして巨人族とは違うその巨きな体……ここが私の暮らす世界と異なる世界というのは大いに考えられる話ですね」


「──へぇ、『ドルマ王国』なんて聞いたことねぇや。そんでもって騎士か……! やっぱり異世界から来たんだなお前!」



 互いに知らない情報を交換する二人。光一としては憧れだったファンタジーな世界観に目を輝かせて聞いていたが、



「私は……帰れないのでしょうか……」



 故郷から突然追い出された彼女は話を聞くたびに不安に駆られた面持ちで、ため息ばかりついていた。

 悩ましい表情。小さくても漂う哀愁は、光一の良心をチクチクと刺激するには十分な攻撃力を持っている。



「か、帰れるだろ! どうやったかは知らねぇけど、こっちの世界には来れたんだ。ならそっちの世界にも帰る手段だってあるに決まってんだろ?」



 無責任だが割と筋は通った話だ。そもそも異世界に来れたこと自体が不可思議なことだってのに、戻れないなんてのもおかしい。

 励ましのつもりで出た言葉だけど、案外納得いく内容だと思う。



「そう……ですよね。えぇ、おっしゃる通りだと思います」


「そうだろ? だから心配すんな。当面の生活は俺が面倒みてやるからさ」


「あ、ありがとう……ございます。えー……と?」


「あぁ、そういえばまだ名乗ってなかったな。俺は『井利元 光一いりもと こういち』。好きに呼んでいいよ」


「『コウイチ』……がファーストネームですね。ではよろしくお願い致します、光一」


「あ、うん……」



 いきなりの呼び捨てに若干動揺する光一。それも仕方がない。何しろ女子に名前で呼ばれるなど幼少時代を除くと皆無なのだ。

 突然現れた異世界の小さな女騎士に呼び捨てにされれば、5割り増しくらいでドギマギしても不思議ではない。



 ──でもこれから一緒に暮らしていくのに、壁があるのは良くねぇよな。少しずつ慣れていこう



「で、お前の名前は?」



 ピッ、と指先程度の顔を指さし名前を尋ねる。

 異世界の人間だ。きっとすごい名前とかしているんだろうな、と内心わくわくしていたが、中々彼女は名乗らない。


 んー、と腕を組み、カツカツと指で腕の鎧部分を鳴らしながら何か悩んでいる様子。やがてその音が鳴り止むと、閃いたような表情で──



「では、『ナイト』とお呼びください」



 ──と、だいぶシンプルな名前を口にした。

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