1話 「ポケットコンタクト」

 


 井利元 光一いりもと こういちの日常はこうだ。


 まず6時にセットしておいた目覚まし時計に8時に起こされ、大慌てで学校に向かう。

 チャイムの鳴る頃に学校に到着し、汗だくでHRを迎える。

 当然疲れて1~4時限までは爆睡し、昼休みに後悔しながら弁当をもりもり食べる。

 満腹になったので眠くなり、5~7時限まで爆睡し、自分に嫌気が差しながらも部活のために剣道場へ向かう。


 とまぁ……あとは想像に任せるが、恐らく想像通りに過ごしているだろう。



 こんな風にぐうたらな人間なので当然成績は悪いし、彼女だっているわけない。一応、剣道は幼い頃から続けているが、平均よりも少ない身長に、馬鹿正直な性格が故の単調な戦い方しかできない彼が強いはずもなく



「くそっ、この駄目人間……」



 こうやって自分を蔑む日常を延々と繰り返しているのだ。


 なんともつまらない人間だろう。できればこんな人間にはなりたくない。

 だが──、そんな少年にも一つだけ面白い特徴がある。いや、『できた・・・』と言った方が正しいだろうか。



「……ん?」



 部活の帰り道。11月も半ばの北風の鋭く吹き付ける午後7時11分。彼の右ポケットは膨らんでいた。


 常人であれば、「何が入っているんだ」と好奇心が自然と手を動かすだろう。面倒くさがりな光一でも普段ならば、恐らく同じ行動を取るはずだ。


 しかし今の彼を舐めてはいけない。部活帰りで体力、気力共にゲージはすっからかん。そんな事を気に留める余裕なんてないのだ。


「そんなことよりまずは腹を満たせ」と足は自動的に自宅へ向かって行った。





 ◯ ◯ ◯ ◯ ◯






 光一は教室でも、家でも割と大人しい部類に入る。部活では怒られたくないので頑張って大声を出すもののそれ以外で声を上げることはまぁ、ない。


 そんな彼だがこの光景はさすがに声を出さざるを得ない。空腹が満たされ満足状態にあろうと、それを上回る驚愕には勝てなかった。



「な、ななんだ!? どうなってんだ!?」



 無造作にベッドの上に脱ぎ散らかされた制服のズボン。つい2,30分前まで履いていたそれがもぞもぞと命を吹き与えられたかのように動いている。

 前に進んでは右に進み、右に進んでは左……と見せかけ後ろに進む。不規則な動きに思えるが、ベッドから落ちないように慎重に進んでいるようにも見える。


 怖い、なんてもんじゃない。寧ろ一周回って可愛いとさえ感じてしまう。これをポジティブと言っていいのかは知らないが、まずは近づいて様子を見ることにしよう。



「そーっと……そーっと……」



 その口さえ閉じれば完璧に無音なのだが、ズボンは光一の気配に気付いていないのか、相変わらずもぞもぞベッドの上をうごめいている。


 手を伸ばせば届く距離まで来た。まだズボンはうろうろと壁もないベッドの迷路を右往左往。



 ──捕まえよう



 心に過ぎった言葉は脳を介さず、そのまま手の神経に動きを与える。

 やっぱり彼も剣道部の端くれなのか、捕まえる瞬間にはダンと踏み込み、両手でがっしりとズボンに掴みかかった。



「よし、捕まえ……た……?」



 ……疑問形になるのも無理はない。彼とて一般社会で無難に生きていく程度の常識は持っている。

 大好きなアニメやゲームだって、その中の世界観やキャラクターは架空の存在として割り切ってるし実在する物ではないと分かっているのだ。


 それなのに光一の視界に映るのはおおよそ現代の常識から逸した存在。それこそアニメやゲームに出てきそうな風貌の少女だ。これがとにかく彼の心中を大きく取り乱している。


 空色の瞳に、後ろで束ねられた腰まで届く長い金髪。うん、ここまではまだいい。

 輝かしい銀の鎧を身に包み、白い剣を手に持っている。もうここからおかしい。


 そして──、そんな少女は自分の制服のズボンのポケットから顔を覗かせている。



「意味がわからねぇよ」



 ポツリとそんな言葉が出てしまう。確かに意味なんて分かるはずない。ポケットから人間が出てくるとかふざけた話だ。


 だが同時に、この出会いが自分の中で一生忘れられない。いや、忘れてはならない出来事であると。



 ──そんな気がしてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る