砂漠と雨の日(2009/07作)

 きっと幻覚だろうなと僕は思った。

「あたし、雨が好き」とそいつは、赤い傘の下から小さな顔を覗かせて言った。「だってお気に入りの傘さしてね、ピカピカの長靴はいたらね、あたし何だってヘッチャラなの!」

 言い忘れていたが、僕たちのいる場所は砂漠の真ん中である。

「ねえ君、水持ってないかな? 僕、もう三日も水を飲んでないんだよ」

「水?」とそいつは言って、不思議そうな顔をしながら僕を見た。「空に向かって口を開けてみたら? そこらじゅうに雨が降ってるでしょ」

 僕は空を見上げた。まるで青ペンキで塗りつぶしたような平べったい空が、どこまでも広がっいた。

「そうだね」と僕は、砂に埋もれかけた足元を見ながら言った。「君はやっぱり幻なんだね」

「マボロシってなあに?」

「夢みたいなものさ」

「夢って、なんだかすてき」


 僕は乾いた砂の上に腰を下ろすと、タバコに火を点けた。そいつは赤い傘を差して歩き回ったり、砂に絵を描いたりして遊んでる。

「♪おこりんぼうのゴリラさん だけど猫にはやさしくて そっと頭をなでました♪」

 ふと遠くに目をやると、空が黄色く濁っているのが見えた。

 砂嵐だった。

「♪猫はきまぐれ たそがれて ゴリラにさよならいいました♪」


 僕はそいつの手を引っ張り、窪んだ場所を見つけて身をひそめた。

「ねえ、かくれんぼしてるの?」とそいつは僕に尋ねた。「鬼はだあれ?」

「鬼なんていないよ。でも、色んなものから逃げなくちゃならないんだ――くだらないゲームが終わるまでは」

 僕たちの頭上で砂嵐が狂ったように吹き荒れた。そいつの赤い傘は、まるで木の葉のように空へと吸い込まれていった。嵐が去ると、また青ペンキの空が広がったが、赤い傘はどこかへ消えてしまった。

 すると、そいつは急に泣き出した。

「だってね、傘なくしたらね、母さんきっと悲しい顔するもん」


 僕たちは赤い傘を探してそこら中を歩き回った。

 砂漠の地平線に日が落ちる頃、砂から突き出した傘の柄を見つけた。僕は砂に埋まった傘を堀り出し、壊れていないか具合を確かめた。

「大丈夫みたいだ」と僕は言って、そいつに傘を渡した。「穴一つ空いてないよ」

 夕日に照らされた砂漠には、僕とそいつの影がどこまでも長く伸びていた。

「もう帰らなくちゃ」とそいつは、傘を閉じて言った。「さようなら、マボロシさん。早く夢から醒めるといいね」

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