犬の木(2009/03作)
「ありがとよ、旦那」と犬は言った。
冬の路上で子供たちにいじめられているところを私が助けてやったので、犬はそのお礼を言ったのである。
「旦那は最初、憐れなオイラのこと見捨てようとしただろ? でもオイラ見逃さなかったね、旦那の目に涙が光っていたのを」
よしてくれよと言って私がその場を立ち去ろうとすると、犬はズボンのスソを噛んで引っ張った。
「待ってくれよ旦那! お礼に酒でもさ!」
犬はズボンを離そうとしなかったので、私は仕方なく、犬に連れられ近くの焼鳥屋へ入った。
「もしかして旦那」と犬はシッポを振りながら言った。「きれいなお姉ちゃんのいる店のほうがよかったかい?」
私たちは小一時間酒を呑み適当に世間話をした。店を出ると外はすっかり暗くなっていた。犬はまた別の店で呑み直そうと私を誘ったが、私は明日仕事があるからと言って断った。
「つまんねえな」と犬は自分の前足に目を落としながら言った。「オイラ、旦那と友達になりたかったんだ」
私たちはさよならを言って別れた。しばらく歩いて振り返ると、私のことをじっと見送っている犬の姿が見えた。私が手を振ったら、犬は暗い空に向かって遠吠えをした。星がきれいな夜だった。
それから一週間ほど過ぎたある夜、私はまたあの犬に会った。ひどく寒い夜でどうにも一杯呑みたい気分だった。それで呑み飲み屋の明りを探していると、冷たい路面に力なく横たわっている犬の姿に私は気づいた。近づいて体を揺すってやったが、そいつはシッポひとつ動かさなかった。
「ねえ旦那、オイラ死んじまったよ」と犬は言った。「死ねば楽になると思っていたんだが、そうじゃないんだね。オイラ、寒くてしょうがないんだ」
私は硬くなった犬を拾い上げ、腕に抱いたまま家に帰った。
家に辿り着くと物置からシャベルを探し出し、庭の適当な場所を選んで穴を掘った。私は穴を掘り終えると煙草に火を点け、肺いっぱいに吸い込んだ煙を、ゆっくりと暗い空に吐き出した。夜空に星はなかった。私は暗い穴の中に犬を寝かせ、上から土をかぶせた。それだけ済ませると私は酒を呑んで眠った。夢は見なかったと思う。
春になると、犬を埋めた場所から芽が出てきた。
芽は長い時間をかけて成長し――やがて見上げるほど大きな木になった。
ある昼下がり、私が木陰で休んでいると一羽の小鳥がやってきた。小鳥は木の枝に止まり、さも自慢げに歌をうたったあと、木陰でうたた寝する私にそっと話し掛けた。
「ねえ旦那、アタシのこと好き?」
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