第116話 もう一つの肩書き
同刻
ゴルトラ洞穴門
――中心部より手前
「…………行ってしまいましたね」
「……」
「本当に帰ったのでしょうか。街まで戻ったのでなく」
「少なくとも、この場からは去った」
それで十分とカストリック。
そうあっさりと割り切れないモーフィアは胸に残るモヤモヤした気持ちを口にせずにはいられない。
「このタイミングでの登場ですよ? 近隣に領都封鎖の話も広がる中で、いくら腕に覚えがあったとしても、ただの旅行者が厄介事に巻き込まれるリスクを冒すモノでしょうか。
よほどの目的が領都にあるか、あるいは――カストリック様が睨んだとおり、動きを探りに来た帝国の間者と思うのが必然です。ただ、最後のくだりを聞くに……」
「『聖市国』だ」
遠慮がちなモーフィアに対し躊躇なくその名を口にしたのはバルデアだ。
弦矢の肩を借りて何とか立っていられる彼女は、痛みと疲労に顔をしかめながら断言する。
「あの覇王に自治権を認めさせた学園や……っ」
「ばるであ殿、横になられた方が」
弦矢の気遣いにバルデアは首を振る。
「……大陸一の強国である帝国に、自分の意志を介入させる力。加えて、『召喚』のキーワード。この……ふたつから連想されるものは、『聖市国』を置いて、ほかにない」
「すると、あの老人……『アド・アストラ』の教諭と云いながら」
カストリックの気づきが正答であると告げるように、バルデアが老人の隠されし肩書きを口にする。
「おそらく、『
「「!!!!!!」」
その瞬間、魔境士族をのぞく全員が強烈な悪寒に襲われたかのように、ぶるりと身を震わせた。おそらく、十字軍にまつわる凄惨な逸話の数々を思い起こしたからに違いない。それとなく察していたモーフィアですら、はっきり言われると身を強張らせずにはいられないのだから。
口にしたバルデア自身の声にも緊張が帯びる。
「しかも『上位三席』という話が本当なら、あの老人は正真正銘のバケモノだ」
「あれが、ですか……?」
公国至高の武人からバケモノ呼ばわりされる老人に、モーフィアの表情は微妙。あのふざけたエロジジイと大陸最高峰の戦闘力というイメージがどうにも結び付かないからだ。
「正直……」
「第一印象はひどかったが、な」
自分もそうだと苦笑を漏らすバルデア。そうして気持ちをゆるめると痛むのか、ちょっと片目をしかめてすぐに表情を引き締める。
「知ってのとおり、聖市国に軍と呼べる規模の人員はない。……代わりに『断罪官』と呼ばれる十三人の到達者が、いるだけだ」
逆に云えば、それで事足りると。
大陸最小にして最高峰の戦力を誇る人外の軍。
それが『
「彼の十三人は、いずれも常識の枠を越えた奇人変人ばかりと耳にする――だがだからこそ、尋常ならざる強さを手に入れることができた。そう思わないか?」
「――確かに」
たった今、体験したことを思い起こせば、納得するしかないモーフィア。
学者であり学徒でもあるという老人も、知りたい欲求に衝き動かされるまま、事象を深掘りして真理の扉を開き、必要に迫られ道具を高度化させ、資料資材を求めて大陸中を探索しぬいたことで肉体が極限まで鍛え上げられた――すべては成り行きで、強くなることを求めた結果ではなかろうと。
でも。
本人がそうと意識せずとも。
ただひとつに突き抜けたからこそ至る極み――その凄みを老人からは、確かに感じられた。
もはや老人が『
その目で見たバルデアの声にも、だからひどく実感がこもるのだろう。
「あの老人と敵対せずに済んだ。今はそれで良しとすべきだ」
「そうも云っていられないのでは?」
ここで異議ありとするのはカストリック。
なぜひねくれた態度を取るのかとも思えば、そういうことではなかった。
「あの老人がそうだとするなら、この地に聖女の矛である『断罪官』が派遣されたということ。口ぶりから推測すれば、領都にです」
「辺境候のご子息……!」
ハッとしたようにモーフィアが口にして、さらにあっとなって自身の手で口を押さえる。
ジロリと睨みつけるカストリックに軽く眉をあげる弦矢。バルデアに至っては無反応。
「……す、すみません」
ささやくように謝り、小柄なカラダをさらに縮めるモーフィア。
本来、彼女は英雄の正体を知る立場になかった。それを現場判断でカストリックが自隊の副隊長とモーフィアだけに明かしていたのだが、その口止めを破ってしまったのだ。
皮肉なことに知る権利のない部下は残り少なく、今となっては気遣う必要もないほど。実際、カストリックも非難の目を向けたのはわずかばかり、すぐ素知らぬ顔で話を再開する。
「むしろ英雄の真実を知った時、こうなる可能性について想像するべきだったのかと。聞けば聖市国の目と耳は鋭いとか。彼らが公都の誘拐事件を知り、『俗物軍団』との関連性に気付けば、自ずとその目は辺境に向けられます」
「だから『
思わず口を挟むモーフィアに、
「そうでもなければ
きっぱりと言い切るカストリック。
聖市国の諜報レベルなら、こちらと同程度のネタを掴み、十字軍の派遣を正式決定していても不思議はないと。
その考えに同意するようにバルデアも繋げる。
「生の
「だとするならば」
ここまで黙して話に耳を傾けていた弦矢が、はてと首をかしげる。
「ご老人は素直にお帰りになられたが……」
「いや、“もうひとりいる”と云っていた」
それを云いたかったのだと勢い込むのはカストリック。途中で話が折れたことに内心やきもきしていたのだろう。
「別のルートで領都にアプローチしている可能性がある。あるいはもう、入り込んでいたとしても不思議ではない。いくら厳重にしたところで『断罪官』からすれば警備など無きに等しいからな」
今がどういう状況であるか、カストリックの言い分が皆に浸透するに従い、空気が変わりはじめる。
「……確かに問題だな」
「そうですね」
バルデアとモーフィアがコトの重大さを理解し、知識不足でもその危急さだけは肌に感じた弦矢が不安げに尋ねる。
「どうした、それほどに深刻なコトか? よもや、えるね姫の身に危険が及ぶほどに……?」
「それだけじゃない」
首を振るのはモーフィア。
「領都がまるごと危ないのよ」
◇◇◇
神敵を追い詰める十字の影。
その道先にあった家や畑などのすべては焼き払われ、灰となった村や街は数知れず。
たとえ小物の幽鬼さえも逃さず確実に仕留めるため、無垢なる子供ごと槍で貫いた話は広く世間に知られている。
ある意味、人類の敵である『吸血鬼』と同じレベルで怖れられているのが『
モーフィアの言葉には、そうした怖れがまざまざと染み込んでいた。
十字軍について軽く説明を受けた弦矢も返す言葉が見つからず、だからこそ、横から割り込んできた第三者の声に不意を打たれてしまう。
「ひどい云われようじゃな」
「「「?!」」」
唐突に響いた聞き覚えのある声に、皆の視線が迷わずある一点に注がれた。
あの老人だ。
驚きよりも『
「――ご老人。帰られたのでは?」
「そのつもりだったが、
「みやげ?」
思わぬセリフに何の話かと眉をひそめるのはモーフィア。老人の目線に気付いて首を巡らす彼女の視線が例の怪物を捉える。
今や月ノ丞によって五体バラバラにされ、それでもなお地べたで蠢く肉の塊。
余計に訳が分からぬと眉間のシワを深める彼女に「云わなかったか?」と老人からフォローが入れられる。
「アレは、古き時代に実現されていた『
だから研究材料として持ち帰りたいと。
あのバケモノを――?
疑心いっぱいに顔を歪めるモーフィアの気持ちは弦矢にも理解できる。
一方で、その信じがたい考えも尋常じゃない学者ならば当然の発想かもと思い直し。正直、こちらにとっても渡りに船。厄介払いができるなら、理由はどうでもよいのではと思う。それはやはりモーフィアも同じ気持ちであったらしい。
「まあ、いいですけど……?」
上官の顔色をうかがうモーフィアに、カストリックは承諾するように道をゆずる。そこへ、
「――お渡しするには、条件がある」
思わぬ待ったをかけたのはバルデアだ。
さすがに話疲れ、うつむけていた顔を懸命に持ち上げて、視線だけは鋭く老人を射抜く。
「貴殿の発言を回想するに、すでに十字軍のひとりが領都に向かっていると推測する。だとすれば――公国は、貴軍による領都での活動を望んでいない」
「ほ。神敵を匿うと?」
ぞろりとした心臓を撫でる老人の低い声に、モーフィアがびくりと身を震わせ、しかしバルデアは動じず答える。
「そちらが何を掴んでいるのか知らない。だがこちらも、それが領都に在るとの確証は何も掴めていない」
逆に言えば、“邪悪なモノの情報”ならば持っていたと解釈される危ない発言だ。
なぜなら大陸のおもだった国は聖市国と協定を結び、『吸血鬼』の情報を率先して流し活動を支援する代わりに、ある程度の活動制約を付しているからだ。
公国も然り。
だから“情報共有の怠り”は公国の立場をまずくする。場合によっては、“神敵の支援国だ”などと糾弾され国際的に孤立させられる可能性もあった。
「ふん」
小賢しいと云わんばかりの老人。どうやらバルデアが言及したのは、あくまで“確証うんぬんのみ”と受け止めてくれたらしい。自分らに悪気はなく、憶測だけで相手を踊らせるわけにいかなかったのだと。
だからバルデアの申し出に注目してくれる。
「つまり……こちらに
「不足と思えないが?」
「イイ線いっとるが、肝心なトコがぬけておるわ」
そう指摘する老人。
「その対価はワシにだけ通じるもの。聖市国にとっては何の関係もなく、団の活動に影響を及ぼせるものではない」
「それでいい」
「?」
承知の上と云われ、眉をひそめる老人。
バルデアは淡々と意図を告げる。
「貴殿には『見届け人』になっていただきたい」
「――ほう」
「仮に神敵相応の存在がいたとするなら、それを見逃していた我らの不始末は、我らの手で正したい。貴殿には同行いただき、我らがコトを為すまでを見届けてほしい」
それが条件だと。
もちろん失敗すれば、活動制限は解除。老人の好きなように動いて構わない。
「ふむ」と白髭をしごく老人の様子から、少なくとも一考に値する提案はできたようだ。その間、まだ話が呑み込めない弦矢が「もーふぃあ殿?」と説明を求めると「今いいところよ」とシブイ顔をされる。それでも。
「……ほとんどの『断罪官』に
「だから代わりに我々が?」
「そういうこと」
うなずくモーフィアは、そこで少し自信なさげに付け加える。
「……それにたぶん、バルデア卿は……爺様の『上位三席』という地位を活かして、十字軍のもうひとりに『見届け人』となることを説得してもらうつもりなんじゃないかしら」
「なるほど」
それなら老人に対してのみの条件でも、派遣された『断罪官』の活動を制約し領都の被害を抑えることは可能にできそうだ。
「うまいな。我らにご老人に領都の民。三者が得する交渉じゃ」
「ええ。さすがバルデア様っ」
そんな二人の昂奮が気に障ったのか、じろりと睨めつける老人が面白くなさげに「ふん」と再び鼻を鳴らす。
「確かに名案じゃが、やはりひとつ、ぬけておる」
「何がだ?」
眉をひそめるバルデアに「ぬしは」と指を突きつける老人。次に自分を指差しながら、
「ワシが、“人に転がされるのを好まぬ”ということを見落としておる」
不満いっぱいで思い切り口をへの字に結ぶ。
((このジジイ……っ))
初対面で見抜けるかと憤る弦矢とモーフィア。
バルデアは鼻白むのも一瞬、すぐに「ではどうしろと」そう思わず尋ねていた。それが大間違い。
にやりと笑う老人は「おお、そうじゃ!」と実にわざとらしく、声高らかに左手のひらを右の拳でぽんと叩く。
「条件を呑んでやるから、たとえ領都までの短い旅だろうと、このワシを快適に過ごさせろ」
「快適に……?」
「そうだ。すっごい快適に! そうでなければ力尽くで奪って、帰るのみ!!」
「いや、そもそも“快適”とは……」
ぱっと思いつかないらしいバルデアに「難しく考えるな」と老人は優しげに諭す。
「なに、あそこの立派な馬車にワシを乗せろ。そんでもって、ぬしとそこの娘がずぅっとワシの両隣にいてくれればいい」
「両隣? だがあれは二人づつ……」
「そこを三人で座るから、意味があるのだっっ」
そう拳をかためて力説する老人。
「華やかしい乙女に挟まれぎゅうぎゅうって、これは……ンもう!!」
「……」
「よいなよいな!」
「……」
「うむ、ほんっっっっっっっっっっに、我ながら妙案だぞぇ!!」
そうして老人は左手で何かを撫でさすり、右手で別の何かを持ち上げる仕草をしてみせる。「ぽゆぽゆ」とか「ぅひょほほ」とか気持ち悪い擬音を口にする頭の中は、覗き込まなくても妄想でいっぱいいっぱいなのが分かるほど。
やりやがったと天を仰ぐモーフィア。
バルデアは仮面のように無表情を崩さず、
「なら力尽くで」
老人の条件提示をなかったことにして騎士長に呼びかける。
「カストリック!!」
応じてカストリック。
もはや釈明の余地無しと、ためらうことなく剣を構える。その目は鋭く、無害な学者を相手にするとは思えない殺意すらこめて必殺の『鍵言』を声高に唱えた。
「『
手加減ぬき。
はじめから全力の戦闘を試みるカストリックが、そこで何かの異変を感じたように眉根をきつく寄せた。
ちらと自身が握る剣の柄を見下ろす。
「どうした?」
尋ねる老人の唇に浮かぶ悪戯っけな笑み。
カストリックは慌てず片手から両手に持ちかえ、渾身の力を注ぐような力強さで『鍵言』を再度唱える。
「『
洞穴内に響く騎士長の命令。
気絶する者さえ叩き起こす一喝に、それでも沈黙を貫く『精霊武具』の剣。
これまで一度も無かった不測の事態に。
「……」
今度こそ、カストリックは深刻な面持ちで愛剣を見つめる。おそらくは心の中で『鍵言』を繰り返しているのだろうが、それでも長年連れ添った相棒が目覚めることはない。
その原因は明快。
「そりゃ応えんじゃろ」
「…………さっきのアレか?」
それが老人ではなくモーフィアに対する問いと察して、内心のまたですかという反感を顔に出しながらも彼女は慌てて首をふる。
「……そ、そうですっ。火精霊以外の三つは周囲から追い出されています!」
「ワシには不要だが、ぬしらに松明の明かりは必要と思ってな」
それが火精霊のみを残した理由であるらしい。
「……器用なマネをしてくれる」
普通ではないとカストリック。
例えば、相手の矛に対し盾で防ぐのが護りの基本なら、老人がやってみせたのは“矛の刃のみを取り上げる”応用の技。いや、応用の中でも高難度の技法。そういうことを術でやってみせたのだ。
何気ない攻防に実力の高さをうかがわせる老人は「戦うのはキライでな」とうそぶく。
「はじめは守ることばかりやっておった。相手の疲れを待ち、負けない戦いをしておった」
それがあまりに効率悪すぎて老人は次のステップを模索したと。
「次に心掛けたのは、相手に攻撃させないこと。今のように得意技を封じるのもすべのひとつ」
「なら、純粋に剣のみならどうだ!」
カストリックが老人に向けて突っ込んだ。
地面に刻み込むように足を動かし、素早く詰め寄ったところで剣を振り抜く。
「残念」
老人の言葉を体現したのは白い女。
彼女が手にする未知の棒武具がカストリックの剣を横から弾いていた。
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