第115話 もたらされる希望
同刻
ゴルトラ洞穴門
――中心部より手前
「ほう……またなんとも、おかしなことになっておるようだな……?」
「! ――ゲンヤ殿」
ハッとして振り返るモーフィアが失態を悟って表情を曇らせる。お馬鹿な茶番劇に付き合わされているうちに、負傷者に無理をさせてしまったと。
「あの――」
「すまない、少し建て込んでてな」
言葉に詰まるモーフィアに代わり、即座に詫びを入れたのは上官のカストリック。いかがわしい二人組から視線を外さぬ様子で状況を察したのか、弦矢も「構わぬ」と気にした素振りはない。
「どういうわけか、バケモノの動きがにぶくなりおってな。味方の援護もあって、危なげなくここまでこれた。もしや、そちらのお二人が……?」
勘の鋭いところをみせる弦矢が好奇の目でふたりの異邦人を差せば、
「礼には及ばぬ」
悠然と白髭をしごく老人が謙虚な口ぶりとは裏腹に、さも自慢げに胸を張る。
「そのつもりなかったでしょ?」と呆れるモーフィアの視線などお構いなしに、「それにしても危ないところではあった」と意味深に老人は胸を撫で下ろす。
「あれは『
「故にっ」とそこで老人は鋭く目を細めて、
「おまえさんたち――精霊術や魔術を攻撃に特化して学び磨くだけのハンパ者たちに、あれの対処法を見出すのは困難。いや不可能と云ってよい。
いやいや――このワシが居合わせて、ほんっっっっっっっっっっっっっっっっとーうに、よかった」
もう一度、屁が出そうになるほど力を込めて「本当に良かった」と繰り返す老人。これには弦矢も苦笑い。
「……」
「ほんっっっっっっっっっ……」
「?」
「ああ!! ほんとうに、おかげさまでっ」
首をかしげる弦矢に対し、慌てて相の手を入れるモーフィア。
「ジョイモイさんがいなければ、対処どころか逃げ伸びることも危うかったかもっ。……ちょっと、あんたも!」
「む? あ、ああ」
モーフィアに肘で小突かれ、ようやく弦矢も何かを察する。
「あー、うん、そうとも……謙遜されるなご老人。そなたの優れた秘術のおかげで、ばるであ殿をお助けできた。あらためて礼を云う」
「なんの」
さらに胸を反らせる老人が、そこで何かに気付いたように「むむ?」と顔を突き出し、弦矢の顔をまじまじと見る。
「いかがなされた?」
「いや、おぬし」
「?」
「おもしろいナリをしておると思ったが、それだけばかりでない。魔力というか生気というか……その在り様こそがおかしいな」
老人は難しい顔で白髭をしきりとしごき、それから弦矢に近づいて右から左から無遠慮に眺め回し、やがて「やはり間違いない」と結論づけた。
「ぬしは、
「浮いてる?」
「この場から。この国から。いや、この――」
ここで老人はゆっくりと両腕を広げ、
「――――世界そのものから」
そう告げる。
これまでの人を食った調子はなく、まさに真理を追い求める研究者の顔つきで弦矢に向き合う。どうやら本気で言っているらしい。
「ぬしというものが、この世界にまったく馴染んでおらん。存在そのものが。まるで忽然と生まれ落ちた異物であるように。これはつまり――」
先に答えを口にしたのは白い女。
彼女にもそれが分かるらしい。
「『
その呼び名を耳にして、カストリックとモーフィアのふたりがハッとしたように弦矢を見やる。
困惑して眉をしかめるのは弦矢だけ。
勝手に合点がいっている老人は手をスリスリとこすり合わせて喜びの声を上げる。
「いやいや、こたびは何と驚きに満ちた旅になったものか。まさかこんなところで、希少な魔法生物の研究材料を発見し、その上、他の『
「いや、何というか……」
「ですけどジョイモイ、さん?」
訳が分からず困り果てる弦矢にモーフィアが助け船を出す。
「何をどうやって判断したのか分かりませんが、この方は北方魔境の士族ですよ? あの大陸でも指折りの危険地帯に棲みついてる、とんでもない超人です。他と違ってるのはそのせいでは?」
「それはない」
歯切れよく老人は断言し、片目にかけた丸器具をとんとんと叩いてみせる。
「この『
「待て!」
そこではじめて目の色を変えたのは弦矢。
「そういうことか?」
「ゲンヤ殿……?」
驚くモーフィアの声も耳に届かず、弦矢は独り言を続ける。
「『漂着者』とは、流れ着いた者。この地に、おるのか。儂ら以外にも、同じように流れ着いた者が、おるというのか……?!」
「おるとも」
深刻げな表情で考えを巡らす弦矢の言葉が沈み込むのとは逆に、老人の返事はあくまで軽い。
「そも異界からの漂流自体、原因は不明だが、古い文書にも記録として残されているくらい昔からあったコトだ。それは“人”であったり“樹木”であったり、使い方の分からぬ“道具”が漂着した例もある。あるいは――――“厄災”の場合も」
「「「……っ」」」
困惑と驚きと。
皆を大いに混乱させる事例を口にして老人はニヤリと笑う。それを悪趣味だとたしなめる白い女。
「それと、悪戯に『禁断』に触れますと、あの方にその生っ白いケツを蹴り飛ばされますよ?」
「やれるならな」
老人は意にも介さない。
「これでも『上位三席』のひとり。誰を代執行で寄越そうと、お尻ペンペンで返してくれる」
「あら、強気ですね」
「当然だ。そもそも帝国や学園に無理言って、入団をねじ込んできたのは向こうの方。ワシは頼まれたから、やむなく――」
「あいや、おふたり!」
言い合いに熱が増すところで、弦矢が大きく手を振り割って入る。
「お話中、まっこと申し訳ないのだが、聞かせていただきたいっ」
「「?」」
「その『漂着者』のことだ。今もおるのか? どこでどうしておる? 元の地へ帰った話は? いや、その手法をご老人は知るまいか?」
弦矢は息せき切って矢継ぎ早に質問し、「儂は知りたい」と熱を込めて訴える。
「いや、どうしても帰らねばならんのだ。どうか、ご老人。是非に!!」
頭をぶつけんばかりに下げる弦矢に、老人はのけぞりながら「いや、うーむ」と困り顔。なおも必死で詰め寄る弦矢に「どうぞ、落ち着いて」となだめるのは白い女。
それでも弦矢は一歩も退かぬ姿勢。
「すまぬが、これは皆の悲願。かような機を得て、落ち着いてなどおれぬっ」
「ええ――そちらにはそちらの事情がおありでしょう。ですが、“ない剣は振れぬ”と申します」
「?」
「そこは“槍”でも“旗”でもお好きに当てハメて結構です」
「いや、そういうことではあるまい」
珍しくツッコみに回る老人。
「若き異邦人殿。こやつが云いたいのは……つまりワシが言葉に窮したのは、残念ながら答えを持ち合わせていないからだ」
「……」
「いや、肩を落とすのは早いぞ?」
「そうです。この方はまぎれもない研究界の第一人者にして『アド・アストラ』の重鎮。今、持ち得る知識になくとも、学内に所蔵された数多の文書の中に希望を見出すことはできるかもしれません」
その託宣にバッと顔を上げる弦矢。黒い瞳を期待で輝かせながら、「恩に着るっ」と老人の手を握り締める。
「よさぬか。やるならそこの娘っこにやらせい」
「なんでアタシが?!」
「よいよい。もーひあ殿?」
「だから、なんでアタシなの?!」
弦矢にまで当然のように促されて目くじら立てるモーフィア。冗談じゃないとその手をひっぱたく。
ついでに老人の手もぺちり。
「おう?! ……今時の娘っこは熱烈だの」
「はい、金貨一枚」
「ほい、どーも――ではなくっ」
差し出された白い手に金貨を乗せようとしたところで我に返る老人。それでもモーフィアとのふれあいがうれしかったのか瞳は喜びのまま。
「こほん。まあ、ぬしの捜し物は『記憶の図書館』になら、あるかもしれん。ワシは忙しい身だから、直接手は貸せぬが……条件を呑めば協力くらいは、してもよい」
「背に腹は替えられん。云ってくれ」
「うむ。ひとつは学園に来て、己の手で捜すこと」
「当然じゃな」
うなずく弦矢。
「今ひとつは――ちょっと来い」
「?」
「いいからっ」
弦矢の腕を掴み、洞穴の隅へ引っ張り込む老人。しきりと白い女をチラ見しながら、ひそひそと条件を告げる。
「とにかく、めんこい娘を頼む」
「娘?」
「“めんこい”だ。“セクシー”も嫌いじゃない。“ぽいんぽいん”にだって興味がないと云えばウソになる」
「??」
「もちろんピンポイントで、小ぶりでもお尻がツンと上がった街娘なんかはウホホイだし、やけに蔑む感じのツリ目っこもオホゥではある……けどな」
そこで老人はキラリと目を光らせる。
若いのよく聞けと。
「今は“めんこい”がキテる。あの何も知らないようで、実は知ってるトコがよい。実は本当に知らなくて、教えてやるパターンの娘も、それはそれでトキトキするっっ」
「????」
心なしか息づかいが荒くなってくる老人とは反対に、聞けば聞くほどに理解が及ばず困惑が深まり、しまいには途方に暮れてしまう弦矢。
このご老人、さっきから何を語っているのかと。
「とにかく娘っこだっ。娘を紹介せいっ。日々の研究で疲れきったワシの心には、時に潤いが必要なのだ――分かるよな?」
「……おそらく」
そうして熱のこもる老人に弦矢が押されまくっているところへ。
「そろそろお時間が」
「ふげぇ?!」
唐突に背後から声を掛けられ跳び上がる老人。
対して解釈に苦しむ難題に気難しい顔で思案に暮れる弦矢。
「おい待て、まだ条件が」「さあ参りましょう」と有無を言わさず老人を引きずっていく白い女が、ふと振り返る。
「何を云われたか分かりませんが、気にしたら負けですよ」
「んむ?」
「条件を踏み倒せば良いと云っているのです」
「おまっ――何と無体なことを!」
鬼、悪魔と老人がわめきだすのもお構いなしに彼女は淡々と続ける。
「――と云っても聞かない方のようですね」
「すまぬ」
条件を呑むとしたのは弦矢自身。
帰還への念いを別にして、口約束とはいえ口にしたことを反故にできぬ弦矢の男臭い笑みに白い女は小さく息をつく。
「では、私からも条件を。センセイの条件が難しければこちらに挑戦すればよろしいかと。ちなみに特典は、私の協力を得られることです」
「おぬしでも?」
「借りにセンセイの条件を満たしても、書記官である私がお手伝いすることになるのです」
楚々とした笑みに「そういうことか」と納得する弦矢。「それワシが損するやつじゃん」とクレームをつけてくる外野を無視して白い女は提示する。
「私からの条件はひとつ。『アド・アストラ』の生徒になること」
生徒であれば、学園の施設を訪れるのに許可は不要。生徒として心ゆくまで施設を探索すれば、自ずと捜し物が見つけられるだろうと。実に真っ当な手法である。
「ちなみに、捜し物が見つかるとすれば、おそらくは図書館の
「あいわかった」
重々しくうなずく弦矢。
必ず入園し、会いに行くと。
そんな様子を眺めていたモーフィア達は、弦矢に質したいことがあるも、言い出せず。差し当たり、今気にすべきは別にあると、女の手から解放された
老人に矛先を向ける。
「…………えーと、それで? ちょっと聞いてもらえます?」
「んあ? なんだ。言うてみ」
少しばかりの尊厳を傷つけられ、せっかくの好機も逃すことになった老人は、少しいじけた感じで言い返す。
「もちろん、さっきの続きですよ。カストリック様が質問したでしょう。『アド・アストラ』の御教諭サマが、何をしにこんな辺境まできたのか答えてくれません?」
「む?」
眉をひそめる老人が明らかに戸惑いをみせる。
自己紹介のくだりも含めて話が長すぎて、された質問を忘れているのにも気付かないらしい。
代わりに「これは失礼」と答えるのは白い女。
「
「……っ」
それはそうだ。
しごく真っ当に返されて鼻白むモーフィア。
確かに公共の場で戦闘行為を勃発させているのはこちらの方であり、迷惑を掛ける側。尋ねられて困れば、見られて困るのもこちらである。
そのぼかした言い回しに気遣いすら感じ、気まずさに黙りこんだ彼女に白い女は笑みを浮かべる。
「――という思いは胸にしまっておきましょう。書記官の私が言うのも何ですが、“世の中知らない方がいい”こともありますから」
そうしてほっそりした人差し指を赤い唇に軽く当ててみせて。
「なので“互いに会うこともなかった”、そうしてはいかがでしょう」
「……」
ひしひしと感じる清楚な笑みの圧が凄い。
そのプレッシャーに耐えつつモーフィアは考えを巡らせるが実に悩ましい。
正直、口約束に何の保証もないものの、あのバケモノを抑えてみせる二人と敵対するのがベストな選択とはさすがに思えない。
ここは乗っかるべきではとモーフィアが上官の反応をうかがえば、意外にあっさりと白い女に告げていた。
「そうだな。同意はしたい」
「けれど?」
「ここを抜けたところで、本当の難関はむしろこの先。進めば自分から、厄介事の火事場に頭らかツッコむことになる。だからせめて1日――トラブル解消にあと1日はかかる――近くの街などで待ってもらえると助かる」
それが方便でないと他の者の様子で白い女は察したらしい。
「どうされます?」
普通は“引き返す”の一択なのだが、このふたりであればさもあらん。むしろ「進む」と事も無げに言いそうな老人が、
「では、
「え?」
思わず驚きの声をあげたのはモーフィア。あっさりと旅そのものを諦めた老人に誰もが意外そうな表情を浮かべる。白い女もそうらしい。
「よろしいのですか?」
「道を塞がれておるのではな。まあワシ以外にも、
「ですが『
まるで神託を告げるように白い女は怜悧に返す。
「反故にすれば最悪、団からの除名処分もありますよ?」
白い女の懸念を「どうせ頼まれて入っただけの仮宿だしの。むしろ、そうなったらなったの自由があってよい」と老人は気にした素振りもない。
「それにな、こうして“招き”に応じ務めもこなそうと努力しておる。ただし果たせるか否かは別の問題。これまでも、指定された地に対象がおらず、無駄に骨を折ったことは何度やら。それと同じではないか?」
「そうやって好き勝手に解釈し自由にされるから、『
やれやれと白い女が呆れ混じりにため息つけば、
「原因はそれ! その口の悪さが、ツケとしてワシに回されているからだ!!」
いい加減に自覚しろと。
老人は忌々しげに毒ばかり吐き出す赤い唇に指を突きつける。
「あら。そのようなドジを踏むとでも?」
「もう踏んでる! これ以上ないほど踏んだから、都を追い出すついでに、おまえをワシに当てつけてきたのだろう? あの性悪め……っ。かわいい顔してほんと、小憎らしい」
「センセイ、口は災いの元ですよ」
「はぁ?」
どの口でと目を吊り上げる老人。
「ワシのはかわいいもんだ。むしろ云い足りないくらいで、大きく利息がつきそうだわい。これまでの無理難題の押しつけを考えれば、もっと云える権利があるはずだ」
「あら。でしたら逆ですね。ヘンに溜め込みますとお身体に触ります。ならばどうぞ遠慮なさらず、お声を上げるべきです。さあ、遠慮なさらず。
「おまっ」
あまりの口汚さにギョッとした老人が手を振り、白い女を消す。
「ばかか? ばかっ、ばかっ……」
誰かに聞かれてやしないかと、何度もキョロキョロと周囲を見回してしばし――ようやく問題ないと納得できた老人は、肺に貯めてしまった毒気を絞り出すようにたっぷりと息を吐く。
「…………まったく、なんて心臓に悪い書記官だ。二百年もバツを喰らって、まだ懲りぬか」
ぶつくさと憤慨し大きく息を弾ませて。
額の汗をぬぐいながら、腰に下げた革袋に入った何かをグビグビと呑む。
少し人心地をつけたところで老人はこちらを見やった。
「あー、まあ……なんだ。今のコトは他言無用で頼む。分かるな? こちらにも事情がある」
「「「「……」」」」
なんか、色々とすんごい名称が飛び交ったのだが聞かなかったことにするモーフィアたち。
どうやら老人は、研究者や教師としての生活だけでなく別の顔も持っているらしい。しかも集めた言葉から連想されるのは、国際問題に発展しかねない情報だ。
国内情勢が不安なこの時期、一番ややこしくなる話であることくらい、イチ導師にだって想像はできる。だとするならば。
「「……」」
自然に上官と目が合う。
同じ考えと察してうなずくモーフィア。
そうとも、触らぬ神に何とやら。
「では、ごきげんよう――」
精一杯のスマイルで老人を送り出した。
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