第114話 深奥をのぞくモノ


同刻

ゴルトラ洞穴門


              ――中心部より手前





 月ノ丞が二体の奇人を相手に無双している頃。

 少し離れた位置でぼうぜんと立ち尽くすカストリックたちの姿があった。

 無理もない。

 辛くも獣人部隊を返り討ちにしたものの仲間の六割を失い、大技を繰り出したモーフィアも力付き、前衛組の支援に回る力など残されていなかったのだから。


 たとえ力を残していたところで、異形との熾烈な戦いに割って入ることなどできなかったろう。

 それほど衝撃的な力の差が見て取れた。



「……なんです、あれ……?」



 斃されるたびに段違いで強くなって蘇る異形の底知れ無さに恐怖を覚えたモーフィアであったが、それを難なく斃し続ける味方の力にもまた、畏怖させられた。

 特に『魔境士族』。

 

「腕が立つなんてものじゃない……っ」


 あのカストリックも請け合った実力は、聞かされた話の倍する以上に強く、これじゃどっちがバケモノか分からないと、自分でも気付かぬほどパニックになって上司の腕を強く揺さぶっていた。 


「何なんですか、あれは……あいつらは?!」

「……」

「特にあのいけ好かない男……もう何をやってるのかさえ、分からないんですが?!」


 泣けどわめけど、頼りの騎士長は強く唇を引き締めたまま、モーフィアに目も合わせてくれない。

 無言で冷貌の士を射抜くように睨み据える。


「……っ」


 その鬼気迫る姿にモーフィアは気圧される。

 歯噛みする唇に滲み出る、警戒心や嫉妬。

 あらゆる感情が場馴れした騎士の胸を焦がし、彼をして抑え込めぬ敵愾心を沸き上がらせていた。

 

「カストリック様……」


 これが叩き上げの戦士。

 自分とは異なる反応に、モーフィアは掛けるべき言葉を見つけられず。そんな彼女の混乱を知ることもなく、


「準備しろ、モーフィア」

「え?」


 ふいにあふれさせていた敵愾心を消し去って、上官はいつもの落ち着き払った声で命じてくる。


「馬車の用意だ。団長を乗せて突破する」

「ぁ……は、はいっ」


 そこまで言われて、あのバルデア卿が他者の肩を借りながら逃れてくる姿が目に入る。

 なぜ気付けなかった!

 もはや別天地の出来事としか思えない戦いに圧倒され、場の空気にすっかり呑まれていた自分を叱咤しながら、モーフィアは慌ててまわりを見回した。

 


「団長をお助けするっ、馬車の用意を!」


「ボサッとするな、全員騎乗!! ――今すぐ強行するぞっ」



 モーフィアは生き残りに声を掛け、準備を急がせる。すでに後方組の副長を失っているため、戦時規定の適用により、階級上位の彼女が継承しなければならない。

 皆も騎士ではない導師の命だからと不満を見せることなく、懸命に対応しようと動き出す。


「士官用の馬車はまっすぐ団長の下へ。陛下専用馬車と警護は迂回して! バケモノとの間にカストリック様が――」


 防壁になってもらおうと頼み掛けたところで、風がモーフィアの頬をなぶった。


「ふぁ?」


 凄い勢いでカストリックが振り返っていた。あまりのスピン速度に風が巻かれてモーフィアの前髪を乱す。ここで気にすべきは、先ほどと違って騎士長が臨戦態勢に入っていること。


「ぇ? ぇ?」


 今度は何だと、脈絡のない展開に頭が追いつかないモーフィア。それでも共に戦ってきた経験で、上官が何かの危機を感知したことだけは察し、戸惑いながら同じ方向に目を凝らす。


 そこはただ真っ暗なだけの闇。


 松明の明かりひとつありはしない。

 だがすぐ、別のことにモーフィアは気が付いた。

 むしろ、どうして気づけなかったと思う。

 洞穴内に響く涼やかなその音色に――。





 シャン――


 シャン――





「……鈴……?」

「シッ」


 黙っていろとカストリック。

 叱咤を思わす鋭さは、想像以上に近くから鈴の音が聞こえてきたためだ。

 その距離百、いや七十メートルもないのでは?





 シャン――


 シャン――





 ゆったりしたリズムは歩調を思わせ、しかし音の近づく速さは走りのそれ。

 その異常な感覚にモーフィアは訳もなく身震いする。いや、正しくはそれが理由ではない。本当の理由に意識を向けようとしたところで。


「……逃げろ」


 囁くほどの低い声でカストリックが命じる。

 その肌を陽光の下で見たならば、産毛が逆立っていることに気づけたろう。それが近づくほどに、実戦で鍛えられた騎士長の直感を激しく煽っている証拠であった。

 そうと知らぬモーフィアは動かない。もちろん聞こえなかったわけではない。彼女は口では説明できない違和感を鈴の音の発現点に感じ取り、その違和感が――“虚無”と呼ぶのが相応しいそれが何なのか、逃げるよりも“怖い物見たさ”が勝って動けなかったのだ。

 焦れたカストリックが声を荒げる。

 

「この場から離れろと言った、モーフィア!」

「それは不可解な命令だな、騎士殿」


 反応したのは別の誰か。その声があまりにも近くで聞こえたために二人は愕然とした。





 気付けば目と鼻の先――わずか十メートル離れたところに長杖をつく老人が立っていた。


 片目にまん丸い縁取りの器具を付け、ひとふさだけ残してまるめた頭髪。逆に耳から顎にかけて世界樹のごとくたっぷりと繁らせた白髪に齢の長さを感じさせ。


 纏う衣類も非常に古めかしく繊細な刺繍を施したローブを三枚重ね着し、丈の短い裾から枯れ木のような足首をひょろりとのぞかせる。


 その足首に巻かれた小さな鈴。


 それがくだんの鈴かと思えば、同じマネをしている者がいまひとり。


 こちらは老人を先導するように斜め前に立つ女。

 修道女のような衣服はすべて純白に統一されて肌も白く、瞳と唇だけを朱に染める。

 そこに不釣り合いで、古めかしい鈴輪が生白い足首にくくられていた。


 



 突然現れたおかしな組合せの場違いなふたり。

 老人は杖の頭頂に据えられたランタンに明かりを灯すことなく、その代わりとでも言うように、女の身がほの白く光を発する異様。

 

 こいつらは何だ?

 ふいに気配が沸いて、ふいに目の前に現れた。

 まるで亡霊のように。


 そう思ってしまうのは、ある意味これほど目立つやつらもいるまいに、鈴の音以外で認識することができなかったから。

 モーフィアだけでなくカストリックも驚いているだろう二人の反応を気に留めることもなく、「それに」と老人は話を続る。


「――ワシに対して、失礼・・でもある」

「娘ッ子を遠ざけるから?」

「そう――いや違う」


 白い女のツッコみをあくまで生真面目に訂正し、


「そこの御仁は、先ほどからワシに遠慮の無い殺気をぶつけてきおる。こちらを“悪”と決めつけておるからじゃ。今もほれ――この“好々爺”を前にしても、いっかな構えを解こうとせぬ」


 近頃の者はどうなっておると。

 理に合わぬと不満を漏らす老人に、「決めつけてるのはジジイイでは」と白い女が見た目の清楚さに反して口悪く返す。


「このような深き穴蔵で、いかにも妖しげなジジイを目にすれば、私だって身の危険を感じます。事実ねっとり視姦されていますし」

「色々と――?!」


 目を見張った老人がさらに何か言いかけ、そこでごくりと唾を呑む。

 ゆったりめの服であるにも関わらず、白い女の自己主張を抑えきれない胸と、逆に絞られたような腰のくびれは、純白を穢す色香を確かに放っていた。

その肢体に目を奪われた老人を見て、


「――言ったそばから」

「やめよ」


 何事もなかったように視線を外し、ひらと右手を振る老人。


 いきなり白い女が消えた。

 

 ド肝を抜かれたモーフィアが両眼をひん剥き、カストリックさえも唖然と口をわずかに開く。だからふたりとも気付かなかった。

 時を同じくして、老人の手にする杖の頂がほの白く灯ったことに。



「――して、ぬしらは誰かな?」

((いや、こっちが聞きたい!!))



 洞穴に轟くことのない心の絶叫。

 どうしようもないほど奇怪な老人にペースを握られた場にあって、それでも例外はあった。


 ふたりの背後――洞穴中央部にて沸き上がるのは膨大な闘気。奇人だ。ついにすべての力が収斂された一体が、その産声を上げようとしていた。

 厄介な人物が現れた時にかぎって、重ねるように厄介事が。それへ一瞥をくれた老人が、



「黙らっしゃい」



 不機嫌に吐き捨て、枯れ木の足をあげ、

 またも唐突に現れた白い女が、軽やかに足を踏みならした。





 シャン――――……





 足音なく、響き渡る鈴の音。

 ただ一度きりの鈴の音で、獰猛な気配が身を震わせる。そのまま膨れ上がっていた気配がぴたりと留まるとは。


「なにをした?」


 当然の疑念をぶつけるカストリックに、


「貴殿、それだ。その目付き」

「この状況で警戒するなと?」

「ちがう。それでは女にモテぬと言うておる」

「……」


 老人は当然のように、そしてなぜかキメ顔で指摘するが、カストリックに完全にスルーされたと知るや咳払いひとつ。


「誤解するでない」

「……」

「だから誤解と言うておる。よいか、異性を魅了するほどのコミュニケーション能力は、政治にも戦いにも必要だということじゃ。事実――」


 そう言って老人は奇人の方を差す。


あれ・・は色々と弄られておるようだが、土の精霊を鍵として創られておる」

「……」

「ぇ?」


 それを確かめるように上司に目顔で問われ、我に返ったモーフィアが、戸惑いながらうなずいてみせる。


「ま……まぁ、そう言われると……?」

「間違いない」

「ひっ」


 いきなりドアップで顔を寄せてきた老人に、モーフィアはのけ反り、反応できなかったカストリックが目を剥く。

 そのまま老人の話が続くかと思えば、「ふむ」と別の何かに気を取られていた。


「なんとも、勝ち気そうな目付きが……」


 声をやわらげ、片目の器具越しにモーフィアの顔をのぞきこむ老人。その肩を、うしろからぐいっと掴む白い腕が。


「困りますわ、お客さん」

「ぬわ?」

 

 華奢な片腕で老人をぽいと放り投げる白い女。

 くるりと軽い身のこなしで着地する老人。


「何をする?!」

「この世は何を為すにも対価が必要。このおぼこ・・・なら金貨一枚は払っていただかないと」

「そうであったな――ではなく」


 語尾を強めて訂正し、


「コミュニケーションだ。実例としてあれを抑制するのに重要であると、そういう話をしておる」

「ですが、おぼこに興味をそそられ、話を変えてしまったのはジジイです」

「この際、“誰が”はよかろう」


 しれっと矛先をかわす老人。

 真面目にしていれば、傑物の政治家や研究者を誕生させる偉大な教師か、深淵を探り続ける稀代の魔術師を思わせるのに。


「とにかく……話がしたいのは、コミュニケーションのことだ」

「あら」

「い・ま・は、そうなのじゃ。ぬし、専属の書記官のクセになぜワシを貶めようとする? いったいぜんたい、誰の味方なのじゃ?」


 「それはもちろん」と白い女。薄い笑みを赤い唇に称えたまま謳うようにそらんじる。


「わたしは忠実で公正な学園書記官。決して使い主を裏切らぬ純白の者」

「うむ」

「その真意を汲み上げ記録に留め、時に声として公に伝える者」

「伝えすぎることもあるがな」

「そう、いやしくもこの私めは、偉大な研究者に身も心も捧げし者――『アド・アストラ』の栄えある『記憶の荒野校舎』にあって、筆頭上席教諭であらせられる『ジョイオミナ・ゲイオ・グルーセン』様の嬲られ玩具です・・・・・・・

「言い方!!」


 老人が右手を振って、また、白い女が消えた。



「「…………」」



 もう反応に困って黙るしかない二人。

 どうしてくれる、この居たたまれない空気。

 もはや老人にしか救えないと思われる状況の中。



「――まあ、そういうわけで」

((いや、全然頭に入らない!!))



 今度もまた、心の絶叫は老人に届かず。


「ワシはよろしく頼んでな・・・・・・・・、鍵となる土の精霊にちょいとお暇してもらったのよ。これぞコミュニケーションの為せる業」

「頼んだ?」


 あれはどう見ても“ケツを蹴り飛ばした”の間違いだと、モーフィアは思いきり眉をしかめる。

 不快感を露わにするのは精霊をぞんざいに扱ったから。あれをコミュニケーションというなら最悪の手口。協力を得るべき立場の術士なら、犯してはならない倫理を老人は平然とぶち壊していた。

 そんな部下の憤慨を知らぬげに、カストリックは別の疑念をあらたにぶつける。


「たったそれだけで?」

「それだけで十分。これを人に例えるなら『血』を抜き取ったに等しき行為。あれを動かす源は種々あるが、そのひとつでも奪えば、即死でなくとも成長を止め、いずれ力尽きるのみ」

「……」

「ふぇ? また――」


 どうだと上官に目顔で尋ねられ、さすがに答えに窮するモーフィア。そんなことが分かるなら、前衛組に助言しているに決まっている。そうとも言えないので。


「……そう、ですね……ここらヘンの精霊の気配が絶えたのは、確かです。チンピラの立ち退きにあったみたいに」


 言いながらモーフィアは確信する。

 虚無の正体は精霊の消失。

 鈴の音が鳴るたびに、ぱっくりと精霊の消失円ができるのだ。自然にありふれるものを刈り取るような異質な力にモーフィアは嫌悪を抱く。


「むう。おぼこのくせに口の悪い」

「ちょ、何よさっきから?!」


 憤慨するモーフィアを手で制し、カストリックが

最も知りたかった質問をぶつける。


「なぜ、そこまで知っている? おまえは本当に何者だ? どうしてこんな処に顔を出した」


 敵か味方か。

 言動の怪しさに振り回されてばかりだが、真っ先に確かめるべきはそのことだ。

 返答次第によってはと警戒感を一段高めるカストリックに、


「聞いてなかったのか? 我が不肖の書記官がぺらぺらと貴重な情報を垂れ流しておったろう」

「『アド・アストラ』……っ」


 今頃気付いたように小さく叫ぶモーフィアにカストリックも思い出したとうなずく。


「魔術学園都市だな。つまり、帝国の回し者か」

「失礼な。そんなくだらないものに、このワシが縛られると? このワシこそは永遠の研究者にして、真理を求め続けるイチ学徒」


 そう言い放って足踏みする。

 しゃんと鳴らしたのは白い御足おみあし

 「そう――」と軽やかに口ずさむは赤い唇。



「どこまでもひたむきさと真摯さで、この世の最大最高の神秘――女性にょしょうの秘奥を覗き込まんとする真の求道者――その名もジョイオミナ!」

「もうわざとだよねぇ?!!!!」



 それもするけどと怒りきれずに地団駄する老人に対し、まるで勝ち誇ったように見える白い女の楚々とした笑み。

 図らずも馴れてきてしまった二人の掛け合いをげんなりした感じで見ていたモーフィアが、ぼそりとこぼした。


「もう、ほっときませんか……?」

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