第113話 極まる異形と極めし侍
同刻
ゴルトラ洞穴門
――中心部の戦闘区域
奇人に追われるマルグスが、スピードをゆるめることなくバルデアの間合いに踏み込んだ。なのに攻撃の素振りも見せないのは、余計な動作が命取りになるとの確信があるからか。
それは時間差で迫る
今や剣先を地に触れさせる力ない姿は幽鬼のごとく、とうに限界を迎えた心身は、立っているだけでも奇蹟。
たとえマルグスや奇人を目に映しても朦朧とする意識では危機と認識できず、反応することも不可。――そのはずだった。
――――――!!
銀光一閃。
下から襲うバルデアの斬り上げに、マルグスは前へ倒れ込むようにしながら、その身を大きく捻って躱す。
ブーストされた動体視力でなければ見切れなかった鋭い一撃に、バルデアの迷いは皆無。瞬時にマルグスの排除を選択した即断の切れ味に、マルグスは回避するだけで手一杯。
しかしバルデアはちがう。
視線を正面に据えたまま、斬り上げた姿勢から即座に半歩と踏み込み、すでに攻撃モーションに入っていた奇人へと飛燕の次撃を放つ。
剣技『孤月刃』――
それがバルデア自身も驚くほどのなめらかさで、無意識のうちに繰り出されていた。そればかりか。
踏み込んだ足腰と、
肩の回り、振りきった腕の感触に。
ここにきてバルデアは、背筋がゾクリと粟立つほどのキレを感得する。
それは初めて
「
思わず唇より洩れる確たる実感。
こんな手応えは初めてであるにも関わらず、なぜか「これこそが」とバルデアに確信させる。
それはあの時、父エンセイが最後に見せた、今ある
いや正しくは、そこに至るための
それでも。
ただの一撃で奇人の上半身が斜めにズレ落ちる。
今や岩のようにゴツゴツと硬くなった皮膚の鎧が刃を跳ね返すこともなく、右肩から左脇腹へと鮮やかに断ち割られていた。
いつもの彼女でも、それは成し得る。
問題はそれが、いつもの三割以下の力で成したこと。
これは技の指導者たちが目を剥く異常な成果であった。
「……皮肉なものだ」
バルデアは自虐を含む苦笑いを薄く浮かべる。
実は父娘の悲願を成就するために、この旅路にて死地に身を置くことを己に課していた。
数々の強者と幾度も剣を交えることが最短の道であると信じ。それが。
「まさか毒にやられたおかげで“理想の自然体”を体感できるとは。たとえ一度きりでも」
味わえた経験は大きいと。
噛みしめるように自身の腕を見つめるバルデア。
その肩を気安く叩く者がいた。
「おつかれさん」
「……っ」
ハッとして視線を飛ばすバルデアの間近で、笑みを浮かべるマルグスの顔が。
「アレを斃しちまうなんて、余計なマネをしてくれたが……まあ、
「?!」
振り払おうとした腕から逃れてマルグスが距離を空ける。
追えないバルデア。
太腿に走る激痛が「貴様」と怒りの声を吐き出すことしか許さない。彼女の油断をついてマルグスが短剣を突き刺していたのだ。
「ばるであ殿っ」
勢いよく駆けつけてきた弦矢が脇をすりぬけ、一息にマルグスへと躍りかかる。
「この痴れ者がっ」
「ィヨイしょお!!」
猛然と斬りつける弦矢の刀に、勢いよく銀霧剣をたたき合わせるマルグス。
拮抗するのは一瞬――筋力ブーストのバカ力で弦矢を思い切りのけぞらし、そのまま回転させる感じで背中から地面に叩きつける。
同時に宙に舞い散る銀の粉。
三度吸い込めば死に至らしめる凶悪な麻痺毒を悠然と浴びながら、マルグスは留めを刺しにかかる。
「……っ」
横に回って避ける弦矢。
すぐさま四肢を使って飛び込むように前転し、距離を空け、さらに飛び退りながら対峙する。呆気にとられるほどの俊敏さに、
「……ハッ。さすが蛮族、まるで猿だな」
ちょいと口を半開きにしたマルグスが、苦笑を漏らして追撃を諦める。すぐに気を取り直し、
「どうだ、素直に協力すればよかったろ? 結局はオレと手を組むんだからよ。……まあ、こんな“協力のカタチ”もあるって話だ」
バルデアを動けなくしてエサになってもらう。
わざわざそんなマネをしなくとも、彼女がろくに歩けないことなど分かっているはずなのに、念を入れるとは。
マルグスは茶目っ気たっぷりに片目をつぶる。
それを完全無視して弦矢はバルデアを気遣う。
「ばるであ殿、これを」
「いい。いらんと言ったはずだ」
差し出された薬瓶をあくまで拒むバルデア。
「なら早く手当てを。それまでは儂があやつの相手をする」
「いや、これ以上仕掛けるつもりはねーぜ?」
心外そうにマルグスが「どうぞどうぞ」と両手を差し出す仕草をする。
「ゆっくり手当てしろよ。オレは失礼させてもらうがね」
「このまま見逃すとでも?」
「別に。オレと追いかけっこしたいなら、そうすればいい。取り残されたそいつが、バケモノの相手をしてくれるだろうよ」
「……っ」
マルグスの返しに弦矢は思わずバルデアの方を見る。その隙にマルグスが走り出す。振り返りもせずに全力で。
「この……っ」
歯噛みする弦矢は足を動かせない。それをバルデアが叱咤する。
「構うな。ヤツを追え」
「――いや。手当てが先だ」
マルグスから視線を切った弦矢に迷いはない。手早く傷の具合をあらためる。
「ヤツを逃がすと厄介だぞ?」
「“送迎の顔役”を失うのも同じ事。むしろこちらの方が痛手だ」
「同じなものか。我らの目的は――」
なおも言い募ろうとするバルデアに弦矢は目で制止する。
もはや今さらだと。
問答の間にマルグスの気配は遠ざかっている。今から筋力ブーストした相手に追いつくのはほぼ不可能なほど。
察したバルデアが彼女らしくない歯噛みする様子を見せ、
「いずれにせよ、この場に留まるのは危険。貴殿らだけでも」
先を目指せと促す。
後のことは引き受けるとの意志を含ませて。
なのに傷の手当てを進める弦矢の手は止まらず、バルデアの危惧を払えと冷貌の士に命じるのみ。
「月ノ丞、しばらく足止めを――やれるな?」
「御意」
涼しげに応じる月ノ丞へ「無謀だ」と異議を唱えるバルデア。
「腕に覚えがあるのも分かる。しかしこれ以上、私は手を貸せず、何よりも、分かっているはずだ。次に再生すれば――」
「
それは魔境士族と?
それとも三剣士と肩を並べるとの意味か。
いずれにせよ、これまでは格下相手だったからまだよかった。
しかし今度は違う。
そこまで分かっていながら、弦矢はバルデアの太腿に刺さる短剣を思い切って引き抜き、ひとつきりの薬液をかけながら「なれど、心配には及ばぬ」と請け合う。
「ヤツこそは諏訪随一の使い手なれば」
そう確信する弦矢の言葉が偽りでない証に、ケガの応急処置を済ませる頃には、奇人四体との勝負をさらりと決めてしまう。
もちろん、ここまでは想定の範囲。
問題なのは、ここから。
いよいよ奇人の肉体が二体に集約され、その力までが収斂されたように、さらなる飛躍を遂げる。
単純に言えば、月ノ丞は
しかしながら、その見立てすらも甘かったことを二人は知ることになる。
「これほどとは……」
様々な後悔で唇を歪ませるバルデアに、
「うむ。想像を越えよるな」
弦矢も言葉だけは平静に相づちを打つ。
その身にこの旅路において一番の緊張感を漂わせながら。
◇◇◇
松明の明かりにゆらめくふたつの巨影。
“四つ首”と“四つ腕”を有する二体の奇人は、空気をひずませるような雰囲気をまとわせ仁王立ちしていた。
その物腰は、『超一流武人』のそれ。
もはやネイアス以上の格を帯びる。
対する月ノ丞は凜とした佇まい。
気負わず奇人ふたりのどちらにも顔を向けることなく、掲げる鉄杖の先端もただ虚空に向けられるのみ。
なのに近寄りがたい怜悧な剣を体現する。
両者一致するのはどちらも戦意をあらわにしないこと、それでいて、見る者にのどをひりつかせるほどの緊張感を与えながら。
ズリと土を踏み締める音は四つ腕の足下から。
音がした次の瞬間、とてつもない風圧が月ノ丞の面貌を叩いた。
迫る四つ腕――二本の右腕がかすむ!
右に左にと半身に透かす月ノ丞。
おそるべき速さの攻撃を足捌きだけで避けてみせる異常さに、奇人は当然のごとく無感情のまま。
ふいに月ノ丞が身を屈めれば、その頭上を、いつの間にか背後まで詰めていた四つ首の斬撃がすりぬける。
中腰になると同時に後ろへ突きを出す月ノ丞。ほぼカウンターになる攻撃を八つの目で捉えたか、四つ首は当然のように受け止め、即座に反撃する。
初手より速い――
それが合図となって四つ腕の全腕までがかすみ、三対が織りなす狭苦しい空間に、凄まじい金切り音を鳴り響かせる。
――――!!
――――!!
――――!!
――!!
まるで空気という鋼を刃という鋼で切り裂くような身震いする音に、耳にした弦矢が全身を総毛立たせるほど。
なのに無傷の月ノ丞。
それどころか、四つ首の首ひとつと四つ腕の腕ひとつが断ち切られていようとは。
奇人ふたりの動きが一瞬止まってみえたのは、感情のない魔法生物にさえ驚嘆を抱かせたからか。
別次元の強さを見せながら、月ノ丞は鉄杖をゆるやかに回してはじめの構えに戻した。
「よい動きだ。――もっと見せてみろ」
冷ややかな声に含まれるわずかな昂揚。
元の世界でも滅多に味わえない攻防に、冷徹な武人の心もまた、震えさせられていた。
だから望む。
もっと――――と。
◇◇◇
「…………これが、『魔境士族』」
肌で感じていた以上の実力を目の当たりにして、さすがのバルデアもそれしか言葉が出なかった。
しかもあの男、まだ底を見せていない。
おそらくは。
奇人の動きも並みの騎士長クラスを越えているのに、それを子供扱いするほどのスピードで上回る彼の武は、三剣士をして計りかねた。それを士族長までが、なぜか賛同する。
「うむ。儂も驚いておる」
「?」
驚くべきセリフにバルデアが疑心の目を向ける。
「奴はハグレ者でな。あまり隊の武練にも参加せず
終わってからの戦果しか耳に入らぬと。
困ったように眉をしかめる弦矢にバルデアも同情を示す。
「組織にとっては劇薬だな」
「まあ、それさえ呑み込めば良薬とも言える」
実際、フィエンテ渓谷の功労者。
洞穴門においても、ここまで生き残り、しっかり戦力になっている。そして、次々と出てくる敵の力が強まるほどに存在感を増すというのなら、これほど心強い味方はいまい。
「これなら、最後の一体に変異しても……」
魔境士族の力量をいい方向で見誤ったのならと。
期待感がこもるバルデアに、今度は弦矢も同意せず、
「だからと、楽観するわけにいくまい」
手当てを済ませてすぐに手を差し伸べる。
「?」
「今のうちじゃ。少しでも奥へ進むとしよう」
「その話は済んでいる。取り決めたはずだ」
バルデアは硬い声で拒絶する。
「行ける者が行く。無理な者は置いて行けと。顔役なら、カストリックが代行すれば問題ない」
「なら、馬車に乗れば貴殿も行ける」
「詭弁だ」
苛立ちを見せるバルデア。
「恥を掻かせるな。覚悟はできている」
「では、るすとらん殿の下へ戻らぬと?」
「……っ」
あまりにも意表を突くセリフにバルデアの頬が大きく引き攣れた。目の色も変えて弦矢を睨み付けてくる。
「なにを――」
「よく効く“まじない”だと教えてもらったのだ。若き側近に」
「……ロイディオが……?!」
さらなる驚きと困惑と。
怒るどころか理解が追いつかないらしきバルデアに弦矢は告げる。
「悪いが仔細は省く。とにかくあの者は、貴殿がその身を顧みないことを案じておった。此度の争いが終わったとしても、るすとらん殿には貴殿が必要なのにと」
そこで彼は協力を求めた。
顔役でもあるバルデアの護りや逃走の支援を。
その重要性を必死に訴え、懸命に魔境士族を説き伏せた。
「ロイディオが……」
「貴殿にとって“まじない”がいかほどの意味を為すかはこちらも関知するつもりはない。じゃから責めるでないぞ? それほどに、貴殿を生かしたいとの思いを感じた」
熱いほどの。
その言葉は口にせず、弦矢はあらためて手を差し出す。
「応えねばならぬのでは? それがあるじのためでもあり――亡き者の遺言でもあれば」
「……」
バルデアは差し出された手を見つめたのち、視線を外す。
「悪いが、手は――」
「?」
「鎧ごと、頼めるか? 力が入らなくてな」
そういうことであればと、弦矢は鎧に手をかけ引き上げる。それでも踏ん張ることができない。結局は弦矢が肩を貸すことになる。
「悪い――」
小さなかすれ声に忸怩たる思いが忍ばれる。
だから弦矢は言う。
「逆の立場なら、儂は遠慮はせぬ」
「……」
「戦とは、皆の力で乗り越えねばならぬ嵐のようなもの。助け合うのは当然。それではすっきりせぬというのなら、いずれ戦場の働きにて返せばよい」
そう持論を伝えたところで、弦矢がちらと戦況をうかがえば、そこには早くもバラバラに断裂された奇人の肉塊が見えるきり。
さすがは月ノ丞。あの二体をして、敵には成り得なかったということらしい。
「ちなみに、彼は士族においてどれくらいだ?」
もちろん強さのことだろう。
バルデアの興味深げな問いに弦矢は少し悩ましげに考える。
「うむ……今なら、最上位のひとり」
「他にも……?」
軽い驚きで声高になるバルデア。
確実に想定外の答えであり、どれほどのツワモノがひしめくのかと当主の顔を少しだけ畏怖の目で見る。
そうと気付かぬ弦矢は、なおも悩ましげにうなずいて。
「皆が行う“力試し”をすべて把握しているわけではないのでな。確か……若かりし月ノ丞を打ち負かしたのが万雷。その万雷が惚れ込んだ秋水。今挙げた三名をして侮れぬと言わしめるのが、『抜刀隊』の番外番……」
まあ、色々となと。
苦笑いする弦矢にバルデアは黙り込む。
「……」
どれほどの魔窟だ、と。
バルデアが一瞬、現実に対峙している敵よりも、今肩を貸してくれる魔境士族を本気の畏怖の目で見ていることは、誰も気付くことはなかった。
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