第3ー2話 凶獣戦線(2)


夜半

羽倉城 御寝所前庭――




「~~~~ッ」


 断末魔が夜気を震わせて、宙を掻きむしる細腕が無数の影に呑まれて消えた。

 骨肉を裂き、囓り、千切る音。

 身の毛もよだつ擬音が侍達の鼓膜にこびりつき、気付けば月ノ丞達と戦っていたひとりを除いて、銀髪の異人共は呆気なく全滅していた。


 それでもまだ喰い足りぬ、と。


 決して満たされることのない飢餓感に支配された“餓鬼の群れ”が、新たな獲物を見つけたと羽倉城に襲い掛かる。


 対する侍達は、当主ほか五名足らず。


 不思議なことに若き当主が発した警鐘に城内より応じる者は誰もおらず、わずかな人数と手近の得物のみで立ち向かわねばならなかった。

 それでも当主の命令一下、武士の本能が“敵を討て”と侍達の戦意を燃え上がらせる。

 我が城に手を出す愚かさを骨の髄まで知らしめてやらんと。


「――いい」


 惣一朗の重心が前掛かりになる寸前を、いかにして察したのか、月ノ丞が抑え込む。


「おまえには取りこぼし・・・・・の始末を頼みたい」


 まさかひとりで?

 普通なら耳を疑う発言に、惣一朗の逡巡はごくわずか。

 稀代の武人が身に帯びるひりつく空気で、その意図を察した影衛士が、心得たように背後へと回り込む。それを待たずして、「若――」月ノ丞が澄んだ低声で見得を切る。


「“前陣”は拙者が受けまする」


 一町(100メートル)に満たぬ先で繰り広げられるのは、この世のモノとは思えぬ魑魅魍魎による血の饗宴。

 それを目の当たりにしながら、歩み出した月ノ丞に怯えや不安の素振りなど、微塵も見られはしなかった。

 その背を倍にも見せる頼もしき剣士に眼を細め、後方にて陣取る弦矢が「おまえもゆけ――」と隣人に声をかける。


「――は?」


 思わず頑丈そうな顎をかくりと落としたのは近習長。よもや警護の要たる自分が、攻めを命じられるとは思いもしなかったのだろう。だが、弦矢は当然の指示だと尻をつつく。


「まさかこんな高みで、いつまでも偉ぶっておるつもりであるまいな? 儂らに強駒を遊ばせておくほど、余力がないのは分かっていよう」

「いや、しかし兄上――」

当主様だ・・・・、弦之助」


 慌てる近習長に、弦矢はこれみよがしに己の立場を知らしめる。その上で、「あの数をみろ」と今の切迫した状況を突きつける。


「いかな強者つわものだとて、向かって来る者を倒せても、そうでない輩を防ぎ、堰き止める真似はできやせぬ。じゃから、強駒を二枚にすることで“受け”を強くする。“攻めながら護る”のが、この場合の最善策よ。よいな? 前に出ることで儂を・・・・・・・・・護れ・・、弦之助」


 最もらしくうそぶくが、弦矢の本性を知り抜く実弟からすれば、本音のひとつも洩れてしまう。


「単に、“攻め好き”なだけでは……」

「なんぞ?」


 ぎろりと睨まれ、近習長はむっつりと押し黙る。

 今は実兄の嗜好にとやかく云う時ではない。まして戦術に間違いがなければ、臣下の取るべき行動はただひとつ。


「…………分かり申したっ」


 不承不承、一礼した近習長が速やかに場を離れていく。その少し前、軽く周囲を見回し「あとは任せる」と告げたのは、誰に対してのものであったか分からぬまま。


「……しかし、ひと風吹けば転びよる、か」


 戦力の均衡はあまりにも微妙。

 ひとり残された弦矢が、思案げに顎をしごくのへ声をかける者がいる。


「若、今のうちに御寝所へお戻りを――」


 当主の身を案じ、縁側にて招く隻眼へ振り返ることもなく、弦矢は「馬鹿を申せ」と一蹴する。


これほど愉しき状況を・・・・・・・・・・、どうして無下にできる」

「若――?」


 聞き取れなかった素振りを示す隻眼が、困り顔で自分を見ていることなど弦矢には分かるまい。

 だが弦矢の背中しか眼にできないはずの隻眼には分かっていたのだ。

 若き当主の細い唇が、小気味よく吊り上がっているであろうことを。




 ◇◇◇




 防衛の要たる城壁は、もはやあって無きが如し。

 暗き樹林の奥から、次々と湧き上がってくる餓鬼の群れを堰き止めることもできず、あっという間に庭先まで押し入られてしまう。

 だが、そこに立ちはだかるのは珠玉の剣士。


「ごぶ――」

「――びう゛」



「ぎゃが――   ――う゛ぁ」



 夜気を切り裂く斬撃の音は、物の怪が挙げる苦鳴や断末魔に掻き消され、暗緑色の身を縦に斜めに断ち切られた餓鬼の命なぞ、一瞬で闇に散る。

 まるで刹那に燃え尽きる火花のごとく。続けて、


「ごびゃ!」

「「ぐぶるっ」」


 三匹が跳び上がり、もう三匹が月ノ丞の足下へ一気に走り寄ってくる。それへ半月を描いた斬光が、最も無駄なく最速で醜悪なる鬼を斬り散らす。

 次も。

 その次も。

 切れ目なく押し寄せる餓鬼の狂乱じみた襲撃に、まるで申し合わせていたかのごとく、最小の動きで月ノ丞は剣を合わせていく。


 時に半身となり、

 時に深々と腰を落とし、

 稀にきびすを返して、背後より迫る餓鬼を唐竹割りに両断してみせる。


 これほどの数に襲われながら、擦り傷ひとつ負わずに捌くなど、もはや常人の剣ではない。

 本来、“数の暴力”にいかなる剣士も抗えるものではないからだ。

 あるいは怪力無双の豪傑が、“剛力”に“恐怖”という心理的圧力を加えて跳ね返すことも稀にはあろう。

 “力”には“力”――それが戦いの本質なのだから。

 だが、研ぎ澄まされた“技”のみで、餓鬼共の圧力をねじ伏せる姿がここにあった。

 それは剣士が夢見るひとつの到達点ではなかろうか。

 卓越した技で力をいなし、洗練された技で反撃の隙も与えず斬り伏せる――月ノ丞の剣には、その理想型が宿っていた。


「――見事にございます」


 感服の言葉を洩らした惣一朗が、両腕を広げてクナイを放つ。


「「ぶぎゃ?!」」


 月ノ丞の両側からすり抜けてきた二匹の餓鬼が、額に鉄の角を生やして絶命する。だが、その死骸を踏み越え、すぐに次の餓鬼が顔を覗かせる。

 倒してもまた次が。

 いや、同時に二匹、三匹と増えてゆく。これでは切りが無い。

 惣一朗の奮戦も虚しく、月ノ丞と二人で築く防陣が、早々に瓦解しようとしたその時。



 ヒュルリ――――



 一陣の風が吹き、刹那に醜悪なる亡者の身体が数匹まとめて切り刻まれた。


「――!」


 目を瞠る惣一朗の横目で銀の髪が美しくなびき、それが異人の影と気付いたときには、溢れてきた新手の餓鬼共を猛然と迎え討っていた。


「おぬし――」

「***っ」


 異人が鋭く応じて、惣一朗には一瞥もくれずに餓鬼の咽を針剣で貫く。さらに湧いてくる数匹も素早い連続の突きで瞬く間に仕留めてしまう。


「*ン、******ダ」


 共闘もやむを得まい、そういうことか。

 苦虫を噛んだように美貌を歪ませて、それでも異人は手を抜くことなく、月ノ丞が討ち洩らした餓鬼を懸命に葬ってゆく。おかげで防衛線を辛うじて保つことができた。

 しかし、それも長くは続かなかったが。


「****!!」

「うるさい奴だ」


 異人の窮地に、惣一朗がクナイを飛ばして支援する。

 余力を得た異人が針剣をぴゅんと鳴らして餓鬼の首を切り裂いた。

 やはり腕前は悪くない。

 諏訪が誇る『抜刀隊』には及ばぬが、それに迫る力量が感じられた。例えまぐれにしても、月ノ丞の剣を受けきっただけはあろう。

 あの忍術と思しき不可思議な力とも相まって、頼もしき戦力であるのは否めない。

 それでも異人の“針剣”は、“数で押す”敵に対して効果的な武器ではない。それにくだんの秘術も何かの制約があるのか、近接戦に入ってからは一度たりとも使われない。時折、惣一朗がクナイで支援しても、徐々に押し込まれてきたのはそのためだ。

 そして、数名からなる異人の一団が、戦わずして逃走を選んでいた先ほどの事実を鑑みれば。


「もっと死ぬ気でやれっ」

「***?!」


 美しき銀髪を振り乱し、肩で息をしはじめた異人の足が震えていた。恐怖のせいではない。息つく間もない極限の戦いに、早くも肉体が限界を迎えようとしているのだ。

 個体同士の実力差など、“数の暴威”の前では無力――おそらく、餓鬼共に襲われた異人達も手に負えなくなり、撤退を選択したのが、事の顛末なのであろう。


「……これでは、さすがに」


 惣一朗の声に苦みが混じる。

 異人は精一杯やっているが、クナイの支援も間に合わぬほど、すり抜けてくる餓鬼の数が多すぎた。

 月ノ丞を軸にして、ふたつに割れた餓鬼の群れは惣一朗達だけで捌ききれる数ではなかったのだ。


「せめて今ひとり――」

「……兄上の云う通りか」


 どこか面白くなさげな声が背後から発せられ、風圧すら感じさせる見事な体躯の侍が、惣一朗の横に並んだ。

 なぜにこの方が、という驚きを隠さず惣一朗が名を呼ぶ。


「弦之助様」

「儂も前に出る。二枚もあれば・・・・・・十分だろう」


 他人の受け売りとは思えぬ口ぶりで近習長が見立てを口にする。


「――はい。ご助力感謝致します」

「うむ」


 素直に謝意を示す惣一朗へ満足げに頷いて、近習長がずいと前へ出た。

 振り返りもせずに、心得たようなタイミングで月ノ丞が脇へと避け、自身を中心に右へ流れていた餓鬼共を受け持った。

 同様に左へ進み出る近習長もまた、片割れの餓鬼の群れを迎え討つ。ただ月ノ丞は別格として、物量で攻めてくる物の怪を相手に、彼の力量はどこまで通ずる?

 そのような心配は無為に終わる。


「ごりゅうっ」

「ふんっ」


 風が唸った。

 近習長が手にしたのは脇差しの方。

 いや、剣柄と見えたその先にはあるべき抜き身の刃はなく、細くて短いしなる鉄の棒が付いていた。

 それが宙に躍る二匹の餓鬼をまとめて薙ぎ払う。

 続けて二匹、三匹づつと。

 餓鬼のひしめく沼を掻き分け進むように、近習長は鉄鞭を振るい、叩きつけて餓鬼を次々と葬り去ってゆく。


「ぎゃう!」

「戯けっ」


 鉄鞭を振るった隙に、別方向から躍りかかる餓鬼を左手でいなし・・・、右手で新手の餓鬼に叩きつけた。


 蹴り上げ、踏みつぶし。

 時にいなして、叩き砕く。


 まるで近習長を中心に発生した乱気流に揉まれるがごとく――勢いの衰えぬ暴力の嵐が、餓鬼の雪崩を吹き飛ばす。


「貴様らなんぞに、落とせる城と思うてか!! ましてや、この先へなど――」


 怒り眉を炎に見せて熱い息を吐き、


「一匹たりとて、この儂が抜かせるものかよっ」


 左の守護神と化した近習長が吼え、荒ぶる闘気に当てられた餓鬼の動きが明らかに鈍りを見せた。彼らをさいなむ飢餓よりなお強く、湧き上がる恐怖に怖じ気づく。それは期せずして月ノ丞側の餓鬼共にも同じ“停滞”を起こさせた。


 一気に潮目が変わる。


 変われば攻めに転じて押し戻し、蹴散らせる。

 その“流れ”が変わる戦場の転機を“許すまじ”と拒絶するモノがいた。




 ぐきゅるるるるるるぅ――――!!




 それは物の怪の鳴き声かと思わせる奇怪なる苦鳴・・だった。

 餓鬼共がびくりと硬直し、何事かと侍達が注視する中、夢幻のごとくぼやけた城壁をすり抜けて、新たな敵が現れる。



 つるりとした禿頭に尖った耳。

 暗緑色の肌に突き出た腹は他の餓鬼と見た目に変わりはない。



 ただし、成人男性の腰か胸当たりまでしかない低身長の餓鬼にしては、逆に目線を上げねばならない上背があった。

 異様なのは、その腕の長さ。

 やせ細り骨張っていたそれまでの餓鬼と違い、意外と筋肉質な腕は、猫背であることも相まって、地面にまで届かんとする長さがあった。

 しかも手には粗末だが大振りな棍棒も握られ、肩に担がれていた。

 夜目にも湿り気を帯びたそれ・・が、赤黒い血だと気付いたのは、離れてても漂ってくる濃厚な鉄臭さのせいだ。

 まるで打ち殺された数十体分の怨霊が欠片となって染みついたようなドス黒い凶器は、目にしただけで気を呑まれそうになる。

 そんなひと目で分かる危険な怪物が二体。


「**ゴブリン」


 異人の呟きを三人とも耳にしたが意味は分からない。

 それは物の怪の名か?

 あるいは己の不運を罵っただけなのか。唾棄し憎悪さえこもる言葉に、何を知っていると質したかったがそれどころでもない。


「……真打ちの登場か」


 足下から顎先まで血に塗れた近習長が、怯むことなく“手長餓鬼”を睨めつけた。



 ぐきゅぅぅぅ……ぅるるるぅ!!



 再び響く奇っ怪な音に、餓鬼共が堰を切ったように動き出す。もはや近習長に対する怖れは、新たな恐怖で書き換えられたらしい。


「むうっ。――あれが親玉だと思うか?」


 流れを変えられず、呻きを洩らしながらの近習長の問いかけに、応じたのは月ノ丞。


「どちらにせよ。――あれ・・と数の組み合わせでは、さすがに抑えきれぬかと」

「なら、儂らで大物を沈めるぞ」


 躊躇なく、己が職務を放棄するがごとき決断を近習長が選択する。これにはさすがの月ノ丞も念を押さずにはいられない。


「――よろしいので?」

「構わぬ。“攻めて護れ”――それが当主のご所望だ」


 太腿にしがみつく餓鬼の頭を石塊のごとき拳骨で叩き壊し、近習長は憮然と応じる。


「どうせ、隙あらば自分も暴れるつもりであろう。まったく当主の自覚があるのやら、ないのやら……だが、そうはいかぬ・・・・・・

「確かに。あの者達・・・・がいれば、若の出番などありますまい」


 何かに思い当たった月ノ丞も同意する。それが近習長が出張って来れた理由であったろうと。


「ならば気兼ねなく――」


 それまで、左右への動きに加え剣の届くぎりぎりの範囲まで手広く攻撃対象としていたものを、月ノ丞はあっさりと手放した。

 ただ一歩づつ前へ足を進め、そこから届く範囲の餓鬼のみを的にする。取りこぼした輩など気にも留めず。

 同じく近習長も攻め手の意識を前掛かりにさせ、亡者の波から突破することに重きを置く。

 当然ながら戦いの流れは、後方で踏ん張る二人に過大なる負担を与える方向に変わり、餓鬼の猛威が段違いに増す。

 だが、近習長達の言動を聞き漏らさず、局面の変化を捉えていた惣一朗は異人に指示を出していた。


「先に大物を狙うっ。餓鬼共はやり過ごせ!」

「*ダト?!」

「こやつらに構うなと云うておるっ」


 先ほどより、異人の云いたいことがなぜか理解できるような気もするが、気のせいだろう。

 言葉も通じなければ、餓鬼共のわめき声もうるさく邪魔をして、意思の疎通はままならない。声を張り上げる惣一朗が近習長の背を指差す。


「弦之助様の後ろにつけ! 後ろだ!!」


 異人が不審な目を向けてくるが、何とか意図は伝わったらしい。

 ちらと背後へ不安の目を向けるのも、いらぬ世話だと無視を決め込み、惣一朗は正面を睨むのみ。


 そう、何も案じる必要は無い。


 当主のそばにいるのは、隻眼と老爺の二人だけでなく、彼と同じ一族・・・・・・から選ばれし・・・・・・『影衛士』がついているのだから。

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