第3ー1話 凶獣戦線(1)
同刻
羽倉城 御寝所――
何が起きているかは分からない。
弦矢をはじめ、四名の臣下が注視する中、
「!」
「――!」
幾人もの人影が激しく踊り狂いながら、こちらに向かって駆けてくる。
夜気を切り裂く金切り声はその人影の叫びであったか。
悲痛な叫びには激しい動揺が感じられ、何かに慌てふためく状況が誰の目にも明らかであった。
「***っ」
「**!!」
さらに声が明瞭になるも、なぜかその意味が分からない。
緊張感を孕む怒鳴り声だと察しても、それが理解できぬ言語であったなら、当然のこと。
すぐに
誰もが目をしばたたかせた。
「異人か、あれは」
「なぜ、ここに――?!」
噂に聞く紅毛とは異なり、月夜の下で輝くような銀の髪と彫りの深い整った顔立ちが目につく。
相反するように灰色にくすんだ肌の色合いは、埃でも被ったせいなのか。
それよりも、どこか禍々しさを感じる赤みがかった異形の瞳が、その場にいる数名に腰の物へ手を掛けさせた。
実際、やけに殺気立つ異人達は、手に手に長大な針のごとき不可思議な剣を握りしめている。この場合、相手の臨戦態勢にこちらは遅れをとったとも言えようか。
「***、**っ」
先頭に立ち、恐るべき速さで庭先まで乗り込んできた異人が切っ先を向けてくる。すぐにその両脇を固める二人の異人。
その戦い慣れた身のこなしと肌斬るような殺意の切れ味に、即座に反応していたのはふたりの男達。
「何者だ――」
部屋を抜け、廊下に毅然と立つ美丈夫が、一段高見から不遜なる侵入者共を
それが普段着かと驚かされる異質な白小袖に、肩に触れんばかりの黒髪姿が月下に映える。
一見して芸妓を匂わす柳身で、滑らかに抜き放った刀身を先頭の異人にぴたりと突きつける様は、
だがその実態は、剣呑そのものだ。
「「「…………っ」」」
大して力が入っていると見えぬのに、まるで切っ先から迸る剣気にでも当てられたかのように、異人達は身動きひとつできなくなっていた。
そして今ひとり、廊下から下り立つは影衛士。
美丈夫と共に並ぶを不遜と辞したかのごとく、一段低い位置で不埒な訪問者に対峙する。
この者もまた、非凡なる武を潜めていたらしい。
「「「――!!」」」
異人達が一斉に彼へ向きを変えたのは、惣一朗の身より不可視の殺気が放射されたがため。それもあえて自身に注意を向けさせた
惣一朗の殺気に反応した異人が両腕を構えた。
「?」
かすかに眉をひそめたのは、惣一朗だけでなく美丈夫も同じ。
異人が剣持つ右手で、二本指を突き出し、左で何かを摘まむようにして、右の肩口から胸元を通して左脇まで一直線に引き絞った。それはどこか見覚えのある動作。
「月ノ丞――」
ただひとり察したらしき弦矢の声が寝所奥から掛けられるも、刻既に遅く。
異人の突き出した指先に目に見えぬ“殺意”が凝集したところで、
「――っ」
美丈夫――月ノ丞自身、それは無意識の反応だったに違いない。
惣一朗へと疾駆する
手応えあり――――。
惣一朗の頭上で空気が爆ぜ、突風が逆巻き、煽られた黒髪が乱れ散る。
「***?!」
「**っ」
何かを放った異人だけでなく、愕然と口を開けたのは他の異人達も同様だ。
よほど信じがたい出来事だったのか、あからさまに狼狽え、呻きながらも、他の二人に協調を促し一斉に第二射を放たんとする。だが、それを黙って見守る月ノ丞と惣一朗ではなかった。
――――たんっ
すでに月ノ丞が間際まで踏み込んでおり、逆に迂回行動をとる惣一朗がクナイを飛ばして巧みに牽制する。
二手に分かれたことで異人達の狙いに迷いが生まれ、その隙に一歩詰め寄る月ノ丞が剣の間合いに捉えていた。
抜き放たれる剣の一閃。
――キ――
――ヒュバンッ
針剣の反応が間に合ったひとりを除き、二人目の異人が血風を巻いて崩れ落ちる。
一度に二人。
卓越した銀の剣筋を夜気に残して、月ノ丞は怜悧な瞳を、偶然か否か見事に受けきった異人へとゆるりと向けた。
「――その細腕で、いい“反応”と“力”だ」
「***、****」
馬鹿にするな、とでも云ったのか。
命のやりとりをする最中に、淡々と敵の技倆を吟味する月ノ丞の態度は、言葉など理解できずとも鼻につくに違いない。
だが月ノ丞こそは、武名高し七名を差す『白山七刀』の有力候補に挙げられし、新進気鋭の武人。奢りでなく、積み上げた実績に支えられし自負が、言わしめただけである。
片や惣一朗の方も、すでに勝負の行方を決していた。
「もはや儂には当たらぬ」
月ノ丞が状況を打破した段階で、惣一朗もまた、こちらへ向けて迫っていた。それも難なく敵の“不可視の攻撃”を避けながら。
「**っ」
「無駄だ。例え
そう切り捨てて。
一度目より二度目。
二度目より三度目。
次第に避ける動作が少なくなってゆき、最後には悠然と頬をかすらせて歩み寄り、異人の眼前に立ちはだかった。
「――っ」
異人が息を呑んだのは束の間。
苛立ち紛れの美貌にいかなる秘策を隠していたのか、意気込んで突き出した掌を、だが惣一朗は手首から斬り飛ばし、懐に入り様に左胸へとクナイを突き立てた。
それは一瞬に吹きぬく、ゆるやかな風。
異人は何も感じなかったに違いない。
その赤き瞳が光を失う。
それで終わり。
驚くほどあっさりとした結末に影衛士の表情は某かの感慨さえ浮かべることはない。
ただ油断なく、そして音もなく、事切れた異人を横倒しにさせ、挟撃の形を完遂させる。
「**っ」
その状況を察した生き残りの異人が惣一朗を睨みつけ、すぐに泰然と構える月ノ丞へ視線を戻すと、あからさまな焦燥を滲ませて後退りはじめる。
奇怪な術を操るさしもの異人も、痛感したのだろう。
力量が違いすぎると。
だが自分達の城へ土足で踏み込み、刃まで振るった輩を見逃す二人ではない。
「何のつもりか知らぬが――」
月ノ丞が詰問しかけたところで、異人の目が城壁のあった方へと向けられたことに気付く。
びくついた反応に険しい目付き。
何があったと考えるまでもなく、背筋をぞろりと撫でる耳障りな鳴き声に月ノ丞は気付いていた。
ごりゅごらびゅぅ
ぶるごぶら
ごぶるごぶるぶ
咄嗟に半身に構えて、月ノ丞も惣一朗も奇怪な音のする方へ一瞥をくれた。
一瞬だがはっきりと捉える。
銀髪の異人が数名こちらへ駆けてくる姿を。
問題はそれに纏わりつく
いや、後から
「むっ――」
ぎょっとして視線を貼り付ける月ノ丞。
突然の、見知らぬ異人達による襲撃――だが、変事はそれで終わりではない。むしろ、これからが本番であったのだ。
「月ノ丞様――」
「待て。まずは見極める」
切迫した惣一朗の声に、月ノ丞は視線を反らさず目を凝らす。
だが、それが何かを承知しているのであろう異人は静観できずに針剣を震わせて喚き出す。
「****――!!」
それは仲間への警告か叱咤だったのか。
あるいは悲鳴であったのかもしれない。
影に
ひとり、またひとり――。
影に飛びつかれた別の異人が背中をやられ、足に齧り付かれ、鈍化したところで瞬く間に多数の影達にたかられ
くぐもった苦鳴が藁山の内から洩れ聞こえても、仲間を助ける異人は誰一人いない。
次は自分だと理解し恐慌をきたしているからだ。
「
「餓鬼だ」
それが惣一朗の呻きと気付いて月ノ丞が横目で見やる。
「腹は膨れ手足は短く、決して満たされることのない飢えに苦しみ、苛まれ続けるだけの小さき鬼……あれは正しく、“餓鬼道の住人”そのもの」
「戯言を」
月ノ丞は言下に切り捨てる。
「その餓鬼が六道輪廻から外れて、彷徨い出たと申すか」
「……」
無言は肯定の意。
少なくとも彼はそう信じた。
これまで何事にも動じず、無表情を貫いていた一線級の影衛士が、はっきりと畏怖を覗かせていた。それほどの悪夢が現実に繰り広げられ、しかもその災いがこちらに向かって近づいているのだ。
早く、何かしないと。
だが、何をどうする――?
「敵襲じゃ――――!!」
背中を激しく打ち鳴らすその声で、月ノ丞達は我に返った。
そうとも。
まずは味方に警鐘を鳴らし、戦力を整える。
人智を越える事態に思考が凍り付いていた月ノ丞は、己の未熟を自省すると共に、頼もしきあるじの行動力に心から安堵を覚える。
「若――」
ああ、だが。
思わず振り返るその眼に、またしても、信じがたいものが映る。
「者共、出遭え、出遭え――い!!」
真っ直ぐ前を向き、あらん限りの力で危機の到来を訴える若き当主の姿よりも、月ノ丞が目を奪われたのは
それもまた悪夢に溶けたかのように、城内の建物どころか目に映るすべてが輪郭をぼやけさせ、当主が出てきた
透かして見えるのは夜陰に沈む樹林のみ。
気のせいか、日頃より手入れしている植生と違って見え、そんな馬鹿なと目を凝らすもさすがに月明かり程度では判然としない。
まわりを見渡せば、蔵も塀も透かし絵のごとく朧となり、現実感さえ失いそうになる。
まるで当主の寝室が、突如として“異界への扉”と化し、自分達はそこから迷い込んでしまったのではと、倒錯に身を委ねてしまいたくなる奇々怪々なる悪夢的状況。
「これは、一体――?」
あり得ない。いくら何でも。
諏訪の窮地に心労が祟ったのか。
あるいは、自分で気付かぬうちに寝落ちしてしまったのではないか?
「おい、月ノ丞っ」
ただならぬ臣下の様子に庭へ下り立った弦矢も異変を体感する。
「む、どうしたことじゃ?!」
「どうされました、兄上」
警護に付いていた近習長も兄の視線を追って愕然と動きを止めた。
「これ……は……?」
肩幅広い肉厚な胸と太い首。
石塊を思わすごろりとした拳に“技”より“力”の武人を匂わす豪傑漢が、ぽかんと口を開け、驚きに目を剥いていた。
だが、誰もが耳にした唸り声のようなものは、その太い唇から洩れたわけではない。
ごぶるるるるぅがあ
ぶごるごぶ
ぎあぶるごぶ
間近に迫る異形の気配。
はっとしたように全員が振り返るのは、乱世の武士ならば当然の反応。
生存の危機に、常識に囚われた頭よりも、戦いが染みつく肉体が先に反応する。
そこで目に付く光景に、躊躇を覚えるのは致し方あるまい。
「兄上、あのケダモノは――?」
「さて。『犬豪』の物好き当主めが、またぞろ厄介なヤツを山奥から引っ張り出しよった、というのはどうじゃ?」
弦矢が皮肉げに唇を歪ませるのは、苦い実例があるからだ。
犬豪
これまで何度も煮え湯を飲まされた敵将は、元は西の霊峰『大白山』に人知れず棲みつく狩猟族の族長であった。それをいかなる経緯があったのか、犬豪の現当主が一族ごと山より降ろし、味方に引き入れ一軍を担わせたのだ。
当然ながら諏訪勢の死傷者数は段違いに跳ね上がり、弦矢達を苦しませる元凶となっていた。
「まさか、
「そこまでは。じゃが、白山に息づくモノならば、人であれ獣であれ、尋常ならざる能力を発揮するのは間違いない。ならば、軍と云わず“兵具”と見立て用いるのも有りかもしれぬ」
「そのようなこと」
非常識な弦矢の見解に、反射的に否定しかけた近習長も、一度食い入るように観察した上で、最もな懸念を洩らす。
「しかし兄上。とても
さすがに弦矢も頷いた。
「同感だ。じゃが『犬豪』でも同盟軍の仕業でないとすれば、いよいよもってこの状況は、儂らに理解しがたいものになってくる……」
あるいは本当に悪夢が現実になったとか。
馬鹿げた妄想に首を振り、弦矢は表情を引き締めた。それよりも今は、皆に活を入れる時。
窮地に当主が為すべきことを、弦矢は体現してみせる。
「これが悪夢であろうとなかろうと……攻め入れられて黙する道理はない。よいか、皆っ。亡者共に諏訪の力を見せつけてやれっ」
「「「御意」」」
侍達が呼応する。
例え相手が物の怪であろうとも。
城攻めする者あらば、ただ返り討ちにするのみ。
あまりにも唐突に、諏訪の侍達と異形との熾烈な戦いが、始まるのであった――。
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