災禍のレギオン【改訂】 ~城ごと異世界転移した侍軍団~
@sigre30
序章
第1、2話 亡領の危機
永禄十三年(1570年)
陸奥国の南端
諏訪領『羽倉城』――
「――――できぬ」
重苦しいほどの沈黙を破るのは、苦渋にまみれた拒否の声。
それを「やはり」と予期していたように無言で受け止める重臣四名は、表情ひとつ崩すこともなく。
いや、それは上辺だけのものであって内心の落胆たるや、いかばかりか。
それほどに彼らは差し迫った窮地にあり、身内で押し問答をしている場合ではなかった。
もはや打てる手は“先の献策”ただひとつしかなく、選択の余地などないはずであった。
だのに、必死に絞り出したひと筋の光明さえ、あるじに固辞された今、彼らに発すべき言葉などあるはずもない。
その胸中を察すればこそ、あるじも言葉を尽くそうとするのだろう。
「叔父上――――」
「“諏訪に慧眼あり”とまで謳われし
「何を」
呻く隻眼。
あるじもまた、別の覚悟を決めたと知り、声を軋ませる。
「今も申し上げたとおり――」
「それのどこに諏訪の
濁さずはっきりと、自身の天寿が尽きたるを弦矢は口にする。
いっそ清々しいまでの面差しで。
その凶報を受けたのは、とうに日暮れも過ぎた一刻ばかり前。
およそ五千とも目される敵の大軍が、この
しかも沿岸地域を牛耳る『白山四家』に挙げられし『
なぜにそのようなことがと困惑し、狼狽える家臣の尻を叩き、かき集めた兵は千にも満たず、辛うじて出陣させたはいいものの、正直、足止めにさえなるまい。
それほどに致命的な一事であったのだ。
つまりは本拠地である羽倉城間近に攻め入られた時点で、『諏訪』の命運が尽きていたと言えるだろう。
なのに真夜を目前とする今になって、ようやく上申された策が――
「“城落ち”だなどと……敵を前にしてケツをまくる逃亡の策に“先”などあるものかっ」
それが若き当主の偽りなき心情。
抑えきれぬ憤りを声に滲ませる。
「東は海、北には梟雄なる相馬氏が目を光らせ、残る西手にも白山の大山海が立ち塞がる、言わば地勢的な手詰まりだ。
しかるに、儂には縁者も同盟も頼る者が他領にはおらぬ。この地しかないのだ」
「なれば己の散り際くらい、儂自身に決めさせろ――」
夜更けの冷気を熱するほどに語気を滾らせて。
野性味溢れるあるじの黒瞳は、最後の
しかし隻眼が目の端で捉えるのは、あるじの膝元だ。
祖父が木っ端のサムライから成り上がり、『白山四家』にまで名を連ねてからたったの三十年――諏訪家を己の代で終わらせる無念さに、膝の肉を千切らんばかりに鷲掴んでいた。だが、
「まだ、終わりませぬっ――――」
石を磨り潰すような隻眼の声が、目前に迫る受け容れがたい運命を断固と否定した。
「この
「じゃが今も云ったように、道は閉ざされておる」
「恐れながら」
指摘の正道を承知しながらも隻眼の気概は揺るがない。
「東と北に活路はなくとも、西は単なる未踏の地。人が踏み込めぬと決めたのは、我らの内にある“怖れ”であって神仏ではありませぬ」
その驚くべき発言にあるじの目が見開かれる。
それもそのはず。
霊峰白山といえば、陸奥南方における沿岸部と内陸部をまっぷたつに割くように、北から南の端にかけて延々と峰が連なる大いなる壁だ。
その麓には“緑の大海原”とも呼べる原生林が広がり、人をも恐れぬ気性の激しい獣が棲みつき、猟師でさえ深入りすることを禁則とする危険な地。
そして古くから、奥地には神代の頃からの魑魅魍魎が息づくとまで、真しやかに語り継がれているほどの“忌み地”でもあった。
白山地域の者なら、尻に火が付いても踏み入ろうなど決して考えることはない。その魔境に活路を見出そうとするとは、あまりにも蛮勇に過ぎた。
当然、あるじも大きく深く息をつく。
「――――思い切ったことを、考えおる」
「そうでなくば、『白狐』のヤツめを出し抜けませぬ」
「まさか」
再び驚きを表すあるじ。
『白山四家』のひとつ――『白縫』の筆頭武将は商人上がりの異質な経歴を持つ。しかも自称軍師のお手並みは、それまで“神頼み”を主とする軍師に対する“お飾り”との認識を、根底から覆すほどの軍才だ。
“狐”と疎まれ、『眩惑兵法』と忌み嫌われる彼の軍師を、あるじは密かに白山地域で最も危険視していた。
だから問わずにおれない。
「叔父上は、此度の首魁を『白狐』にありと捉えているのか?」
「そう仮定すれば、四家が手を組む奇事もあり得ると思ったまで。商人上がりの二枚舌をもってすれば、『犬豪』を懐柔することすら可能かと」
確かにあり得ぬ奇蹟を起こすなら、狐の悪知恵以外に成し得まい。ただ、彼の知恵者が相手であるという事実は、不安を煽る材料にしかならない。
自ずとあるじの発言も切迫したものになる。
「ならば白山へ身を投じるどころか、城を出ることすらも叶わぬぞ。すでに城近くに必殺の部隊を潜伏させていたとしても儂は驚かぬ。――なにしろ、奴が放つ凶手は人を謀るからな」
将棋ならば“詰め”に入っている盤面だと。
普通なら失笑すべき見解だ。
しかし序盤にして終局を感じさせる棋力が、あるいは惑わすと言い換えてもいい――『白狐』という差し手にはあるのだ。
だが『慧眼』の誉れ高き知恵者に見える盤面は、あるじのそれとは違っていたらしい。
「確かに領内深く、我らに気づかせずに侵攻した手腕には、いささか度肝を抜かれました。されどここ羽倉城の外縁には、先々代より築き上げてきた『防御林』がありまする。いかな『白狐』といえど、初見で穴を穿つ一手は打てませぬ」
自信溢れる隻眼の言に、「確かに」とあるじも力強く頷き返す。
「さらに、逃げる刻を稼ぐ策も講じております」
「そのようなもの――」
言いかけたあるじが何かに気付く。
「左様」と頷く隻眼。
「先に出陣させた軍こそ、それが役目」
「馬鹿な」
あるじが呻くのは、言わば千もの領民が“死兵”になると解したがため。
だが息を呑む当主を意にもかけず、隻眼はたたみ掛けるように話を続ける。
「おそらく、街道を進む敵軍は、東の林野に着到しているはず。そこにしか城へ至る道はありませぬからな。だが、それこそ我らの思うつぼ――」
『虎口』と呼ばれる扇状の林野には、ある細工が仕掛けてあった。
それは林奥へ踏み込むほどに深まる下生えだ。
徐々に兵の足を鈍らせ、『虎口』の喉元に至る頃合いで敵将が気付いたときには、軍の運用さえもままならぬ事態を招く恐るべき“罠”。
「夜を幸いに、身動きできぬ敵に襲い掛かる伏兵。『防御林』あるかぎり、味方の勝ちは動きませぬ」
隻眼は会心の笑みを声に含ませる。
「じゃが、一度や二度退けたところで趨勢は覆らぬ」
それだけの兵力差があり、数の暴威に味方が呑み込まれるは必至だ。
あるじの真っ当な指摘を隻眼も見越していた。
「それ故に我が軍切っての猛将――『軍神』
「万雷か……」
「その麾下『雷四つ』もおりまする」
近隣どころか白山地域に武名を轟かせる猛将の名を耳にして、弦矢も認めぬわけにはいかない。その様子に「ご安心召されて重畳」と穏やかに告げる隻眼の相貌が、ふいに引き締められた。
「いかに『白狐』が化かしの術を弄しようとも、この『慧眼』いるかぎり、御命は守り抜いてみせまする。であれば――」
当主へ己の身体を正対させ、
「今一度、我らが苦心の策をご再考願えませぬか。いえ、諏訪のためにも、何卒、お受け頂きたく」
深々と座したままの上半身を折って願い出る。
冷えた畳みに額をこすりつけ、絞り出される隻眼の声には血さえ滲み出る。
「“城落ち”の屈辱など一時のもの。たとえ皆、今は千々に離れても、若さえご無事なれば……我らは必ずや、その御旗に再び集いまするっ」
それは誓いの言葉のごとく。
全兵士の、全領民の意志を伝えるかのように、一言一句、隻眼は思いを言葉に込める。
だが苦し気に、眉間に深い皺を寄せつつもあるじははっきりと首を横に振った。
拒む真意は次の言葉にあった。
「守るは“諏訪の血”でなく“領民”ぞ」
忠義に感謝すれど譲れぬものがある――絞り出される
「やはり間違いではなかった」と張り詰めていた頬を微かに緩めながら。
「その“諏訪の信念”をこそ、我らは――いえ諏訪モノ全員が、守りたいのでございます」
そこで申し合わせたように、隻眼ほか三人共々そろって頭を下げる。
「むぅ……」
まさに感無量。
これほどの想いを向けられて、感じ入ぬはずがない。代々受け継がれてきた“先祖の教え”を信じ、自身の指標としてはきたものの、まさかこれほど臣下や民に支持されているとは思いもしない。
若き当主の呻きは、“先祖の教え”の偉大さを実感し、胸を満たした畏敬の念が、思わず口からこぼれた結果であった。だが、
「だからこそ――」
首肯できるはずがないと、あるじは低く低く声を洩らす。
策がもたらすのは逃亡の猶予であって敵の全軍を撃退することではない。最悪、城外に討って出た味方はもちろんのこと、城に立て籠もる者達も“包囲殲滅”されることもあり得るのだ。
たくさんの血が流れる。
兵の――守るべき領民の血が。
“信念”を守っても、その傘で庇護すべき領民がいなければ何の意味があろうか。いやそれ以前に、多くの血を流させる“信念”に、守るべき価値なぞ本当にあるのだろうか――。
(逃げるのでなく、儂こそが敵の前に立ち、皆の“盾”となるのが諏訪家の在り
腹の底より膨れ上がった熱の塊が、あるじの体内をうねって、その唇を震わせる。
是か非か――。
小刻みに揺れる両の膝頭、そこに爪を立てる両手に込められた力は、“共に戦いたい”と血気に逸る己を必死に抑えんとする、当主の葛藤そのものであった。
と、そこへ。
「――――取り込み中、まことに申し訳ない」
それはあまりに場違いな声かけであった。
今の窮状や当主の心痛を意にも介さぬ落ち着き払ったその声は、隻眼より下座に位置する小さき影より発せられていた。
この場で最年長というだけでない、小柄に合わぬ堂々たる佇まいには、誰もが認める“ご意見番”としての風格が漂う。
だがよく見れば、その禿頭に滲む汗、首筋を伝う汗の滴に気づくだろう。
浅いが小刻みな息づかいの異変にも。
それにいつもなら、こちらから水を向けなければ進んで口を開くこともなかったその人物の気質を知るだけに、一体何事かと誰もが不審げに目を向ければ。
「やはり、ぬしらには
下座にいながら、不遜とも言える物言いで小柄な影――禿頭の老人が独り勝手に得心する。それも
その異様さを気にも留めず質すのは、四名のひとり、対面に座す美丈夫だ。
「御坊。何が見えると?」
「云うても分かるまい」
無下に返したところで、初めて瞼を上げて。
「故に論より証拠――」
禿頭が音もなく立ち上がり、廊下に面する障子戸をするりと開け放つ。
「む、これは――?!」
「若!」
困惑と驚きと、そしてあるじを案じる誰かの声。
禿頭の老人が何を云わんとしていたのかを、その瞬間、誰もがはっきりと理解した。
理解したところで、為す術などなかったが。
――――……
堰を切ったように大量の白き靄が室内へと雪崩れ込み、瞬く間にその場にいる全員を呑み込んでしまう。
救いは視界を遮るほどの濃度でないことか。
辛うじて室内の様子程度なら透けて見え、それより先の障子戸向こうは、乳白色の海に溶けて判然としなかった。
「どうなっておる?!」
「誰か――」
見えぬは抑えきれぬ恐怖を生み、恐怖は人を容易く混乱に至らしめ、その混乱も極まれば、自滅さえ招いてしまう。
「皆、狼狽えるでない――っ」
靄の中、あるじの清冽なる声が響き渡り、場が混乱の荒波に呑まれんとするのを抑えつける。
居並ぶ四名も俗人と異なり肝の据わった者達だ。それ以上、取り乱すこともないまま、すぐに落ち着きを取り戻していた。
「無庵、これはどうしたわけじゃ?」
あるじに詰問調で質されたのは、靄を室内に招き入れた禿頭の老人だ。彼もまた、隻眼と同じ名を持つ奇妙さを誰も指摘することはなく。
「さて――」と変わらぬ落ち着き振りで応じる当人は、惚けた台詞とは裏腹に、しごく真面目に状況を分析していたらしい。
「
それは靄の発生する気象条件を差してのものか?
いやそれ以前に、
それも閉ざしていた両の
まるで狂人の戯言としか思えぬ発言に、しかし、疑いの声を上げる者はいない。それ故別の不審点に注意は向けられる。
「これは
そんな疑念も切り口のひとつ。
あるじの呟きに、「
「惣一朗――」
「――ここに」
美丈夫の求めに応じて、気付けば開け放たれた障子向こうの廊下側に孤影がひとつ。
はじめからそこにいたかのように座り込み、見事な低頭姿勢を保つのは、当主を陰から護持する『影衛士』。
「率直に聞こう。
今ひとつの可能性を美丈夫が探れば、「ございます」と望んでいた回答を得ることになる。
「幻術とは異なりますが、相似する術であれば、思い当たるものがひとつ。ですが、日ノ本広しといえど、これほどの規模で術を成し得る遣い手はただひとり――」
「誰だ?」
「
その瞬間、皆が息を呑むのが分かった。
『霧陰の才蔵』――。
日ノ本『七忍』に数えられし、伝説の伊賀者。
霧に雨にその身を紛らせ、誰にも足音や気配を掴ませず狙った獲物を静かに仕留め、あるいは秘めやかに奪い去る。
戦いよりも、隠密行動にこそ真価を発揮する才蔵は、誰よりも忍びらしき忍びであると評される。隠密特化にありがちな、その素顔は組織的に秘匿され、例え同朋の伊賀者でさえ、一握りの上忍を除いて知る者はいないという。
そんな彼の存在を有名にしたのは、天下の大泥棒『五右衛門』との隠し財宝を巡る競演だ。当時、大物大名を巻き込んで、熾烈な争いが繰り広げられたという噂はどれも眉唾なものばかりであったが、それでも人々の胸を熱くさせたのは間違いなく、それ故に彼の伝説を盤石なものにした。
その生きた伝説が、この状況を生み出した元凶だとするならば。
「お前はどう思うのだ?」
ここにきて、初めて口を開いたのは、四人最後のひとりの近習長。
当主を守る役目柄、己の腕にいかなる自負があろうとも、“伝説”が相手ともなれば確かめずにはおれないのだろう。その意を汲んだわけでもあるまいが。
「その可能性は低いかと」
「なぜだ? 明らかに、この靄はおかしいぞっ」
「真に」
そう認めておきながら影衛士――惣一朗は「しかしながら」と反意する。
「これを才蔵の仕業とするならば、敵方に雇われたと考えるのが妥当でしょう。しかし、敵方からすれば城攻めは間もなく、勝利は目前。ここまで策を順調に進めている者が、“最後の締め”を忍びに譲る心情がどうにも解せませぬ。いえ、それではあまりに
「うむ……確かに。それはそうだ」
惣一朗の話しには説得力があり、近習長も思わず感心の声を洩らす。むしろ武士である自分達こそが誰よりも納得できる理屈だと。その一方で、「ならば何だ」と現状に呑み込めぬ疑念が残るのも事実。
だから惣一朗も禿頭の老人へ視線を向けるのか。
「少なくとも、無庵様の『観世眼』にて捉えられるのであれば――」
そこで言葉がふつりと切れた。
遅れて近習長も気がつく。ついには隻眼さえも。
逆に鋭敏なる知覚を有する者達の眼は、すでに
風が掃いたせいなのか、いつの間にか外庭の靄がかすれており、そこに信じがたい光景が映じているのを。
「――
なくなっていた。
正しくは、廊下を越えた庭先のさらに奥――城壁の
その上、
「なんだ? 誰か――」
「――来る」
近習長の当惑げな声に隻眼のそれが重なる。
月明かりの下、白き靄に紛れるように幾つもの黒い影が形を変え、大きく小さく伸び縮みする様に、誰もが我が目を疑い目をしばたたかせ手の甲でこする。
やはり気のせいか。よっくと目を凝らせばそれが人影であると判別できた。そうなればなったで驚くが。
まさか敵襲?!
味方が抜かれたのか――!
次々と起こる怪異の渦に、思考はかき乱され、解けない疑念に脳裏を占められる。
「一体、何が起きている――――?!」
あるじ――
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