第106話 ゴルトラ洞穴門の戦い1

旅程後半【3日目】

シュレーベン城城下――



 黒鉄に鎧われた奇怪な馬車の一行が城を出立したのは昼前のこと。

 雨上がりの爽やかな青空とは対照的に、囚人護送のそれよりも凶々しい空気を纏う鉄馬車を、二台も連ねた一行は嫌でも目立つ。

 しかし城を出てすぐの領都には、出歩く領民の姿はほとんどおらず、怪しげな一行を気にする者などひとりもいない。

 いや、城内から現れたというだけで、目線を合わせるどころか、そそくさと逃げ散るのが領民の常なる行動だ。

 それだけに、通りの真ん中に軍馬が一頭だけ所在なげに佇んでいるのが、余計に目立っていた。


「……マルグスのやつ」


 どうやらそれは、唯一の例外であったらしい。

 先頭で率いる隊長格の男が、“またか”といった風に呆れ声で嘆息し、隊を停止させる。

 丁度その動きに合わせるかのように、左手の物陰から軍馬の所有者らしき者がふらりと現れ出た。


「先発隊の指揮はどうしたんだ、マルグス?」


 隊長格の声に非難がこもるのも当然だ。

 朝一で出立したはずの同僚指揮官が、いまだ街中をそれもひとりでふらついているなど、命令無視、軍規違反もいいところ。

 しかも、うっすら汗ばんだ顔で、ズボンの腰紐を締めながら気だるげに歩いてくる姿を見れば、邪淫に走っていたことは容易に想像がつく。

 なのにマルグスと呼ばれた男は、悪びれるどころか尊大な態度で文句を付けてきた。


「“補佐殿”、だ」

「は?」

「俺に敬意を示せと云ってるんだ、ジエール」


 敬意だと?

 通りの真ん中で、堂々と逸物の据わりを・・・・・・・直しているマルグスに、ジエールは軽蔑の視線を隠しもしない。

 確かに今朝突然に、“副団長の留守中、マルグスを団長補佐に臨時昇格する”との通達が団員達を驚かせた。

 事実上の№2扱いにジエールも困惑したものの、『幹部クアドリ』を全失した状況を踏まえれば、まとめ役を欲することは理解できる。

 ただし指揮官適性に、誰もが難ありと判ずる男を昇格することだけは、大いに疑義あるところだが。

 ジエールの目は、物陰からちらりと見える女の生・・・を正確に捉え、胸中の不信感を嫌が応にも高めさせられる。

 必然、口調をあらためた言葉にも、棘が混ざろうというもの。


「敬意が欲しいなら、それらしき振る舞いをしていただきたいものだな、団長補佐殿」

「ああ……?」

「貴殿が先発隊として与えられた役目は、洞穴門での勝利に必須の要務。なのに己の隊を放り投げ、朝っぱらから色に戯れるとは、団長にどう言い訳なさるおつもりか」

「んなもん、必要ねーだろ」

「ほう……?」


 軍規を歯牙にもかけぬ上官に、ジエールの眉がぴくりと動く。それを愉しげに見やる臨時上官のマルグスは、「何が問題だ?」と得意げに口を開く。


「今頃俺のかわいい隊長補佐が、俺の指示通り・・・・・・、きっちり要務をこなしているからな。やることやってりゃお咎めなし――それがこの団のいいトコだ。だろ? そうでなけりゃ、こんなところでのんびり英気を養っていられるかよ……なあ?」


 そう云って、ウインクを寄越す元同僚に「少しは立場を考えろ」とジエールは思わず舌鋒鋭く睨みつける。


「団長が決定を覆さない限り、お前は事実上の№2だ。その素行ひとつが、一部隊どころか団全体にまで影響を及ぼす立場にある。もし、全員で同じ事をやりはじめたら、軍としての体裁どころか、力が弱まるぞ」

「相変わらず、堅苦しい考え方をしやがる」


 ジエールの圧力を屁とも思わずに、マルグスは面倒くさげに顔をしかめる。


「いいか、俺はこうやって景気づけした方が漲るん・・・だよ・・。上官の調子が上がれば部下も大助かりだ。それで隊が奮起すりゃ団にも勢いが付くってもんだし、団が勢いづいたら今度の戦いだって勝利は間違いなし――そういうこったろ?」

「……」

「なんだ、面白くなさそうだな? 俺は俺なりに、隊の事を考えてるってのに、お前はそれが気に入らねえってか。ならいいぜ――――止めてみせろよ」


 云うなりマルグスの双瞳に嫌な光が宿り、これ見よがしに、鞍に付けられた“大振りな鞘”を手にかける。

 対するジエールは手綱を握り締めたまま、マルグスの瞳をしっかと見据えて、わずかな兆候を見逃すまいと神経を張り詰める。


「……」

「……」


 二人が睨み合ったのはごくわずか。

 すぐに、子供じみたマルグスの挑発を「それこそ無意味な戦力の損耗だ」とジエールは静かにはねつけた。

 これまで何度も繰り返してきたいつもの返事に・・・・・・・、マルグスが力みを抜いて軽薄な笑みを浮かべる。


「……残念だな」


 馴染みの相手でも殺しを厭わない――団員らしい台詞を口にして、マルグスは鞘から手を離す。

 ジエールも、何事もなかったように上官になった元同僚の尻を叩く。


「用が済んだのなら、さっさと先発隊を追いかけて作業の進捗度合いを確かめた方がいい。万一があれば、即“奈落”だぞ」

「へっ、団長補佐様に脅しかよ。……まあ、お前だから許してやるがな」


 マルグスは軽やかに乗馬して、隊を進ませるジエールと肩を並べる。まだ用があるのかと思えば、それとなく後方へ顎をしゃくってきた。


あれが・・・、例の馬車か」

「ああ」

「ちなみに、なぜ二台ある? 団長と他の連中を分けているのか?」

「違う」


 ジエールは毅然と前を見据えたまま、受け答えする。


「二台目は、副団長が前もって手配していた“予備戦力”だ」

「ふん。団長に“真人部隊もどき”……それに“予備戦力”ときたか。ちょいと過剰戦力になりそうだな。せっかくデカい手柄を立てて、この地位をガッチリ決めちまいたいのによ」


 そんなマルグスの言い方にジエールは引っ掛かりを覚え、じろりと見やる。


「お前、何を狙っている……?」

「そーいうお前は、狙いもしねーのか?」


 逆に堂々と煽ってくるマルグスにジエールは確信する。同時に、こんなところで彷徨うろついていたことに意味があるのでは、とも。


(こいつ、俺たち本隊の動きを探るために・・・・・……)


 それは根拠のない邪推だ。

 だがこれまでも、マルグスが手柄欲しさに裏で企んだことは幾度もある。その身勝手な振る舞いの煽りを受けて、ババを引かされた不運な者は少なくない。

 だからこそ、ジエールの声は慎重になる。

 

「……団長に睨まれる真似はするなよ」


 そこには“ケツ拭きはゴメンだ”との強い牽制の意志が込められる。それを分かっているのかいないのか、マルグスの軽薄な笑みは変わらぬまま。


「人聞きが悪ぃーな。俺は団長補佐として、今度の戦いを勝利に導くことしか、考えてねーよ」


 何ひとつ答えになっていない答えを偉そうに告げて、「それより」とマルグスは瞳の色を鋭利に変えた。わずかに声をひそめさせて。


「今度の報償首は、“三剣士”に“精霊之一剣”と久しぶりの大物揃いだ。首尾よく刈れりゃ、大金どころか国外にまで鳴り響く名声までついてくる」

「“魔境士族”とやらも良い値だぞ」


 それにはマルグスも鼻で笑う。


「ああ、そうだった……たかがド田舎士族に幹部様が殺られるとはなぁ」

「それだけ“強い”ということだろう」


 『幹部クアドリ』の実力は桁違いだ。

 偶然や策などで、勝利を手にできるほど生易しい相手ではない。そもそも基礎的な能力でタメを張れること自体が困難なのだから。

 当然、幹部をすべて蹴散らした者達が、弱いはずがない。むしろ、どれほど腕が立つのかと、団内で警戒感を露わにする者が多かった。

 だが、ジエールの見立てにマルグスは疑心も露わに首を振る。


「……まあ、“初見殺し”ってやつだな。見た目が“人”だから誰もが騙されやがる。そいつらはおそらく、肉体怪物ステータス・モンスターな蛮族だ。それこそ基本値で幹部を上回る一種の化け物――それが“強さ”の秘密ってわけだ」


 だが、それだけだろうと。

 決して侮らず、冷徹に強敵であると分析してみせながら、それでもマルグスは不敵に笑う。


「むしろ幹部の異能アビリティに比べりゃ御しやすい。油断できねえのは確かだが、タネさえ分かっちまえば、どうとでもなる相手だ」

「なるほど、一理ある」


 すべてに頷けはしないが、ジエールの見識と整合する部分はあった。


「確かに魔力オドの濃い地域では、棲みつくモノの心身が変容すると云われている。“魔境”ほどの危険地帯ならば、異常発達した蛮族がいても不思議じゃない、か」

「とはいえ、討てるのは、あくまで俺とお前の腕があっての話しだが。まあヘマさえしなけりゃ、ド田舎士族はボーナスと思っていい。はじめから俺たちが注視すべきは、ビッグネームをどう刈り取るか、だ」


 余裕をみせるマルグスも、ただ力尽くで襲い掛かる馬鹿はしない。『一級戦士』になれるほど腕が立つにもかかわらず、常に己の立場を“有利な状況”に置くことに頭を巡らす慎重深さがある。

 だからこそ、今日まで生き抜いてこれたのだ。

 しきりに顎をしごくマルグスが案を口にする。


「まあ……先に真人にやらせて、弱ったところを叩くのが妥当だな。団長が出る前をうまく見極めるのが肝心だが」

「その逆を命じられるかもしれん」


 先陣を切れと。

 むしろ、虎の子の戦力を温存するために、隊長クラスでさえ捨て駒にされることは十分考えられる。

 なのに、マルグスは躊躇もせずにさらりと受け入れる。


「なら、俺が“三剣士”をやる。お前はもう片方をやれ。これは団長補佐としての命令だ・・・


 よほど仕掛けに自信があるのだろう。

 皮肉るマルグスにジエールも黙って受命するだけだ。どちらを相手取るにせよ、大物であることに変わりなく、『俗物軍団』においては“下克上”こそが、己の道を切り拓く術なのだから。

 それを成し遂げてきて、今がある。

 そういう者達の集まりだ。

 

「別に構わん。先の“北方遠征”に行けなかった憂さ晴らしには、なる」

「ハッ、云うねえ。ちったぁ、やる気になったみたいだな」


 心外な物言いにジエールは非難の目を向けたが、マルグスは気にもしない。


「とにかく、久しぶりのボーナス戦闘だ。早い者勝ちだが、足の引っ張りはなしにしよーぜ?」

「そう願いたいな」


 敵方よりも、マルグスの動きをこそ気をつけねばならない。

 牽制の意味も込めて語気を強めたジエールに、マルグスは緊張感をゆるめて空を見上げた。まるで友に気をゆるしたリラックスぶりだが、目を抉ろうとすれば、その手首ごと瞬時に斬り飛ばせるくらいに隙は無い。


「ま、本番までは時間がある。どうせ連中より確実に早く着けるんだし、気負わず、ゆっくり行こうじゃねーか」


 結局、先発隊を追いかけないマルグスと共にジエールはゴルトラ洞穴門を目指すことになった。


         *****


同日の午後

ゴルトラ洞穴門

    送迎団――



 ゴルトラ洞穴門――。

 それは辺境領都と外界とを隔てる天然の要害。

 街道を遮る断崖は高さにして五十メートル、横幅は視界の外まで途切れることなく続いており、巨大な城壁のごとき重厚な圧迫感を訪れた者にひしひしと与える。

 だがフィエンテ渓谷とはまた違った意味で圧倒される景観に、地元の辺境組は一瞥もくれずに馬を進め、ほぼ全員が初めて目にする送迎団側は、決戦前の緊張感に囚われ、意識を向ける余裕もなかった。

 ただひとりを除いては。


「……あれは何の跡であろうな?」

「昔の“砦門”だ」


 車窓から洞穴門の絶景を堪能していた弦矢の呟きにカストリックが律儀に応じる。


「建国前の時代には、この洞穴の前後を巨大な門で塞ぎ、門番の詰め所たる砦まで築いて、領都を守っていたそうだ。それが公国誕生に併せて“外門”を閉鎖し、“内門”だけの運用に留めていたものを、先の大戦で疲弊したことから、やむなく廃止することにしたらしい」


 だから朽ちるに任せた結果、当時の石組み遺構部分だけが、残っているのだと。


 外門の閉鎖は公国の示した平和によって。

 内門の閉鎖は公国の示した冷厳さによって。


 ふたつの相反する要因によって、結果的に領都防衛の要は失われることになった。そのことを領都の住民はどう受け止めているのか。

 巨大な門が取り外された様は何かの脱け殻のようで、その空虚さに弦矢は何とも言えぬ感慨を抱く。


「……結局は、朽ち果てるが定めということか」

「どのみち平時であれば、必要のないものです」


 そもそもが無用の長物とモーフィアが断じて、カストリックも同意するかのように目を閉じる。中央圏の者からすれば、砦門は辺境人の“敵意”あるいは“心の壁”との印象が強いのかもしれない。

 ただし、カストリックの態度については、気持ちがすでに別のことに向いているからだろうが。これまでと違って両膝の間に剣を立て、戦いの準備を整えていたからだ。

 

「カストリック様。周辺に人気はありません」


 早速、砦門跡を調べていた後衛部隊の者が、車窓に顔を見せて報告する。相手の挟撃策を事前に潰しておくのは常道であり、こうして洞穴門に至った以上は、もはやネイアスに配慮する必要はない。

 それは相手方も同じであろう。


「……さすがに連中の雰囲気が変わったな」


 身を乗り出して、洞穴に入ってゆく辺境組の様子を確かめる弦矢にカストリックはやはり無言。代わりにモーフィアが苦情を訴える。


「ここが最後の仕掛け処と思えば、連中だって胸中穏やかじゃいられないでしょう。だからゲンヤ様も大人しく座っていてください。……私の気が散るもので」

「うむ? 何かするのか?」

「何も剣や弓だけが武器ではありません。もし、相手が精霊術を使うなら、私が精霊の動きを感知します」

「精霊の動き?」


 弦矢の無智ぶりに「これだから田舎者は」とモーフィアは苛立ちを隠さない。


「『精霊術』の具現化には、四大精霊の力が欠かせないことは説明しましたね? だから、術の発動前に大きな精霊の動きがあれば――」

「先に感知できるのも道理か」

「それだけではありません。その規模と四大の種別が分かれば“行使する術”まで想定できる。当然、こちらが対処できる可能性も大きくなるのです」


 それが熟練術士の戦い方なのだと。

 自負するモーフィアの語りには、さすがは深緑衣を認められた術士としての風格が漂う。その上、


「当然、誰もができることではない。探索者としての経験もあるモーフィアだからこそ」


 ふいにカストリックに褒められて、モーフィアが深緑衣のフードを顔前まで引っ張り込む。


「私はただ、自分にできることを、惜しまぬだけですっ」

「?」


 声を上擦らせるモーフィア。

 弦矢がどうしたのかと顔を覗き込もうしたところで、車内に暗闇が入り込み、場の空気が一気に変わった。

 馬車が洞穴門に入ったのだ。


「いよいよ本番だ」


 カストリックが声に緊張を孕ませ、皆に警戒態勢を促す。

 弦矢にモーフィア。そして、この場には相変わらず我関せずを貫くバルデアが席のひと隅で沈黙を維持しており、新たに加わった月ノ丞は同じ馬車の御者台にいた。

 車内の空気が引き締められ、剣柄に手をかけるカストリックが、警護参謀として、あらためて情報共有を丁寧に図る。


「入口周辺は調べさせたが、それでも見逃しがあるかもしれん。だが各個撃破を避けるため、後衛部隊を入口に残してはいない。

 あくまで皆で固まって移動し、皆で対処する。事前に話し合ったとおり、おそらく敵が仕掛けてくるのは洞穴の後半部。

 有事の際は馬を盾に使い、大公様の専用馬車を守りつつ、敵の仕掛けに対処すべく全力を尽くす。前衛組はバルデア卿が、後衛組は私が率いる。なお、状況が逼迫する場合は、味方を捨ててでも突破を優先し、必ずやシュレーベン城に辿り着く。――よろしいか?」

「「「……」」」

 

 暗闇の中、誰からも返事はない。

 それでも全員が了承したことをそれぞれに感じ取る。

 渓谷に続く二度目の戦いにして、早くも最後の決戦だ。

 すでに打てる手は打ってあり、これは気持ちを引き締めるだけの儀式のようなもの。

 ちなみに別働隊による支援についても、上手くいこうがいくまいが、こちらはこちらで何とか切り抜けることになっている。

 ただ、目前の事に集中すればいい。

 それでも何かないかと考えるのが心情だが。


「念のため、前の状況を確認しておこう」


 モーフィアに断りを入れてから、再び弦矢が車窓から身を乗り出す。

 先頭へ目を向けると、どうやら洞穴はゆるやかな上りになっているらしく、幾本もの松明の位置取りや明るさを目にすることで、辛うじて状況を把握することができた。

 三列縦隊で先導する辺境組に、同じ構成で付き従う送迎団。

 洞穴自体の横幅が、馬車を四台併走できるほどに広いため、窮屈さは感じられない。高さも入口の大きさから見当を付ければ、約四間(7メートル)はあるだろう。

 こうしてあらためて見ても、日ノ本には存在し得ぬ巨大洞穴だ。あるいは、精霊術とやらを駆使した遺構なのだろうか。


「それにしても……」


 洞穴内には蹄の音と車輪の立てる音が盛大に響き渡り、滅茶苦茶に耳の奥を引っかき回す。これでは物音で何かを察するのは不可能そうだ。実際、窓を開けたままでは馬車内の会話も覚束ない。


「……思ったよりも厄介かもしれぬ」


 うるさい物音に神経を逆撫でされ、気配を掴むのも難しい。

 襲撃者側にとって圧倒的有利な条件に、弦矢の胸は不安で占められる。それを窓を閉めた弦矢の様子から察したのか、カストリックが口を開く。


「元より、“先手の利”を相手に握られた戦いだ。我々にできることは、有事に即応できるよう己を整えることのみ」

「同意だな。……ならば、何を仕掛けてくるのか、心待ちにするとしよう」


 暗がりで見えはしなかったが、弦矢の応じにカストリックが笑み零した気がした。

 念のため、敵に狙われないよう明かりを灯していないため、互いの表情を読み取ることは叶わない。それでも弦矢には、感じられたのだ。

 それからしばらく、耳の痛くなる騒音と尻の痛くなる振動に耐えてから、洞穴の行程を半分は過ぎたかと思える頃。


「……仕掛けてきたな」

「うむ」


 カストリックの言葉に弦矢が反応する。

 他の二人にも当然聞こえたろう。

 音は当てにならぬと思っていたが、実際にはそうでもなかった。

 ドンドン、と馬車の壁を叩く御者からの合図をもらうまでもなく、これまで以上に耳障りな騒音が車内を震わせていた。その轟音に、


 驚いた馬の嘶き。

 慌て、切迫した護衛者達のわめき声。


 警戒のため、馬車の速度が急にゆるめられる。

 明らかな異常事態に、動き続ける馬車から真っ先に飛び降りたのは、これまで不動を堅持していたはずのバルデアだった。



「全隊停止――っ」



 鋭い嗄れ声が洞穴の闇を切り裂く。

 それにも負けぬ怒濤のごとき蹄音の暴威。

 洞穴全体が揺れ動いているかと錯覚させる大音声に、バルデアに続いて降車した弦矢は堪らず両手で耳を塞ぐ。


「拙いぞ、これは――っ」


 顔をしかめつつ、必死に前方へ視線を向ける。

 駆けだしているバルデアの影よりずっと先――辺境組が列を為す辺りで、松明の明かりが洞穴の両脇に寄っている不審さに疑念を覚えたその時。


 洞穴奥より、何かが猛然たる勢いで走り込んできた。


 弦矢の目には、巨大な黒影に松明の明かりが次々と消し潰されていったように見えた。


 はじめに激しい振動が地面から伝わり、

 次に頬を嬲る風を感じ、

 戦場で感じた殺気に身を炙られて――。


 バルデアが何かを叫んでいた。

 弦矢に続いたカストリックがモーフィアを車内に押し戻す。

 その中で、弦矢はただ両足を踏ん張り、右手を顔前へ翳して、これから起きるすべてに対処しようと身構えた。




 ドドドドドガドガド――――!!!!




 体感的には、破城槌を十本束ねて城門に激突させたがごとき轟音が洞穴全体を――弦矢の身体を震わせた。


「――っぐう!!」


 風圧だけでなく無数の砂利がつぶてのごとく飛んできて、弦矢の身を強かに打ち据える。

 その中で、弦矢はその正体をしっかり確認した。

 間違いない。


 騎馬の突撃だ・・・・・・


 三列縦隊だったはずの辺境組は、いつの間にか壁に寄ることできれいに透かし、状況を掴めぬ味方の前衛は、避けることもままならず、まともにその突撃を喰らったのだ。


 ひとたまりもなかった。


 人やら馬やらがひしゃげ、押し潰されあるいは蹴り潰されて、巻き添え食った者共々に一瞬のうちに弾き飛ばされる。

 いや、そう感じただけだ。

 実際には散乱した松明と巻き上がる砂埃も相まって、起きた惨状をしっかと正視できるはずもなく、洞穴内にいる全員は、しばらく身動きも取れずにうずくまるしかなかった。

 それは弦矢も同じ。

 気付けば、鼓膜を失ったかのような無音の世界に弦矢は佇んでいた。

 いや。


「……ぅぅ……」

「ブルフッ」

「……っ」


 時折、静寂を破る誰かの呻き声。

 苦しげな馬の鼻息。

 石ころか何かが落ち、転がるかすかな物音。

 ふいに、弦矢の近くにドサリと落ちた重たげな音の正体は、見覚えのない誰かの身体――おそらく突撃側の騎手。

 敵味方関係なく。

 苛烈な暴威が吹き荒れた洞穴内には、鈍い苦痛だけが遺されていた。


「ば……っぐ、ほっ……」


 弦矢が埃に咳き込んで、バルデアを呼ぶのに失敗する。

 胸中にあるのは焦燥だ。

 なぜなら騎馬による突撃は、ただの切っ掛けにすぎないはずだから。


「ばる――」


 もう一度、弦矢が声を張り上げようとするのに先んじて、立ち直ったのは敵側であった。



「……この機を逃すなっ。反撃のいとまを与えず、ひと息に奴らを叩き潰せ!!」



 その野太い声は、老将ネイアスのもの。

 併せて満を持していたように、配下らの喊声が上がって鞘鳴りの音が響き渡る。

 最悪の展開だ。

 準備万端の敵方に対して、こちらは体勢を整えるどころか、状況把握すらできていない。

 いや、あまりに無茶で苛烈な襲撃に、前衛組で五体満足に戦える者がどれだけいることか。いたとしても、度肝を抜かれて呆けるばかり。

 そこへ突撃部隊の数騎を先頭に下馬した辺境組が猛然と襲い掛かる。


「ぐふっ」

「がっ」


 まともに斬り結ぶこともできずに誰かの断末魔が上がり、同時に何本もの松明が衝突地点に向かって投げ込まれてくる。

 一気呵成の追撃に併せて、明かりの確保にもそつがない。その上、剣以外に槍持ちも織り交ぜて、人馬が散乱する厄介な戦場を想定していたかのような備えを見せられれば。


「……よく、練れておる」


 思わず弦矢も感心する攻め手に、味方が反撃できる隙はなかった。

 騎馬が暴れ回り、敵の威勢の良い声に味方の苦鳴が混じる。だが、敵方優勢に進められる一方的な展開に否やを唱える者がいた。


「ばっ……?!」

「むう?」


 味方の断末魔に敵のそれが混ざっていると弦矢が気付いたとき、敵方であろう騎乗の影が、ひとつふたつと落馬した。

 腰までたゆたう砂埃の影に、見覚えのある背中を弦矢は視認する。


「剣を取れ」


 低いが、鼓膜の破れた者にさえ響かせる嗄れ声。

 それが動かぬ警護の者達を叱咤する。


「奇策ごときで終わらせるな。我ら第一軍団の見せ場は、これからだぞっ」

「お……ぅ」

「……ぐっ」 


 よろよろと上半身を起こし、あるいは膝を立て、剣を杖替わりに立ち上がる者。

 指先のみを動かし、あるいは吐血で声を出せなかった者も含めて、動ける者皆、軍団長の檄に応じようと必死にもがく。

 それでも剣を構えられた者は十名ほど。

 無傷の辺境組三十騎を相手に、あまりに分が悪すぎる状況だ。

 何より、己の優勢に決して胡座をかかぬ老将が敵の陣頭指揮を執るともなれば。


「さすがはバルデア卿麾下の騎士達だ。いい気概を見せてくれる。だが戦場知らずの近衛兵に、後れを取る我らではない」


 大戦越えの重みを声に乗せて、老将自らがバルデアの前に歩み出た。その言動だけで配下の士気が自然と高まり、送迎団側のそれと拮抗する。

 ずいと突き出す槍先に濃密な殺意を込めて。


「悪いが尋常に勝負するつもりはない。これははじめから、表に出せぬ暗闘だ」


 老将ネイアスの言葉を合図に、敵の槍持ちがバルデアの周囲に集まり出す。逆に剣持ちは、バルデア以外の者を牽制するように位置取りを変えて。


 つまりこれは、バルデア狙い・・・・・・


 厄介な相手を真っ先に、それも多対一で葬るは戦場で当然の知恵。

 それも、槍構えに“格”を漂わせるネイアスを軸に周囲を固める槍持ちも、ただの手練れと思わせぬ剣呑さと落ち着きぶりを併せ持つともなれば、“三剣士”に拮抗し得る強烈な群気・・を放つ。

 その者達にバルデアは覚えがあったらしい。


「……“百本”か」

「知っているのか」


 バルデアの呟きにネイアスが意外そうな声音で応じる。


「噂だけは」

「なに、ただの“飾り”だ。実戦形式の槍仕合で、百連勝した者にだけ与える言葉だけの称号・・・・・・・……辺境ではそういう荒っぽいものが好まれる」


 ネイアスは事も無げに説明したが、凄腕百人抜きなど荒行どころの話しではない。もはや“達成”よりも“過程”に意義を見出すレベルの難行だ。

 なのに、その取得不可能なはずの称号を得た超人が、バルデアを取り囲んでいる者達なのだと云ったのだ。だが。


「悪くない」


 バルデアが洩らした感想はその一言。常軌を逸した槍の修羅達に囲まれながら、白髪の騎士に表情の変化は見られない。それが彼らの自尊心を傷つけたのは間違いなかった。


 ヴィヒヒヒヒ――!!

  ヴヒヒッ


 周囲にいた馬が次々と嘶き、怯えて惑う。

 周囲の温度が下がっていた。

 いや、そう感じさせるほどの高密度な殺意。

 それが“百本”と称された者達の身中に生まれて戦場慣れしているはずの軍馬を怯えさせたのだ。

 

「……火を点けたのは貴殿だ。楽には死ねぬぞ」


 ネイアスが身構えると同時に、周囲の者達がバルデアを押し包むようにジワリと動き出す。ただそれだけで、殺意の圧力が白髪の騎士を締め上げる。

 当然、眼前の危うい展開に弦矢も黙って見守るつもりはない。


「どうやら、儂の見せ場でもあるようだな」


 この好機を逃せぬと弦矢が慌てて歩み出せば、それを遮るように冷貌の士が現れる。

 月ノ丞である。


「おい……?」

「若が出るまでもありませぬ」


 そうではなく邪魔なのだ、と口を開きかけた弦矢に月ノ丞が先手を打ってくる。


「戦場では“臣下に露払いをさせること”が習わしとなっております」

「ん?」


 そうであったか、と思わず弦矢が首をひねったところで戦いが始まってしまっていた。


 ◇◇◇


 先に動いたのは、ネイアス達の殺気に当てられた敵味方剣持ち同士の戦いだ。

 バルデアの危機を感じて助けようとした騎士の動きに、相手が反応して激しく剣を叩きつけ合う。


「バルデア様っ」

「通すか!」


 金属音が鳴り響き、それが切っ掛けとなって他の者達も一斉に斬り結びはじめる。

 吐気と掛け声。

 唸る鉄剣に鈍い打撃音が重なる。

 暗がりに混じり合う擦過音と呻き声。

 その戦いは、バルデアによって敵騎馬を倒していたものの、はじまってすぐ人数差が露骨に顕れ形勢が一気に辺境組へと傾く。

 危惧したバルデアが顔を向ければ、


「助ける余裕などないぞ?」


 ネイアスが一歩、大きく踏み出した。

 それへバルデアの意識が集中する機を狙って、二人の“百本”が突きを放つ。


「!」


 バルデアが動いていた。

 明らかに届かぬはずの遠間から、伸びてくる瞬速の槍に反応させられた結果だ。その時には、他の“百本”が馬や人の屍を越えて最適な位置取りに変化している。

 だがその中心に、バルデアの姿はない。

 敵の予測より早く、目で追いつかせず、白髪の騎士は、ひとりの“百本”の傍らに滑り寄っていた。


 これぞ『剣巫女の舞踊靴シャーマニック・ブーツ』がもたらす運足の妙。


 驚きに目をみはらせる“百本”にバルデアの一閃が引導を渡す。



 ――――!!



 仕留めると同時に襲ったのは、ネイアスの槍。

 力感一段増しの一撃に、辛うじて身を反らして避けたバルデアは、勢い余って体勢を崩してしまう。

 その鈍りを見逃す“百本”ではない。


「「「けやっ」」」


 三方から繰り出された槍撃のうち、一本を躱せずバルデアは脇腹を浅く裂かれる。それでも巧みに剣合わせ、二本の軌道を反らして空隙を生み出し、そこにするりと身を寄せたところで。



 ドシ!

  シュ!

 シィ――!!



 間髪置かずに乱れ裂く、新たなる槍撃。

 それぞれが、まったく別の角度から繰り出されたにも関わらず、対処してみせるバルデア。それを冷静に受け止める“百本”達は、すでに位置取りを最適化し、“囲い”を断じて崩すことはない。

 だが、もっとも冷静なのはネイアスだ。


「貴殿、本調子ではないな?」


 初の対戦で、しかもわずかな手合わせだけで歴戦の老将はバルデアの不調を見抜く。


「だが、好都合と取らせていただく」


 無情に告げるネイアスの視線は厳しかった。

 責めきれぬどころか、手練れを一人失えばそれも道理か。そしてだからこそ、三十年以上を戦で鍛えぬいた老将の体躯に凄まじい闘気を漲らせる。


「まずは“三剣士”の首をいただこうか。――我が『オル・ガナス流』の一撃でな」

「――」


 その言葉に、バルデアの目がわずかに細められ、警戒感が一段高まるのも当然のこと。


 『オル・ガナス流』――。

 ガナス村出自で奴隷身分のオルが、ほうきを頼りに編み出した槍術の一技。

 そう。

 遣い手の多くが流派のごとく名乗るも道場や門下生など存在せず、術と口にしながら技と呼べるものは“突き技”ひとつあるきりだ。

 正しくは、突くという気構えのみが・・・・・・

 はじまりが憂さ晴らしなのか、何かを夢見ていたのかは誰にも分からない。ただ、オルが老齢まで繰り返し続けたその技を、あるじの子供を暴漢より助けるために使ったのが、最初で最後の実戦と語り継がれている。

 その突きは、気付けば箒を微塵に変え、それを代償として、暴漢の胴に風穴を開けたという。


 ただ一念を以て突くべし――


 オル・ガナス流の信奉者は、オルの遺した一言を信じ、一技に殉じて奇蹟を為さんとする偏執者であり、純真な武人でもある。

 だからこそ、告げる必要のない言葉を口にしたのは、ネイアスにとっての儀式であり、磨き上げた己の槍に対する矜持であったのかもしれない。


「……フゥ……」


 軽い吐気。

 一瞬、ネイアスの肉体から殺気がかき消えた。

 気配まで霞ませる偉丈夫の身に、戦意の当て処を見失ったバルデアが、ふと自身の鳩尾に殺意の針を感じ取る。

 刹那。




 ――――ッキ



 

 そこに剣を翳したのは本能によるもの。

 剣が折れなかったことが不思議なほどの衝撃。


「……っ」


 秘具による怪力を発揮する前に、激突した槍の衝撃そのままに、バルデアの身体が後ろへ弾き飛ばされていた。

 皮肉にもそれで、“百本”の囲い効果がわずかに乱される。

 だが彼らの反応に遅滞はない。

 瞬時に修正よりも攻撃を選択、ひとりは馬を踏み台に今ひとりは腰を屈めて上下からバルデアに襲い掛かっていた。


「「……」」


 二人の殺意がかき消える。

 まさか、こいつらまで『オル・ガナス流』を?


 バルデアの背筋が粟立つ瞬間――


 横合いから叩きつけられた斬撃が、跳び上がった“百本”を受けに回させた。

 弦矢だ。

 受けられた瞬間、身をくるりと反転させることで相手に向いた切っ先を、そのまま突き刺す変則的な妙技で葬り去る。

 そうなれば注意すべきは残るひとり。


「シッ」

 

 バルデアは、下腹に殺意を感じたタイミングで身体をズラし、カウンター気味に“百本”を斬り捨てた。

 ネイアスより技のキレが劣る相手ならば、できぬ芸当ではない。いつもの彼女ならば。


「……っ」


 顔を軽く歪め脇腹を抑えるバルデア。鎧に守られ鈍痛を感じる程度で済んでいるが、本来であれば躱せた攻撃だ。

 その不調を補うように弦矢が宣言する。


「助太刀致す」

「任せてくれていい」


 礼どころか、手出し無用と冷言するバルデアに、「そうもいかん」とやけに生真面目な声音で弦矢は食い下がる。


「儂には儂の、事情がある」

「?」


 バルデアが不審げに眉をひそめたが、背後の月ノ丞がどのような面持ちで耳にしているかは分からない。そもそも、無駄話をする暇など相手がくれるはずもなかったが。

 だが、迫る“百本”達の足がぴたりと止まる。

 その原因は――

 

「なんと、もう一度か・・・・・


 呆れ気味な弦矢の言葉にバルデアが唇を引き締めた。

 耳が馬鹿になっていて気付くのに遅れたが、洞穴を震わす蹄音が再び聞こえてきたのだ。

 ただし、今度はネイアス達にとっても想定外のことであったらしい。


「……どういうつもりだ?」

「ネイアス様、これは――」


 配下の動揺に、ネイアスが逡巡したのは少しの時間。

 すでに他の戦いは終わりを告げて、両陣営共に立っている者は自分達だけともなれば選択はひとつきり。


「すまぬ。ここが我らの“死に地”とする」

「御意」


 迷いなく“百本”全員が応じて、これまでの積極姿勢から、隙をさぐる慎重な姿勢に戦い方を切り替えた。

 その変化を敏感に察して、さらに彼らの意図を弦矢は鋭く読み取った。


「どうやら、儂らを逃さぬつもりだな」


 正確にはバルデアを。

 首尾よく騎馬突撃の第二波に巻き込んで警護の最大戦力をこの場で始末する考えだ。それをネイアスまで腹をくくって仕掛けるとなれば、確かに撤退が困難になる。

 だからバルデアの選択は即断であった。


「私が壁になる」

「させると思うのか?」


 嗄れ声に割り込んでくるのはネイアスだ。それに同意を示すのが弦矢だとは。


「確かに刻はなさそうだ」


 気付くのが遅すぎた。いや、第一波の時点で第二波分を途中で切り離し、はじめから近くで様子を窺っていたとも考えられる。今さらな話しだが。

 間近に感じる騎馬群の気配。

 その場にいる全員が騎馬の巻き起こす風圧を全身に感じ取る。

 バルデアが弦矢に叫ぶ。


「早く行けっ」

「行かせぬわ!」


 阻止せんとネイアス達が間合いを詰めてくる。

 そのすぐ背後に迫る騎馬影と蹄の音。


「がっ――」


 “百本”のひとりが騎馬に突き飛ばされ、疾駆する馬体を横目にネイアスが槍を振るう。

 その時、ネイアスとバルデアの間に入った別の騎馬が槍の一撃を受け、反対側にはバルデアの秘具を効かせた全力の当て身を喰らってしまう。


「ヴィヒッ」


 あばらを折られ、あるいは内臓まで抉られた馬の短い苦鳴。

 その隣では、“百本”の突きを躱した弦矢をすり抜け、踏み込んだ月ノ丞が鉄杖で相手を突き殺していた。


「おぬし――」


 弦矢が苦情を言いかけ、


「ヴィヒヒ!!」


 そこに襲い掛かる騎馬の突撃。


 なのに月ノ丞は悠然と向き合って――。


 その踏み込みは軽く短く、残り足が強烈なねじり力で地盤を抉る。そこから立ち上がる回転力が、背を抜け両腕に伝播し、鉄杖を瞬速の回転でねじり上げた。

 その一瞬に何が起きたかなど、騎乗の者に理解することはできなかったろう。

 鉄杖が馬の首筋にあてがわれ、こすり上げるように突き出される――ただそれだけの動きで、騎馬の突撃がいなされ、通り過ぎながらもんどり打って、横倒しになっていた。


 力真りきしんりゅう・杖術 

 護りの手――『春渦』。

 月ノ丞がこれまで習い、実戦で体験したことを煮詰めた創作の流派だけに、技法はわずか数種に収斂され、初伝が熟練度に応じて奥伝に至る流れになっている。

 それだけに、厳選された術理は極めれば尋常ならざる権能を発揮する。

 『春渦』もまた、武を嗜む者ならば到達する“捻りの妙”を芯とする技だ。

 熟練すれば敵のあらゆる攻撃をいなす“受けの極み”を体現でき、それが月ノ丞の域にもなれば、騎馬の突撃すらも微風と流す。


 それが二頭、三頭と。

 馬鹿げた事象を数度にわたって体現し、月ノ丞はあるじを危地から守りきる。

 そのあるじが、まさか後ろで渋い顔して機嫌を損ねているなど知らぬまま。

 やがて台風一過。

 再び砂埃が吹き荒れ、松明は散乱し、暗がりの中に静寂が舞い戻る。


「おい、無事か!」


 後方から呼びかけるのは、カストリック。

 後方警戒のため、後衛組についててもらったために難を逃れていた。


「ごほっ……そのまま、じゃ!」


 弦矢は声を張り上げ、片手を高々と上げる。

 見えるか見えないかは分からぬが、カストリックには現状維持でいてほしかった。

 洞穴内に騎馬の突撃を仕掛ける阿呆が相手だ。後方警戒は外せない。そうはいいつつも、二度も突撃を仕掛ける念の入れようならば、次の手は自然と読めてくるのだが。


「……そうだ、留めを己の手でしたくなる」


 埃舞う先の暗闇に、幾つもの明かりが揺らめいていた。

 誰かがやってくる。

 いや、騎馬の突撃をさせた仕掛け人が。


「バルデア卿は?」

「……ここだ」


 先ほどより離れた位置で、倒れた人馬で折り重なっていた人影が“百本”らしき遺体をどけて、ゆっくり立ち上がる。


「ようやく、本命のお出ましか」


 唇を拭うバルデアに弦矢が秘薬を渡そうとすると拒まれる。


「……次は『俗物軍団』が相手だ。他人に薬をくれている余裕はないぞ」

「そういうことだ」


 意外にも相づちを打ったのはネイアスの声。

 先ほどと変わらぬ位置で膝を着き、槍を杖替わりにこちらを睨んでいた。その片足は奇妙な方向に折れ曲がっていた。

 それでも足一本で済むならマシだ。彼の配下で立っている者は誰もいないのだから。

 ここまでする必要があったのか?

 これではただの犬死にだ。

 弦矢達の視線を感じたからか。


「……より勝利を掴める策を選択しただけだ。これでダメなら、どのみち、貴殿らには届かなかったということだ」

「じゃが、死に方というものがあるだろう」


 ネイアスの視線が、弦矢へと向けられる。それを真っ向から受け止めながら弦矢は云う。


「味方を踏みにじる戦い方に、何の価値がある。其方らの“槍”は、このような形で終わらせるべきものではない」


 だが弦矢の言葉にネイアスの表情は動かない。暗闘と口にした老将は、この結末を受け入れていた。

だから“先の話”の続きをするのだろう。


「……“魔境士族”だったか? 『幹部クアドリ』を倒したのは褒めてやる。それでも、こと戦闘においてのみ『俗物軍団グレムリン』の層はすこぶる厚い。これからが本当の戦いだ。そしてそれ以上に、オーネスト様がいるかぎり、我らに負けはない」

「弱い者ほど、小手先に走ると言われるがな」


 弦矢の皮肉をネイアスは「勝利に貪欲なだけだ」と応じる。


「奴らは生きるために勝ち続けねばならない。そういう環境に身を置く者が、弱いはずがない。まして奴らを束ねるオーネスト様は、大戦の――」

「英雄か」


 後を取ったのはバルデアだ。


「英雄がこの地に来ているなら、むしろ好都合だ。因果の種をこの手で葬り、ルストラン様の苦しみを消し去れるのだからな」

「?」


 “百本”に囲まれた時でさえ、泰然としていたバルデアの身より異様な戦意が立ち上る。それを訝しむのはネイアスだけでなく弦矢達もだ。


「この先か、奴がいるのは?」

「そうだ」


 素直に答えるネイアス。

 もちろん、バルデアの戦意に気圧されたためではない。

 槍に体重を預け「だがっ」と気力を振り絞りながら、片足で立ち上がる姿は、軍団長に相応しき戦意に溢れている。


「辿り着けはせんぞ!」


 そのすぐ背後には騎馬の影。

 現れたかと思えば、ネイアスを突き飛ばして馬が荒々しく鼻息を鳴らす。


「ぐぅっ」


 地べたに這うネイアスに唖然とする一同。

 老将の背を馬の前肢で踏み締めながら、騎乗の男が「結構スッキリしたなぁ」場違いとも思える軽薄な感想を洩らす。

 そしておもむろに宣言した。

 なんとも横柄に。


「そんじゃ、とっとと終わらせようか」

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