第85話 秘密の王道

公都『北街区』

 ヨーヴァル商会の某家屋――



 陽が昇るにまだ早い頃、弦矢は不思議と刻限通りに目が覚めた。

 昨夜の就寝はいつもより遅く起床するには早すぎたが決して寝覚めは悪くない。

 むしろ冴えているくらいか。

 雨戸を軽めに開いて夜明かりを採り入れ、“べっど”なる寝具の上に此度の潜入装具一式を並べて、手早く身支度を整える。

 着替えの際、異国の服に手を伸ばしかけ、弦矢は一瞬ためらい、持参していた荷物に一瞥くれた。

 首尾良く事を成し遂げれば、代理とはいえ、一国を束ねる者との顔合わせが待っている。諏訪家の代表として恥ずかしくない某かの礼装をとの念が過ぎるのも当然だ。

 だが道中、汚物を流す『下水道』なる汚穢な場所を歩きもすれば、目指す執務室への道行きも血を流さずに済むとは言い切れぬ。

 ならばこそ“汚れてしまえば皆同じ”と己に言い聞かせ、弦矢は礼装の考えを振り払う。どのみち、隠密行動を念頭に身軽で動きやすい軽装にしようと皆で取り決めてもいた。自分がそれを破るわけにもいくまい。

 当然、得物は腰に差す大刀ひと振りに、懐の小柄こづか二本のみ。

 防備については、トッドから革鎧の着用を奨められたが、肌感覚・・・が鈍るのを良しとせず腹にさらし・・・を巻くに留めた。

 最後に松明替わりになるとの触れ込みで、トッドから渡された『月のペンダント』の方はありがたく拝借し、首に通して服の内につり下げた。

 以上、これにて憂い無し――。

 あらためて大刀の座り・・を調整し部屋を出たところで、ちょうど隣室から出てきたエルネやエンセイ達と互いに顔を見合わせた。

 ああ、そうであろう。

 今日この日に、眠れぬ事があったとしても寝過ごす事などありはしない。

 エンセイ達の落ち着き具合は当然のものとして、エルネの凜とした面立ちに気負い過ぎた様子は微塵もなく。

 弦矢は無言で挨拶を交わし合い、連れ立って裏口から外に出た。


「お、みんなおそろいか。……いいパーティになれそうだな」


 下水道への侵入口で、先に来ていたらしいトッドがあいさつ替わりに手を挙げた。連れ立って歩く弦矢達に肯定的な笑みをみせるのは、一流探索者としての経験則によるものか。

 少なくとも、彼の足下にある石蓋はすでに開けられており、事前に中の様子を偵察してきたと語るのは、確かに一流らしい振る舞いと言えるだろう。


「降りたらあっち・・・の方向だ。幹線に合流するところまで見てきたが、『糞喰らい』もいねえし良好だ」

「臭いを我慢すればだな」


 あっち・・・を指差すトッドに、ミケランが“良好”を皮肉る。無論、一度通った経験がある以上、我慢できぬはずがない。ただし、エルネだけはそうもいかなかったようだが。

 ひとり、小袋状の何かで顔半分を覆うエルネにトッドが具合を確かめる。


「どうだい、芳香付面貌フローラル・マスクを付けた感じは?」

「~~~~」

「あん?」

「~~~~」

「へっ。そうかい」


 腕を振り何かを訴えるエルネにトッドが肩をすくめて応じると、気になったらしいミケランが問いかけた。


「姫は何と?」

「さてね。とりあえず、マスクを外さないと会話ができないことは分かった」


 改良の余地ありだとトッドが腕を組むのをミケランが白い目を向け、マスクを外したエルネが「ちょっと息苦しいっ」と喘いでいる。


「おいおい、特注品を間に合わせで作らせたんだ。無理は言いっこなしだぜ。で、肝心の匂いはどうなんだ?」

「それは、まあ……悪くないわね」


 それは当然であろう。

 エルネは知らぬことであったが、製作してくれた『スコピオの雑具店』は『協会ギルド』公認の探索用具の専門店であり、器用さがウリの『草原族ハーフリング』一家が知恵と技術を絞って開発から製作までを手がけた力作なのだ。

 もちろん、許された開発期間はあまりに短く、彼らの才を存分に発揮し得たかと云えば疑念は残る。

 事実、袋の内側をハーブ香で焚きしめ、さらに、濃度を高めたハーブ茶をたっぷり染み込ませたガーゼを内張りすることで、臭いを防ぐのでなく、より強い香りでねじ伏せるストロング・スタイルを選択せざるを得なかったことに、一家の大黒柱が床を転げ回って不満を露わにしていたのは家族しか知らない秘密であった。

 とはいえ。

 これが商業ベースに乗ることにもなれば、粉塵や悪臭など悪条件に苦慮する大陸中の鉱夫や探索者達にある種の天啓をもたらすことは確実だ。

 そして、商人や開発者達には多額の恩恵が。

 だからこそ、この試作品を作るにそれなりの資金を投じており、軽い口調とは裏腹にトッドが真剣になるのも当然であったろう。

 すべてはエルネのあずかり知らぬ事ではあったのだが。


「ま、ホントのところは下水道に入らねえと分からんだろうがな。とにかく、使い心地をよっくと確認してくれよ? 後で感想を聞かせて欲しいんだ」


 改良を加えて売り出したいからな、との企みは小声になって誰にも聞こえなかったが。

 そんな皆の雑談をいつまでも聞いているわけにもいかない。誰もが集中力を失う夜明け前に城内潜入を果たすのが計画の要だ。

 出発が遅れぬよう、皆の注意を引き付けるつもりで弦矢は声高にトッドへ声を掛ける。


「手筈通り、商会側には街中を自在に動き回るための探索だと説明しておいてくれ。後方の陣頭指揮はおぬしに託す」

「ああ、任された」


 弦矢はトッドに念押した後、その場にいる者へ顔を向けた。

 見送りは、トッドのほかには拠点からの第二陣として着到した新規の顔ぶればかり。その表情がいくぶん冴えないのは、急遽、居残り組にされたがためだ。

 当初の予定では、後方支援組として途中まで一緒に同行する予定であった。しかし、策の再確認中に道中の道幅や城内の狭さから人数の投入に期待するほどの効果はなく、むしろ動きが鈍りアクシデントも起きやすくなるなどの理由から、この場で待機する修正が為されたのだ。

 結局は先発の五名による隠密行動が何よりの上策との判断だ。

 ただ、判断の正当性を頭では分かっても、当主の身の安全に対する心配はもちろんのこと、活躍の場を失った無念は彼らの胸にわだかまる。それを押し殺すからこそ、ひとりひとりが声を掛けてくるのだろう。


「若、お気を付けて」

「月齊殿、若を頼みましたぞ」


 そうして掛けられる声はエルネ達三人にも。

 エルネはマスク越しに何かを口にし、ミケランは黙って受け止め、エンセイはわずかに顎を引いて三者三様に応じる。


「では、行って参る」


 最後に弦矢が締めくくり、潜入組一行は真っ暗な下水道へ身を投じるのであった。


 ◇◇◇


 縦穴から降り立つだけで、己の身は暗闇という沼に呑み込まれ、まるで水圧がかかるように地下特有の圧迫感に押し包まれる。

 それに抗うのはペンダントから放たれる光の輪。

 わずか二間(3.6m)にも満たぬ範囲であっても、闇を払いのける明かりは人の心を励ましてくれる。

 先導するミケランの記憶を頼りに、下水道を黙々と進んでいた一行に少しの余裕が生まれるのも必然であったろう。


「……床も壁も石畳」

「天井もすべてがそうだ」


 背後の月齊の呟きに、弦矢が驚きを込めて補足する。


「しかも糞尿を流すというには、思ったよりも臭いませんな」

「湖の水を引いているからだと云っていたが」


 凄いものだ、との感嘆を弦矢は咽奥に押し込んだ。このような大それた施設にどれほどの金銭と労力が注ぎ込まれたのか。

 先日の鬼灯と同じ感慨を弦矢もまた味わっていた。

 妖術に物の怪、街ごと取り囲む城壁に地下に張り巡らされた糞尿の処理施設。

 この異境の地には驚くべきものが次から次へと現れる。怖ろしくもある反面、他にどんなものがあるのかとわくわくする気持ちも確かにあった。


「まったく……」

「~~」

「いや、何でもない」


 前を行くエルネが振り返るのを弦矢は首を振り先を促した。


「早く下水道の先を見たいものだと思ってな」

「~~」


 訝しげに見られたが、エルネもすぐに前へ向き直る。城内に潜入してからが本番だ。こんなところで時間の浪費をするわけにもいかないことは、姫も十分分かっている。

 それからしばし、暗がりで歩みは遅くなりがちだったが、下水道の道行きはしごく順調と云えた。

 はじめの枝線から幹線路に合流してしまえば、あとは上流に向かうだけで西街区の地下に至り、さらには公城の地下まで自然と辿り着く。

 そうして最上流部の分岐路で一行は壁に阻まれ立ち止まることになった。


「壁の下を汚水が流れてくる。城内への侵入防止策と考えれば当然か」


 盲目の月齊に状況を伝えるべく弦矢は見たままを口にする。

 落ち着き払っているのは、ごく自然な振る舞いでミケランが通路の壁に顔を近づけ、何かの確認を始めたからだ。

 昨夜の話し合いでは語られなかったが、これも想定内の作業なのだと黙して見守る。それもエンセイが手伝い始め、ミケランが「おかしい」と口にしたところで状況が一変してしまうのだが。


「いかがされた?」


 さすがに不審に思った弦矢の問いに、残念ながら想定通りの答え・・・・・・・が返される。


入口がない・・・・・。いや、あの時私たちが通り抜けた出口がない」


 唸るミケランに「場所は? 真にこの場で相違ないか?」と弦矢が重ねて問えば、エンセイもここで・・・よい・・と実に渋い顔で断言する。

 よいどころか、非常によくない・・・・答えだ。


「ここにうっすら・・・・とだが、枠囲いの隙間が入っている。おそらく、扉がカラクリ仕掛けになっていて我らが通った後、出口が勝手に閉じられてしまったのだろう」

「ならば、それを開ける仕掛けもあるのでは?」

「かもしれん。だが、万一にそなえた脱出路だと考えれば、“一方通行”に造られていても不思議ではない」


 つまり逆側から・・・・開けられぬように・・・・・・・・造るものだと。

 私見を述べるほどエンセイの声には苦みが混じり、「~~」とエルネが動揺をみせている。不安がる公女の様子に焦りをみせるのはミケランだ。


「お待ち下さい。何か方法を……」


 通路枠を縁取る壁の隙間に指を立て、懸命に開こうとしたり、押してみたりと試みる。

 エンセイも力を合わせたが、壁はぴくりとも動かない。


「~~!」

「ええ、このミケランが何としてでもっ」

「~~!」

「こんなことで、出鼻を挫かれるわけにはいきませんっ。……ぇえいっ」


 エルネの声援(?)が熱くなり、奮起したミケランが腰の剣に手を掛ける。そんなものでこじ開けられるとは思えないが。

 弦矢が疑念に眉をひそめたところで、興奮したエルネがマスクをずり下げ、声高に叫んだ。


「だからっ、なんで『鍵』を使わないのよ!」

「はい?」


 その場にいる全員が不審感を抱いたのは当然だ。元より鍵があるのならこんな苦労はするものかと。だがエルネは焦れったそうに指摘する。


「あるじゃない、『解き明かしの鍵アンラベリング・キー』が。トッドが手に入れてくれたやつ、まさか置いてきたわけじゃないでしょうね?」


 そう軽く睨まれて、ようやくミケランの顔に合点がいった表情が浮かぶ。それは他の面子も同じだ。確かに、カラクリ仕掛けの扉に対応できるとトッドが云っていたのを思い出す。


「……さすがは姫。私などは城内で使うものとばかり思い込んでおりました」

あれ・・はただの例えでしょ。空でも海の果てでも、そこにあるのがカラクリ仕掛けの扉なら、通用するのが『魔導具』ってものよ」


 「まったく」とエルネはそこで息をつく。


「おかげでうん○の臭いをたっぷり吸い込んでしまったわ。……もういらないわね、コレ」


 言葉遣いもあれであったが、マスクの紐に指を掛け、くるくると回してみせるぞんざいな・・・・・扱いもどうなのか。このままだと、印象だけで「たいして役に立たなかった」と結論づけられてしまいそうだ。トッドの野望も塵と消えそうだ。

 

「念のため、離れていて下さい」


 ミケランが腰の袋から球体状の何かを取り出した。おそらく『鍵』と呼んでいた『魔導具』なるものだろうが、てっきり名前通りの鍵形かと思えば、そうではないらしい。

 球体の真ん中には崩れた意味不明な文字がぐるり一周する形で掘られており、その文字を真っ二つにする感じで裂け目が走っている。

 ミケランが両側から掴んで手首をこねれば、裂け目を軸にして、球体がカチリと回った。

 そこで崩れていたかに見えた文字の一語一語が明瞭な単語を表し、淡く輝きだしたではないか。

 後で弦矢が教えられたことによれば、完成された“魔術の秘文”がその効能を発揮した証らしい。



 ゴリゴリと。



 石の擦り合う音と共に、壁の扉が開いてゆく。思わず「おお」と弦矢は感動の声をあげてしまう。


「このようなことが……」

「これが『魔導具』です」


 少し誇らしげなエルネの説明が入る。


「例え魔術を使えない者でも、あのように“力ある文字”を完成させれば、道具に込められた魔術を簡単に発動できるすぐれもの。

 秘術を修めた本物の錬金術師だけが製作でき、暮らしに役立つものから探索や戦争に使われるものまで、あらゆる道具が大陸中で開発されているのです。もちろん、我が国でも」

「むぅ」


 エルネは何気なく教えてくれるが、弦矢にとっては驚嘆すべき事柄だ。

 妖術使いが当たり前のようにありふれているだけでも凄いのに、術士でない者までが簡単に術を使えるなど、感動する反面、怖ろしくもある。


「戦で使われるというのは……実に脅威だな」

「……そうですね。ですが幸いにも、『魔導具』を武器にしたところで威力はさほど期待できません。それというのも、核となる紫水晶オド・クリスタルに大きな結晶がないことと、技術力が追いつかないためです」

追いつかない・・・・・・、とは?」


 弦矢の疑念に「ああ、そうでしたね」とエルネは説明不足に気づき補足してくれる。


「『魔導具』って、実は模造品なんです。太古に栄えた文明が産み出した『魔術工芸品マジック・クラフト』――それを自分達の手で再現することを切望した錬金術師達の“夢の欠片”なんです」


 そう遠くない昔まで、『魔術工芸品マジック・クラフト』は製造されていたと考えられている。しかし、『白の時代』と呼ばれる期間に何かが起こり、継承されてきたはずの重要な技術はほぼ失われてしまった。

 そうしたものの復活を志した一部の魔術師が分派して錬金術師を名乗るようになったのだという。


「元来、その名の通り“金の生成”や“秘薬造り”に没頭する研究者達を呼び表していましたが、今では『魔導具』制作者を差すのが一般的な認識です」「金に秘薬……いずれにしても、『錬金術師』とやらが夢追い人であるのは確かだな」


 弦矢の感想に「確かに、変わり者扱いされてはいますね」とエルネの声に笑みが含まれる。


「彼らも研究が主で、店を持って売り出すのは資金稼ぎのためですから、やはり商売向きではないのでしょう」


 つまり客対応が悪いというか、そもそも人付き合いが苦手なのだと。

 まあ、弦矢の知る限りでも物作りに秀でた連中の大半が偏屈者ばかりだ。それが異境であっても同じということなのだろう。


「儲けをすべて研究に注ぎ込むらしく、お店もこじんまりとしているんです。そうだ、この件が落ち着いたら、ご案内しましょうか?」

「是非に」


 エルネの弾んだ声に弦矢は思わず即答する。自分で思う以上に、『魔導具』なるものに興味をそそられているようだ。

 状況を忘れたかのように二人が話しに夢中になっているうちに、道は大きく曲がって方向を修正し、感覚的には先ほどの“壁に阻まれた一線”を越えてなお奥へと延びる。

 しばらくしてミケランが足を止め、「ふむ」とエンセイも何かを感じたらしく考えに耽る。何となくだが、二人が同じ何かに引っ掛かりを覚えているように感じられるのだが?


「この先、道が広くなっているようだ」

「え?」


 振り返ったエンセイの説明にエルネも問題を察したらしい。「どういうこと?」との問いかけにエンセイは黙って首を振る。


また・・、何か違うのだな?」


 弦矢の呼びかけにエルネは自信なさげに頷いた。


「たぶん。ですが、あの時・・・は夢中で……通路の広さなどしっかり確かめたわけでもないので」


 それは他の二人も同様らしく、今いる通路に違和感を覚えるものの、ここまで分岐路がなかったのも確かであり、戸惑っているように見える。


「戻って今一度確かめる手も……しかし」

「うむ。ここまでだいぶ歩いている。あまり時間をかけるのもよろしくない」

「なら二手に別れましょう」


 二人の迷いをあっさりと断ち切ったのはエルネだ。


「確認するだけなら危険はないでしょ? なら、ひとりに任せてあとは先に進むのよ。異論は?」

「ありません」


 キビキビとしたエルネの判断にミケランも迷いなく即答し、すぐさま弦矢へ願い出る。


「では、ご当主。そちらから一名、捜索のご助力をいただきたく。この先は心せねばならない・・・・・・・・ため、我らが先導する以外にありませんので」

「構わぬが、“心する”との真意、聞かせていただいても?」


 弦矢の問いかけにミケランは答えずエルネに目線を向ける。大公家の秘事なれば、自分から安易に口にはできぬということか。あるいは、彼女にしか分からぬ情報もあるのでは、との気遣いかもしれないが。

 故に、答えたのはエルネだ。


「“秘密の王道”は城から脱ける・・・・・・のがその本道です。当然ながら、今の私たちのように侵入路として使われる・・・・・・・・・・ことなど、あってはならぬ不始末」


 それを防ぐために、防止策を施されているのだと。

 先ほどのような自動的に戸締まりする仕掛け以外にも、招かれざる侵入者を撃退するための死の罠を仕掛けているのだとも。


「おそらく、一番の安全なルートは城を脱けるときに通ったルートです。それを使えないのは残念でなりませんが、ここも道として使われる以上、大公家にのみ伝わる“回避方法”があるはずです。……私が成人していれば、お父様から教えていただけたのかもしれませんが……ごめんなさい。詳しいことは私にも分からないのです」

「いや、危険があると事前に知れただけでも大きいな」


 弦矢は満足して「そうであるならば」と逆に提案を試みる。どこか意気揚々と。


「この先、何があるか誰も分からぬというのなら、それこそ我らの出番だろう――月齊」

「お任せあれっ」


 弦矢の呼びかけに、これまで黙していた侍が背後より滑り出る。あまりに静かな物腰に、今の今まで同行していたことを忘れられていたようだ。

 エルネ達の驚きをよそに、月齊に続き弦矢までがするりと一行の先頭に立ち、「では参ろうか」と云わんばかりに振り向いた。


「すまぬが捜索の一名は、そちらから願おうか」

「ご当主――」


 慌てるミケランを弦矢は制す。


「元より、月齊はこのために連れてきた。承知の通り此奴は盲しいだが、それ故に、誰よりも目端が利・・・・・・・・くのでな・・・・


 揺るぎない言葉に信頼の二字を感じさせて。

 弦矢の力強い言葉に、エルネも表情を引き締めて「では、よろしくお願いします」と片手を胸に依頼する。それは正式な発言であることを相手に伝えるための作法であったろうか。だからこそ、ミケランは異論を呑み込んだに違いない。

 結局、捜索に戻るのはエンセイに任された。

 戦力的なことを考えれば“三剣士”であるエンセイを同行させるべきであったが、警備長としての責務を主張するミケランにエンセイが譲る形で決着とあいなった。


「できるだけ早く合流する」

「無理はしないでエンセイ様。先に行くけど、罠があれば目印を残しておくから見落とさないで。マスクとかね」


 トッドが聞けば拗ねてしまいそうなことを云い、エルネは慎重さを老剣士に言い含める。

 足早に去るエンセイを見送った後、一行は再び進み始めるのであった。


 ◇◇◇


 道はさほど歩くまもなく、変化を遂げる。

 石畳の床だけでなく石組みの壁や天井までが剥き出しの堅い地盤に移り替わり、手掘りと思しき通路であったものも、やがて自然の洞穴に変貌することで、一行の戸惑いと不安はさらに大きくなった。

 やはり皆で戻るべきであったかと。

 その後悔は、辿り着いた先で深い困惑に塗り替えられる。


「ここは……どういうこと?」


 エルネの声はどこにも反響することなく、広い空間に吸い込まれて消える。

 魔術的効能で光の届く範囲がきっちり限られるペンダントでは、とても全体像を把握することが叶わないほどの広さと奥行き。

 しかもほこり臭かった空気は冷たく澄んで、感じていた圧迫感からの解放には喜びよりもやはり戸惑いの方が大きかった。


「姫はそのままに。皆、気を抜くな」


 不安げに暗闇を見回すエルネを中心に、弦矢達は自然と防陣を張る。この異境の地なれば、物の怪を“死の罠”に使っても不思議ではないために。


「月齊――?」

「何も。罠についてはご容赦を」

「松明がある」


 空間の出入口近辺で見つけたらしきミケランが、腰の袋から火口箱を取り出し火を灯す。

 途端に光量は劣るものの光の輪がさらに広がって、朧とそこにある光景を淡く浮き上がらせた。

 その広さよりも、天井までの高さに驚く。

 いつの間に、深く下っていたのか。


「城の地下にこんな洞穴があったなんて……」


 人の手が入ってない純粋な洞穴にエルネが感じ入ったように呟く。だが弦矢が思うのは別のこと。


「洞穴を辿るとなると、ちと厄介かもしれん」

「然り。目印なくば、枝道に迷うことも」


 同意するは月齊。

 二人の会話にエルネも事の危うさに気付いたらしい。


「先ほども云いましたが、大公家の者が気づけるような“目印”が刻まれてるようなことは……」

「うむ。それはあり得る話しだ」

「さすがにそれについては、お任せするしかありませんな。代わりに――」


 目視できぬ月齊が、己の役目を果たすべく前に出る。

 一定の拍子に合わせ、足下を『九節棍』で振り払い、月齊はするすると歩を進ませる。

 己が身を晒すことで、罠の有無を確認する。

 そしてまた、めしいた彼がペンダントを提げるのは、他の面々の視界を確保するためだ。

 その甲斐あって、罠が無いことを知り、空間の全容も見えてくる。

 右手にも今来た道と同様の横穴があり、真っ正面には石組みで枠取られた出入口が真っ黒い口を大きく開けていた。

 ひとつの光明は、上方の横に渡された石柱に何かの文字が彫られていたことだ。


「姫、読めるか?」

「あれは神意文字ね。……【大人】? それに【見る】かしら。他は……」


 エルネはしばし唸っていたが、やがて根負けしたように首を振った。


「ごめんなさい。難しくて読めない単語が……叔父様なら読めたのでしょうけど。神智学を多少囓っていたのも、叔父様が教えてくれたから」


 ルストランの書斎には、その手の本が多かったらしい。


「魔術教書なんかだと、挿絵がたくさんあって……不気味だけど惹かれるところもあって。怖い物見たさ? みたいな。

 叔父様には、よく挿絵の意味を教えてもらったの。……考えてみると、私が興味を持っていることをひどく喜んでくれたような気がする」


 どこか寂しげな声に「そうか」と弦矢はできるだけ端的に応じる。余計なことを思い出させたかもしれないと、他に言葉を探して。


「何か意味があるのだろうが、分かったところで役に立つとも限らん。少なくとも、進むべき道が決められただけで十分であろう」


 これほど分かり易い目印なら、見逃すこともあるまいと。


「【見る】というのなら、ここからが本番と云うことかもしれん。心しろ、月齊」

「はっ」


 月齊が探りの『九節棍』を再び足下で振りだし、慎重に歩を進めてゆく。

 そして石組みの枠に足を掛けたところで、次なる異変を察することになった。


 ◇◇◇


「――待て」


 弦矢の制止に月齊の歩みがぴたりと止められた。

 同時に「光が……」エルネやミケランも異変に気付いたらしい。


「若?」

中が見えぬ・・・・・。首飾りの術が効かぬらしい」


 まわりをみれば、月齊を中心とした光の輪があり、壊れたわけでないことは明らかだ。

 だからこそおかしい。

 まるで闇に吸い取られたように、入口より内側がまったく視認できないのは。

 誰もが本能的な恐怖を抱くに違いない真の闇へ、だが、月齊は不敵な笑みさえ浮かべて躊躇なく踏み出す。


「それこそ、我がここにいる意義――」


 月齊の姿が闇に呑まれた。

 弦矢は続くことなく黙って見守るのみ。



 こつ、こつ、こつ……

 こつ、こつ、こつ……



 月齊の九節棍が刻む律動が、闇の中から響いてくる。

 それだけが盲目の侍が無事であることの証。

 真の闇にあって、彼の生命を感じさせる心音だ。

 それがふいに途切れやしないかと、見守る方が嫌な予感に苛まれ、焦らされる時が過ぎて。

 長く感じたが実際には短い時間であったろう。

 ぴたりと止められた棍の音が、再び響き始めたときには変化していた。


「ゲンヤ様……?」

「中は部屋になっているのやも」


 エルネの懸念を弦矢が払う。

 まっすぐ歩いていた月齊が左に移動していると弦矢は看破していたからだ。途中も拍子の調子に変化があり、障害物となり得るものがあったのだと受け止めてもいた。

 そんな些細な障害も罠のひとつと捉えるのは穿ち過ぎか?

 光も通さぬ異常な暗闇は厭が応にも不安を掻き立てる。

 勝手に闇に潜む存在を妄想し、息を詰め、耳を澄まして、何事にも反応できるよう神経を研ぎ澄ます。

 それは溢れる寸前の水瓶に等しい危うさ。

 ちょっとした刺激で――段差や凹凸に躓くか、あるいは小さな物音を耳にしただけで、心の均衡は破られる。

 胆力の無い侵入者であれば、恐慌を来し、這々の体で逃げ帰ってもなんら不思議はない。


 だが闇を友とする月齊にそんな醜態はあり得ない。


 冷静に隠された出口を捜し出し、朗報をもたらすのは時間の問題であったろう。

 果たして、弦矢の読み通り「お待たせしました」と踏み込んだときと変わらぬ月齊が出入口に現れた。


「――中に異常なし・・・・・・。強いて挙げれば、足下に気をつけていただくのと、出口らしき横穴が少々変わった位置に・・・・・・・あることくらい、でございましょう」

「うむ、ご苦労」


 事も無げに告げる月齊に、弦矢は苦笑を顔に出さず労ってやる。

 実際、月齊の案内で確認した横穴は、手を伸ばすだけでは届かぬ高さに設けられ、発見するにはよほどの幸運が必要とされる厭らしい仕掛けとなっていた。

 月齊曰く「風の流れが違っていたもので」とのこと。やはり彼ならではの研ぎ澄まされた感覚あっての発見だろう。


「何も知らぬ侵入者を阻み、万一の追っ手があってもこの落差で怪我を負わせられる――仕掛けを知る者だけが、無傷で脱けられるというわけか」


 良い造りだと、弦矢が褒めれば「でも陰険ね」とエルネが呟いている。


「ですが、胆力を試すにはよろしいかと」


 意外な評価を下すのはミケランだ。


「騎士長候補に課せられる試練にも、『モルドール霊地』の夜間単独踏破がありますから」


 ミケランの説明によれば、北の辺境にあるモルドール山には大規模火災で多くの『怪物』などが焼死してしまい、通常であれば食われたり腐ったりで処理されるはずの遺骸が残った挙げ句、死霊が頻発する霊地になってしまった山地があるという。

 そこに胆力と武力を示すため、騎士長候補が送り出されるらしい。


「あの地は瘴気がこもるせいで、月夜の晩でも視界が悪く、ただでさえ枷を付けて戦うようなもの。その上、『徘徊する遺骸リビング・デッド』をはじめ『蒼白き魂狩りレイス』やさらに格上の『黄疸の吸魂鬼ワイト』が出没するとなれば、求められるのは我武者羅に戦うことではなく、いかに機転を利かせ切り抜けるかということ――」


 それに気づけるかどうかだと。

 当時の苦難を思い出しているであろうミケランは、そこでだが、と口調を変える。


「懸命に剣を振るい、凍えるような死霊の手を払いのけて肺が破れんばかりに激走したときよりも、不思議と鮮明に覚えているのは、あの地に挑んだ瞬間の方なんです。

 違うのです――あの地とこちら・・・との空気が。いえ、空間が。闇という沼に身を浸すようなあの感覚。

 あのような地にたった独りで踏み込むと、わけもなく背筋に悪寒が走り、どうしようもなく心細くなってくる――暗がりは・・・・、人を弱くするのです」


 説得力のある言葉に、顔を強張らせていたエルネが、「……騎士団て、そんな過激な試練をやらせていたの?」と別の感慨を強く抱いたらしい。それにミケランは平然と。


伝統ですから・・・・・・

過激なことが・・・・・・? まさかここの罠もおかしな伝統・・・・・・を踏襲してないわよね」


 引き気味に不安がるエルネに「心してゆくべきであろう」と弦矢が応じる。


「これが侵入防止の策である以上、奥に行くほど危うくなるのが道理であろうからな」


 ちなみに、“闇の間”に踏み込む前、エンセイへの道標として、エルネが入口に石ころを並べて“矢印”を描き残したのは言うまでもない。さすがにマスクまで添えたりはしなかったが。

 同様に、出口と思われる横穴でエンセイを案じて先に進むことを一行は躊躇することになる。


「待って。このまま私たちが進んだら、エンセイ様が追ってこれなくなるわ」


 エルネの制止に皆の動きが止まり、ミケランが同意する。


「確かに、さすがのエンセイ殿もこの位置にある出口を見つけられるとは思えん」

「じゃが、悠長に待ってもおれん」


 弦矢が渋るのは、予定ではすでに城内に潜入している頃合いだからだ。それがいまだに地下道をさまよっているのだから、焦りもしよう。


「もうすぐ夜明けだ。早い者なら起き出してこようし、我らが闇に紛れる絶好の機会を逸することにもなる」

「ですが私たちはたったの五名。“三剣士”という戦力を無用に外してよろしいのでしょうか?」

「うむ……」


 エルネの訴えに弦矢も一瞬言葉に詰まる。

 この潜入策はすでに綾がついている・・・・・・・。だとしたら、この先ひとつの問題もなく進めるなど、楽観にすぎると。

 ならば、有事における老剣士の力は、決して手放してならぬものではないのか。

 中腰を強要させられる低い横穴に苦慮しながら、四人の意見はふたつに割れる。そのような問答する間も惜しいというのに。

 弦矢がミケランを見やる。

 すぐにその意図を察したらしい騎士は、姫に身を寄せわずかに身構えた。


(やはり――)


 弦矢は胸中で唸る。

 警護の責務に忠実な騎士は、姫と離れ、独り残ることを良しとしまい。当然、この場に姫ひとりを残すのは論外となれば。


「儂と月齊とで先行し、罠などの探りを入れて少しでも早く進める努力をするしかあるまい。姫はミケラン殿とこの場に残っていただき、エンセイ殿と合流していただこう。それでどうだな?」

「お二人が……」


 エルネが迷いを見せたのは、危険な役目を二人に押しつける負い目からだろう。だから弦矢は気にするなと気楽に告げる。


「なに、どのみち先方は儂ら二人。それが少し突出して先行したからといって、何が変わるわけでもない」

「……それはそうなのでしょうが」

「ふたつの意見を両立させる案は他にない。無茶はせぬ。信じて、任せてくれ」


 弦矢が強く言い募れば、エルネも頭ではそれしかないと分かってはいるのだ。やがてゆっくりと頷いた。


「……弦矢様、決してご無理はなさらぬよう」


 ◇◇◇


「……これも仕掛けのひとつか」


 中腰で進まねばならない狭苦しい通路は、地味にふたりの神経を削り取っていた。

 得物をろくに振り回せず、動き回ることもできぬこの状況下で、万一矢など射かけられれば、窮地に立たされるからだ。

 早く脱けたいところだが、焦りは禁物だ。

 焦れる道行きに罠の一つと弦矢が勘繰りたくなるのも致し方あるまい。


「……どうした?」

「いえ」


 動きを止めた月齊が、一度は否定したもののやはりと口にする。


「……何か、匂いませぬか」

「匂い……?」

「ほんのりと、栗の花に似た……」


 歯に物が挟まったような要領を得ぬまま、月齊は口を噤んで再び進み始める。少し速さが増したのはさっさとその原因をはっきりさせたいがためだろう。


「また、空洞のようで。参りますか?」

「無論じゃ。罠があるなら、今のうちに暴いておかねばならん」


 それこそが、先行する最大の利点。

 エルネの身を案じる必要が無いだけに、例え罠を発動させても己の身を守ることに集中できる。それを後からくる者達へ教示できれば万々歳というわけだ。


「月齊は右を、儂は左で部屋の全体を把握する」

「はっ」


 踏み締めた白い砂地が埃のようにうっすらと舞い上がる。

 その空洞は最初の空間ほどではなかったが、二人で大立ち回りができるくらいには十分な広さがあった。


「正面奥に先ほどと同じ出口がある。が、これは何だ……?」


 月齊へ情報を伝える弦矢の声に困惑が滲むのは、

異様なカラクリ仕掛けを目にしたからだ。

 まず、目を引くのは出口を塞ぐ硬質の巨大な金属板だ。

 弦矢の知る家紋を数倍豪華絢爛にしたような紋様が彫り込まれ、刀で斬りつけたような無数の切り傷も刻まれていた。

 突破を試みて、刀を振るったのだろうか?

 当然ながら、その試みは無駄に終わり、歴史を刻むに留めたといったところか。

 その金属板の上端は鎖に繋がれ、上方で横に渡された大きな石柱へ繋がっている。その石柱の反対側へ目を移せば、同様に鎖が吊され、下方で四つの鎖に分かれて石版へと繋がっていた。

 締めは橋渡された石柱を中央で支える極太の石柱だ。

 羽の生えた子供達の像を筆頭に動植物が彫り込まれた造形は、異文化の香りが濃く圧巻であり見事に尽きた。

 しばし、呆然と佇む弦矢を月齊が促す。


「若、そこには何が……?」

「ああ、すまぬ」


 我に返った弦矢がカラクリの構造をできるかぎり簡潔に伝え、最後にまとめる。

 言うなれば、それは大がかりな天秤だと。


「……つまり、その皿に重石を乗せれば金属板が吊り上がり、扉が開くというわけですな」

「……ああ。確かにそうなるな」


 その異様な仕掛けに弦矢は大いに戸惑わされたが、盲目の月齊はしごく冷静に状況を捉えてのける。云われてみれば、確かにその方法で解決するのだろう。


「して、肝心の重石ですが」

「それなら四隅にある、据え物・・・がよさそうだ」


 この場にあるのは全部で六つ。

 左右にミケランの鎧と同じものを着込んだ等身大の兵士像が壁に嵌め込まれており、他の四つは空洞の四隅にある台座に据えらた立像であった。

 当然、利用できるのは壁に嵌め込まれていない立像しかない。

 大きさは米俵半分くらい。

 弦矢には分からなかったが、それぞれが【大公】【貴族】【商人】【一般民】の胸像であった。

 ひとつひとつが重量もありそうで、四つ合わせれば金属板の重量を超えそうではある。


「もし、足りなければ……」


 弦矢はその先を口にはしなかった。

 試さぬうちに不安だけ煽るなど愚かしいかぎり。

 早速、二人は手分けして据え物の運搬を始めたのだが。


「これはっ……月齊、いけるか?」

「鈍った身体に、はっ……必要な、刺激!」


 ひとりで据え物に挑んだはいいものの、これは拙いと月齊に声を掛ければ、苦しげな息づかいと共に侍の意地・・・・が返される。


「無理をするなっ、月齊――」

「若こそっ……労るので、あれば」


 手伝いますぞ、とどちらも折れない。

 無駄に体力を浪費することもあるまいに、侍の意地が二人を頑固にさせる。


「まことにっ……いいのだ、な?」

「身体の頑強さこそっ……剣の基本!! すなわち『抜刀隊われら』の誇りっ」

「よくぞ、云った!!」

「若もっ、ご武運を!!」


 二人は過剰に感極まりながらも、一歩一歩と白き砂塵を舞い上がらせ、秤皿たる石版へと胸像を運んでゆく。

 弦矢は【大公】を後ろから羽交い締めにし、見えぬ月齊は【商人】の顔に自分のをねじ切る勢いで重ね合わせて荒い息を吐いている。

 傍から見たら異様な絵面だが、二人は真剣そのものだ。予想だにしない激闘に、ひとつを運び終える頃には全身からたっぷりと汗を滴らせていた。


「ぜいぜい……なあ、月齊」

「はぁはぁ……何で御座いましょう?」

「我ら少数精鋭……協力して事に当たることをこそ、良しとせねばならぬ」

「仰るとおり」

これは・・・協力の意義を示す必要があるからだ」


 何の話しかも口にしていないのに、月齊は承知とばかり繰り返す。


「仰るとおり」

「では、あちらの据え物から運ぼうか」

「若と肩を並べられて、この月齊――震えております」


 生まれたての子鹿のように膝を震わせる月齊。

 弦矢は「儂もだ」と震える手を上げる。

 どちらも軽い痙攣で、戦いにさほど支障はなかろうが休息は必要そうだ。ただし、あとふたつを仕上げてからの話しだ。


「うむ、協力とは素晴らしいものじゃ」

「左様で御座いますな」


 【貴族】の胸像を持ち上げるのに手間取ったが、手にしてしまえば確かに楽にはなる。ただ大きさの関係で思った以上に歩きにくいのは、これはこれで厄介ではあった。


「ごほっ……少し、埃が」

「ああ。砂をどうしても蹴り上げてしまう」


 洞穴特有なのか、やけにきめ細かい砂に足をとられ、その上埃立つのにも苦慮させられる。


「気のせいか、匂いもきつく」

「栗の花か? それよりも、儂はこの無駄な下働きをさせる理由が気になるな」


 月齊の表情が明らかに変化した。

 云われてみれば、刑罰でもあるまいに、重労働とはいえ単純労務を科す意味が分からない。しかも労苦をやり遂げれば、その報償として撃退すべき侵入者に扉を開けてやるなど本末転倒もいいところ。あまりに設置者の意図が不可解に過ぎた。


「先ほどから、心労を与える仕掛けが多いと感じます。嫌気が差して諦めるか、あるいはこの仕掛けを見ただけで諦めさせるのを意図してのものでは?」

「錠前を外すよりは厄介だと……?」

「腕の良い盗人ほど、手間や面倒を避けるとも耳にします。つまり馬鹿馬鹿しい大仕掛けほど、盗人の気を削ぐ効果は高いかと」


 そう応じながら、当主が納得していない空気を月齊は察したのだろう。


「若は別に考えが……?」

「なに、厭らしい仕掛けというのなら、この状況で・・・・・さらに追い込む方が、とな」


 二人で両手を塞がれ、えっちらおっちら足場の悪い砂地をふらついている姿こそ、絶好の狙い目であろうと。


「矢でも鉄砲でも……異境なれば、得意の妖術をここで使うべきであろう」

「妖術、でございますか」


 真剣に呟く月齊が、そこで、ふいに足を止め驚きの声を上げていた。


「そんな――動いた・・・

「月齊……?」


 盲目の侍が見つめる先を・・・・・・弦矢が素早く目で追えば。


「……これも、妖術か?」


 壁から抜け落ちるように、兵士の像が砂地を舞い上がらせ仁王立ちしていた――。

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