第84話 それぞれの想い

公都郊外

 『トイマーレ監獄跡地』――



 狭い石牢の真ん中に骸が一体放置されていた。

 いや、そう断じるのは早計だ。

 何かで引き裂かれたような血塗れの服を着せたまま、冷たい石敷きの上に放置してしばらく経つのは確かだが、止血の応急手当だけは済ませており、死ぬにはまだ早すぎる。

 つまりは死に際にある重傷者――それが正しい見立てには違いない。

 少なくとも、『幽視キルリアン・アイズ』を有するその人物からすれば、生死の判断を見誤ることはなっかたろう。


「このままなら、ほどなく君は死ぬ――」


 鉄格子を挟んでそう宣告するのは、暗灰色のローブを目深に被る『俗物軍団グレムリン』が『幹部筆頭』のフォルム。

 彼ならば昏睡状態の相手にさえ声を届かせることができるというのか、「だが」と平素と変わらぬ口調で淡々と言葉を紡ぐ。


「ただここで死なれるために、君をわざわざ引き取ってきたわけではない」


 理由があるのだと。

 言葉で匂わせるフォルムに対し、死人も同然の重傷者から反応などあるはずもない。

 いつ事切れても不思議でない証拠に、胸のあたりをいくら凝視してみたことろで、起伏の有無を見極めることは難しい。

 それほどに呼吸は浅く遅すぎて、心臓の鼓動はあまりに脆弱すぎた。

 その先の運命など、特殊な視覚スキルを使うまでもなく、百人中百人が同じ答えを出すに違いない。

 フォルムが掛けるべき言葉は、もはや別れの言葉こそが相応しいと思われた。なのに。


「君に“権利”を与えよう」


 それはあまりに場違いなフォルムの言葉であった。

 死へのカウントダウンが始まっている者に対し、今さら“生者の権利”がどれほど価値を持つというのか、「君のお仲間だけでなく君自身も、実にすばらしい“資質”の持ち主だ」と何か意図しての宣言であることを匂わせ、彼の話しはなお続く。


「ひとつ、君はこのまま死ぬことができる・・・・・・・・。ふたつ、君が生き長らえるなら――我らの仲間に迎えよう」


 それが“権利”だというのか?

 “死ぬ権利”あるいは“入団資格”――いや違う。最後のそれは『幹部筆頭』による直々の勧誘と受け取れるが、フォルムが口にする“我ら”には別の意味があるのは明らかだ。

 それが証拠に、最後の台詞を彼が口にした途端、闇に溶け込む通路の奥で、あるいは誰もいぬ石牢の片隅で――暗がりという暗がりにある冷えた空気がぶるりと震えたような気がした。

 この監獄で息絶え、いまだに彷徨う者達の魂が怯え身悶えしたかのように。


 そうあってはならぬ・・・・・・・・・と。

 あるいは、早くそうあれ・・・・・・と。

 

 死者達の念いが千々に乱れる理由はただひとつ。

 彼らは承知しているのだ――フォルムが与えるものならば、死ぬも生きるも同じであることを・・・・・・・


 フォルムの云う“我ら”とは、つまり――


 死者達のどよめきを甲高い金属音が掻き消した。

 フォルムが鉄格子の扉を開けた音である。霊が金物を嫌うという話しは本当であるらしい。

 扉口で佇んだまま、フォルムは牢の中へ入らず近くの石敷きに直接スープの皿を置いた。死に際の者の手が届くとは思えぬ距離だが気にする素振りもない。


「血を失いすぎてる。生きるには、這ってでも皿を手に取り、食すしかない。だがそうするか否かは、君が決めることだ」


 どちらにせよ、あまり時間はないがと。

 あえて生かしも殺しもせず、状況だけを整えるフォルムの意図はどこにあるのか。

 何かを試しているかのようにも感じられるが。

 だとするなら、一体何を――?

 フォルムがふと、通路の右奥へちらと一瞥した。


「権利は誰にでも与える」


 この場にいぬ者にも宣言するように。


「必要なのは“強い肉体”と“強い精神力”――敵だ味方だとこだわる意味など、どこにも無い」


 そう声高に独白すると、フォルムは通路の左奥へと足を向けた。そのまま一度として振り返ることもなく暗がりの奥へと消えてゆく。



 しばらくして、先ほど、フォルムが一瞥くれた通路側より人影が姿を現した。

 顎周りに残る傷跡を指でぽりぽりと掻きながら、その人影――テオティオが石牢の前で立ち止まる。


「どういうつもりかな、ウチの№2殿は……」


 クレイトンに渡すべき人質をわざわざ連れ帰ったかと思えば、エサまで与えるなんて。


「しかもあの物言い……まさか“素体”に使うつもりじゃ?」


 その瞳に宿るのは、憤りだけではなく妬みの昏き炎も入り交じる。

 それが明確な“怒り”の形をとって死に際の者へ向けられる。

 このまま捨て置けば、死ぬ運命の者。そうとは分かっていながらも、テオティオは己の衝動を抑えることができなかった。

 彼はごく自然に足下の石畳から小さな欠片を拾い上げ、親指に乗せて殺気を凝らし――そこでぴたりと動きを止めた。

 あとほんの少し力を込めれば、そいつの頭部に陥没を穿つことができる。そのギリギリのところで。


「……権利は誰にでもある、か」


 敵も味方も関係ないと、フォルムの言葉が蘇る。

 “素体”の選抜は済んでいると思っていたが、どうやらそうでもないらしい。事実、思わぬ強敵の出現で『一級戦士』が減りすぎており、『幹部クアドリ』の立て直しも早急に行わなければならない状況だ。

 その上、先日の拠点奪還作戦の最中、思わぬ“手札”を手に入れたことで、事態は大きく動き始めている。

 つまりは想定以上の戦力増強が喫緊の課題となっており、それを踏まえれば、選り好みしている場合でないというのも頷ける。それはつまり。


「ようやくチャンスが回ってきた――ということかな」


 それも『俗物軍団グレムリン』にとって転換期を迎える大事な時に。

 だが、このチャンスを見逃すつもりはテオティオにはない。

 №2との“力の差”をまるで闇の中で手探るように見当さえつけられずにいた。漠然と分かるのは、団長と同列の強さであろうことだけ。

 そのカラクリを解かぬかぎり、テオティオが単純戦力を向上させたところで、№2に及ばないことは容易に想像できた。

 だが“権利”を得れば、カラクリの一端は垣間見えるはずだ。幹部連にさえ、概要しか説明されていないため断言できないが、団長達がやろうとしていることに食い込めれば、特別な何かを与えられるとまことしやかに囁かれていた。

 そんな与太話に食いつくほどに、強くなる事への手詰まり感がテオティオにはあったということだ。

 手持ちの札は、紫水晶オド・クリスタルを駆使して一時的な魔力増強を行い、指弾の一撃を強化する手法のみ。だが、これには金も手間もかかりすぎ、あまり実戦的な手法とはいえないのが実状だ。

 正直、直近の戦いを振り返っても己に限界を感じていた。『幹部』であることの肩書きを頼りに、見て見ぬ振りをしていたのだ。

 だがそれも――

 自然とテオティオの口元に笑みが浮かぶ。

 それは自身の壁を越えた者が持つ、吹っ切れた爽やかさとは無縁の、昏く歪んだ笑みであった。


         *****


公都『北街区』

 ヨーヴァル商会の某家屋――



 裏口の前で何度か躊躇った後、エルネは意を決して扉に手を伸ばした。

 扉を開ける際、自身を案じてくれる愚直な鎧騎士への後ろめたさを感じたが、それ以上に外へ出ることの渇望が少女の身体を突き動かす。

 そうして外気に身をさらせば、頬に触れる夜気の冷たさが心地よく、エルネは開放感を味わうようにゆっくりと外気を吸い込んだ。


「……はぁ……」


 無意識に洩れるかすかな吐息。

 それは少女のものと思えぬ甘みと艶を秘める。

 これで月明かりでも浴びれば、“月の巫女”を題した一幅いっぷくの絵が完成するのだが、今宵は月の機嫌が思わしくないようだ。

 暗色のベールを広げたように、薄雲に覆われた夜空はぱっとせず、雲間から時折覗き込む星の瞬きだけが唯一の救い――当分、月が顔を出すことはなさそうだ。

 それでも、と。

 目を閉じ小さな顎を上向けにして。

 二度、深呼吸を繰り返す頃には、エルネの気持ちはほどよくほぐれ足が向くままに歩き始めていた。

 心なしか身が軽い。

 胸のつかえが少しだけ取れたような気が。

 無理もない。

 街壁門が閉じる少し前、第二陣となる後続の支援が到着してから隠れ家の緊張感は嫌が応にも増していた。

 予定より決行を早めたのは、秋水配下からの情報で城の警備がさらに強化されると知ったためだ。一度は帰投させた公国第三軍団が呼び戻されるという情報は歓迎すべきものではない。

 いよいよもって、城を揺るがすほどの凶事が起きたことを予感させ、エルネにとっては父である大公の身に何かがあったのでは、と不吉な思考に直結する。

 当然ながら、城内潜入を目前に控えた諏訪の侍達からすれば、警備強化の原因よりも警備強化の内容をこそ問題視することになる。

 即ち、腕の立つ幹部級が城館内に宿泊することは、作戦の障害に十分成り得ると。

 それ故、急遽繰り上げられた決行は明日未明。

 一部の者を除き早めの就寝を促されたわけであるが、父の身を案ずる少女としては、そうそう寝付けるはずもない。それに問題は他にもある。

 今の状況を生み出したルストランとの対面が間近に迫っている――そう思っただけで、何度でも胸奥から不安が沸き上がってくるのだ。

 12歳の少女が決めた覚悟を嘲笑うかのように。

 何度でも。

 閉塞された室内は、その不安を助長させるかのようで、だから外に出れた開放感はエルネにとって格別のものであった。


「……?」


 ふと、エルネは足を止めた。

 閉鎖されたブロックに当然ながら人気は無く、清々しい気分で散歩を愉しんでいた彼女が、それ・・に気付いたのは偶然の産物だ。

 いや、見落としがちな脇道へ、目を向けたのは決して偶然ではない。その奥にある袋小路で蠢く人影が確かにあったのだ。


「……ぁ……」


 思わず小さな声を上げたのは、そこに見知った者を見つけたからではなく、“舞い”に似た美しい動きに心動かされたからに他ならない。

 指先を揃えて“手刀”を型どり、まるで“剣舞”に似た動きで腕を振るい、足を運ばせ、その者は狭苦しいはずの空間を広々と使いきり、華麗に身をひるがえしていた。


 ひゅるり、ひゅらりと。


 動きは柔らかくゆるやかでありながら、締める際は力強く俊敏にメリハリをつけて。


 “静”から“動”。

 “動”から“静”へ。


 例え俯きあるいは背を反らしても、体軸を中心にきれいに回転する身のこなしは風車のごとく。

 手刀に込められた力感はまるで斧の剛撃を思わせる。

 それは“剣”なのか、“斧”なのか。

 何に見立てた動きかなど、素人にすぎぬエルネに分かるはずもなく、当然ながら抱いた感慨は別にある。

 やはり、昔見た旅芸人の“剣舞”に似ていると。

 同時に、エルネの知る“剣舞”とは似て非なるものであると即座に確信する。

 伝えたい“念い”を体現することから生まれる美しさが“剣舞”にあるとするなら、それ・・は“実”を極めるからこそ生まれた美しさ――漠然とだが、そのように両者の違いをエルネは感じたのだ。


 ただ速く。

 ただ鋭く。

 ただ力強く。


 四肢を振るうこと――それを一途に洗練していくうちに磨き上げられた美しさ。

 惜しむらくは、動きの端々に多少の荒々しさやトゲのような違和感を覚えることか。それが折角の美しさを損なわせていたのが残念でならない。

 ただ、その荒っぽさが垣間見える動き、姿はどこか懐かしく、見覚えのあるものだ。

 そう、人を魅せるために振るうのではなく。

 己の雑念を掃き出すために振るわれるもの。

 それは確かにどこかで――

 気付けば、エルネは間近まで歩み寄っていたらしい。


「――!」


 ふいに、舞いを演じる人物――異人の当主である諏訪弦矢と目が合ってしまう。

 吸い込まれそうな黒曜石のごとき黒瞳に偽りのない“驚き”が見てとれ、エルネもまた、結果的に盗み見ていたことを恥、動揺して碧眼を大きくみはらせていた。

 それでも先に言葉を発したのは、意外にもエルネの方であった。感じたままに、つい口にしてしまったのだ。


「――貴方でも、“焦り”を覚えることがあるのですね」


 口にすることで、エルネの中でそれは確信に変わっていた。弦矢の舞いが昔よく見た光景と重なるからだ。

 ああ、そうだ。


「お父様が、よくお仕事が煮詰まると槍を振るっていたものですから……丁度よい憂さ晴らしになると。そういえば、叔父様もそうでした」


 懐かしげに目を細めるエルネに、はじめこそ、驚きで頬まで引き攣らせていた弦矢は、納得したように肩の力を抜いた。

 その目元をゆるませ、観念したように口元をわずかに歪めてみせて。


「――恥ずかしいところを見せた」


 バツが悪そうに後ろ髪を掻きながら、「どうにもな」と弦矢は胸内にわだかまる何かを苦々しそうに吐き出した。


「皆の前ではああ・・口にしたが……本音は先陣切って殴り込みたいくらいじゃ」


 おそらくそれはセンマという家臣が囚われた件のこと。救出の要請に「待った」を掛けたのは他ならぬ彼自身であったとエルネは思い出す。


「……でも、貴方様は自重なされた。乱りに命を落とす者を増やさぬために。戦場の例えになりますが、“損害”を抑えるのも指揮官の務めと聞いております」

「“損害”か――」


 弦矢の口元の歪みがさらに深められる。


「それが正しかったとして、こうして己を律することができぬでは、儂の器量もたか・・が知れようというもの。これで当主を継ぐなどと――」

「よいではありませんか」


 自分でも驚くほど優しい声が出た。エルネは当惑を彩る黒瞳をしっかり見据えて力強く説く。


「独りでいる時くらい、少々のハメをはずしたからといって、咎める者などおりません」

「じゃが、わらべのようだ」

「男は皆、そうですよ」

「!」

「……アンネがそう云っておりました。メイドの」


 さすがに大人ぶりすぎたかと、エルネは目を反らし小声で捕捉する。

 弦矢が口元を綻ばせる。いつもの男臭い笑み。


「儂より姫の方が、よほど・・・であろうに」

「ええ、そうですよ? 私の方が、たっぷり慰めてほしいです」

「ふっ。他意がないのは分かるが……そこは“励まして”とすべきだな」


 弦矢がやんわりと訂正するのだが、「私はどちらでも」と屈託のない微笑みでエルネが台無しにする。

 弦矢は諦めたように苦笑をひとつ。


「それで、どうなさるのです?」

「どうとは、扇間せんまの件か?」

「ええ」


 なおもエルネが問うたのは、作戦の実行を遅らせてもよいと考えたからだ。

 そもそも弦矢達の協力がなければ、対立するルブラン派からこのような支援を受けれるはずもなく、公城帰還など望むべくもなかった。それを思えば、こちらがリスクを負うのは当然であり、救出作戦を優先させるのに否やはないと。

 

「……本気で言っておられるようだな」

「もちろんです」


 不思議と心は落ち着いていた。

 不安や焦りを吐き出していい――それは弦矢だけでなく自身に対して言い聞かせたものだったのかもしれない。

 弦矢に言い聞かせるうち、彼が落ち着きを取り戻すのを目にして、自分も同じように穏やかさを取り戻していることをエルネは実感していた。

 だから彼にも気遣えたのかもしれない。

 それが同盟者としての配慮ではないかと。

 だが「今のままでよい」と弦矢は言い切る。


「ですが――」

「姫は少し勘違いを為されておる」

「勘違い……?」


 訝しむエルネに「鬼灯ほおずきは気ままな男でな」と弦矢は眉根を寄せて腕を組む。


「儂が“待て”と云うたところで、素直に聞くタマではない。ついでに云えば秋水の奴も」


 そういえば万雷ばんらい碓氷うすいもそうだ、と眉間のシワを深くする弦矢にエルネは戸惑う。


「それはつまり……?」

「もう発っておろうな」


 実にあっさりと弦矢は告げた。鬼灯かあるいは秋水を含めた二人が、当主の命に背いて救出の策に動き出しているであろうと。

 驚くべき内容を口にしながら、弦矢の声音に咎める感じはない。それこそエルネの勘違いだろうか。


「儂が案じておるのは、『不傷不倒』とまで評する化け物相手にどこまで通用するかということ。あるいは……あやつらがやりすぎて・・・・・、こちらの策にどれほどの影響を及ぼすのかということか」

「……」

「姫はどちらだと思う?」


 悪戯っ子のように黒瞳を輝かせる弦矢に、エルネはますます戸惑うばかり。

 落ちぶれたとはいえ、実力はそのままの公国軍外軍たる『俗物軍団グレムリン』の拠点へ、たった二人で殴り込むなど正気の沙汰とは思えない。

 例え正面切らなくとも結論は同じだ。

 その実力は上級騎士に匹敵すると言われる『一級戦士』にそれを上回る『幹部クアドリ』の面々。それらの頂点に位置する団長や副団長。

 そんな怪物共の住処に二人だけで乗り込んで何ができるというのか。戦士でなくともエルネにだって容易に先が見える話しであった。


「……常識的に考えれば、追いかけて止めるべきです。なのに貴方は、ふたつの選択肢があると考えているのですね?」

「争いを控えさせていた理由には、将来に遺恨を残したくない思惑があったのでな」


 だから手加減させていたとでもいうのか?

 それが事実だと?

 つまり弦矢が課した任務必須の枷を外せば、彼ら二人で彼の軍団と渡り合えると云っているのか――。

 嘘か誠か、二人が『幹部筆頭』と対峙して二人とも生き残った話しはエルネも耳にしている。まこと、そのような奇蹟を為せるなら、確かに彼らの強さは驚嘆に値しよう。

 いや、だからこそ“魔境”を住処とする彼らの力に自らの運命を託したエルネだが、頭に刷り込まれた常識がどうしても否定せずにはいられない。

 それは弦矢とて同じこと。

 家臣の力を信ずるのは当然として、それでもなお先が読めぬからこそ、選択肢がふたつあるとしたはずだ。

 及ばぬか、あるいは越えるのか。

 鬼灯達と『俗物軍団グレムリン』。

 果たして、どちらがどちらを勝るのか――。


「……」


 もはや言葉が出ないエルネに、弦矢もそれ以上を口にせず、無言で薄雲に覆われた夜空を見上げた。

 そこに新たな星の瞬きが見えないものかと探しているようにエルネには見えた。


         *****


街壁北端

『北街区』警備詰所――



 北端の街壁へ向かう途中、鬼灯は通りに人影がひとつ、ふらりと出てくるのを目にして立ち止まった。


「時間通りだな」

「待ち合わせたつもりはありませんが……?」


 それが秋水であると知るからこそ、鬼灯は再び歩き始めていた。

 通りの片隅にはふたつの小柄な人影が。

 鬼灯が視線のみを向けただけで、彼らは同時に会釈した。それだけで心強い助っ人であることを実感させられる。

 何より長身痩躯の助っ人は別格の存在だ。


「貴方が衝動的な方だとは思いませんでした」

「衝動的でもなければ情熱家でもない」


 理に徹すると云うのなら。


「まさか、勝てるいくさとお思いで?」

「戦などするつもりはないだろう」

「なくてもそういう流れにはなるでしょう」


 そこではじめて秋水が黙り込む。

 彼もまた同意見だからだろう。

 扇間は深手を負っており、敵が治療する謂われは何もないとすれば、任務の峠がどこにあるかは自明の理。

 潜入よりも脱出にこそ苦難が待っている。

 手負いの仲間を背に、追っ手を払いのけながらの逃走劇。想像するだけで絶望的な気分に苛まれようというもの。


「敵がどれだけいると思います?」

「数はどうでもいい。来る者拒まず斬り捨てる」


 狂人の剣豪でもあるまいに、秋水は平然と言ってのける。斬るなり折るなりいかなる攻めを為すにせよ、彼が有言実行できるだけの実力者であることに変わりはない。


「確かに拠点を出るまではそうでしょう。ですが、外に出た後は……?」

「だから、あいつらと・・・・・つるむのだろう?」


 顎をしゃくる秋水が示すのは、通りの外れで待ち構える複数の人影だ。

 知らぬ間に『協会ギルド』で勝手に依頼クエスト協力者として指名された縁があり、今回もその流れでご協力願ったというわけだ。

 そうとう嫌がられたらしいが。


「根城でが現れたら、儂が相手する。あんたは扇間を連れてあの連中と逃げてくれ」

「相性ならば、私の方がよいと思いますが」

「傷が癒えていればな」


 秋水の指摘に鬼灯が顔を横向ける。

 無精髭を生やしたその横顔は実に平然たるもの。


「隠せるものか。そういう“隙”をあいつは見逃さない。それにトッドからもらった薬で扇間を中途半端に回復させてみろ。……無理をしようとするあや・・を抑えるのはあんたの役目だ」

「わかりました」


 容易く想像できる状況に、ひどく納得した鬼灯が受け入れたところで、紙片が渡される。


「何です?」

拾丸ひろうまるのやつめが託されていたらしい」


 腑に落ちぬまま、鬼灯が目を通せば短い文が綴られていた。


あたうなら、拠点を目指せ】


 誰のものかは聞くまでもない。


「若様が……?」

「他に誰がいる。おそらくだが、支援組を出しておるのやも。であれば、そちらに合流した方が得策だろう」


 いや、脱出に余力が無いほどにそうしなければならない。大事を前に勝手をする以上、敵を隠れ家に引き連れるような真似を――当主を巻き込むことだけは何としてでも避けなければ。

 当主からの言伝も、厄除け・・・のつもりならばいいのだが。


「……とても戦乱の当主とは思えませんね」


 捨て置くどころか支援の手を差し伸べる甘さは、命取りというべきだ。

 憎まれ口を叩く鬼灯の心境を秋水はどう捉えたのか。


「そう気負うな。あんたらしくもない」

「いいえ気負いますとも。ここで気負わず、どこで気負うというのです」


 鬼灯の口元に浮かぶは甘い笑み。

 やり遂げる自信が彼にはある。

 それは先の深手から回復して以降、ある程度ではあったのだが、以前よりも増して、身中に漲る力を感じていたからだ。

 トッドはそれが『昇格アンプリウス』ではないかと説いていた。薬を使ったために効果は限定的となったが、死の淵を彷徨う死闘を乗り越えたことで、魂の格がわずかながらに上がったのを体感しているのだろうと。


「頼もしいかぎりだが、油断はしてくれるなよ?」

「それより貴方こそ、出し惜しみ・・・・・はなしにしてくださいね?」


 下手な冗談を受け付けぬ真剣さに秋水は軽く頷いた。


「生まれてこの方、手加減という言葉を知らん」


         *****


同日同夜

公都キルグスタン近郊――



 それはまさに邂逅であった。

 カストリックが新たな密命を受け、夜を徹して要人専用馬車の捜索にあたってからだいぶ経っている。しかしめぼしい手掛かりは見つからず、捜索範囲を広げるためにも人手の確保は絶体で、かつ、部下を休ませる必要もあるため、やむを得ず公都へ帰還するその途上での遭遇であった。

 通常ならば、都市郊外といえど夜中の行軍などあり得ない。日中よりも夜に動き出す者達の方が、危険な生き物が多いからだ。

 場合によっては、危険生物を上回る『怪物』との偶発遭遇ランダム・エンカウントもないとは限らないのだ。

 だがだからこそ、二重の意味で、それは奇跡的な出遭いであったのだ。


「おい、そこの者。代表者は誰か――?」


 自分達以外にも平野を行軍する一団ありとの知らせに、カストリックは躊躇わずに部隊を素早く接近させた。

 こちらが馬であるのに対して向こうは徒歩。

 膝頭までの草深さで見失うことなどありはせず、捕捉するのにさほど時間はいらなかった。

 探索者にしては大きいパーティだと思ったが、他にも、初めて目にする民族衣装にカストリックは警戒感を抱く。


「我らは公国第三軍団麾下の部隊である。そちらの代表者と話をしたい」

「何用かな?」


 初めから視線を合わせていた美丈夫がそう応じた。

 やはり、とカストリックは得心する。

 月下に映える玲瓏たる面差しよりも、纏う空気にカストリックの愛剣がかすかに身震いするような動きを示しているからだ。そのようなことは、滅多にあるものではない。

 覚えているのは、三剣士のひとりエンセイに対面した時と、それより昔に『双輪』のひとりを目にした時以来――つまりはそういう相手・・・・・・ということになる。


「我が名はカストリック・アルドマ・ボルドゥ。栄えある第三軍団の分団長を務めさせて頂いている。貴殿は?」

「ハセクラ・ツキノジョウと申す。我らは北の田舎から参ったばかりの寄せ集め。今は僭越ながら、組長として仕切らせてもらってる」


 ハセと名乗る美丈夫の言葉にカストリックは眉をひそめた。非常に聴き取りにくい発音と風変わりな出で立ちに、辺境にしてもどこの蛮族かと見当も付けられないためだ。

 だが確かに辺境出自の者には、『怪物モンスター』を怖れず、夜に移動する者がいると聞いたことがある。彼らもその類いなのであろうが、ここは要人失踪事件の場所にも近く、安易に見過ごすわけにもいかない。


「失礼だが、貴殿らはいかなる用事で危険な夜にうろついている? この方向では公都にも着けぬと思うが」

「お気遣い感謝する。だが我らは近くで野営しているので問題ない。ただ、出かけた仲間の帰りが遅くてな。不安になり、こうして出迎えに参っている次第」 

「戻ってこない? いつからだ?」

「二刻……いや、陽が落ちる前の頃」


 カストリックが周辺地域を駆け回っていた頃だ。見通しのいいこの平原で、うろつく者を見逃すはずはないのだが。


「ちなみに、お仲間の用事とは?」

「特に。強いて云うなら物見遊山。森に入ってしまったのか、あるいは」

「あるいは?」

「一足先に都へ入ってしまったのやもしれん」


 ちらりと向ける視線の先には、公都街壁の巨影が

平地から盛り上がって見える。


「それでも念のため、探してみようとは思う」

「そうか。必要なら手伝うが……?」

「無用に願おう。我らは我らで生きてきた。他人の手を借りては力が弱まる」


 それは辺境人らしい道理であり、また一方で、頑なな拒絶と言えなくもない。

 怪しいのは確かだが、美丈夫の玲瓏たる面差しからは何ひとつ読み取れず、その仲間達から感じ取れるのも、“ただ者ではない”という雰囲気のみ。

 これだけの騎馬隊に囲まれながら、表情一つ変えず肩の力みも見られずに自然体で佇んでいる異様に、はっきりとした違和感だけはあるのだが。

 

「話しがそれだけならば、先へ進みたいのだが」

「いや、もう少し付き合っていただこう」


 カストリックはひとり下馬した。

 隊員達の奇異の目を背に感じる。なぜ辺境人に絡むのかと思っているのかもしれない。自分でもそう思うが、どうしても目の前の美丈夫が気になるのだ。


 カチャカチャカチャ……


 かすかに愛剣の鍔鳴りが聞こえはじめる。

 下馬すると同時に美丈夫の空気が変わったことをカストリックも感じ取っていた。今のわずかなやりとりにカストリックが満足していないことを相手も気付いているのだ。

 だから直裁的な発言をするのだろう。

 

「争いは避けたい」

「その割に空気が冷たく感じるぞ」


 体感的に一度は下がっている。

 そう思わせる何かが美丈夫の内側に沸き上がっているのだ。

 いい反応だ。

 ひりつく感じが、先日出遭った“魔境の蛮族”を思い出させる。いや、案外繋がりがあるのかもしれない。


「……ところで、槍の持ち主・・・・・はどうしてる?」

「――」


 その一言は、確かに何かの反応を引き出した。

 知っている――つまり槍を奪還しに来た者と美丈夫は仲間であるとカストリックは確信する。

 槍奪還の目的も遂げ、“魔境”にて元の暮らしに戻ったはずの連中が、なぜこんなところを夜中に彷徨うろついているのか?

 それはこの付近で起こった要人失踪の件に、何らかの関わりがあるからではないのか。少なくとも、犯人候補の筆頭に挙げるには、十分過ぎるほど怪しい連中であった。


(ならば――)


 密命は公国最重要の事案に絡むもの――解決の糸口を見つけたなら、人道倫理を捨て置いてでも、即座に然るべく対処せねばならない。


「貴様らが、我らが要人のかどわかしを――?」


 鋭い詰問と同時に、カストリックは躊躇なく抜剣していた。

 両手を使って素早く抜剣――抜剣の行為が振りかぶる行為と重なって、掌を返しざま、腕力に物を言わせて叩きつける。

 この瞬撃で、相手に反応すら許さず沈めてきた。だが。


「む?!」


 その斬道に美丈夫の姿はない。

 鎖骨を砕かんとする手筋を見切り、とっくに身体をズラしていたからだ。

 それを認識した時には、カストリックは剣を両手に持ち替えていた。基本的なスピードで劣っては、当てることもままならぬと瞬時に悟って。そうでなければ――実力でねじ伏せなければ、彼らが大人しく従わないこともまた、察していたがために。

 瞬時の状況判断は“歴戦の勇士”の証であり、だからこそ、カストリックに出し惜しみなどありはしない。


受諾せよアクセプト


 躊躇いなく『鍵言』を口にして、己の最大戦力で叩きにいく。

 ただ一度のやりとりで、相手の恐るべき実力をカストリックは十分以上に味わっていた。愛剣が“警告”を発するだけはあり、“力”も見せずに打ち伏せられるようなレベルではないと心する。


「フッ――」


 求めに応じて剣身に微風が纏わり付き、試しに八の字に回せば羽毛のごとき軽さと飛燕のごとき鋭さで空気を切り裂く感触が手に残る。

 愛剣に付与された特殊効果『疾風』は、精剣との共感率が高まるほどに、操る剣速が際限なしに速くなる。

 下手な大技よりも基本の剣速こそが、カストリックが修めた『精霊之一剣』がひとつ『風門』の神髄と言われる所以だ。


切れ味が増したな・・・・・・・・。つくづく面白い世界だ」

「?」


 美丈夫の台詞にカストリックは眉根を寄せた。

 口元に浮かぶ笑みが心からのものと知って、逆にそれを侮辱されたと受け止める。


「いつまでも笑っていられんぞ。我が『風門』の刃とくと受けてみるがいい」


 草むらを切り裂く鋭さで、カストリックは間合いを詰めた。

 躊躇わず、致死域にまで深く踏み込み。

 今度は“砕く”のではなく、“斬り下げる”つもりで刃を疾らせる――。



 ヒャウ――――(何?!)



 事もなく、ハセと名乗る美丈夫が避けていた。

 刃筋と衣装との隙間はわずかばかりで、ぎりぎりで避け得たのは確かな事実。

 だが、動揺を毛ほども見せない玲瓏たる表情に、カストリックははっきりと見切られたのだ・・・・・・・と察する。

 即座の反撃がこないのは様子見のつもりか。


(だが、初撃で手を抜いたのは――)


 カストリックの腹腔で“風気”が渦巻き、呼気と同時に全身を駆け巡る。森精族エルフに匹敵する“風気”との親和性こそが己の真骨頂。


(――お前だけじゃない!!)


 切り返しの剣撃は一段とキレが増していた。


 ヒュ

 ボッ

 バッ


 続けて三つ、刃で宙を切り裂いて、それでも美丈夫ははすに構え、反らし、軽く後ろ足を下げるのみで届かせない。

 固い地面の上でならばともかく、膝まである草地で示す常軌を逸した体術に、居並ぶ騎士達から声にならぬ動揺が沸き上がった。

 自分達ならば、斬られるイメージしか湧かないからだ。それほどカストリックの斬撃は凄まじかったのだ。

 だがカストリック自身は、むしろ、久しく忘れていた喜悦に身を震わせていた。


「この手応えは――久しぶりだっ」


 次々と敵が沸き上がる戦場ならばいざ知らず、愛剣の力を解放して絶えぬ敵などいつぶりか。それもたった独りに、どちらかといえば、翻弄されているのはこちらの方だ、などと。


「ならば、遠慮無く――」


 『風門』が中伝――『刃羽舞い』。

 『風門』の極意は『剣筋』にあり、『剣筋』を極めることが生涯を懸けた修行の目標となる。それは奇しくも神の摂理に添う戦技スキルの道理と同じ解釈であり、神の血が濃いと言われる森精族エルフならば至れる道理であろうと納得せずにはいられない。

 その『剣筋』は、剣を振る正しき動作、斬る対象への刃の当て方などで成り立つが、一度身体に馴染ませても、剣速が上がれば自然と綻びが生まれ、途端に切れ味が悪くなる厄介さがある。

 特に、カストリックが振るうほどの剣速にもなれば、空気さえ水中で身動ぐような障害となり得、当然、刃先を正し力みなく腕を振るうことなぞ高難度の所業。

 だが、それを成し得た状態を己の深層心理に刻み込み、自在に引き出すことで体現することを可能とできるなら――

 それこそが、『刃羽舞い』のことわり



 ――――ッキィン



 初めて、柄に重い手応えをカストリックは感じた。

 変わらぬ涼しげな面立ちの真横で、しっかと愛剣を受け止めるのは美丈夫の掲げた一本の棒。

 魔術師かあるいは僧兵くらいしか得物として携える者を目にした覚えがないだけに、カストリックの双眸に強い困惑が沸き上がる。


「まさか、術士なのか……?」

「いや、兵法者だ」


 美丈夫が棒状の得物――棍を鮮やかに回転させ剣をいなして小脇に抱え直す。流れるような動作は一朝一夕で身につく業ではない。明らかに、それが彼の得手なのだ。


「剣でも槍でもなく……」


 正直、棒きれを振り回すだけの得物に、武器としての認識すらしていなかった。それが森精族エルフの秘剣と畏怖された『精霊之一剣』に壁となって立ちはだかるなど、なんの悪夢かと戸惑わずにはいられない。


(だがっ)


 カストリックはいなされた・・・・・愛剣の柄を強く握りしめる。

 最後の一撃を受け止めた美丈夫に、こちらを認めた意志を感じたからだ。相手が剣士でなくとも分かる。

 あの時、受けた瞬間に見せた黒瞳の輝きを。

 カストリックは、受けさせた・・・・・一撃に満足を覚えつつ、美丈夫を誘う。


「今度は、そっちが見せてくれるのか?」

「お望みとあらば」


 不思議な状況だ。

 いつの間にか相手に対する敵意が消え、純粋に試したがっている自分がいた。

 それほどに、相手の力量は底が知れなかった。


「――?」


 迫る美丈夫の動きは目で捉えているのに、動かぬ自分の身体にカストリックは当惑する。それは本能で死期を悟った脳が、必死で運命に抗った成果だとカストリックが知る由もなく。

 左斜めから、ゆるやかに振り下ろされる棍を受けれないと察して、瞬時に『刃羽舞い』を発動させた。

 間に合った。

 だが打撃の重さに打ち負け、鉄胸当てブレスト・プレートに棍ごと叩きつけられる。

 衝撃で目を瞑り、開いたときには逆側からの二撃目が。

 夢中で愛剣を逆側に移すので精一杯。

 辛うじて棍と鉄胸当てブレスト・プレートとの間に差し込んで、再び叩きつけられる衝撃にたたらを踏む。


(――――重い)


 あの鉄棍をこちらと同程度かやや上回る速さで打ち込まれては為す術もない。これほどの使い手が、まだ野に埋もれている事実にカストリックは驚愕を禁じ得ない。


「いや……さすがは“魔境”と云うべきか」


 素直に認めるべきだろう。

 自身の持つすべてを駆使せねば倒せる相手ではないことを。

 いつの間にか、己の喉元にぴたりと突きつけられた棍の先を見つめながらそう思ったところで、美丈夫が低く宣言する。


「勝負あり、だ」

「“寸止めだ”と取り決めた覚えはないが?」

「“殺し合い”を納得した覚えもない」


 静かにそう告げて、美丈夫は珍しい黒瞳をカストリックに向け続ける。


「何があったか知らんが、我らに八つ当たり・・・・・するのは指揮官のすることではない」

「……」

「公国の武人は、旅の者を怪しんだだけで無下に斬り殺すのが常なのか」

「私とやり合える力を持つ者を、ただの旅人だと思えるはずもなかろうが」


 憎々しげに言い返せば、「云ってなかったか、我らは『探索者』を目指す者だと」と美丈夫は涼しげに応じる。


「北には“魔境”があり、我らはそこで『探索者』を目指し鍛えてきた。そちらの業前は確かに見事であったが、自分より強者がいないというには、少し奢りが過ぎよう」

「……っ」


 その物言いに、まわりの部下達がざわめくがそれだけだ。事実、目の前の美丈夫は絶体強者と信じてきた上官を翻弄してみせたのだから。

 それを冷静に受け止めるだけの度量が彼らにはあった。


「とにかく、貴殿らとの争いは望まない。都の者とはうまくやっていきたいのでな。すまぬが、このまま我らを行かせてくれ」


 その言葉を額面通りには受け取れない。

 だが一方で、美丈夫の攻撃に殺意がなかったのは確かであり、今も有効な一撃を入れるチャンスをふいにしている。

 その気なら、上官を潰し指揮系統が乱れたところに乱戦を仕掛ければ、蹴散らすことも可能だろう。それだけの力が彼らにはあるはずだ。なのに。


「そうだ。“ぎるど”に儂らのことを尋ねてくれればいいだろう」

「何だと?」


 辺境人達の中から、誰かの声が上がり注意を引いた。


「儂らは都で行方知れずとなっていた女達を解放し、手柄を立てているんだ。仲間が“ぎるど”に伝えたから、聞けば、儂らの素性は保証してくれるはずだ。“ゆにこん”て組の者に聞いてくれてもいい」


 勢い込んで話す内容をカストリックはしばし吟味する。すぐに確かめられない以上、役には立たない情報だが、そんな作り話をするメリットが彼らにあるとは思えない。


「デタラメを云うなっ。そのようなこと、この場で確かめようがないだろう」


 後ろで部下が憤るのは当然だ。

 だが剣を向けられて殺意もみせない美丈夫を、カストリックは信じてみたくもあった。


(いや、このまま続ければ殺し合いにもなりかねん。あたら犠牲を出すばかりで見合う何かが得られる保証もない)


 冷静に頭を働かせカストリックは剣士としての衝動を何とか抑え付ける。与えられた密命を果たすことが何よりも先んじるのだと言い聞かせ。


「……分かった。我らも同行しよう」

「分団長?!」


 背後から上がる声、あるいは帰投がお預けになった嘆きもいくばくか。それには構わずカストリックは美丈夫を見据える。


「悪いがこのあたりを勝手にうろつかれては困るのでな。我らの同行を拒否するなら、何としてでもお前達を公都へ連行する」


 まだ勝負は決していないのだと、双眸に戦意をこめて。


「好きにしてくれ」

「!!」

「それはっ」


 今度は美丈夫の承諾に、仲間達から異論のどよめきがあがるも、はっきりと抗議の声にする者もなく流される。

 こうして奇妙な道行きがはじまることとなったのだが、カストリックとしてはさほど悪い展開ではなかった。

 手詰まり感の強い捜索状況に、一石を投じることになるのではとの期待があるからだ。


(こんな偶然があるものか……っ)


 何かが掴めると信じて、カストリックは先頭に立つ美丈夫の後ろ姿をじっと見つめ続けるのであった。


         *****


エルネが抜け出す少し前

公都『北街区』

 ヨーヴァル商会の某家屋――



 隣室の扉が開閉される音を耳にして、ミケランはすぐにベッドから身を起こした。

 隣室のあるじはエルネ公女。夜中に手洗いに出歩いたとしても不思議はなく、ただ万一を考えて独りで歩かせるわけにはいかなかった。


「――そっとしておいてはいかがかな」


 扉を開けようとしたところで、思わぬ声に呼び止められる。


「起こしたか――」

「いや、私も・・寝付けなかった」


 気付かなかったが、声の位置からして、すでにベッドの上で身を起こしていたのは確からしい。

 同室の相方であるエンセイが、“魔境”に踏み入った最中も地べたで胡座をかき、瞑想に耽っている姿を何度か見た覚えがある。

 何を呑気な、と思っていたがあれはエンセイなりの“気の落ち着け方”だったのだと今さらながらに気付かされる。

 そうして今また、彼がベッドの上で瞑想に耽っていたのだとしても、もはやミケランが驚かされることはなかった。


「順当にいけば、陽が昇る頃には大公代理との顔合わせだ。公女とはいえ、年端もいかぬ者には耐え難い緊張であろう」

「だが、ここは・・・まがりなりにもルブラン派の家屋だぞ? いつ姫の正体が知れるか……」

「知れたところで実害はあるまい」


 エルネが耳にすれば目尻を吊り上げよう台詞だが、エンセイは気にするなと平然たるものだ。それよりもと。


「あの小さな肩に乗っている重荷は、我らで軽くしてやれるものではない。ならばせめて、自由にさせてあげてもよいだろう」

「失礼ながら、エンセイ殿のお立場であれば、それも許されよう」


 だが自分は公城の警備隊長だとミケランは迂遠に訴える。何よりも大公家の生命を守るのが第一なのだと。


「姫に万一あっては許されぬ。先人が築き上げた警護の心得を私は遵守せねばなりません。では――」

「貴殿の職務に対する真摯な気構えには敬服する。しかし、それも・・・姫を息苦しくさせ、重荷のひとつとなっているとしたら? 貴殿の振る舞いは、本当に“警護の心得”とやらに添っているのかね?」

「……」


 その指摘に、さっさと公女の後を追いかけようとしたミケランの動きが固まった。

 姫を守ろうとする行為が姫を苦しませている?

 戯れ言を――そう憤る反面、どきり・・・とさせる何かがあった。


「……我が館へ顔を見せたときの姫は、生まれたての子猫のように、弱々しく震えていた」


 ふいに、語り始めたエンセイの言葉にミケランは記憶を蘇らせていた。

 まだひと月も経っていない、公城動乱の夜。

 ただ急かされるままに連れ出され、姫は自分達と共にエンセイの館を訪れたのだ。


「ただ導かれるままに足を向け、公都を追われるように抜け出してしばらくは、ろくに眠ることも食べることもできずに、それでもなお、元凶たるルストラン殿を信じ続けていた……」

「今でも姫はあの方を信じています」


 思わずそう応じてミケランは振り向いた。


「父大公をいずこかに囚われ、自身が追われ続けて挙げ句、『俗物軍団グレムリン』の奴原やつばらを仕向けられても。

 姫は叔父であるルストラン殿と触れ合った日々を偽りにすることができないのです」


 そういう方なのだ、エルネ公女という人は。


「“大公の資質”という計りで見れば、姫のそれは“甘さ”と捉えられるのだろうな」

「ですが、“公国の良心”としてならば――姫様以上の適任者はおりません」


 ミケランが断じれば、「確かに」とエンセイも深く頷き同意する。


「“魔境”に入ってからの姫は見違えるように強くなられた」

「あの時、あの場で誰よりも我らに道を示したのは姫様です」


 それは12才の少女が出せる気概ではなく、付き従うことに誇らしくもあったのだ。まるで名高い将軍と共に戦場を駆け抜けるような胸の鼓動が。


「ああいう方に仕えるのは、騎士として至上の喜びだ」


 ミケランの心情を見透かすようなエンセイの言葉に「正に」と声には出さず、胸内で応じる。


「“三剣士”と持て囃されているが、何かを守れたという自負がない。だが私は姫と共に旅をして、ようやく己の剣に意味を見出せた――」


 エンセイの目がミケランのそれと合わさる。

 部屋隅で灯されたままの蝋燭でぼんやりとであったが、確かに決意の光をミケランは見て取っていた。


「私の剣は、姫様を守るためにある。大公家の血ではない――あの方の心根を私は守るのだ」

「――っ」


 静かなその声には例えようのない熱があった。

 熱く胸内を揺さぶられ、思わずミケランも腹の底から念いを絞り出す。


「我らの警護も、また然り――」


 大公家は民に尽くす

 民に尽くす大公家を守護すべし


 たった二文で表される警護隊を定める法文をミケランは思い出していた。

 法では大公家が守られるに値する者であれとの心得を説き、同様に、警護役には命を懸けるべき大任であると説いていた。

 血ではない、尊き志を死守せよと。

 深く――ミケランは深く息を吐き出す。


「……ただ、命を守るだけでは果たせぬか」

「なに、難しいことを云ったつもりはない。姫様に少し……外の空気を吸っていただければ良いだけのこと」


 語尾を柔らかくする老剣士に、ミケランはようやく肩の力を抜いてベッドに戻った。

 冷静に考えれば、聡い姫様ならば“裏側の外”に出るはずで、そう危険はないだろうとの算段もあった。


「……少し、話をしても?」

「?」

「おかげで目が冴えてしまいました」


 熱した胸を冷ますのに時間が掛かるとミケランは苦笑する。

 そうして、ベッドに潜り込む前、ちらと戸口へ視線を向けてしまう仕草をエンセイは気付いたらしい。


「案ずるな。そちらの・・・・部屋からも出た気配があってな」


 エンセイがエルネの部屋と反対側の方を差したのをすぐに気付く。そちらは確か、異人の当主たる弦矢殿に割り当てられた部屋であったはず。


「彼の御仁と二人でいれば・・・・・・、問題あるまい」

「――え?」


 ミケランが青ざめたのは言うまでもない。

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