【第8章】公女の帰還

第83話 腹心の思惑

俗物軍団グレムリン』強襲の翌日

公都キルグスタン

  南手の街壁門――



 空が暮れなずむ中、濃い影を落としはじめた荷馬車の列をみとめて、門番の兵長は眉をひそめた。

 その荷馬車を昼もだいぶ過ぎたあたりに門外へと見送ったばかりであることを覚えていたからだ。実際、御者台に座る二人のうち聖印セイント・メダルを首から提げた男僧は兵長のよく見知った者であった。


「もう帰ってきたのか、ロンデル?」

「お疲れ様です、ニルベッツさん。今回の依頼は協同任務で受けまして……俺たちは“荷受け”を担当しただけなんです」


 御者台で少しバツが悪そうに挨拶する男僧に、それでも依頼達成したことを察して警備の兵長はほっとしたように頬を弛める。

 近年、都内女性の失踪件数が多くなっていることを憂い、何らかの事件性を疑う者は公都警備隊の中でも少なくなく、兵長もそうした者のひとりであった。

 自身は門衛の務めがあるため、直接関わることもできず歯がゆい思いを抱いていただけに、関連依頼クエストを受けたというロンデル達の活躍には大いに期待するところがあった。

 せめて失踪者の手掛かりくらいは見つけてほしいものだと念じていたのだが。


「じゃあ、無事に見つかったんだな……」

「少なくとも、囚われていた人達全員を連れて帰ることはできたかな……」


 応じる男僧の表情が翳りを帯びるのは、“発見した人数”と“失踪した人数”とが必ずしも一致するとは限らないからだ。

 とにかく生きてさえいれば・・・・・・・・……この手の仕事には、そうした“割り切り”がどうしても必要になってくる。

 おそらく男僧の荷馬車に揺られる者達は、ごくわずかな生存者であったのだろう。そうしたことを承知の上で、それでも兵長ニルベッツは男僧達の為した成果を力強く称える。


「よくやったな、ロンデル。彼女たちの家族が、この日をどれだけ待ち侘びていたことか」

「……ええ、そうですね。そうだと思います、ニルベッツさん」


 男僧は自身に言い聞かせるように強く頷くと、手綱を握る小男へ合図を送り、荷馬車を進めさせた。

 しっかと前を見据えるその横顔に、自分の言葉が少しでも励みになってくれればと願いつつ、ニルベッツは荷馬車を見送って。

 ふと目に付く荷馬車の横に押された焼き印に、見覚えがあった――そう、確かヨーヴァル商会の“紋商”ではなかったか?


「何でヨーヴァルから……?」


 馬屋からでなく、専門外の商会から荷馬車を借りている違和感も、すぐに別の光景を目にして忘れ去る。

 荷台に身を縮めるようにしてうずくまる者達の姿を目にして。

 ようやく解放されたにも関わらず、荷台を包む空気は“晴れやかな希望”よりも“重苦しい疲労”のみが濃くわだかまっていた。

 布を頭から被って力なくうつむく弱り切った背中に、虜囚暮らしが彼女達をどれほど打ちのめしたかが察せられ、やり場のない憤りを覚えさせる。

 彼女たちの苦難がまだまだ続くのは確かだろうが。

 それでも。

 痛ましげな目で見送るニルベッツは、ただただ、人知れず公都の闇で繰り返されてきた連続失踪事件の終息に安堵するだけだ。

 二度とこのような悲劇が起きないようにと祈りながら。


         *****


「このまま、『協会ギルド』に向かうんだよな?」


 街壁門をくぐったところで男僧――ロンデルが確認を取れば、単なる御者かと思しき隣席の小男は事前の打ち合わせと変わらぬ内容を淡々と繰り返す。


「ああ。しっかり事の顛末を伝えてくれ」

「それは構わないけど……搬送と事務手続きをしただけで、報酬を折半じゃ申し訳ないというか」


 役得すぎる報酬配分に、いまだに戸惑うロンデルを「だからこそ、例の件・・・でお前達の手を借りる」と小男は昨晩取り交わした約束を思い起こさせる。

 途端にロンデルの顔が露骨に歪む。イイ女に欺されてタダ飯奢らされた時の嫌な記憶を蘇らせたかのように。

 そして怖々といった様子で小男に尋ねる。


「……本当にやるのか?」

「少なくとも、あいつら・・・・は本気だ」


 あまりに淡々とした小男の物言いに、ロンデルは本当に分かっているのかと少し苛立ちを語気に紛らせる。


「相手はあの・・俗物軍団グレムリン』だぞ? その根城に忍び込むなんて……」


 仲間を助けたい先方の事情も分かるが、これは山賊相手に殴り込みをかけるのとは桁が違う極悪難度の任務ミッションだ。

 そうでなくとも、仮にも国軍の端くれである組織といさかいを起こすなど正気の沙汰ではなく、あるいはせめて――今回の依頼成果による影響でくだんの組織が少しでも弱体化するのを待つのが上策であろうと。

 様々な思いがロンデルの頭を巡りに巡り、つい責めるような口調となってしまう。そうなれば、小男がむっつりと押し黙り、ロンデルは呆れ混じりの深いため息をついた。「決めるのは俺じゃない」という小男の主張を沈黙の中に察したためだ。

 だからというわけでもないが、ロンデルは攻め手を変えてみる。


「そもそも俺たちが目撃したのは、“大男が宿から積荷を持ち出したところ”だけだ。はっきりとセンマとやらの顔を見たわけじゃないし、人間だったかも分からない。ただの荷物だった可能性だって十分にある」

「それでも状況から読み解けば、センマが連れ去られたのは間違いない」

「そして荷馬車が向かった『トイマーレ監獄跡地』が『俗物軍団グレムリン』の根城だということもね」


 苦々しい声でロンデルが締めくくると、気まずい沈黙が流れた。といっても表情を変えぬ小男は何とも思っていなさそうだが。

 焦りか過信か抑制の効かない異人達と危機感が壊れているとしか思えぬ小男の無謀さに、ロンデルは疲れ切った顔で項垂れた。


「……やっぱり、楽して高難度の依頼達成なんてムシがよすぎたか」

「何を悲観することがある? 手助けといっても、お前達がするのは潜入と逃亡の補助だけだ。最も危険なコトは、結局あいつら・・・・がやってくれることに変わりはない」


 贅沢言うなと窘めるような小男の口ぶりに「関わるだけで、十分ヤバいだろ?!」とロンデルは思わず声高になり、はっとして口を塞ぐ。すぐに塞いだ手指を軽く広げて声を潜め。


「あんたらだって、『俗物軍団グレムリン』なんかを敵に回したくないだろ? だいたい何だって異人さんの肩を持つ? ヨーヴァル商会には百害あって金貨一枚の得にもなんないだろ」

「……ところがそうでもない」


 まただんまり・・・・かと思いきや、意外にも小男はロンデルへちらりと視線を流した後、その疑念に答えてくれた。


「連中はゴロアド商会を重用してる。ゴロアドにとっては売り上げの生命線と云うほどにな。その連中にダメージを与えれば――」


 自ずと商売敵の力を削ぐことができる。

 言葉を切ったその先の意味合いを察して、ロンデルは胡散臭げに目を細め、それでもそこそこに・・・・・納得する。

 女性達の解放だけでもヨーヴァル商会側の思惑は達成できるはずだが、別案も用意しておくのは商売人らしい発想だと思えるからだ。

 そうなると、気になるのは両方の案に対する実行性というところか。即ち、異人達の“戦力”という意味での実力の程だ。そこにすべての成否が掛かっている。


「……ところでほんとに『俗物軍団グレムリン』なのか?」


 ロンデルがちらと後方へ視線を投げるのは、女達を乗せた荷馬車の後にもう一台、犯人の遺骸を乗せた馬車が続くためだ。

 異人の仲間が倒したという触れ込みだが、戦士としての階級どころか本物かどうかも分からない。だからこそ、身元調査のことも考え証拠の類いとして遺骸を持ち帰ってきており、搬送を仲間の斥候女や弓士少女などに任せていた。

 もちろん、引き受ける際に遺骸の確認はとっている。

 腐敗がまだ進行していないために、生前はさぞかし手練れであったろう厳しい相貌を確認できたものの、それが彼の英雄軍に属する戦士なのかどうかは知己でもないだけに分かりようがない。

 そうだと云われれば、そのように思えるし、違うと云われれば違うだろうと思えるだけだ。せめて直接戦っているところでも目にしていれば、実感も湧くのだろうが。


「お前は“そうだ”と思って報告すれば良いだけだ。真偽は『協会ギルド』が判断してくれる」

「大丈夫かな」

「“クノール”という名乗りが偽名でなければ有力な手掛かりになるだろう。他者との付き合いなしに人は生きれない。例え軍団が協力を拒みとぼけたところで、あの死体が誰かを知る者は必ず都にいるはずだ」


 それを調べるのが『協会ギルド』の役目だと小男は云う。あるいは公都警備隊と連携を図って調査を進めるに違いないと。

 現状では遺骸が『俗物軍団グレムリン』かどうかは判別不能――つまりは異人達の実力も未知数のままということだ。


 煮え切らない――。


 それでも万一救出していない女性達がいるならば、その行方を捜さねばならないとロンデルは思い、そうなれば、『俗物軍団グレムリン』の件は有力な手掛かりには違いない。

 例えば『トイマーレ監獄跡地』など、女性達を虜囚とするには格好の場所ではないか? 連中が怪しいのは確かなのだ。

 しばらく気難しい表情で自問自答の迷路を彷徨ったところで。


「……まあ、まずは『協会ギルド』への報告だ」


 『協会ギルド』総括支部の建物が見えてきたところで、ロンデルは疲弊しきった声で呟いた。

 建物前で女性達と遺骸を下ろしたところで、ロンデルと小男は別れを告げ、斥候女だけは荷馬車を返すためにパーティから離れることにした。


「ミンシア、悪いが荷馬車の返却を頼む」

「あいよ」

「――あれ、その娘達は?」


 まだ荷馬車にいる人影に気付くロンデルに小男は「別口だ」と素っ気なく応じる。

 まさかさらなる犯罪に繋がるわけでもなし、むしろ誘拐された者の中に、公にされたくない婦女子がいても不思議でないことを考えれば、それこそが今回小男が協力する理由だと邪推もでき、ならばあえて口出しすべきではないとロンデルは好意的に受け止めた。

 笑顔で別れを告げて荷馬車を見送る。


「――“ぎるど”とやらを覗いてみたくもあるな」「若。後生ですから、今しばし我慢のほどを」


 明らかに女性のものと思えぬ声が荷台から洩れるが、すでに距離が開いたロンデルはもちろん誰に気付かれることもなく。

 総括支部を離れた荷馬車は“清浄水路”の方へと去っていった。


         *****


さらに翌日

公都『北街区』

 ヨーヴァル商会の某家屋――



 鬼灯達がルブラン派である小男の助けを借りてヨーヴァル商会に匿われてから二日後。

 彼らは初の依頼クエストで訪れたヨーヴァル商会所有の建物にある大きな居間において、老婦人や小男の留守を見計らい、仲間内だけでの密談をはじめていた。

 同席するのは鬼灯達三名のほか、公都郊外に構えた拠点からの先発隊五名――昨日ロンデル達の荷馬車に潜んで密入街を果たした者達だ。

 畳四枚分はある大きな文机を取り囲み、今後の方針を話し合う場に“活発さ”よりも“気まずさ”を感じるのは、先発隊の顔ぶれに起因するものであったろう。


「――それで、昨日からの動きはどうだ?」


 当然のように上座で仕切る諏訪家の当主に・・・・・・・、何事もなく平静を装う鬼灯やトッドと違い、含みのある視線を向けるのは秋水だ。

 二日前の夜、自分達の窮状を訴えるべく、配下の陰師を伝令に走らせた結果が、この始末。

 まさか当主である弦矢自らが、ろくに供回りも連れずに公都へ乗り込んでくること事態が常軌を逸しているのに、その上、エルネ姫まで帯同させるなど大胆を通り越してもはや狂気の沙汰。秋水が「若は一体何を考えておられる?」と不審感が態度に出てしまうのも当然であったろう。

 

「どうした、秋水? お前に聞いている」

「……」

「秋水?」

「…………失礼」


 無言の抗議でたっぷり間を空けてから、秋水は持ち得る情報を静かに語り出す。

 念のため自身は外出を控え、代わりに情報集めを配下に任せていたのだ。そのため、当主の問いかけに応じれるだけの情報は蓄えられている。


「はじめの滑り出しとしては上々かと」


 そう前置きした後に秋水は詳細を加えてゆく。


「昨日のうちに、『協会ギルド』では保護した女子おなごらからの短い聴き取りが為されたようで。そこから同一組織によるかどわかしの実体が浮かび上がるに至り、これまで個別案件として扱われていたものが、正式にひとつの大きな事件として認識されることになったのが何よりの進展かと。

 その上、凶行に及んだ組織として『俗物軍団グレムリン』の名まで挙がったことから、『協会ギルド』では蜂の巣をつついたような騒ぎになっているようで」

「ふん……? 情報を伏せなかったのか」

「そこは捨丸がさりげなく吹聴しましたので」


 すまし顔で裏工作の成果と告げる秋水に弦矢は無言で頷くだけだ。そうでなくては仕掛けた意味がないからだ。

 評価が落ち目とはいえ、英雄軍と謳われた組織の

人道無視な犯罪行為が明るみになれば、公国を揺るがす未曾有の不祥事になる。

 未だに彼らを崇敬する軍関係者や民衆の支持は大きく毀損し、貴族社会にも多大な影響を与え、それは火消しにかかる側とそれを阻む側との新たな火種を生むことにもなる。

 そうなれば、貴族社会を含めた世間の目はいやでも『俗物軍団グレムリン』に集まり、おいそれと根城奪還の大胆な作戦行動をとれなくなるだろう。いやむしろ、根城に手を出せば掛けられた嫌疑を自分で認めることになるだけだ。

 それこそが、今ある伝手を最大限に活かして女性達の解放を早急に進めた真の狙いであり、弦矢がエルネ達の意見を取り入れて仕掛けた策であった。

 秋水の報告は策の及ぼす影響が第一段階に至ったことを裏付けていた。とにかくできるかぎり情報を拡散させることが肝要となる。


「洞窟の所有権は?」

「さすがに特別報酬の要望は保留されたようで。ただ少なくとも、我らが郊外探索の拠点に使うことは周囲に認知されたかと」


 当初の目論見から外れるが、手に入れた根城を隠さず公にしてしまうことで、人の出入りがあることを不審がられることもなければ、近づく者を牽制する理由にも使えるだろうとの判断だ。

 何よりも、ますます『俗物軍団グレムリン』が奪還しにくい状況が出来上がる。ちなみに洞窟に対する所有権の主張もエルネ達からの入れ知恵だ。


「……これで、奴らへの牽制になるといいが」


 昨夜、奴らの急襲がなかった事実に期待を抱くが、たった一日では何を確証するものでもない。その不安を察した秋水が「打てる手は打ちました」と案じても疲れるだけだと言外に含める。


「あとは結果が出るのを待つのみ」

「さすれば、早急に対応すべき懸案について、話し合っていただきたいのですが、若?」


 不躾にそう切り込んできたのは鬼灯だ。

 普段と変わらぬ物腰でありながら、隠せぬ焦りが口早な声にありありと滲む。

 すっかり異界の服装に馴染んでいる様は、金髪碧眼の容貌も相まって、探索者が諏訪家の当主ににじり寄っているような感じに見えた。


「何度みても、あまり違和感がないなお前の場合」「……とりあえず褒め言葉と受け止めさせていただきます。それよりも若っ」

「ああ、扇間の件・・・・だな?」


 弦矢の黒瞳に切れるような光が走り、鬼灯も力強く頷き返す。


 二日前、クレイトン一家の襲撃に伴い、深手を負った扇間を助けるべく三手に別れる決断を下したのは鬼灯だ。

 危険を承知で囮役を担い、懸命にその役を果たしたはずであった。

 その結果、ルブラン派である小男やヨーヴァル商会の支援を受けて、鬼灯組や秋水は辛くも難を逃れたのだが、肝心の扇間は合流を果たすことは終にできなかったのである。

 まさに痛恨の極み。

 ヤクザ一家とはひと味もふた味も違う組織の力に外にも出れず、小男の力も借りながらその後判明したのは、どうやら何者かに扇間が連れ去られたらしいという怪しげな情報ただひとつ。

 『一角獣ユニコーン』なる探索者班が『ソヨンの宿』前で人影らしきものを担いで荷馬車に乗せる大男を見たとのいかがわしい目撃情報は、だが、他ならぬ関係者が耳にすれば、信憑性のある情報とすぐさま判じれた。

 その信頼性は、怪しい集団による街区の封鎖やその中心部にあたるのが『ソヨンの宿』であったという話しを聞けばさらに高まることとなり、彼らの荷馬車に対する考察を教えられることで、扇間の行方もある程度は目星を付けることができたのである。


「扇間さんが奴らに囚われているのは明らか。生かしておく理由は定かでありませんが、こちらにとってはもっけの幸い。

 奴らが動き出す前に、『抜刀隊』で奇襲を掛け、救い出すことは可能かと」

「焦るな鬼灯」

「若……?」


 心持ち前屈みになる青年侍を弦矢は噛んで含めるように制止する。


「これまでの話を聞くに、いかな『抜刀隊』といえど、奴らの筆頭幹部を攻略せねば、奇襲を掛けたところで失敗の目が大きいと思うが、いかに?」

「それは――」

「しかも扇間が囚われているところは、奴らの本拠に相違あるまい。先の洞窟と戦力は段違いぞ」


 続けて並べられる正論に、反論できぬ鬼灯の頬がかすかに引き攣る。特に幹部筆頭と直に相対した鬼灯だからこそ、あのような者に囚われた扇間がどう扱われるか、気が気でないから葛藤も生まれる。

 そうした事情も耳にしていればこそ、弦矢もさらに言葉を加えるのだろう。


やらぬ・・・と云うておるのではない。ただ、しっかとした下調べもせぬまま、吶喊する無駄死にを儂は許さぬと申しておる――分かるな?」

「……はい」


 それでもなお、今すぐ行動に移せぬもどかしさを容易に呑み込めるものではない。だが、他の仲間をあたら犠牲にしたいわけでもなく、故に鬼灯は膝上の両拳をきつく握りしめる。


「その攻略についてだが……あやつが水に弱いということはないか?」


 呟きは、秋水が洩らしたもの。


「あの時、感じた違和感は“水場に近寄るのを忌避したため”と受け止めればしっくりくる。水を掛けはしたものの、動きや思考の鈍りが顕著でなければ、とても逃げおおせるものではなかったろう……」


 先日、筆頭幹部と相対した際の行動を詳細に告げながら、感じたことも余さず含めて秋水は皆に語って聞かせる。

 それへ真剣に応じるのはこの中で誰よりもこの異界に精通するトッドである。探索者としても豊富な経験を持つからこそ、手掛かりでも見出してくれればと自然と期待の籠もる視線が向けられ。


「確か『月下術』と云ったんだよな……」

「ああ。五体を霧と化し、儂の攻撃を受け付けぬ奇怪な妖術を使った。

 攻撃そのものに気配がなく、それでいて圧倒的な膂力は桁違いに強く、まるで鬼火を思わす蒼色に輝く瞳は、人というよりは化け物と呼ぶべき存在としか思えなかった――」


 独白に近い秋水の言葉に鬼灯も賛同を示して己の体験を語り繋げる。


「私の剣に貫かれても死にませんでしたから。痛みを感じているようにも見えず、ただ――我が至智流の『祓いの太刀』だけは効いたようですが」


 それを耳にして訝しむトッドとは異なり、諏訪侍だけは何かに気付く。それを代表して言葉にするのは無論弦矢だ。


「『祓いの太刀』は破邪の太刀であったか? つまり相手が真に化け物だからこそ、効き目があったということか……」

「ああ、何だか……それで思い出したんだが」


 そこでトッドが頭を掻き毟りながら、自信なさげに口にする。


「俺の知っている限りじゃ、『吸血鬼ヴァンパイア』という怪物の特徴に酷似しているんだ」


 『不死者ノスフェラトゥ』、『夜の王ナイト・キング』など呼び名は幾つもあり、古くから“冥界の女神”との繋がりを指摘されるが、その生誕秘話が明らかにされた事はなにひとつ耳にしない伝説の怪物。

 不死であるが故に長寿。長寿であるが故に豊富な知識と経験が類い希なる知性を育み、巧みに姿を隠すことから、広大な大陸に潜む彼らの存在を察知するのは難しく、滅ぼすことはさらに困難な試練となる。

 ごく稀に、高名な探索者あるいは聖騎士による討伐報告がもたらされるが、その九割方は『吸血鬼』によって産み出された『闇夜のひとつ胤スポーン・オブ・ダークナイト』だというのは存外に知られていない。

 それでも人類と闇の者との戦いの記録は残され、その弱点も徐々に露わにされてきた。秘匿されている情報もあるのだろうが、寝物語に流布された有名な諸説は幾つかある。

 曰く、陽光に焼かれて灰になる。

 曰く、心臓へ杭を打ち込めば灰になる。

 曰く、祝福されし物品に触れられない。

 曰く、特殊な固有スキルを有する。


「この他にも、『力ある物品』として位置づけられる特殊な武器や銀製の武器でも傷つけることが可能だったはずだ。それともうひとつ」


 記憶を手繰るようにトッドはゆっくりと言葉を綴る。


「いつだったか……シリスに聞いたことがある。水の精霊は、“生命を司るもの”なのだとか。だからさ」

「真逆の存在である者からすれば、天敵にも成り得る、ということか」


 トッドの後に続けて秋水は得心する。それは鬼灯も同じであったらしい。


「ならば、『祓いの太刀』が効くのも頷けますね。ついでにいえば、その神髄は『神息』という特殊な呼吸法にあり、これは副長から教えていただいた想練にも通じます。そう考えると敵の攻略には『気』が大事な鍵になると思われませんか?」

「もしそうだとするならば、攻略の糸口は思った以上にあるように思えるな」


 思案げに弦矢が洩らせば、「残念ながら、そう容易ではないかと」そう鬼灯が否定する。


「どういうことだ?」

「おそらく、効き目のある『気』を練り込むのが容易ではないということがひとつ。それを武具に通して効かせられるのも容易ではないということがふたつめ。なにしろ『祓いの太刀』を修めるには、己の『気』を刀に馴染ませること・・・・・・・・・も修行のひとつでしたから」


 『神息』で練り上げた気を太刀に込めてこそ、破邪の太刀に成り得るのだと。

 血の通う人体でなく、ただの器物が気を纏うのは通常であれば不可能な話しだ。だが、長く気を練り上げる者が手にし続けることで、器物にも徐々に気が染み渡り、やがては気を通せる特別な刀へと変性する。その話しはまるで、この世界における呪物の成り立ちにも似ていた。


「ふむ。そう都合良くはいかんか。それでもじゃ」

「はい。攻略の糸口が見出せたのは確かかと」


 鬼灯が力強く頷き、弦矢の決断を仰ぐ。返されたのは苦み走った男臭い苦笑ひとつ。


「焦るなと云った」

「若――」

「よいか。根城の調べもついておらん。『吸血鬼ヴァンパイア』なるものについても、今少し掘り下げながら両方を煮詰めるべきだ」

「ならばそれらを成し得た暁には、是非にっ」


 馴れぬ大型机の上に両手をつく鬼灯を、しつこいと嫌わず、むしろ真剣な面差しで弦矢は承諾する。


「よいか、鬼灯。奴らが扇間を生け捕りにした以上、目的を達成するまでは容易に殺すまい。それまでのわずかな刻を無駄にせず、救出が万全になるよう人事を尽くせ」

「はいっ」


 これまで他者との繋がりを深く持たない者と認識されていたが、深々と低頭する青年侍の姿をみるに、勘違いであったらしい。

 あるいは、短くも異国での旅が彼の何かを変えたのだろうか。少なくとも、鬼灯には当分、扇間救出の任務に集中させた方がよいことは誰の目にも明らかであった。

 そうであれば、ぎりぎりのところで抑制が効き、他に影響を与えることもないだろう。

 

「さて、これでようやく今日最後の案件に入るわけだが」


 弦矢があらためて特大文机を取り囲む一同をゆるりと眺め回す。これに表情を堅くするのは他ならぬエルネ一行だ。

 危険を承知で早期に密入街した理由はただひとつ――叔父であるルストランが突然謀反を起こした真意を即刻質すため。

 特に『俗物軍団グレムリン』による裏社会の支配を狙う動きや女性達の誘拐など、目に余る行為をルストランはどのように捉えているのか。

 あるいはバルデア卿と彼らが敵対する場面も目撃されていることから、互いに別の思惑で動いているとの希望的見解もできるが、事実はどうなのか。

 エルネには解かねばならぬ疑念があり、申し出たいこともある。


 共に『俗物軍団グレムリン』の非道を止め、公都の治安を守れまいか。

 共に公国の発展に尽くしていけないのか。

 エルネが成長するまでに後見人となる道もあろう。いやいっそ大公の座を望むなら――


「会って耳にしたこと以外は、ただの妄想ぞ?」

「!」


 弦矢に胸内を見透かされエルネの小さな肩がぴくりと震える。ここに来るまでの道中、何度も口にしていたこともあり、表情から読み取るのが容易と気付けば驚くに値しない。

 それでも自分の内にこもっていたためか、エルネはまるで今初めて自分がどこにいるかを知ったような顔で、目線を左右に流してようやく我に返った。


「……失礼しました。どうぞ、話しを進めてください」

「これから話し合うのは、姫の願いをいかにして叶えるかだ。当事者として、積極的な参加を望むがよろしいな?」


 集中しろと弦矢に釘を刺され、エルネは深く首肯した。


「皆も先に聞いていたとおり、公城では何やら騒ぎが起きているようだ。城の出入りが激しくなり、大公代理が独りになる機会は減ってしまう反面、どうやら城外の何かに手を割かれ、城の警備は薄まっているのが好機とも言える」


 当然、弦矢の口調には後者と捉える前向きさが感じられる。


「あとは『俗物軍団グレムリン』の奴めらが、このまま大人しくしてくれれば“動くべし”と儂は思うておる」


 静まり返る場に、緊張が走る。

 そこに怖れはなく、あるのは疼き。

 敵陣奥深く忍び入り、敵大将と直接対峙する積極果敢な策など、戦乱で馴らした諏訪の侍といえどさすがに初めての試みだ。

 誰が生き残り、誰が倒れるのか。

 いや、エルネ姫だけは無事に送り届けねばならぬとすれば、あくまで密やかに誰に気取られることもなく侵入を果たせねばならない。

 少なくとも往路だけは。

 当然ながら対面の結果如何で、復路は地獄の道行きになるだろう。命を賭して血路を開き、何としてでも当主弦矢やエルネ姫だけは帰還させねばならぬのだ。

 だがだからこそ、武者震いするほどの熱も生まれようというもの。

 部屋の温度が明らかに変わったことを感じながら、弦矢が話しを続ける。


「姫」


 弦矢の促しに、エルネがミケランに目配せして特大文机に大判の地図が広げられる。

 手書きの拙い図面を堂々と広げてみせるミケランに対し、ほんのりと頬を染めて気まずげに俯くエルネの所作にわずかな疑念を抱けば。


「それは、姫が城を抜けるときに使った秘密の通路から、叔父御殿がおられると思われる執務の間までの道筋を描いたものじゃ。姫に無理を言うて描いてもらった」

「……直線て、なかなかうまく画けなくて」


 もそもそとエルネが呟くのを「いえ分かり易く描けていると思います」そうミケランが讃辞を送るから、余計にエルネの俯きが深くなる。

 第三者が褒めてくれるならまだしも、身内に言われては身びいき感が否めずに、いっそう気まずくなるのは当然だ。


「確かに精巧な図面など求めておらん。肝心なのは、初めて目にする儂らが覚えやすいか否かだ。これで十分と思うがどうだ?」


 あえて皆に問う弦矢に、一同は「異論なし」と静かに首肯する。


「では、姫には辛いことを思い出させるかもしれないが、この道行きの要所要所を思い出せるかぎりで教えてくれまいか?」

「ええ。では――」


 立ち上がったエルネが身を乗り出し、図面の一角を赤切れが目立つ指先で指し示す。

 鬼灯達を除けば、剣をとり汗を流す姿を誰もが承知しているからこそ、諏訪侍は好もしい目で見つめ、ミケランは痛ましげに傷一つ無かったはずの細く白い指先に見入る。


「大公家だけが知る“秘密の王道”は、途中で公都の下水道に合流し“清浄水路”のこの場所に出られるようになっています」

「なるほど。下水道に至れば、そこから公都の好きなところへ行くことができる。うまく考えておりますね」


 鬼灯が思わず感心の声を洩らせば、「でも道に迷ったら目もあてられねえ」とトッドが茶々を入れる。


「ええ。私も不案内だから、すぐに“清浄水路”へ抜けたわ」

「最後の格子扉も下水道の鍵さえあれば問題ないからな」


 続くミケランが懐から取り出した真鍮製の鍵を机の上に置く。脱出の際に手助けしてくれた執事から預けられたものだ。


「逆に侵入する時は、この西街区から辿れば一気に城内の深部に至ることが可能です」

「いや、準備さえできればこの近くからだって行けるだろう?」


 そう得意げに声を弾ませるのはトッドだ。思わぬ発見をしたと嬉しげに「下水道は公都中に張り巡らされているからな」と理由を告げる。


「せっかくだ、ルブラン派とやらの伝手を使えば下水道の地図くらい入手できるだろうよ」

「ダメよ、これ以上ルブラン派に借りをつくるなんて! いえ、スタン家の騒動を彼らに知られるわけにはいかないわ」


 拒絶するエルネが必死になるのも、今もローブを深く被って顔を隠し身元を偽り潜んでいるからだ。異人ということで異質な風体にも疑惑を抱かれずにすんでいるが、かなり危ない橋を渡っているのは間違いない。

 できるかぎり彼らとの接触を避け、おかしな興味を引かぬようにするのが懸命だ。それでなくとも、鬼灯達は小男からの余計な依頼を受ける羽目になっているのだから。

 ルブラン派との提携案ははじめに検討されたが、事が大公家の醜聞にもなることから、すでに見送ることで決めている。トッドの不用意な発言はいらぬ蒸し返しだとエルネは視線で責める。


「ここまできたら同じだと思うが……まあいい。何とか独自に地図を入手してみるか」

「そうしてちょうだい。……それで、王道を抜けた先なんだけど」


 気を取り直したエルネが指を滑らせ、居館の一角を差す。


「ここから梯子を登って、一階と二階が“開かずの間”、三階が図書室にそれぞれ抜けられるようになっています。

 私たちが目指すのは三階の図書室ね」


 そうして幾つかの要点を説明し終えたところで、大きな角部屋で指先が止められた。終着点だ。


「おそらくこの執務の間に行けば、会えると思う」


 まるでその時を想像するかのように、エルネの言葉が途切れ、碧い瞳が遠くを見るように細められる。

 現れた自分をみて、相手はどのように応じてくるのか。

 それに対する自分は、どのような表情をしながら、いかなる言葉をかけるのか。

 これまで繰り返し想像してきたに違いない。


「念のためだが、抜け道は逆から行くと鍵が掛かってて通れないということはないか?」


 思わぬ指摘は秋水からだ。

 思ってもみない質問で現実に引き戻されたエルネは一瞬ぽかんと口を半開きにした後、すぐに唇に指先を当てしばし黙考する。


「……大丈夫だと思うけど」

「アブナイな」


 胡散臭げに目を細めるのはトッドだ。


「ま、ダメなら『魔導具』の出番だな。遺跡専門の探索者御用達『解き明かしの鍵アンラベリング・キー』なら絡繰り仕掛けで閉じられた扉さえもすべて対応可能だぜ」


 用意しといてやるよと告げられれば、素直に任せるしかない。侵入道具の備えについては、この場で最も長けているのはトッドであろうから。


「姫、他に何か伝えるべきは?」

「うーん、そうですね……“秘密の王道”は幾つかのルートがあると聞いた覚えがありますし、侵入防止の罠もあるとも記憶しています。ですが、私が通ったのは一本道で、罠に注意も払わず夢中で駆け抜けましたから……心配は無用かと」


 そもそも安全なルートを教えられたのではないかと。

 エルネに目顔で問われたミケランも無言で首を振るだけだ。警備隊長といえども、大公家生存に関わる切り札についてだけは教えられていないらしい。

 今はそれで十分と弦矢が満足げに応じる。


「実際にやってみなければ分からないことはあるだろう。朗報なのは、叔父御の間近まで静かに侵入できそうなことか」

「そうですね。結局は、叔父様と対面してからが本当の戦い……」


 話し合いで整理が付けられたせいか、あらためて自身が重要な役目を負っているのだと確信したように、エルネがしっかと顎を引く。

 睨み付けるように図面に描かれた執務の間を目にしながら。


「――それで、お父様のことは?」

「すまん」


 即座に詫びる弦矢の声はさすがに堅かった。

 結局は城内の情報を得ることは叶わず、ルブラン派にそれとなく聞くのはエルネ自身が拒絶していた以上、打つ手はなかった。


「やはりすべては私次第、ね――」

「不要な苦労を掛ける」

「不要じゃない。それが必要だというなら、いくらでも負うわ。だから絶体に、私を叔父様の下へ」


 頷く以外に何がある。

 12歳の少女の覚悟が、弦矢と共に諏訪侍達の胸内で強く誓わせる。


 任せあれ、と。


 決行の時は近い。

 『俗物軍団グレムリン』の動きについては、小男から情報が入ることになっており、奴らがこのまま大人しくしているならば、拠点から第二陣を呼び寄せることができる。

 ならば先陣を誰に切らせるかだが。


「姫の願いもあり、無用の争いは避ける方策じゃ。それ故、二つの組を構成し、先陣が姫を無傷でお届けする役、後陣を万一に備えた退路確保の役に当てる」

「して、先陣は誰に?」


 静かに鬼灯が問えば、弦矢はすでに腹案があったらしい。


「姫のご一行と察知力の鋭い月齊、諏訪家の立会人として儂が行く」

「若自らが……」


 どちらかといえば、やはりという空気が漂う。


「勿論、彼ら・・もいるのでしょう?」


 鬼灯が何気なく周囲へ視線をさまよわせるのを訝しむことなく、弦矢は静かに首肯する。それをみて誰もが安心したらしい。


「ならば、我らは我らで為すべき事に集中してよろしいですね?」

「ああ。先も云うたとおり。好機とあらば、秋水と協力し実行して構わん」


 場合によっては、エルネ姫の事案と重なり複雑な状況を生み出しかねない。それでもよいとの判断に扇間の窮地を当主もまた心痛めているのだと鬼灯も知ったのだろう。


「――決して、無謀は致しませぬ」


 あらためて、深々と低頭するのであった。


         *****


同日の午後

公城シュレーベン

 メルヴェーヌの執務室――



「こちらから声をかけておきながら、足を運ばせてすまないバルデア卿」


 初めて耳にする政務官のしおらしい言葉に白髪の騎士はわずかに眉をひそませた。

 騎士を対等に扱ってみせるのは、あくまで主人の前だけでの猫かぶり。大抵の文官がそうであるように、上司の目が届かぬところでは態度は真逆のものへと豹変する。

 当然、家格もルストランの腹心一位の座からみても、はるかに優位な地位にありながら、度量の狭さを自ら宣伝するかのごとく、何かと敵視してくるのがメルヴェーヌだ。それだけに、今回の挨拶はひどく珍しい態度であったのだ。

 つまりはろくな用件でないことを予感させるに十分な、嫌な滑り出しと言えるだろう。


「そちらも例の件・・・で忙しい身だ、早速だが本題に入らせてもらうこと赦していただこう。――卿から見て、最近の閣下をどう思う?」


 本当に珍しい。

 いや、この政務官にしてはあり得ぬ発言だ。

 一歩間違えれば不敬のそしりを免れぬ台詞は、よほど思い詰めなければ口にはすまい。

 触れてよいのか見極めが難しい案件に、だが、バルデアは躊躇なく手を伸ばす。

 

「そのことなら、もう案じることはない」


 しゃがれ声に不安を掻き立てる要素は感じられず、だからこそなのか、メルヴェーヌがバルデアの双眸をじっと覗き見る。

 他にいかなる意図も隠されてはいないのかと。

 文官らしいひねくれ方だが、そんな無用の腹芸を嫌うようにバルデアの方から発言に捕捉を入れる。


「姫様がいまだご健勝であり、しかも近々、秘密裏にご登城されるという情報が入った。今少しで、一度は修正せざるを得なかった計画を元に戻すことができそうだ」

「その話なら、殿下から聞いている」


 だから問題なのだとメルヴェーヌは眉間に深い皺を寄せる。


「本来であれば精力的に無派閥の貴族諸侯を取り込み、各派閥の長とも会合を重ねて地盤を固め、今頃は『浄化師』を招く段取りまで終えているはずなのだ――」


 病に伏した大公陛下を救う建前の下、“大浄化の儀”を盛大に執り行うことで、ルストランの政務手腕を内外に認めさせる。

 その後のプランを含めてメルヴェーヌの中ではルストランが大公になるまでの道筋が仕上がっており、今や粛々と実現していくだけなのだ。それが――


「殿下の指摘に間違いはないが、結果的に遠回りしているのは確実だ。無論、石橋を叩くという考えもある。だが殿下のそれは……」

「“躊躇”」


 バルデアの言葉にメルヴェーヌの重い沈黙が肯定する。


「……それもこれもすべては、姫様の安否に気を患わされてのこと」

「姫様が悪いのだと?」

「そうではないっ」


 馬鹿なと片手を振り回し、メルヴェーヌは謂われのない糾弾を払いのける。


「幼少の頃より、頻繁にルストラン様を訪ねて来られたあの方を、常に出迎えていたのは他ならぬこの私だぞ? あまり時間が取れぬ主人に代わり、お相手差し上げた時間であれば、私の方が多いくらいだ……」


 それでもと固い声で目を鋭く細めて、はっきりと口にする。


「私が最も多くの時間を共に過ごした方は……ルストラン様なのだ」


 公女よりも大公陛下よりも。

 妻よりも娘よりも。

 今より地位も低い頃――あどけない幼子が不思議そうな目で自分を見守る中、片膝着いて忠義を誓った頃から、誰よりも長く接してきたのだと。


「私はどちらも知っている。だからこそ断言できるのだ。次代の大公にはルストラン様こそが相応しいと」

「近頃は周辺国の動向も怪しくなってきている」


 賛同するようなバルデアの指摘に「気付いていたか」とメルヴェーヌは目顔で応じる。


「確かに、北のモディールとはいつまで同盟が続くか分からん。先の『北魔討伐』で援軍要請を求めたのも恐らくは」

「こちらの戦力を見積もるため」


 さすがに得意分野ならばバルデアも目端が利く。


「少数精鋭との条件を付けたのも、『俗物軍団グレムリン』の実力が見たかったからだろう。ついでにこちらの戦力を削いでおくのも狙っていたはずだ」

「ヨーバル通商連合も注視しておく必要がある。あそこの『十商』候補と目される人物が公都で商いを始めたのが気懸かりだ」


 それには無言のバルデアに、メルヴェーヌは問題点を教示する。


「『行商五芒ペンタグラム』まで与えられたその人物は、これまで国境沿いを中心に商売してきたことが分かっている。それが公都の不安定化を見透かしたかのように拠点を移してきたのをどう捉える?」

「商売人としての嗅覚が鋭い。いや――ルブラン派と手を組むとでも?」

「それだけならば」


 まだいい・・・・、との呟きにバルデアが疑念を露わにするもメルヴェーヌは次の問題点に移行する。


「まだ注意すべき諸国は他にもある。彼の帝国とかな」

「!」


 さすがに反応せずにはいられない、その指摘にバルデアの身が緊張でかすかに強張る。


「帝国軍務に何かの動きがあるようだ。諜報人はそれを“兆し”と捉えたが、あの国で起こるそれは年間百件以上に上るからな」

「なのになぜ気になる・・・・と……?」

「ある人物へアプローチするのが初めてのことだからだ」


 それはバルデアに何かを予感させたのだろう。

 にわかに引き締まる痩せた頬、沈んだ瞳に異様な精気を確かに滲ませて。


「そうだ――先の大戦ではついぞ相見えることのなかった『双輪』の残りひとりに、帝国軍務が人を送っている」


 それは衝撃的な発言だった。

 予め推測しているにも関わらず、反射的に身を強張らせてしまう力が『双輪』という言葉にあった。

それは『三剣士』に称されるバルデアであっても例外ではなかったらしい。

 思考すら止めたような白髪の騎士を見つめながら、メルヴェーヌはどこか満足げに話しの続きを口にする。


「他にも我らが気付かぬだけで、各国に不穏な動きはあり、今もその牙を公国に突き立てんと研ぎ続けているはずだ。

 これで私の感じていることは十分に伝わったろう。殿下の腹心としての矜持だけではない、公国を担うひとりの政務官としても、この来たるべき災禍に備え、我らが主を大公の座へ何としても押し上げねばならないのだっ」


 ひしひしと迫る脅威がその声の裏には確かに感じられた。しかもその脅威とは、豪雨や雪崩といった一部の区域に限定し、短時間で過ぎ去るものでなく、公国全土に長き戦いを覚悟させる極寒の冬を思わせるものなのだ。

 万難を排して幾重にも備え、総力戦で望まねばひとたまりもないことは誰にでも分かるだろう。


「今の状況を招いた責任を、我らは取らねばならぬ。それは前より強い公国を築くことでしかあがなえないものだ。

 だからこそ、遠回りしている暇はない。殿下には姫様のことよりも国の行く末にのみ集中してもらわねば」

「一体、私にどうしてほしいと――?」


 そこでようやく、この回りくどい話しの終着点がバルデアには見えてきたらしい。事実上、政務の頂点に立つ男が、折り入って自分に何かを求めているのだと。あるいは協力の要請か?

 ただし、主人であるルストラン不在の場で語られる状況の意味を念頭に置く必要があるのだが。

 メルヴェーヌがたっぷり間を置いたのは、バルデアの様子を窺うというよりも、自分の覚悟を決める時間があらためて必要としたためかもしれなかった。


「貴殿は姫様がどのようにご登城なされるとみている?」

「……人知れず城を抜け出た状況を考えれば、大公家直系にしか伝わらぬ秘密の抜け道があったとするのが分かり易い」


 バルデアの私見にメルヴェーヌは異論を挟まない。


「姫様ならば身内で血を流すことを良しとせず、直に殿下の真意を質したいはず。ならば同じ経路を使い、直接の会談を狙うだろう」


 だから執務室の前で迎え討つと。


「私の役目は、この期に乗じる不逞な輩の排除にある」

「姫様はお通しすると?」

「当然だ」

「ならば、図書室近くの小広間に陣取れ」


 その助言をバルデアは訝しげに聞く。


「同じ考えで、ルストラン様に秘密の抜け道について相談させていただいた。ヒントをいただくことで、図書室が抜け道のひとつであることが明らかになっている。

 貴殿の強さに疑いはないが、それでも戦いが起きるなら、念のため、ルストラン様のいる執務室から離れたところでやるべきだ」


 メルヴェーヌの提案はしごく尤もなことだ。なのに引っかかる。それだけで済むはずがないと政務官と思えぬ底冷えするような光がバルデアの胸中をざわつかせるのだろう。


「……何を考えている?」

「……」

「“戦う場所を変えること”が私に望むことか?」

「……」


 小広間から執務室までは一本道というわけではない。間には数部屋が存在し、そもそも執務室への正統なルートも存在する。

 何者かにルストランを狙わせるには効果的だが、メルヴェーヌが煩わしく思っているのはエルネ姫の方――


「――メルヴェーヌ殿。貴殿はまさか……」

「ベルズ家が姫様との婚姻を願っているのは知っていよう?」


 騎士の反応を無視してメルヴェーヌは窓辺に身を寄せた。室内の重い空気とは裏腹な憎らしいほどの晴天に目を細めて。


「この事に関しては、私も大公と同意見だ。姫様が辺境伯との橋渡し役を担ってくだされば、公国のまとまりは強くなる」

「彼のご子息は、あの・・俗物軍団グレムリン』の団長だぞ?」

「もちろんだ――十年前の大戦で亡国の運命から救ってくれた本物の英雄・・・・・でもある」


 英雄であり、外道でもある。

 その相反する見立てをぶつけあい、メルヴェーヌとバルデアはどちらも退く気はない。ただ、さすがにそれでは埒があかぬと思ったのだろう。


「確かに、今の外軍はどうしようもないお荷物だ。だが、件の団長は“優しすぎるのが唯一の欠点”と揶揄された優れた人物であることを知っているかね?」

「それは大戦前の評価と聞いたが?」

「ならば大戦後はどうだと?」


 質問に質問で返されたが、バルデアに答えはない。大戦以来、社交界で目にした者は誰もいないからだ。それもそのはず、大戦時の死闘が凄まじく、辺境伯共々、団長もまた長き療養に入っていたのが理由であった。


「ひどい戦争を経験した者は、心を病んで“人が変わる”者もいるそうだ。それほど過酷な体験をしながらも、ベルズ家のご子息は再び戦線の指揮を執り、今も我が国を護り続けている。

 そのような心根の強い方が“血に飢えた獣”だと貴殿はどうして決めつける? ただ噂に流されているだけではないのか?」

「配下は間違いなく“ケダモノ”だ。それを抑えぬ団長がまともだという証にはならない」

「ならば我らが手を貸せばいい・・・・・・・・・・


 思わぬ発想にバルデアは虚を突かれる。


「何も団長までひとまとめにして、排除する必要はない。『三剣士』という刃を振るい、悪い膿を絞り出し、再び英雄と称えられるに相応しき軍団に再生させればいいだけだ。

 そうすれば、姫様も周辺国との醜い戦いに心悩まされることもなく、強く優しい団長と共に末永く暮らすことができるだろう」


 それがエルネ姫の幸せになると。

 そのままバルデアが堅く口を閉ざすのは、どこか都合良く繋ぎ合わされた筋道に嘘や間違いがないためだ。

 それをどのように捉えて整理すれば反論できるのか、あるいは反論すべきではないのかさえ、剣を生業とするバルデアにはどうしても判断がつけられなかった。それがバルデアに沈黙を維持させる。

 とにかく分かるのは、今やメルヴェーヌの領分に自分が立たされたということ。これでは正常な判断などできるはずもない。


例の件・・・――陛下の行方はまだ掴めないのか?」


 苦悩するバルデアを翻弄するように、メルヴェーヌは唐突に話しを変えてくる。


「……追跡術に長けた斥候を引っ張り出したところだ。近日中には手掛かりを掴めるだろうし、ある程度のあたり・・・はついている」

「犯人は『俗物軍団グレムリン』?」


 二日前の晩。とりまく状況から検討し、大公陛下を秘密裏に別邸へ移送する際に起こったあってはならぬ事件。

 話しの内容はあまりにきな臭く、その真実は国の信頼が崩壊しかねぬものだ。なのにメルヴェーヌは薄く笑みを浮かべる。


「それが本当であれば、これこそまさに好機――悪い膿を排除する千載一遇のチャンスでは? そうでなくとも、連中を狩る口実は確実に用意しておくべきなのは確かだ」

「……姫様の身に危険はないのか?」


 その言葉が何を意味するか。

 振り向いたメルヴェーヌの双眸に同志を歓待する喜悦があった。


「あの方は“魔境”にまで行かれたのだぞ? 我らが事を起こした時から、姫様に平穏などあるはずもなかろうが」


 あまりに尤もな話だ。

 ルストラン側の心情のみを考え、彼女の思いを考え尊重することなどしていなかったことに、今さらながらに気付かされるメルヴェーヌの指摘。

 所詮は己の良心を慰める程度にすぎなかったろうと自覚するからこそか、バルデアは退席するまで一度も口を開くことはなかった――。

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