第77話 忍び寄る魔手(二)

余話

ひげ面親父の語り――



「これでも俺の肉体からだにゃ、貴族のお上品な血が流れてる――こんなひげ面で無愛想なヤツでもだ」


 そうして手入れもしない伸び放題の髭もじゃを親父は鷲掴んでみせる。


「実際にゃ半分だけだが、そんなことはどーでもいい。肝心なのは、妾にすぎなかったお袋が、縁切った貴族のために願ったってことだ――あのひとの大事なものを取り戻してあげたい、てよ」


 貴族だった男はとうに没落し、再興することなく世を去っていた。すべては家宝を手放したせいだとありがちな風聞を流されながら。

 追われるように都を離れ、やむにやまれず手放した――男の悲哀を訴える風聞に、それが事実と受け止め密かに心痛めていたからこそ、最後の最後、母親の口をついて出たに違いない。

 取り戻してあげたい、と。


「未練――だな」


 母親の想いをひげ面親父は短い一言で片付ける。


「今さら取り戻してどうする? 墓前に飾ったところで死人が生き返るわけでもねえ。消えちまった家に名誉もクソもあるまいが」


 母親もそれは分かっていたはずだ。

 だが、家宝を手放しさえしなければ想い人が都を離れるようなことは起きなかったと信じていた節がある。

 そうでなければ縁も切れなかったろうと。


「お袋の中じゃ、別れた理由とお家失墜を結びつけていたのかもしれねえな。あるいは、死んじまった男のことをそこまで想っていたのか……純粋に野郎の無念を晴らしてやりてえってよ」


 とはいえ、母親の真意などひげ面親父に分かろうはずもない。

 恋多き貴族の愛人など、他にも複数いることくらい分からぬ純真うぶでもなかったはずだ。

 だのに母親は誰とも添い遂げず、誰かの下に身を寄せることもしなかった――彼女が誰にその身を捧げていたのかは容易に推察できようもの。

 だが哀しいかな、情愛の深さが暮らしの糧になるわけではない。

 かつて渡された手切れ金はすぐに底をつき、母親は安宿の下働きに身をやつしたまま、生涯を閉じることになる。

 彼女の後世は想い人の忘れ形見を育てるためだけにあったといっていい――結局はゴロツキになり、人に怖れられるだけの“ひげ面の親父”を育てるために。

 他人から見れば“いい面の皮”だ。


「それでも“しくじった”とは云われなかったな。いや、お袋の愚痴自体、耳にしたことがねえ。誰かを妬み羨むこともなく、同じように笑うことも悲しむこともなかったが、な」


 その母親が病に伏し、頬をやつれさせ乾ききった唇でようやく口にしたのが、先の願いだった。


「真っ当に生きろとか説教されると思ったぜ。それが惚れた男の無念を晴らしたいときた。――息子の俺には一言もなく、だ」


 ひげ面親父の口調に憤りもなければ哀しみや寂しさもなかった。今際いまわきわで、息子へ一言もない母親に彼が文句のひとつも抱いていないのは明らかであり、むしろ不思議なことに、その栗色の瞳には一種の昂揚感すら見て取れた。

 母親の言葉がそうさせたからだ。


「わかるかい――俺がどんなに安堵した・・・・ことか。お袋の望みを聞けて、どれだけ嬉しかったか」


 ひげ面をゆるませる親父がその目を熱に浮かせて。

 悪さして金を稼ぎ、うまいもんを土産に持ち帰っても、きれいなべべ・・を買ってやっても、何をしても母親を喜ばせることは一度もできやしなかった。

 “私はいいの”――その言葉がどれほど息子を困惑させ歯がゆい思いをさせてきたのか。

 『裏街』で力を付け、望むものを手にすることができるようになればなるほど、ひげ面親父の無力感はいっそう募り、そして幾人も見てきた憐れな娼婦と重なる母親の姿に我慢がならなかった。


 なぜ、俺様の母親が負け犬みたいな暮らしをせねばならないのか――。


 金貨にまみれたゴミクズ共が幸せそうに笑っているのに、同じように金貨の袋を積み上げても俺の母親は一度だって笑いやしない。

 そのまま――。

 惚れた男に心の操を立てる憐れな女として、そのまま死んでほしくなかった。

 手下がいて組を立ち上げた俺様の母親が、落ちぶれた貴族のお手つきとなったせいで、惨めに朽ち果てる娼婦のような死に方をしていいはずがない。

 そんなもの、許せるものかっ。

 だからこそ、病床の母親から洩れた呟きは、まさしく天啓だったのだ。


「笑ったまま死なせてやれる――俺は夢中でお袋の手を掴んで誓ってやったんだ。“絶体に取り戻す”ってな。取り戻して、ついでにお袋の墓をそいつ・・・の隣に建ててやるってよ」


 そうしたら。


「初めて笑ってくれたぜ――」


 かすかな吐息だった。

 かさついた頬が引き攣ったと見えたのはひげ面親父の気のせいかもしれない。

 そもそも、言葉尻だけ捉えれば、母親は彼に頼んでさえいない。あるいは神にすら宛てたものではなく、ただ願いを口にしただけであったかもしれない。

 それでもひげ面親父にとっては事実であった。

 仮に気のせいだったとして、実の息子がその意を汲み取ってやることに、何の問題があろうか。


「――だから、俺がこの件で何かをやることに躊躇うことはねえ」


 そうしてテーブルの対面で固まっている中年夫婦をひげ面親父は見やる。

 北街区にある『ソヨンの宿』――その宿主たる中年夫婦に脅すでもなく、下手に出ることもなく、ただ自分の断固たる決意を示してみせる。


「「…………」」


 だが、とつとつと独り語りを聞かされ続けた中年の夫婦は、すでに限界を迎えようとしていた。

 突然、男達に押し入られ、金を盗られるかと思えば逆に大金を受け取らされ、終いには訳も分からぬ身の上話を聞かされ続けたのだ。

 極度の緊張と集中力の強制持続に妻の方は白目をむきかけている。

 だが亭主の意識が妻より保っていれたのは男だからこその体力や家長としての矜持とは別の理由があったからだろう。

 恐怖だけでない強烈な疑念の色を瞳に浮かべながら、何とか言葉を絞り出す。


「な……」

「あ?」

「……なんで、宿ここに……」


 あまりに当然の質問だ。

 しかも母親との約束事など、どうして聞かされたのかすら理解できない。だが、それを最後まで口にすることは亭主にはできなかった。


 メキリ――……


 天井越しに耳を覆いたくなるような大音声が響いてきたからである。


         *****


公都キルグスタン

 北街区『ソヨンの宿』――



 メキメキャと頭上から派手な破砕音が響いてくると、驚いて天井を見上げる夫婦の反応とは対照的に、ひげ面親父は何の感慨も示さずに、黙って小袋を懐から取り出した。

 どちゃりと金擦り音を立てる小袋の中身については、すでにひとつめ・・・・のときに確認させている。


「悪いな、迷惑料だ」


 そうして羽振りの良さをアピールする反面、テーブルの対面で身を寄せ合う宿の亭主とその妻をひげ面親父はじろりと睨めつけた。

 これで黙っていろとの交渉だ・・・。もちろん、物々しい武装をした男達に囲まれた状況で抗う術のない中年夫婦に承服以外の返答などありはしまい。

 ましてや、天井からは激しく床を踏み締める足音、時折混じる鉄の擦れ合う音まで漏れ聞こえ、今まさに命のやりとりをしていると想像を掻き立てられれば、この悪夢が過ぎ去るのをただただ祈るばかりであったろう。

 だが、薬も効きすぎれば毒になる。

 治安の悪い『東街区』ならいざ知らず、己の領分から外れた街区で事を荒立てるリスクをひげ面親父は理解していた。

 なので、荒くれ者とて“独自の道理”で動くのだときっちり教え込む必要があった。


「さっき言いかけたな。なんで俺たちがここへ来たのか知りたいんだな?」

「……」


 震えるように小刻みに頷く亭主にひげ面親父は嬉しそうに笑みを浮かべる。


「実は、例のモン・・・・をようやく見つけてな。そうしたら――お宅の客に・・・・・横取りされちまったんだ」

「……っ」


 びくりと亭主が震えた。いや、白目をむきかけていた妻までが、正気を取り戻して息を呑む。ひげ面親父の視線がちら・・と天井へ投げられたその意味するところを敏感に察したからだ。


「わ、私らとは――」


 無関係だと、単なる客で義理立てする何もないのだと言葉を詰まらせ、必死に目顔で訴える亭主の懇願を「どれだけ時間を掛けたと思ってる――」とひげ面親父は聞きもしない。

 亭主の青ざめた顔が歪んで泣き顔に変わる。


「切っ掛けさえない貴族社会に食い込んで、下げたくねえ頭を下げてやり、愛想を振りまき、奴らを持ち上げ肥えさせて、クソみたいなご機嫌取りを続けるのはほんとーにしんどかった・・・・・・ぜ――」


 よほど貴族が嫌いらしい。それが父親のせいかは分からぬが、肥だめ仕事でも手伝うように鼻しわ寄せて、ひげ面親父は労苦を口にする。


「……おかげでとんでもねえ連中と知り合うようにもなったがな。まあそれはいい。とにかくそうやって根気よくお貴族様と付き合ってよ……。

 少しづつ集めたのよ。

 少しづつ。

 誰も口にしたくねえクレイトン家の噂やら何やら塵のような情報をかき集め、繋ぎ合わせて……ようやく遺産の場所を探し当てたと思ったら――目の前でかっ攫われちまったんだ」


 道化たようにへらり・・・と笑い。

 次の瞬間、下げた眉尻がみきりと持ち上がる。

 どん、とテーブルが音を立てた。誰の仕業かは言うまでもない。


「――――」

「…………」


 拳を震わせ歯ぎしりするひげ面親父に、睨み殺す勢いでガンを飛ばされても、宿主夫婦に気の利いた慰めの言葉がかけられるはずもなく。

 あるいはあまりの恐怖に闇雲な弁明の言葉を発することもできずに、ただただ身を強張らす。


 どさり。


 耐えきれなくなった妻が気を失い、床に倒れても亭主の方は気遣うどころか、金縛りにあったように眼前のひげ面親父から視線を外すことができずにいた。

 だが理不尽な怒りを無害な夫婦にぶつけ終えたところで、そこでひげ面親父がころりと穏やかな声音に切り替える。まるで同情でも誘うかのような調子で。

 

「なあ、例え連中がその価値を知らなかったとしても、盗られた俺の面子は丸つぶれだ――それがどういうことか分かるよな?」

「……」

「ああ、そうとも。当然、悪さした奴らには報いを受けさせる。それをかばったヤツも同罪だ。分け隔てなく、同じ目に合わせてやる」


 だから、安心していいと。

 たっぷり呪詛のごとき怨嗟を聞かせた上で、はっきりした境界線があるのだとひげ面親父は口にする。

 奴らを庇い立てしない限り。

 誰かに助けを求めるなど余計なマネをしない限り。

 宿主や他の宿泊客に手出しするつもりはないのだとひげ面親父はしっかり言い含める。


「そうでなけりゃ、わざわざ宿泊客を出払うように仕向けたりしねえ。いなくなった機会を見計らうなんて、面倒なだけだ。どうだい……俺がどんだけ我慢して、あんたらに気を遣ってるか理解してもらえるよな?」

「……」


 亭主が無言で首を振る。目に必死さを込め夢中で何度も小刻みに頷く姿にひげ面親父は「そいつぁよかった」と目を細めた。

 心持ち満足そうにして。


「あんたらは小金を稼ぐ。俺は目的を果たす――今夜はちょっとした幸運な日ラッキー・デイだ」


 そうひげ面親父が締めくくったところで、耳に届く剣戟の音が唐突に大きくなり、「ち、まだ決まらねえのか?」と毒づけば慌ただしい足音が近づいてきた。

 どう考えてもうまくいってる感じじゃない。

 焦りと怯えが足音に表れていた。


「ボス!!」

「いつまでかかってる? さっさと――」

「それどこじゃねえんで、ボス!」


 かぶせるように叫ぶ手下の目が血走り、懸命に逼迫した状況を訴える。


「あいつら、別々の部屋にいやがって不意打ちを」

「別々だぁ? ――おい、亭主っ」

「ひぃっ……わ、わかりませんっ、ひと部屋だってあの人達……」


 どういうことだとひげ面親父に睨み殺す勢いで凄まれて、血相変えて呻く亭主は「誓って、ひと部屋しか!」と譫言うわごとのように繰り返す。そのやりとりに焦れた手下がこっちを聞いてくれと懇願する。


「とにかくデタラメに強ぇんで、ボス! 俺らの特攻をぜんぶ受けきりやがって……ヴォルもラオスもセデッティもみんなあっさり殺られちまった」

「みんなだと……?」

みんな・・・です。兄貴連中そろって全員根こそぎに。それでも止められねえ――今、廊下で最後の連中がやり合ってるけど、もう……」


 手が付けられない、と絶望的に顔を歪めて。


「馬鹿野郎がっ。覆面はどうした? ゼイレの木偶は何してやがるっ」


 またシッポを巻いたかと気色ばむひげ面親父に、それどころじゃないと再度手下は助けを請う。


「いきなりあいつらに突っ込まれて……ゼイレがどうしたかなんて知りようもねえんで。とにかくもっと人数を、でねえと俺らの方が皆殺しに!」

「喚くなっ」


 ひげ面親父が一喝すれば、「外の連中を連れていけ」と勝手に指示を出す者がいる。何のつもりだと睨み付けるボスに、無精髭の見た目冴えないジグアットが、癪に障るくらい怜悧な眼差しで必要性を説いてきた。


「部屋でやり合うのが策の要だったはずだ。それが場所を移されては、巨漢デカブツのゼイレも射撃支援の覆面も手を出しようがない」


 頼みの綱である二人の力あっての作戦だと。それが狙った行動かは別にして、まんまと無力化された以上、それこそ根性論でどうにかなる話しではない。手下の怖れは的を得ていると。


「対案は“押し返す”かわざとここへ“引き込む”かだ」

「なら、人数かけて押し返せっ」

「それをやれるだけの“数”もなければ、“質”も足りんだろう」


 てめえどの口で、とひげ面親父がさすがに眉間に皺寄せれば「だから俺がいく」と腕に覚えのある荒事師が自ら名乗り出る。


「ずいぶん威勢がいいじゃねえか、ジグアット?」

「真っ向勝負なら背を向ける」


 平然とそう告げながら、「だが」と荒事師は不敵な自信を覗かせた。先日は他の連中と同じようにすっかり自信喪失していたが、どうやらこの数日で本来の姿を取り戻せたらしい。

 無論、今回の夜襲を企てたのも彼の発案に拠るところが大きい。当然、そこには――


「こういった変則的な戦いこそ、場数がものをいうからな」


 そこに勝機があるのだと。

 無論、『探索者』は侮れない。この世に彼らほど手広く仕事をこなす者はいないからだ。

 野外活動は草原、森林、河川に荒野、砂漠や氷雪と変化に富み、洞窟や遺跡に仕込まれた罠も相手にすれば、『怪物』から盗賊に街中でのヤクザ共など

敵対する種類も呆れるほど数多い。

 場数というなら、彼らほど多様な場数を踏んでいる者はいまい。それが絶対的な事実だ。


 だが『荒事師』は対人間に尽きる・・・・・・・


 人が落ちぶれ行き着く『裏街』で、考えられる限りの汚れで倦んだ世界の中で、ひたすら人間相手に荒事をこなしていくのが彼らの生業だ。

 だからこそ、確信を胸に告げるのだろう。


 『荒事師』こそは『探索者』に比べて対人間のスペシャリストたり得るのだと。


 戦う場所が街中限定で、しかも変則的な状況であるほどに、『荒事師』と『探索者』との場数の差は開いてゆく――『荒事師』にとって有利に働いてゆくのだ。ジグアットが見出す勝機は端的に言えばそこにあるというわけだ。

 室内よりも廊下、廊下よりも階段に、誘い込めればそこが奴らの死地になる。

 そうできる・・・・・と。


「ベルデ、ロウアン、ついてこい」

「「おう――」」

「実に頼もしい話しだが」


 不意打ちとも呼べる被せられたその声は、伝令の手下の背後から投げ掛けられたものだった。

 すでにジグアットの視線はその人物の影を捉えており、気概に満ちていたその眼光は敵意に似た光にすり替わっていた。

 屋内だというのに、暗灰色のローブをすっぽり被ったままの人物に見覚えがあったとしても、荒事師としての本能が“敵”だと告げているのかもしれない。

 おそらく無意識にであろう腰の剣に手を掛けながら。


「お前は確か――」

「助勢するのはこれで二度目かな。安心していい。ここから先は我ら・・が相手する」


 口調は柔らかいが、拒否を許さぬ宣言にジグアットどころかひげ面親父も「何だと?」と気色ばむ。何者であろうと、今、この場を仕切るのは『クレイトン一家』以外にありはしないと。

 だがすぐに思い直したのは、この夜襲に誰よりも並々ならぬ意気込みを持っていた、他ならぬ一家の長であった。


「そうだな――いいぜ。お手並み拝見といこうか」

「馬鹿な――ボス」

「黙ってろ」


 こちらも有無を言わさぬひげ面親父の態度を、異を唱えたジグアットが困惑したように鼻白み、逆に「正しい判断だ」とローブの人物がフォローする。続けて放たれた理由にジグアットの頬が引き攣れた。


「すでに少なくない手下がやられてる。それも寄せ集めにすぎない一家にとって、大事な古参の手下・・・・・ほど死んでいるのは大きな痛手だ」

「!」


 それはぐうの音も出ない鋭い指摘であった。

 理由は明快。

 云うなれば“忠義の差”だ。

 本気で命を賭け、真っ先に身を投げ出してゆくのは古くからいる手下に決まっている。その真実をよそ者にすぎないローブに指摘されるとは。

 だがジグアットが黙り込んだのは、痛いところを突かれただけではなく、気づけなかった自分を恥じたためもあったろう。本来であれば、それの対案を示すのも彼の役目であったからだ。

 そんな彼の心中などお構いなしに、ローブは淡々と話を進める。


「『クレイトン一家』には裏街をしっかり牛耳って欲しいのでね。大事な同盟者を守るためにも、相応の協力はさせてもらう」

「分かった。だが俺たちも行くぞ」

「おいジグアット――」


 ひげ面親父の制止に耳を貸さず、ジグアットはローブを睨む。同行に許可を求めるのではなく、当然の行為として譲るつもりはないのだと意志を示すかのように。

 

「結構。でも我らの兵を出すから指揮権はこちらにある――いいね?」 


 無言で頷くジグアットにもはやローブは見向きもしなかった。すでに階上の喧噪がすぐ近くまで迫っていたからだ。

 気付いたジグアットが室外へと駆け出す。

 続くベルデとロウアンの二人。

 ジグアットが伝令役を押し退ければ、すでにローブを中心に、連中の兵らしい武装した数名の群影が唯一の階段を囲うように展開し終えていた。

 ただの兵卒でありながら、いずれもただならぬ雰囲気を醸し出している。軍兵とは思えぬ粗野な感じは一家の者と変わりないが、圧倒的な実戦の差がそこにあるとジグアットならば気付いたはずだ。


(これが“堕ちた英雄の軍”か――)


 現に、ジグアットは群影の佇まいに強者のそれを感じ取っていた。問題は彼らの道義心ではなく、助っ人たり得る実力の有無だ。

 それが十分と感じれば、ジグアットの顔に不安の影は差さない。

 ローブに譲る形で三人が後方へ控えたところで。

 同時に階上から駆け下りてくる人影の列がぴたりと止められた。

 口火を切ったのは、意外にもローブの方だ。


「運命的だな。ごきげんよう、というべきか」

「運命というなら最悪です。自分の運気には自信があったのですが」


 応じる金髪の異人から微細な緊張が感じられる。それも近づくのを躊躇わせる危険な緊張感が。

 ジグアットが感じるのは、追い詰められた鼠のそれではなく、追いかけた手負いの狼とばったり出くわしてしまったような危うさ・・・だ。

 足場の不安定な階段とはいえ、乱りに兵を突っ込ませても厄介――そう実感したところで、場数の差に勝機を見出していた愚かさを痛感してしまう。


「――待て」


 ジグアットが自省しているうちに、ふいにローブの制止がかかった。そこで、群影の輪が気持ち縮まっていることにジグアットは気付く。

 躊躇う彼とは対照的に、『俗物軍団グレムリン』の猛者達は一剣叩き込むのは己だとにじり寄っていたのだ。


 強者を前に奮えるのが強者――。


 ジグアットは薄く苦笑した。

 手段を選ばず勝つことを強者とする『荒事師』とは根本が違うことに遅まきながら気付いたためだ。

中には昂ぶるままに動く者もいるだろうが、それは『荒事師』全員が認めるものではなく、ただの蛮勇と嘲笑する者もいる。


 比べること自体が無意味。

 

 『荒事師』と『探索者』そして『兵士』の生き方や目指すところはあまりに違いすぎる。なれば己は己のやり方でアプローチすればいい。

 無意識にグレムリンの軍兵に気後れしていたところがジグアットの中にあったようだが、その不純物はきれいに洗い流されていた。

 まずは委ねようと。


「任せるぞ――」


 ジグアットの言葉などローブには届いていまい。

 彼と異人との間には不可視の火花が散っているであろうから。その無言の圧力だけで、余人が分け入れぬものであることを誰もが察しているだけに。

 『俗物軍団グレムリン』が副団長――フォルムと『抜刀隊』が第六席次――鬼灯童蘭との、それが二度目の邂逅であった。


         *****


『ソヨンの宿』

 一階広間――



 『クレイトン一家』が準備した蝋燭しかないために、広間は薄闇に閉ざされていた。

 それでも明かりすら手にしないローブの人物――フォルムには視認を妨げるほどではなく、仲間がいれば驚いたであろうことに、階段の踊り場で立ち止まる者へ自ら進んで声を掛けた。


「顔色が良さそうで安心した――今度は本気でやり合う約束だったからね」


 そこで異人が小首を傾げた。


「おかしいですね。そんな愚かな約束するはずもありませんが」

「そうだろうとも。あれは私が一方的にした約束だから。それでもきちんと守るつもりだ」


 そう真摯に告げれば、異人の表情が渋面を作る。そしてどこか呆れた風に。


「まったく……先ほどの大男といい、“身勝手”があなた方の売りですか?」


 一体何の話しだ?

 今度はフォルムが首を傾げる番であったが、「そうじゃない」と代わりに私見を述べる。


「思うがままに実行するのは“強者の特権”だ。嫌なら力尽くで止めさせればいい。それも強い方の特権というわけだ」

「つまり、また・・刺されたいというわけですか」

「だから“やろう”と云っているんだよ」


 フォルムが滑るように一歩を踏み出した。

 挨拶は済んだとの意志を込めて。

 反射的に異人が後ろ手に合図を送り「下がって」と鋭く叫ぶ。反応がいい。肩に担がれているように見えた後ろの人影が、混乱も見せずに素早く身を退いてゆく。疲れや痛みで足を鈍らせることもなく、すべき時に異論を挟まず撤退する。

 判断力と胆力も並外れて優れている。

 そう。

 彼らは極上の獲物なのだ。


「おい、先陣なら俺たちが――」

「いい。誰も邪魔するな」


 声かけが建前なのは分かってる。ジグアットの申し出を断って、フォルムは不気味なほど滑らかな歩法で階段に足を掛けた。


「どこに行く? 手負いがいては逃げられまい」


 わざと声を上げて居場所を伝えながら。

 真に強い者は、追い立てられることで急激に実力の底上げをする場合がある。生きたい意思が、生き抜く力を、心身が生きようと全霊で応えるのだ。

 場合によってはそれ以上に天からの恩寵が――。

 あの者ならば、それが期待できる。先の戦いでさらけ出さなかったものが、まだまだあると感じられるだけに。

 もしやすれば、二十年ぶりの能力が――


「無駄だ。血の臭いを隠しきれてない」


 途上でやるつもりはないらしい。

 ここでやれば一対一、広き場所なら仲間も加勢に入れられる――そこまで考えての判断でなくとも、それが間違いなく正しい選択だ。

 やはり奇襲や罠に襲われることもなくフォルムは階上の廊下に到達する。

 そこは先ほどまで光源となっていたはずの油差しが消されており、真の暗闇に閉ざされていた。だがフォルムに支障となることはない。


 『幽視キルリアン・アイズ』――。

 『暗視ノクト・ビジョン』の最上位に位置する特殊な異能は、無機物有機物に関わらずあらゆる万物が有する波動を捉え、真なる闇にあっても明瞭に視覚化してくれる。ただしその欠点は、陽光の下において効能が極限まで低下するということ。

 魔術師ならば“神の皮肉”と評する意外な欠点を持つその超常的視覚は、万物が眠りにつき、波動が最も弱まる時刻にこそ、その効能を発揮する奇妙な規律の下に働くのであった。


 死屍累々とはこのことか。

 『幽視キルリアン・アイズ』があますことなく廊下の惨状を視覚化し、その見慣れた光景をフォルムは表情にわずかなさざ波も立てることなく冷然と受け流す。

 転がる死体と壁に飛び散った血しぶき。漂う血臭に嘔吐を催す糞尿の汚物臭が混じり合う。死にきれず身動ぐ者が目に付けば、ざわつく・・・・気持ちを収めるように首を踏み抜いて黙らせた。一瞬、首筋にちりついた・・・・・ジグアットの殺気に患わされることもない。

 それ以上にフォルムを惑わすものは多いが、この程度であれば獲物の居場所を見失うこともない。

 ミシリ、と床板が苦鳴を洩らした。

 廊下の奥で唯一、月明かりが淡く差し込む戸口を大きな影が塞ぐように立っていた。


「よう、あんたも来たのかい」

「君も、よく来る気になったな」


 その意味を理解したらしい巨漢が肩を竦めるその動きでこすれた戸枠がギシシと不満の声を上げる。


「まったくだ。逃げられちまうと面倒だ」


 大きい図体に得物も振り回してなんぼ・・・重戦斧バトル・アックス。剣闘場でこそ映えるであろう彼が、実力を発揮するにはあまりに窮屈な舞台といえる。そもそもの策の甘さを露呈したような状況だ。


「あいつら、その部屋に入ったぜ」

「承知している」


 当然というフォルムの反応に巨漢が怪訝な顔をするも深くは考えないタイプらしい。「頑張れよ」と呑気な挨拶を投げつけて元の部屋に引っ込んだ。まだ出番があると思っているのだろう。あるいはあっさり割り切れる性格なだけか。


「――さて。態勢は万全かな?」


 あえて時間を取ったかのように告げて、フォルムは悠然と問題の扉に手を掛ける。


「む?」


 開けずらい。何かが引っかかっているらしく、だがフォルムの力に抗えるほどではなかった。

 皮膚に筋肉・靱帯・骨……あらゆる構成要素が常人のそれを上回る頑強なフォルムの肉体は、人が持つ自己防衛的な制動をかけることなくその全能力をフルに発揮する。端的に言えば馬鹿力だということだ。その気になれば、扉を付け根ごと引き剥がせる怪力を阻害できるわけもない。

 無論、それを鬼灯達が知るはずもないが、それでも小細工の本命は次にあろう。


 いきなりの斬撃か。

 はたまた投擲とうてき武器による強襲か。


 これまでにも工夫を凝らして攻める者は多かった。そのことごとくを粉砕してきたが。

 人の行動は意外にパターン化され易く、百年も経験すれば、その攻撃パターンはとっくに一巡して新鮮みが薄れてしまう。もはやフォルムにとっての奇襲など存在しないのだ。

 ただ感心するのは、そうしたフォルムの“強さの秘密”を知ったとしても、強者と呼べる者が諦めることはないということだ。

 常に抗い続け、挑み続ける者が強者なのだ。


「――そうきたか」


 扉の内側にはいくつかの死体が無造作に積み上げられ、それが引っ掛かりの原因となっていた。無論、フォルムの感慨はそうした小細工を差したものではなく、部屋にひとつきりの人影を認めたことにある。

 目当ての人物と共に、残りの連中の姿は見えず、そうなれば寝台の下が隠れ先の最有力候補となるがフォルムは即座に却下した。

 締まりきってない窓にも関心はない。おそらくフェイクで間違いない。

 はっきりしているのは、彼らが“逃走”を選択したということ。例の怪我人を重んじ、一人を犠牲に時間稼ぎをする。悪くはないが、残念なことに成功した事例を未だかつて体験させられたことはない。

 誰もが肝心なことを失念しているからだ。そうとしか考えられない。

 なぜなら、自分と対等でなければ・・・・・・・・・・時間稼ぎなど到底不可能なのだから――。


「どこに逃げたかは今はいい。時間稼ぎにも文句はない。でも――」

「どうして俺なのか・・・・、か?」


 初めて見る顔であった。

 同じ黒髪黒目の異人であり、記憶の隅に極東で出会った人種を思い起こす。

 長身痩躯と見えながら、違和感がないのは、それだけ必要なところにだけ筋肉が付いている証だろう。

 戦士であれば、その佇まいからしてもレベル5の『片翼』以上の実力者。

 だが見事に覇気をひそめた物腰に、フォルムは見積もりを一段上乗せする。この者は、そこに収まる程度の者ではあるまいと百年以上を戦いに身を賭した人外なればこそ、相手の実力を芯まで見透かそうとする。


「いや、君でいいのだろう・・・・・・・・。ただ、そうだな……名を教えてもらえるか?」

「悪いがあんたは倒せないと聞いている」

「……それで?」

「名乗るとのちのち厄介だ」


 ローブの奥から音が洩れた。

 それがフォルムの失笑であったと対面の異人が気付いたかは分からない。


「私のことを聞いているらしいのに、逃げ延びる・・・・・自信があるのか――」

「誰がそれだけ・・・・と云った?」


 その言葉が耳に届くのと同じ速さで、目の前に異人が立っていた・・・・・

 忽然と現れた人影に、棒立ちとなって反応すらできぬフォルムの胸部へ、クナイが叩きつけられる。

 鮮やかな手並みに相手の意志すら置き去りにして。

 ゆるやかなローブで身体のラインが隠されているにも関わらず、寸分違わぬ精確さで心臓の真上に切っ先が届き、そのまま――



 ――クナイが背中まですり抜けた。



 刃も手首も血に濡れていない。

 貫いたと、そう錯覚させて、クナイ持つ手首を横に反らした・・・・・・のはフォルムの凍えたような冷たい左の手。

 同時にカウンターで放たれた右の偃月刀が、人影がいたはずの虚空へむなしく差し込まれていた。

 確実に一矢報いていたタイミングだ。

 それをかすりもさせず、ならばいかにして、この者に刃を届かせればよいというのか――そう途方に暮れさせるほど、実力の底を感じさせぬまま。

 いつのまにか、一瞬前と同じ位置に立ち戻っていた人影が悔しがることもなくぽつりと洩らす。


試させてくれない・・・・・・・・、か」


 何をしたかった?

 余興のつもりなら、仮にも『俗物軍団グレムリン』の筆頭幹部を相手に大胆不敵と云わねばなるまい。

 実際、先ほどの異人とは違って緊張感の欠片も見せることはなく、吹きゆく風を思わす自然体は見事の一言に尽きよう。

 人影が事も無げに「試し」と口にするのは、奢りでなく「思えば為せる」という“己の強さ”を自負するが故の、偽りなき本音なのだ。

 それへフォルムもまた、しかしながら己への自負や力を誇示することなく、ただ淡々と応じる。


「いい踏み込みだが、如何せん――私に奇襲は通じない」


 奇襲にはふたつの効能がある。

 相手にとって想定外であるからこその“思考の硬直”と、そして相手が驚くからこその瞬間的な“肉体の硬直”だ。

 それらが“反応の遅れ”となって相手を敗北に至らしめ、時に死地へと追いやる。

 だが、あらゆる術策を識り、感情すらなきに等しいフォルムにはそうした硬直がない・・・・・

 だからこそ、恐るべき人影の暗殺術に反応してみせるのだ。


「それでも、ギリギリのところではあったがな」


 人影の技倆を見事と称える。

 それは自身の勝利が揺るがぬものと自負するが故の態度にみえる。いや、フォルムの中では事実なのだ。


「ただ、今以上のものを見せないと、すぐに死ぬことになる」

「なら心配ない。芸の数には自信がある」


 そこではじめて人影が小さく笑みをつくった。暗がりの中、フォルムはそれを視認する。思わず惹きつけられる男臭い笑みを。


「時間稼ぎとバレてるなら、まどろっこしい話しはいいだろう。それなりに付き合ってもらうぞ」

「構わんが。体力を使いすぎると逃げられなくなるぞ?」


 問題は、“先の動き”が人影にとってどの程度か、だ。

 人は全力を続けられない。

 だからと8割を長く続けられるものでもない。

 だがそれ以下が相手に劣れば一瞬でケリがつく。云うほど時間稼ぎなどできやしないというわけだ。

 そして肝心なことは、フォルムに長く付き合うつもりがないということだ。

 人影が笑みを消す。

 フォルムの意図が理解できたからだろう。


「短くとも――抗ってみせることだ」


 フォルムはいつものように、結果の知れた未来へと踏み出すのであった。

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