第43話 槍の勇者からの言伝

『ヴァル・バ・ドゥレ森林』の南端――



 騒動の後始末に追われているのだろう拠点の喧噪を眼下に収めながら、秋水は追っ手が放たれていないことを見てとって、そばで片膝着くふたつの影へ視線を戻した。


「囮の務め、ご苦労だったな」

「いえ。深追いしてこれば、返り討ちにするつもりでおりましたが……おそらく敵将であろう男が止めに入りました故。なかなか侮れぬ者かと」


 右の影――捨丸すてまるが感じるままに告げれば、「お前もそう思うか」秋水もそれに同意する。


「あの男だけ、力を見せることはなかったからな」

「“見せなかった”というよりは、むしろ、させ・・なかった・・・・と云うべきでは?」


 捨丸が教示を受けたものは、真っ向勝負よりもむしろ陰に入り、存在を掴ませず、己が死ぬその時まで相手に気取らせぬことを旨とする。

 相手にその実力を存分に出させるなど、愚の骨頂と云うならば、秋水が先に示した異人達とのやりとりは正しく教本通りと称えるべきものであった。

 捨丸の世辞には応じることなく、秋水は己の懸念を口にする。


「奴らの動きには妙な“力み”があった」

「力みとは……?」

「そうだな。“力任せの動き”と云えばよいか……まじないのような言葉を口にした後、気勢が高まったのと何か関係があるのかもしれん」


 考え込むように唸る秋水に捨丸も当惑げに眉をひそませる。


「森の中でも目にしたが……この地の輩は奇妙な術を使うようだ」

「“銀の太刀筋”でございますな」


 そう相の手を入れたのは左の影――拾丸ひろうまるだ。しかし、「俺が見たのは“金の太刀筋”だが?」と異を唱えたのは捨丸。


「金?」

「そうだ。雇われ者か、妙に剣呑な気を放つだけあって、なかなかに腕の立つ者でな。ここぞという時に、必ず奇妙な技・・・・を使ってきよる」

「奇妙とは?」

「例えば一度にふたつ・・・・・・、刀を振るう技とかな」


 実際に振り下ろす仕草を真似てみせる捨丸に、拾丸は「素早く二度振ったということか?」と首を傾げる。


「かもしれん。じゃが、俺には二つにしか見えなかった」


 捨丸でさえ、ということに拾丸も真剣に受け止め何かを考え込む。それでも捨丸がこの場にいる事実と不安げな表情を見せていないことで、いずれ相対するときのため、とりあえず心に留め置く程度とした。


「それより死人が生き返る・・・・・・・ことの方が驚きだが、もはや、それも当然かと思えてきたな」


 軽く息を吐いて、秋水は視線上向けた。

 星空の美しさは自分が知る者と変わることなく、夜露に濡れた草も頬にあたる微風にも何ら違和感を感じることはない。

 なのに、森には人外の化け物が巣食っており、夜には死人が蘇って人を襲い始める。そして出遭えた現地の人間は自分達とは違う異人であり、しかも敵対する始末。

 頭を抱えたくなる状況も、度が過ぎれば、とにかく「そういうものだ」と思えてくるから不思議なものだ。


 ありのまま、受け入れて。

 とにかく死なないように、そして大事なものが守れるように。

 ただそれだけを念頭に置いて――


「……まあ、それが難しいんだが、な」


 ため息と共に独りごちる。

 ふと、物問いたげな捨丸の視線に気づき、秋水はどうしたと問いかけた。


「何故、奴らと戦わなかったので? 秋水様ならば、敵将の首が獲れたはず」

「それで終わるならば、な」


 とんでもない部下の言葉を秋水は否定もせずに受け答える。


「今、首を獲ったところで何になる。相手の混乱に乗じて蹴散らす兵がいれば意味もあろうが、今から兵を呼ぶにしても、それまでには代わりの者が立っていよう。それに、あれ・・が兵のすべてとは限らん」


 諏訪家と同規模の領主ならばともかく、この地が大名のような強大な力を持つ者によって治められているならば、話しは大きく変わってくる。

 下手に力を見せつけて、相手に征伐する意欲を掻き立てさせるのは悪手以外の何ものでもないからだ。己の小賢しい振る舞いで、諏訪家を危険にさらすなど以てのほかと秋水は戒める。


「確かに。その槍・・・があれば、手柄は十分でございますな」

「それがもうひとつ、ございまして」


 機を見たと拾丸がおもむろに声を上げ、懐から何やら丸めた紙を取り出してみせる。


「それは……?」

「はい。敵陣中央の庵から拝借してきたものであります」


 拝借とは聞こえが良いが、易い潜入に気をよくして敵将の様子を見に窺い、偶然――おそらく秋水を捕縛しに向かって留守した時であろう――誰もいないのをいいことに、物色した成果なのは間違いない。

 だが運も実力の内というならば。

 うやうやしく差し出された巻紙を秋水は受け取り広げてみる。


「――ふむ」

「どのようなことが……?」


 敵将が大事にしていた密書だ。その内容をまだ目にしていない拾丸も、眉間に皺を寄せる隊長に尋ねずにはいられない。だが。


「分からん――読めるわけもない」

「……」


 がくりと肩を落とす拾丸に「ぶふっ……」と微かに隣から洩れた音は捨丸の仕業だ。顔を向こうに横向け、小刻みに上半身を振るわす古馴染みを「何が面白い?」との怒りを込めて拾丸は憮然と睨み付ける。


「……いや、どこでどう役に立つかもわからん。拾丸よ、よくやった」

「はい……」


 とりなす秋水の意を汲んで拾丸は深く頭を下げる。捨丸も即座に神妙な顔つきで失礼をしたとばかり隣人に倣う。それでこの件は水に流すことになる。はじめからそれほど気にしていない二人だから、いつものじゃれ合い程度で済ますのだ。


「さて。では戻るとしようか」

「秋水様。奴らは追ってこないのでしょうか?」


 さっさと異人達の拠点に背を向ける秋水に、捨丸が懸念を示すが「問題ない」と隊長は意にも介さない。


言伝を頼んだからな・・・・・・・・・――今も追っ手がかかってないのが何よりの証だ」

「「言伝ことづて?」」


 捨丸と拾丸が顔を見合わせるが、秋水からそれ以上の説明が為されることはなかった。


         *****


 獣臭が鼻を突く場で、カストリックは苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。

 目の前には体長5メートルは下らない猪に似た魔獣の死骸が横倒しになっている。

 ひとつで子供の掌くらいある尖った歯に小さな攻城兵器とも表現できそうな四つの牙。樹木のような四肢から生み出される力で突進すれば、ちょっとした砦の壁くらいぶち敗れそうな正に魔獣の呼び名に相応しい物々しい体躯であった。

 それが今や弱点でもあろう腹をこちらに見せて、息づく動きも示さず、確かに事切れている。

 拠点の危地は脱したのだ。この場での最高指揮官として、皆の健闘を称えねばならない。そのはずなのに。


「……お前達が倒したのだよな?」

「間違いなく」


 いつもながら表情が動いたのを目にしたことのないにかわを貼り付けたような相貌で、今宵の警備長であるダシールが肯定する。

 実際、部隊の中ではどうなのかしれないが、カストリックの前では常に冷静で態度の裏に確かな自負の支えがあり、頼もしい部下の一人であるのは間違いない。

 いや、普段は同格なのだ。今回の特務についてのみ、自分が統括者として任じられ上官となっただけにすぎない。恐らく個人の武力が評価されたのだろうが、彼を比較相手とする場合、所詮は“一日の長”程度の差にすぎないとカストリックはみている。それほどに、“精霊之一剣”という技を有していながらなお、ダシールという男の能力には侮れぬものを感じ取っていた。

 そのような眼でカストリックから見られていると知らぬ男は、言葉を淡々と繋げる。


「無論、槍の一撃が切っ掛けでありましたが、一斉に飛びかかり、皆で留めを刺したのは確かです」

「その先陣を切ったのも槍の男・・・か」

「それについては、確かとは言えませんが」


 思わず「ふん」と鼻息をつく。カストリックの眉間に寄せられた縦皺がさらに深くなるのをダシールはどのような思いで見ているのか。

 無論、魔獣から醸し出される強烈な臭いで指揮官が不機嫌になっているのではないことくらい分かっていよう。

 ただ、ダシールから事の経緯を聞くほどに、いまだ名乗り出ない“槍の男”の手柄が明らかとなるに従って、機嫌が悪くなる理由に解せぬだけであったろうが。

 それは他の者も同じであろう。


「初めから馬防柵で深手を負い、次第に勢いが弱まっていたのは確かです。それでも魔獣が暴れるのを止めるには容易ではありませんでした――」


 まるで巨獣が咽を鳴らすがごとき暗い雷雲がカストリックの頭上に厚く垂れ込める様を幻視して居たたまれなくなったのか、ダシールが再び、簡潔に事の経緯を語り始める。

 それが状況を改善する確証もないままに、周囲にいる者達の不安をよそにして。


 “決めの一手”が見出せず、それでも魔獣と距離を置いて取り囲んだまま、膠着状態に持ち込めたのはダシール達の奮闘あってのものである。

 だがそこから先に、どう攻めるべきかに、さすがのダシールも頭を悩ませた。拠点への損害を考慮せねば打つ手はあった。だが、その決断をする権限は自分にはない。

 魔獣を眼力だけで殺せそうな怒りで睨み付けたまま、微動だにしなくなったダシールの目の前で、ふいにそれは起こった。


 ――――!!


 地の底から湧き上がるような啼き声も天空へ轟かせる絶叫もなかった。

 気づけば、太く見事な槍が魔獣の血のように赤く輝く眼に深々と突き刺さっていたのだ。

 鎧のように強靱で分厚い獣の外皮に騎士達の武具は軽度のダメージしか与えることができなかった。それ故に転ばせ、あるいは後ろ脚で立ち上がらせて柔らかい腹を晒させるか、動きを止めての赤眼への一撃くらいしか倒す術がないと騎士達は半ば絶望的な思いで戦っていたのだ。

 どうすればそのような機会を持ち、その瞬間を逃さず打ち込む奇蹟が起こせるのかと。

 実は警備隊の心が折れるのも時間の問題であったのだ。ダシールの檄がなければ、彼でなければとっくに部隊は瓦解していただろう。

 だが機会は訪れた。

 ダシール達の必死の努力が実って魔獣を一時封じ込めた。その一瞬を逃さず、強烈な一撃を叩き込んだのが誰かなど、その時はどうでもよかった。


「ぅおおおぉぉおお!!」


 突然の出来事に、誰もが呆然と見守ってしまう中、ひとり飛び出した影がある。

 身支度もろくに出来ぬまま、参戦したに違いない兜と鎧を身に着けただけの格好。だが、懸命に短剣を振り翳し突撃をかけた勇気あるその姿に、ようやく皆が己の使命を思い出す。

 即座にぱらぱらと数名が足を踏み出し、それが切っ掛けとなって怒濤のような喊声が巻き起こった。


「続けぇ――っ」

「うおおぉお!!!!」


 一斉に波が迫るように動き出し、チャンスを逃がすなと歯を剥き出しにして騎士達が魔獣に躍りかかる。

 先乗りした男が、大きく跳び上がって短剣を魔獣に叩き込んでいた。気力で殺すと云わんばかりに。そして決定打となった槍に掴みかかり、力一杯引っこ抜く。

 その姿が魔獣に群がる人だかりに呑み込まれてかき消えた。それが彼を目にした最後となる。


「――夢中で魔獣の巨体に武器を叩きつけ、何度も繰り返してようやく我に返ったとき、もう彼の姿はありませんでした」


 ダシールが二度目の経緯を語り終えると、カストリックの肩から、ふぅと力が抜けるのが分かった。

期待したとおり内容が変わることはないと知り、もはや受け入れるしか、その事実を認めるしかないと悟ったからだが、それはカストリックにしか分からぬ事だ。


「それで“伝言”を受けたのだったか」

「それも確かではありません。その者が“槍の男からだ”と云ってるだけです」


 ダシールは表情を変えずに断りを入れてから、先に伝えていたことを繰り返す。


「“約定を守れ”と。それを団長殿に伝えろと。もし本人だとするなら、どういう意味でしょう?」

「少なくとも団員じゃない、ということだ」


 カストリックをダシールがまじまじと見つめてくるのを不快げに顔を背ける。実は見透かされそうな気がして嫌がっただけであったのだが。

 もちろん、最初から黙っているつもりはない。重要な案件は補佐官を通さず自ら告げるスタンスを変えるつもりもない。ただ、切り出すタイミングは自分で決めたいだけである。

 軽く息を吸い、カストリックはできるだけ抑揚を抑えて静かに告げた。


「槍が蛮族に盗まれた」

「――え?」


 突然の、それも思わぬ告白に驚いたのはその場にいる者達であったが、ダシールも眉尻を上げ、さすがに驚きを示している。


「……あれ・・がその槍だと?」


 はじめに気づいたのはダシールだ。無理もない。くだんの話しを耳にはしていても、現物を目にしたのはカストリックのほか数名と調査に関わった召喚道士達、あとは搬送関係者だけである。

 多くの者は、槍を持ち帰ったことすら噂程度にしか耳にしていない状況だ。


「潜入するのに魔獣を使い、ご丁寧に使った魔獣を処理していったのだろう」


 カストリックの解釈に誰もが釈然としない顔をする。敵対勢力の力を削ぐ好機をわざわざ危険を冒して止めに入る心情が理解できないからだ。


「“槍を返してもらった”と受け取ったのかもしれん。……見逃したつもりはないがな」


 その重苦しい声に朧気おぼろげながら事情を察したか、誰も口を挟む者はいない。


「蛮族が“約定”というのなら、そう受け取る方が都合もいい」

「それはどういう内容で?」

「森に入っても互いに干渉せず」

「なら、案内させることはできませんか?」


 大胆な案を口にするダシールに、「こいつ……」と感心しながらも言葉や表情には出さずカストリックは首を振る。


「いずれにせよ、今回の件で相応の損害を受けてしまった」

「撤退……ですか」

「それも視野に入れる。だが、まずはもっと拠点を下げ、そして“魔境”の探索には“特別班”を設けて任せることにしたい。『俗物軍団グレムリン』の到着を待っての合同かあるいは丸投げしてもいい」


 連中との合同と聞いて、皆の表情が明らかに曇る。連中の粗野な態度以上に“寝首を掻かれる”心配をしているのはカストリックにも分かった。

 普段から己を律する騎士団とは違い、戦争時における最低限の規律以外、平時は無法ともいえる連中の態度を嫌悪する者は当然多い。犯罪組織との繋がりも噂され、“確実に成果を上げる”その任務遂行力が認められていなければ、とっくに公国軍から弾かれている者達なのだ。いや、いまだに“外軍”と呼ぶことさえ忌避して除外の嘆願を出す貴族諸侯は後を絶たない。

 要するに、犯罪者と枕を共にするような任務を喜ぶ者はいないということだ。


「特別班以外の者はどうされるつもりで?」

求めるもの・・・・・が“魔境”に入ったとは限らん。仮に――」


 そこでカストリックは言葉を止め、すぐに言い直す。


「近隣の町に潜伏したか、あるいは国を出るということも考えられよう」

「ならば手分けする必要があります」

「ああ。皆でしっかり計画を練らねばならん」


 カストリックは今後の方針を固めるために上位騎士の参集を命じた。明朝から動き出すために、寝る時間はあまりとれなさそうだと思いながら。


(仮に――エルネ様が“魔境”に入ったのであれば、もはや生きてはおられまい)


 先ほどの呑み込んだ忌むべき言葉をカストリックは胸内で呟かずにはいられなかった。

 たった数時間で、“魔境”の恐ろしさを十分に思い知った今ならば、痛切に感じてならない。500の騎士を擁してもこの体たらくでは。

 何についてかも自身で分からぬまま、ただ、祈るような気持ちでカストリックは天幕へと歩みを進めるのだった。


         *****


 食器にフォークやスプーンがあたるかすかな音だけが人の暮らしを感じさせる唯一の物音だった。

 広い空間の両壁には、鉄の格子戸で塞がれた無機質な石組の部屋が幾つも並び、高い天井のあちこちにぽっかりと口を開いた通風口から風が吹き込んで、雨露も入り込みやすいのか苔むした石壁がもたらす冷たさをより一層引き立てていた。

 壁や天井の一部が崩れ落ちて床に石塊が散らばったまま放置されているのを見るまでもなく、そこが廃止された牢獄であろうと想像はつく。

 そしてだからこそ、無人となった牢屋に囲まれた大廊下の中央で、それだけは立派な長テーブルに純白のクロスを掛け、銀の燭台で飾りながら貴族のような食事をしている者達の異様さが際立っていた。

 両端に十人は並べる食卓についているのは、たった三人きり。

 向かい合って炙り肉にナイフを入れている者達と食事中だというのに暗色のローブを顔も見れないほどにすっぽりと被って、ただひとり上座にいる者だけだ。

 乱雑にナイフやフォークが投げ捨てられた空の食器も二人分あり、手がつけられていない食器も一人分あるが恐らく捨てることになるだろう。


「――それで、どうしたもんかね」


 切るのを面倒になった若者が、ナイフを投げ捨て肉の塊に突き刺したフォークをふるふると振りながら仲間に意見を求める。

 非常に整った顔立ちに眉をひそませるのは、細い顎から顔の輪郭に沿って額を周り、そのまま一周するように刻まれた醜い傷痕のせいである。

 それがまるで美麗の仮面を被ったような錯覚を覚えさせ、目にする者の眉をひそませずにはおれないのだ。

 以前、「気持ち悪い」と見たままを口にしてしまった子供が、謎の失踪を遂げたその理由を同席している仲間は当然知っている。

 その無残な末期さえも。


「ルストラン様は姫を捕まえたいんだろ? なら、あたしらの任務・・・・・・・と一緒だから問題ないじゃない」

今は陛下・・・・だよ、ヨーンティ」


 真向かいに座り、特注らしい皮鎧を着込んだままの仲間へ若者が訂正する。皮鎧以外の肌が露出する部分はすべて包帯が巻き付けられ、それだけに露わになった四肢の細いラインと声から女性であることは窺い知れる。

 子供の失踪に手を貸し、その苦鳴に聞き惚れていた神経の異常さの秘密は、巻かれた包帯に隠されて一見した限りでは掴めることは叶わない。


「そうだったわね。でもまさか、あの慈父のごときお人が反逆を企てるなんて思わなかったわ」

「それは俺もびっくりだよ」

「しかも、あんなに可愛がってた姫様もね。食べちゃうつもりかしら……それだったら、あたしに遊ばせてくれるといいのに」


 何か甘美な妄想をはじめたらしいヨーンティに若者は嫌悪の表情を軽く浮かべながら「そういうのは悪趣味だと思うぜ?」と首をふる。


 ヒュ――


 唐突に右目を狙い走る銀線に、若者が空いた手でナイフを掴んで弾けば、ヨーンティが斜め向かい・・・・・から・・飛んできたナイフをパシリと掴み取っていた。

 明らかな仲間の利き目を狙った不意打ちであり、刺されば失明は免れない。

 あまりに剣呑すぎる攻撃を仕掛けながら、かわゆく小首を傾げる彼女に、「てめぇ……」若者が殺意を言葉に乗せる。


「あたしの唯一の憩い・・・・・を否定しないで」


 だが、若者の殺気をヨーンティは微風と受け流す。

 大きな澄んだ瞳にぷっくりした愛らしい唇から洩れるとは思えぬ、やけに真剣な声音に何を感じたか、若者は「悪かった」とふて腐れたように告げる。

 その実力を鑑みれば、決して恐れから口にしているのではないと彼女も理解しているからこそ、すぐに機嫌を直すのだ。


「だから好きよ、テオティオちゃん・・・

「おいっ」

「――いいじゃないか、テオ」


 またも二人が揉めそうになったところで、ヨーンティよりも涼やかな声が荒立つ食卓の場に静謐をもたらす。

 それが、見た目の陰気さからは想像も付かぬローブから出された声だと気づいたのは、当然仲間である二人だ。

 その者もまた、用済みとなった子供の一部を・・・所望した異常者のひとりである。


「二人がじゃれあう・・・・・のは見ていて心地よいが、食事中に埃を立てるのは感心しない」

「けど――」

「これでおあいこ・・・・――いいね」


 子供をあやすような口調に、テオティオが口を開けたり閉じたりした挙げ句、ヨーンティと視線を合わせて、「ふんっ」と二人同時にそっぽを向いた。

 二人とも二十歳を越えているはずなのに、そういうところが子供扱いされる理由だと気づいていないらしい。

 無論、確かな実力を有する二人を黙らせるだけの力がローブにはあるからこその従順であろう。少なくとも力がすべての組織において、彼がナンバー2であるのは間違いない。

 事実、先のヨーンティによるナイフ投げの際、テオティオが弾いたナイフは狙い過たずに・・・・・・ローブを目深に被った顔面のあるあたりへ吸い込まれ、そして次の瞬間にはヨーンティに向けて返されていたのだ。

 何をどうやったのか――?

 それが不気味な仲間への探り・・として二人が仕掛けたことだとローブは見抜いており、二人もまた見抜かれたことを悟りながら、茶番を続けてみせたのだ。

 裏切りでない限り、その実力を競って構わない――団の規則に添うからこそ、ローブも咎めることはなく、二人も真意を悟らせることなく平然と仕掛けてみせるのだ。

 あの見た目何の変哲もない、ローブの奥に隠された真実を見極めるために。

 声から若い男であろうと窺え、魔術師の格好をしているが、そうではないと仲間内ではみている。だが、その姿も技術もまともに見たことがないだけに、その強さを知っている団長よりも、よほど不気味な存在であるのは確かだった。

 信用してない――そう云ってもいい。

 せっかく、あの掃き溜めのような暮らしから抜け出したのに、それなりに仲間ともうまくやってきているのに、薄気味悪いローブのせいで、そこだけ居心地が悪く、もしかすれば組織を危うくさせるかもしれない。その、ほぼ共通した幹部の心情。

 あいつだけが・・・・・・その性癖を曝け出さない。

 自分だけまとも・・・なつもりか――?

 それこそが皆が毛嫌いする最たる理由なのかもしれなかった。


「とりあえずガンジャス達に任せてもよいと思う」


 銀の皿にフォークやナイフが当たる音をまったくさせずにローブの声だけが食卓に響く。「噛まずに呑み込んでる」と私見を述べたのは誰だったか。


「そういう意味では先行しててよかったな。『伝達鳥』で報せたから、派遣団に後れを取ることはないだろう」

「捕まえたあとはどうする?」

「聞くまでもないわ。任務が優先よ」


 口の周りを汚さずに、実に器用に肉を食するヨーンティへ「それもそうか」と素直に納得するテオティオ。


「……蛮族とやらには会ってみたかったね」

「そうか? 俺はめんどくさいのはヤだな」

「あたしも勘弁だわ」

「“魔境”なんてお肌によろしくなさそーだよな」


 分かっている素振りをするテオティオにヨーンティは「何で肌なんか気にしなきゃならないの?」と唇を尖らせる。


「男を喜ばせるなんて、娼婦のすることよ。あたしが云いたいのは、わざわざ派遣団を追っかけてまで男まみれに・・・・・なりたくない・・・・・・てことよ」

「あー……なるほど」


 そういえばそうだった的にテオティオが眉を上げて肩を竦ませる。“ふざけてる”ととれなくもないが、仲間の嗜好に理解を示し――あるいはスルーし自分の主張を強制し合わないのがこの組織のスタイルだ。先ほどのような画策でもないかぎり、彼女の暗部に深入りするつもりはない。だからヨーンティも、それ以上、いちいち目くじら立てるつもりはない。


「そういや、レシモンドが向こうにいたっけな」

「ダレソレ?」


 まったく興味なさげなヨーンティに「そりゃないだろ」とテオティオが苦笑いする。


「この前、久しぶりに出てきた『一級』のおっさんだよ」

「兄ちゃんだよ、テオ」

「そうか? そうか……その粉引きだよ」

「……いろいろ分からないんだケド」


 ヨーンティが半目で非難するのをテオティオはスルーする。すでに冷め切った肉の塊にかぶりつき、もっちゃもっちゃと噛みしめながら「何言う気だったっけ?」と視線を上向ける。


「ああ、そうそう。あいつ地味だけど、磨けばイイ線いくと思ってね。団長も幹部候補だと云ってたから、ガンジャス達と組んで鍛えられたらいいと思って」

「幹部? 七人目の?」

「七人目か六人目か・・・・は分からんけど……」


 そうして薄笑いを浮かべるテオティオにヨーンティも同質の嗤いを浮かべてみせる。後者の“相争う”パターンも悪くないと云わんばかりに。


「久しぶりに本気を出させる子かしら……?」

「そのためにも蛮族とたくさんたくさん殺り合って、『昇格アンプリウス』してもらわないとね」


 「連中がどの程度か知らんけど」と気軽に云うテオティオの言葉は妄想を膨らませはじめた彼女の耳には届いていないようだ。


「ふふ……ちょっとワクワクしてきたかも。エンセイや“蒐集家コレクター”はちっとも相手してくれないから」


 拗ねたように唇を尖らせるヨーンティにローブが小さくため息を洩らす。彼が感情を表すなど滅多にないことだ。


「彼の“大剣士グレイター”の真なる後継者が君を相手するわけないだろう」


 例えナンバー2であろうとも失礼千万な物言いに、彼女の烈火の如き怒りが叩きつけられるかとテオティオが首を竦め身構えたが。


「――私だって手合わせ願いたい・・・・・・・・くらいだ」


 そうぼそりと紛うかたなき心情を吐露したローブに、ヨーンティが驚愕して包帯から眼を飛び出さんばかりに見開いた。

 うそ――?!

 強者に会いたがることはあっても力を示そうとすらしなかったのに。むしろ警戒心が強いのか、仲間の前でも見せないようにしていた彼が。


「……“剣”に興味があるの?」

「いや」


 心臓の鼓動を早めながらヨーンティが何気なく話しを振ってみるが連れない二文字であしらわれただけだ。


「男なら、そんな風に憧れるものだろ?」

「俺はなんも感じないけどね」


 冷めた風にテオティオが応じたときには、「そうかい」と淡々と受け、残念ながらいつものローブに戻っていた。


「それで、団長はいつ戻るんだ?」

「そろそろだろうね。誰もルストラン様の秘めた野心を見抜けなかったから、も頭を抱えてるだろう」


 流れによっては組織の存亡に関わる事案でありながら、他人事のように応じるローブを二人は忌々しげに見つめる。もちろん、その心情を瞳に宿し視線に込めるようなヘマをすることはなく。


「このまま、ほどよく愉しめればいいんだけどな」

「そうね。ここも・・・もう少し改修して居心地良くすれば、なおいいわ」

「なら、稼がないとダメだね」


 ローブの声にこもる剣呑さに「分かってるわよ」とヨーンティが大きな瞳を鋭くさせる。包帯でその表情を読ませない代わりに、特徴的な大きい瞳と声で感情が露わになるから、戦士としてはどうかと思わせる。無論、戦闘のための工夫・・でないから、彼女にとっては何の問題もないのであるが。


「あたしらは十年前の“祭り”に参加できなかったけど、またそういうのがあれば、一稼ぎできるかしらね」

「俺らって、『一級』になった時点で結構金持ってたはずだよな?」

「あれは“老後”のためにとっとくの」

「はあ? 領地か城館でも買うつもりかよ……」


 呆れたテオティオの言葉が、どこからか流れ込んできた冷たい風に流されて大廊下の先に消えてゆく。

 城内の異変と彼ら――『俗物軍団グレムリン』の動きがヨルグ・スタンの基盤を水面下で大きく揺らし、人々の知らぬ間に公国の瓦解が始まっていくなど誰も気づくことはない。

 その先に待つのは、表だった戦乱か隠密の攻防か予期し得る者もないままに、運命の歯車は少しづつ噛み合いながら、動き始めていた――。

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