第42話 暗中の攻防

ヨルグ・スタン公国第三軍団特務派遣団

 コダール丘陵地拠点――



 魔獣襲来の報を受け、手早く身支度を整えるや仲間を連れ走っていた騎士は、天幕と天幕の継ぎ目が織りなす交差路で、別方向から足早にやってきた同僚とちょうど鉢合わせになった。


「おい、侵入者はどこだっ。魔獣が出たというのは本当か?」

「ぁ――ぐっ」


 その同僚も慌てて飛び出してきた口か、鎧と兜のみの半端な出で立ちでいたが、何かを言いかけたところで、ふいに呻いて胸を抑えつつ、それでも自分がやって来た後方へ空いた腕を伸ばし、力強く指を差す。


「あっちか……おい、大丈夫か?」

「どこか、やられたのか?」


 負傷者だったかと慌てる騎士達に、同僚は力強く首を振り、手振りで早く行けと訴える。かすかな喘ぎに、激痛を必死に堪える同僚の強い意志を感じとれば、彼らが取るべき行動は自ずと決まってくるというものだ。


「見たところ、少し休めば一人でも動けるようだ。悪いが先に行かせてもらおう」


 一番後ろにいた仲間の冷静な一声に、騎士も他の連れと視線を交わし合い、小さく頷く。報せでは、魔獣相手の防衛戦なため、早急な参集を必要としていた。それに任務を優先することは同僚の思いに応えることにもなろう。


「ひとりで行けるな?」


 一抹の罪悪感がそう声をかけさせるのだろう。

 痛みを堪えているのか、無言でしっかりと頷く同僚に「すまない」と言い置いて、騎士達は即座に駆け出した。一度として後ろを振り返ることなく。


「……」


 数名の影が天幕に囲まれた狭い路地の影に消え去ると、少し前屈みになって呻いていたその同僚は、何事もなかったようにすっと姿勢を正した。

 兜の下で汗ばむ額を想像できそうな喘鳴やわずかに揺すっていた両肩の上下動も嘘のように収まり、月光に照らされ、地に描かれた黒いシミのように静かに佇む。

 そして周囲の様子を窺い、人目がないことを確認するや、すぐさま足早に歩み出していた。

 目敏い者なら、鎧の下の身なりに違和感を覚え、足音立てぬ歩みに眉をひそめるはずだ。そして口にする。

 何者か――と。

 時に数名に混じって走り回り、時に従卒らの馬引きを手伝い、あるいは怪我人の搬送をしながらその男・・・は拠点内を歩き回っていた。

 ある確かな狙いがあって。

 やがて梟の鳴き声を耳にして、その男は目的地・・・を探り当てる。

 拠点の中央からやや小川方面へ外れたあたり。

 少し大きめの天幕が梟のいたところ・・・・・・・であると、物陰で様子を窺うその男――秋水には確信があった。

 感覚的に何かの収納場所ではないかと思われるが、出入口に張り番の姿がないことを秋水は不審とまでは捉えない。梟のやつめ・・・・・が処理したのであろうと。

 続いて周辺に注意を払う。

 目標物の近くに小さいが似た天幕がズラリと併設

されているものの、騒動とは真逆の位置に当たるこの場には、緊急動員がかけられたせいなのか、一見した限りでは人気ひとけがなさそうだ。

 それ以上の詮索は無用と判じて、秋水は物陰から姿を現し真っ直ぐ目当ての天幕へと向かう。

 やはり呼び止める者もなく。

 少し離れたところから、敵方があげる喊声や魔獣が立てる地響きなどが聞こえてくるくらいか。そのまま何事もなくあっさり近づき、躇わずに天幕内の暗がりへと踏み込んだ。そして。


「――目当てはその槍か」


 さほど時を置かずして、目的のものを手に秋水が天幕の外へ出てみれば、南蛮鎧に身を包んだ異人達六名が取り囲むように待ち構えていた。


「特に“精霊の加護”があるでもなし、たかが一本の槍のためだけにこれほどの騒ぎを起こしてまで侵入を図るとは……貴様ら蛮族にとって、それ・・は何なのだ?」


 真っ正面の異人が問いかけてくるのを聞き流し、秋水は異人達の物腰を吟味する。

 まずは正面、ひとり深紅のマントを身に纏い、人を使い慣れ落ち着き払った物腰に本拠点の上層に位置する者とひとめで窺い知れる。

 ほか五名は明らかに一段劣るものの、兜だけは揃いの形状を有しており、ここに来るまでに見たどの南蛮鎧とも一線を画しているのだけは一目で分かった。

 おそらく上位者を守る護衛者といった位置づけか。


 悪くない――


 すでに気配で彼らの動きは承知していたものの、秋水が抱く第一印象としては、好評価の部類に入るだろう。弟子などの同朋を除いては。

 その動きは静かで自信に満ちあふれ、供回りの人数が少ないのも、それで事足りる・・・・と判じた故――そう彼らが自負するだけの実力には、十分に及第点をあげられる。

 逆に言えば、それまでの相手・・・・・・・

 可も無く不可も無く。

 重心の位置を見ただけで、相手の技倆はある程度掴めており、任務遂行に支障はないと判ずるが、慢心はしない。

 故に秋水が問いかけたのは、この状況を利用して探りを入れるのも手と思っただけである。


「お前達こそ、儂らに何用だ?」

「用……?」

「昨夜、儂らにけんかをふっかけてきたことだ。その辺の童子わっぱでも、炎に手を突っ込めば火傷するくらい承知しておるものだが」


 異人達が戸惑う理由のひとつは秋水にもすぐに察せられた。先ほど異人の女と話した時に、なぜか互いの言語を理解し合う奇怪な体験をしたばかりなだけに。

 だが、秋水が身に付けた術理では、“いかに状況に適応するか”が重視されるため、常識による拒否反応は他の者に比べて驚くほど小さい。

 当然、言語読解の怪奇現象をさらりと受け入れ、もっと任務遂行に実利がある方へ意識を向けていく。

 つまりは敵方の情報収集へと。

 実は揺さぶりを意図したものであったか、挑発ともとれる秋水の言葉に、護衛者らしき異人達は言語云々より憤りが勝ったようであるが、肝心の上位者らしき異人だけは眉ひとつ動かさず、ぽつりと洩らすだけだ。


「……互いにとっては、不幸な出来事だった・・・・・・・・・だけかもしれん」

「なら、近づかなければ・・・・・・・不幸は起きぬな」

「確かに」


 互いに不可侵とすればよい――そう意図するところを正確に読み取ったらしい異人の上位者は、角張った顎を小さく上下させる。だがよく見れば、強い敵愾心を宿した双眸の輝きが、“さらさら退く気はない”と告げている。

 秋水と遜色のない長身の偉丈夫だけに、見た目の通り、腹芸が得意ではないようだ。


「嘘つきだな、あんた」


 真面目に交渉してられんと、ふいに、くだけた調子で秋水が告げれば、「本当に不幸な出遭いだと思ってる」と偉丈夫は別の意味で捉えたようだ。


「我々にとってあの森・・・は非常に脅威であり、完全武装するのもそのためだ。決してお前達に対する侵略戦争を仕掛けるためのものではない」

「なら、何が目的だ?」


 この質問ができるならばと、秋水は偉丈夫の勘違いを正すことなく放置する。できるかぎり相手の口に戸を立てず、垂れ流されるままに情報を集めるのが基本だからだ。場合によっては、狙った獲物だけでなく別の有益な情報も得られるかもしれないところが諜報戦の面白いところだ。


「……」


 相手の沈黙を“悩み”とみれば、悩みは“脈あり”とみて間違いあるまい。ならばもう一押しと秋水は言葉を連ねる。


「戦いを避ける意味でも、そちらの目的を知っておくべきと思うのだが?」

「……」

「知れば、儂が力になってやれるかもしれん」


 その何気ないやりとりは、公国軍にとって――大げさかもしれないが――運命の分水嶺だったのかもしれない。

 彼らにとってみれば、“魔境”を支配しているかもしれない蛮族の助力を受けられる有益な話しであると同時に、ひとたび“凶”と出れば、公国にとって最悪の事態を招くことにもなりかねない。


(いや、すでにそうなっている・・・・・・・とも言えるか……)


 決して油断できぬ蛮族を目の前にしながら、偉丈夫は本気で悩み苦しんでいた。それほどに彼らが置かれた状況は芳しくなく、相手が“魔境”でなければ、夜を徹して人を送り続けたいくらいなのだ。

 そうした苦悩による痛いほどの沈黙に、秋水はよほどの目的があるのだと感じ取る。

 だが、命懸けで踏み入らねばならぬ理由をさすがに口にはできぬのだろう。沈黙してからしばし、偉丈夫がようやく口にしたのは短い会見の終幕宣言だった。


「……互いに関わり合わぬとしないか? 帰ってお前の長にそう伝えるがいい」


 揺るぎない偉丈夫の視線を受け止め、これ以上相手の意志が変わらぬものと察した秋水は、「これで少しでも刻が稼げれば」と思いつつ、相手の言葉を受け入れる。


「くれぐれも“儂らの領域”に踏み込まぬことだ」

「その境界はどうやって見極める? 警告してもらえれば注意しよう」

「決まりだな」


 そうして一歩、秋水が踏み出したところで。


「待て――それ・・は置いていけ」

「おいおい……振り出しに戻すのか?」


 嘆息をつく秋水の余裕ある態度に、偉丈夫は警戒心を一段高めたらしい。腰の剣に手をかけ、素早く部下達と視線を交わし合う。

 わずかに腰をかがめた異人達に、秋水は譲らぬ意志を感じ取る。だが、こちらこそ折れるわけにいかぬもの。


「命が助かるだけで“良し”としろ」

助ける・・・と?」

「むしろ、油断をついて逃げ切れるとでも? 例えお前ひとりが相手でも、我らは六度殺すつもりで全力を尽くすっ」


 偉丈夫にとっては優劣をはっきりさせたかったつもりだろうが、秋水が気にしたのはそれを含めた・・・・・・さらに細かいところ。

 一対一でも勝てる言い回しに、秋水は軽く首を傾げる。「分かっておらん」と言いたげに。


虐める・・・のは性に合わんのだが……馬鹿にされるのは、なお受け入れがたい」


 途端に偉丈夫達の間に、これまでと明らかに異なる緊張が走る。

 ふいに“人にあだ為す獣”が目の前に現れたかのように、戦う者としての本能が身構えさせたのだ。


 なんだ――?!


 その場にいる者が感じたものは皆同じ。

 単なるこそ泥・・・を捕らえたはずが、逆に獲物の品定めをされているかのように嫌な汗が全身からにじみ出ていた。

 のど仏が数度動くも口の中は乾ききり、焦燥が止めどもなく胸を突いてくる。今すぐ――


開封リリースっ」


 叫びが何を意味するかは言うまでもなかった。

 護衛者にのみ与えられている“切り札”を誰かが使えば、それこそが暗中に唯一灯る希望の火とばかりに次々と他の者がしがみつく。

 気づけば偉丈夫を除く全員が、先に手の内をすべてさらけ出してしまっていた。


 『封じの指輪リング・シールド』に込められていたものは、少しながら肉体の筋力を増強させる魔術『筋力強化マッスル・ストレングス』。

 術の効果時間は己の魔力量――生命エネルギーに関する魔術師の解釈はそのように知られている――に依存するため、肉体を中心に鍛えている騎士にとっては長い時間は期待できない。それ故に使い所には細心の注意を払わねばならないのだが。


 部下を罵りたくなったであろう偉丈夫は、わずかに歯噛みしたきりで何も口にしない。それだけの相手であると、遅まきながらも理解したからだろう。それに“切り札”を使ってしまった以上、決めれる時に決めるのが戦いの基本というものだ。当然、こういう時の判断を偉丈夫が誤るはずもない。


「……残念だ」


 偉丈夫が心の底からと感じれる重い呟きをこぼして剣を抜き放てば、それを待ってたとばかり部下達が一斉に剣を鞘走らせた。


「念のためもう一度問うぞ……我らの伝言を持ち帰れば、十分ではないか?」

「やはりあんたは嘘つきだな」


 とても合意が得られるとは思えぬ、周囲から向けられる殺意を無風と受け流し、秋水は唇の端をわずかに弛めるのであった。


         *****


 まだ余裕を見せるか――。

 その心根の強さとここまで潜入してのけた能力を思えば、ここで失うにはあまりに“惜しい駒”であり、できれば“繋がり”を持っていたい相手だと偉丈夫――五部隊の連隊長であり、肩書きとしては本特務派遣団の団長であるカストリックは本気で思っていた。

 だからこその「残念」であり、紛う事なき本音であったのだが、だからといって“手加減の命令”を出すわけにはいかない。それは戦い方に乱れを生じさせ、わずかな乱れは致命的な“隙”にも成りかねない。

 一度手から離れたキジ鳥を呼び戻すことはできぬのだ。

 そんな彼らの内情を知ることのない秋水はといえば。

 鈍感な者でさえ、騎士達から発せられる圧力の高まりを悪寒や息苦しさとして感じられるものを、とても鋭敏な感覚の持ち主とは思えぬほど、飄々とした立ち姿に毛ほども変化が見られることはなく。


「……あの獣がこっちに来れば・・・・・・・、楽なんだがな」


 何気なくぽつりと洩らした一言に、ほんの少し疑心が沸いた騎士の数名が、視線を反らさずともわずかに気を乱す。

 その一瞬を巧みに捉えて。

 とん、と秋水の身が後ろへ跳んだ。


 ――?!


 虚を突き向かってくるならまだしも、まさか撤退を選ぶ秋水の思わぬ行動に、意表を突かれた騎士達が完全に後手を踏んでしまう。

 慌てて後を追いだした時には、秋水は二度目の跳躍で天幕内の闇へとその身を溶け込ませていた。


「あいつっ」


 たばかられたとカストリックが激昂し、誰よりも早く猛進するのを、脚力強化に物を言わせて部下達が一気に差を詰める。

 出入口に先着したのは部下の一人。隊内でも瞬足自慢の騎士が先陣を切る。だが――


「ぐぼっ」


 何が起きたかは結果を見れば分かる。

 弾かれ倒れた部下のそばに槍が転がり、“投げ槍”による不意打ちを受けたのは明らかだ。鎧の胸部を大きく凹ます威力は、当たり所が悪ければ致命傷を負いかねないレベル。無防備を晒せる攻撃ではないとカストリックの声に緊張が走る。


「真正面に立つなっ。狙われるぞ」


 部下に手振りで命じながら自身も出入口の脇へ身を寄せる。

 倒れた部下が苦痛を噛みしめ上半身を起こそうとするのを「伏せていろ」と止めさせ、駆け寄ろうとする部下も手で制す。


「しかし団長――」

「我慢しろ――機を見て救出する」


 自身にも言い聞かせるつもりで約束しながら、カストリックは手早く倒れた部下の負傷度を見極めにかかる。

 負傷箇所――胸部のみ。

 鎧の損壊度合いから、最悪肋骨の骨折までが想定される。

 だが、口元に吐血の跡はなく、おかしな咳き込みもないことから、内臓へのダメージはないと見られる。例え気休めにすぎないとしても『筋力強化マッスル・ストレングス』による恩恵で、肉体の強度が多少なりとアップしているのが幸いしたのかもしれない。


(しばらく休めば、戦線復帰可能か――)


 目視だけの、診断ともいえぬ確認程度。

 それでも自身の体験含めて多くの負傷兵を見てきた豊富な経験則で、カストリックは救出さえできれば問題ないと判断した。ならば――


「ヨルデ、意識を保てっ……お前の任務はまだ終わってないぞ」

「は……ぃ」

 

 救出の際、ほんの少しでも本人の助けがあるのとないのとでは大違いだ。助かる可能性を高めるためにも意識を保ってもらわねばらぬ。

 カストリックのいつもの激励・・・・・・に、部下は朦朧とした表情ながら懸命に返事をする。


「団長、私が突撃しますから、その間に――」

「いや。下手に突っ込めばいい的だ」


 意気込む部下に別の誰かが待ったをかける。

 どちらの意見も一理あるのがカストリックを悩ませる。特に慎重にさせるのは、暗がりをうまく利用した味な攻撃に「そういうのが得意なヤツか」と即座に理解したからだ。手練れの傭兵や諜報を専門とする輩は皆、嫌らしい戦いをしてくることをこの身で味わっているために。

 それ故、全員の動きを一時的に停滞させたところで。


 ――ゴンッ


 音を立てて、カストリックと出入口を挟んで反対側に立っていた部下の頭が弾かれ、そのままドサリと倒れ込んだ。

 呻きひとつしないところをみるに、即死でなくとも昏倒したのは間違いない。またしても転がる槍を見るまでもなく、ヤツの仕業なのは確かであった。


影か・・――俺に続けっ」


 天幕内から丸見え・・・であることに気づき、己の迂闊さを呪いつつ、カストリックが突撃を即断する。

 迷い躊躇って留まることは相手の思う壺であり、“数の利”があるうちに速攻で決めるのが上策であると遅ればせながら理解したからだ。

 止まるな、動けと。

 相手の攻め手は“槍の投擲”――ならば、素早い動きで飛び込めば、そう簡単に当たりはしない。

 顔前で腕を十時に組んで、カストリックは思い切りよく踏み込んだ。心得たように、部下が交差するような形で反対側へと踏み込んでゆく。――これでさらに被撃率は下がるはず。

 だが、カストリックらの覚悟に反して凶槍が飛んで来ることはない。

 無駄な攻撃をしない慎重さ故か、あるいは突撃を察して後方へ移動している最中だったためか。無論、今もすぐ近くで隙を窺っていても不思議ではない。


「どこだ……?」


 暗がりに目が慣れぬまま、カストリックはおぼろげな暗景の中、敵の姿を必死で捉えようとする。

 右か。

 左か。

 見えぬなら音はどうだ?

 部下達が雪崩れ込んでくるせいではっきりしないが、天幕の奥から物音は聞こえてこない。どこかに息を殺して潜んでいるのは間違いないが。


「ぐあっ」


 空気を裂く音と同時に、背後で上がった苦鳴に振り向けば、月光で明るい出入口を背景に、くっきり際立つ人影が頽れるのを目にしてカストリックは叫ぶ。


「もっと入口から離れろ――光の差し込む方向を考えるんだっ」


 気づけばすでに三名がやられている。先のが昏倒だとするのなら、最初と最後の二人が回復するまでにはもう少し時間が必要だろう。死人が出ていないのが不思議なくらいだ。


(後手を踏んではダメだ!)


 カストリックは闇に紛れようと入口から離れながら、部下に「互いに回り込むぞ」と指示を出す。


(くそっ……闇雲に動けない以上、使った“切り札”が役に立たん。全部狙ってやってるというのか……?)


 ここで“数の利”もどれほど意味があるのかと考えられれば、また違った展開もあり得たろうが、この時のカストリックにはそこまで冷静でいられる余力はさすがになかった。

 暗中から不意打ちしてくる槍の脅威が、それほどに凄まじかったということだ。

 足音を忍ばせ、天幕奥へと踏み込んだところで、ふと、カストリックの足に何かが当たる。それが槍であり、地べたに転がっているのが1本だけでないと気づいて不審に思う。


「ずいぶん荒らされてないか……?」


 自分の足下だけではないらしい。静寂の中、離れた位置から部下の言葉が聞こえてきて、とりとめのない疑念が具体的な形となったものの、答えが分かるわけではない。

 そもそもは、物見より“魔獣の侵入”と“その背にしがみつく不審な影”の報告を聞いてから、もしやと思い武器庫へやってきたのが始まりだ。

 不慮の遭遇戦とはいえ、殺し合いまでした敵の軍勢が近くにいれば、蛮族共が夜襲や潜入工作を仕掛けてきてもおかしくないと念頭にあったせいもある。

 そうして、あいつ・・・が天幕に入り込むのをちょうど目撃したのだから、出てくるまでに物音しなかったことは断言できる。

 だからこそ、おかしいと思うのだ。

 誰かが先に――


「ん……?」


 今度は柔らかいものが足にあたり、その違和感にカストリックが腰を屈めたところで、すぐ頭上を空気を切り裂く音がした。

 同時に背後から淡い光の線が差し込んで――実は槍が空けた布壁の穴から差し込む光だった――前方に不明瞭だが長身の人影を目にする。


「そこかっ」


 叫んで思わず立ち上がったのが悪かった。布壁から差し込む光がカストリックの長身に遮られ、唐突に闇が訪れる。

 無論、人影の姿も闇に紛れてしまい。

 慌てて身を避けるも、すでに人影の姿はない。そこで初めて、カストリックは天幕内で誰かが争う物音に気づく。

 ただ、部下達だとしてもおかしい。

 たった今、目の前にいた人影が一瞬で移動でもしない限り、誰と争うというのか・・・・・・・・・

 いや、そこで閃くのは先ほどの疑念の回答だ。

 自分達がここへ来る前に、やはり誰かがいたのだ――恐らくはあいつの仲間が。そこまで考えてはたと気づく。


 まさか挟み撃ち――?!


 カストリックの目の前にいた者が、部下達の背後を突けば一瞬で勝負は決まってしまう。碌でもない推測を正解と確信して、背筋が凍り付いたのは一瞬のこと。

 すぐさまカストリックは決断していた。

 愛剣を両手に持ち直し、腰脇に構えると同時に低く呟く。


受諾せよアクセプト


 その『鍵言』に応じて、剣身に微風が纏わり付いていた。気のせいかと思えるほどささやかな風が。その風精の戯れを直感のみで感じ取ったカストリックが、短く息を吐きざま、軽く跳躍する。


 精霊之一剣スピリチュアル・ソード『風月陣・方刃』――


 それは剣技スキルと似て非なる技。

 精霊術が術士のイメージを要とするなら、己が馴染む剣技に見立てることで、剣に宿る精霊の力を発揮させようと試みて確立されたのが精霊之一剣スピリチュアル・ソードと云われている。

 カストリックがいかにして、その愛剣と技を得るに至ったかは別の機会に語るものとして、少なくとも、それらを有するに足る心技体の者なればこそ、連隊長の地位を与えられ、そして今、その実力の片鱗を見せるのだ。

 

 ヒュア――ッ


 独特の風切り音が闇を切り裂き、剣技『満月陣』とは比べるべくもない広範囲を風の刃が走り抜ける。

 だが、跳躍して放たれた風刃は部下達だけでなく敵の頭上を過ぎゆくのみ。それを承知で放ったカストリックの狙いは当然別のところにあった。


「うお?!」


 誰かの驚きと共に、風刃に切り取られた天幕上部がバサバサと落ちてくる。


「よし、賊を捉えたっ。タイミングを計って一斉に躍りかかれ!」


 片手で纏わり付く布を払いながら、カストリックは適当にがなり・・・立てる。増援の存在をアピールする一か八かの牽制のために。武器棚の障害や誤撃を勘案すれば、咄嗟に思いつく方法はこれしかなかったのだ。

 天幕布と悪戦苦闘しながら懸命に脱出すれば、壊れた天幕の中でもぞもぞと蠢くものがある。それがふたつしかないと知って、カストリックの視線が厳しいものに変わる。

 残念だが、二人とも無事とは考えられない。

 二対一で敵一人を倒したと考えても、残りは背後を取られて討たれたと見るのが妥当だろう。

 冷徹だが、より手前が“敵”と見立てて、カストリックは即座に駆けだした。せめて“仇は討つ”と心に決めて。


「――っ」


 ふたつとも敵だとはさすがに考えたくない。抑え込めぬ不安がカストリックの足を速める。

 腕でもどこでもいい。少しでも味方でないと判じれる部位が現れれば、即座に剣技を叩き込む。


「――団長」


 出てきたのは部下の一人。さすがにこちらが味方とは思わなかったために、一瞬、鼻白んだがすぐに視線をもうひとつへと飛ばす。


 まさか、そちらも部下だとは。


 這い出してきた部下に無造作に近寄り、「痛た」と暴れられながらも、兜をむしり取ってみれば見知ったる男の顔。


「団長?」

「どういうことだ……?」


 まだ潰れた天幕の下に?

 武器棚が邪魔をして完全にぺしゃんこになったわけではない。隠れるところは十分あるから、飛び出す機会を窺っていても不思議ではない。ここは先ほどの牽制が――苦肉の策が効いたと素直に喜ぶべきなのかもしれないが、まだ油断はできない。

 増援がいないことはすでにバレたであろうから。


「くそっ……粘り強いな」

「団長! あそこに!!」


 苛立つカストリックに、部下が突然呼びかける。夢中で指差す方を見やれば、柵に向かって走り去る人影がひとつ。


 馬鹿な――あんな短時間で自分より先に?!


 何が起きるか心構えがあった自分を出し抜く速さで、脱出していた敵に感心すら抱きつつ、「逃すかっ」とカストリックは地を蹴っていた。

 何というヤツだ。

 これほど高い対応力をみせるのは、敵も味方もそうはいない。


 いや、『俗物軍団グレムリン』の団長か幹部くらいか――。


 まだ『筋力強化マッスル・ストレングス』の効果が続いているのか、すぐさま部下の一人が追いついてくる。


「先に行きますっ」

「……足止めするだけでいい」

「はいっ」


 躊躇いは一瞬。ここまでで、先行する人影の異常な走力に気づいたカストリックは部下の提案を了承する。

 逃せば、賊は“魔境”に消える。

 そうなれば、特命との兼ね合いもでてきて、まず追跡することは無理だろう。

 今ここで、ヤツを捕縛せねば槍を取り戻す機会は永久に奪われるのだ。


「――おかしい」


 そこまで考えて、カストリックは思わず土煙を立てながら足を止めていた。

 気づいたのは、人影が手ぶら・・・だということ。懸命に両手を振りながら走る姿に、あれほど大きな槍の影が見えない。それに、どこか人影の背も縮んでいるような……。


「まさか――」


 言い様、カストリックは後ろを振り返る。

 あの男・・・は、まだ天幕内に潜んでいたのではないかと。

 先を走っているのはあの男の仲間であり、あの男自身は、カストリックの機転に背面攻撃を阻まれ、脱出できぬまま天幕内に息を潜めていたのではないか。それならばすべてに納得がいく。


「どうする――?」


 カストリックは歯噛みしながら自問自答する。

 戻っても間に合うまい。槍の重量があるとはいえ、先ほどの身のこなしを考えれば、あの男にとってさして重荷にはなるまいと。

 だが、あの男の仲間を捕らえたとしても、それが何になるのか。蛮族が人質交換などに応じるのか。だからといってこのまま見逃すという手はあるまい。


「くそっ」


 苛立ちを吐き捨てて、カストリックは駆けだした。このまま部下を先に行かせたままの方が危ないと、命を守るためにも再び後を追うのであった。

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