第27話“異界の森”の探索(中編)

「どうした、楠?」


 班の方針が定まり、いざ出陣と歩をわずかに進めたきりで、ピタリと立ち止まった先頭へ剛馬が訝しげに声を掛ける。

 だが返されたのは、今し方上げたばかりの気炎が霞と消えた奮わぬ声。いや苦渋に満ちた低い声であった。


「……ぬかった・・・・な」


 はじめ足下を、それからゆるりと周りの地に視線を這わせた後、悔いを口にするその身に張り詰める緊張が不穏な事態の発生を告げていた。


「楠……?」

「足跡が……ここ・・には先ほどのもの以外にも種々の足跡が入り乱れておるようです。それも、相争うように」


 まるで近くの何者かに聞かれたくないように小声で何が問題かを知らせてくる。

 荒れ地とはいえ雑草が点在しているために離れた位置から認識できなかった“痕跡”を踏み込んで初めて気づけたのだろうが後の祭り。無論、楠の責任ではないのだが、自責の念が声に込められるのは、拙い状況・・・・に班を導いてしまったと彼が判断しているからか。

 その言辞が示唆するところを察した剛馬がずばり問う。


そこ・・が“狩り場”だと云うのだな?」


 それは何者の・・・という意味か。答える楠は洞穴へ視線を移して「そればかりでなく」と付け加える。


「少なくとも、拙者はすでに補足されて・・・・・おるかと」


 だから動けぬ、と。

 いや、厳密には洞穴前に広がる荒れ地へ多少踏み入ったのみ。遅きに失したと断言するには早すぎ、だからこそ、どこかで息を潜めているはずの狩人・・も獲物である楠の動向をいまだ見守っているのではないのか?

 しかもその意味するところは、相手が“忍耐”と“狩猟”を熟知した手強き者であることを示唆してもいた。


「……拙者を置いて引かれよ」


 覚悟を秘めた声で楠が仲間に訴える。

 先ほど自らが告げた「気配無し」との報告はもはや誤り――すなわち“気配を読ませぬ手練れの存在”を認めれば、まだ察知されておらぬはずの仲間を逃がすが最善の策。

 己をにえとする楠の意図をすべて承知した上で、しかし、その思いを平然と無にする声が上がる。


「面白い――」


 冷静になれば強引に楠ごと撤退するのも“有り”なはずだ。だのに、心の底から愉しげに前へ踏み出すのは、実戦に飢える葛城剛馬。

 楠の感覚を微も疑わず、なればこそ危地を望むとばかりに口角をぐいと吊り上げる。それへ「待て」と制したのは班長である月齊だ。


「お前の力に不足はないが、この状況で“攻め役”が出るのも慎重さに欠ける」

「何が起きるか分からぬのだぞ?」

「なればこそ。必要なのは“突破力”に非ず」


 ならば何が必要だと剛馬の不満が顔に出たのだろう。


「ここは“護り”の儂が出る」


 するりと作務衣姿が前に出て、剛馬が異論を挟む前に素早く広場へと踏み出していた。


(ふむ……)


 周囲に感じる無機質な圧迫感とは対照的に頭上の開放感が清々しく、「岩場に囲まれた窪地」という楠の報を月齊は実感する。

 それと共に、今し方まで気づかなかったが、広場に出て初めて感じるものがあった。


(見事だ――)


 それは肌に触れる程度の無機質な・・・・視線。

 気配を巧みに隠せても向ける視線にはどうしても“何か”が込められる。そして、やはりどこかに潜んでいるのだろう狩人が込めるのは“殺意”でも“怒気”でも“好奇”でもなく、見事に感情を殺した無色の視線。それ・・を月齊なればこそ感じ取り、胸中で少なからず感服した。

 感覚的には“剣士”というより“忍び”に近いものだ。


(洞穴の奥。岩場の上――左にひとつ)


 月齊が看破した気配の位置はふたつきり。

 背後を取ってをしないのは、片手落ちかそれとも獲物を追い込みすぎるを悪手と捉える智恵持つ故か。


(今は楠の言が、正しかったと知れたのが肝要か)


 思案に囚われすぎるのを嫌って、月齊は前にいる仲間に意識を集中する。

 まるで見えているように、楠のぴたり斜め後ろの位置につき、緊張に強張るその背にそっと手を置く。その手に退却はないとの意志を感じたのだろう。


「嫌な感じが拭えませぬ。地の形も“野伏せり”に打って付けかと」

「では、儂が前を抑える故、はお主と元部に任せよう」

「なら、儂は殿しんがりで退屈しているか」


 拗ねる剛馬に「任せた」と真摯に告げて、月齊が楠より前へ出る。あらためて一行は、空き地を横断する洞穴までの短い旅路を再開する。

 先ほどと違って先導者がいないために、月齊は一本化した『九節棍』で足下前方を左右払うように揺らしながら、棍を新たな感覚器として滑らかな足取りで歩を進めていく。

 こぶし大の石ころや凹んだ地面に足を取られることもなく、滑るような足捌きは、とても盲いた者の歩みではない。

 月齊の後に楠、元部と続き最後に剛馬が背後を守って隊列を組む。

 すぐに先頭の月齊が空き地の真ん中あたりに差し掛かるが、視線にこもる無機質さに変化はない。だのに――


 ――――ッ


 無音で疾駆してきた“何か”を月齊だけがはっきりと認知して棍を回転させていた。

 澄んだ残響が宙に融けて消え、パサリと雑地に二つの矢が落ちる。

 間髪置かずに月齊の手元から走った棍の短棒が、楠を狙い岩場から飛来する矢をも打ち落とす。


「毒矢……か」


 寸瞬遅れではあったものの、矢の軌道上にしっかと剣を掲げていた楠が、地に落ちた黒塗りの凶器を見つめ、さらに先端のやじりに塗られているものに気づいた。

 襲った二本の矢を的確に食い止めるどころか、瞬時に鞭状化した九節棍の先端を飛ばし、三本目まで見事に打ち落としてみせた月齊の技倆に、当然のことと仲間からの称賛はひとつとしてない。

 むしろ愚痴のような声が後方で上げられたくらいだ。


「やはりハズレ・・・かよ」


 剛馬の無念は、己が堅守すべき背後からではなく、前方の暗き洞から何者かの足先が現れるのを目にしたためであったが、出現より言葉が先・・・・・・・・なのは、粒の如き砂利を踏む微かな音をその耳で的確に拾ったためか。

 “音もなく”――そう言い表すべき相手の体術であったにも関わらず。


「む……」


 現れた影は一体のみ。

 “影”というに相応しき全身黒づくめの異様な風体に月齊も思わず息を洩らす。無論、見えぬ彼を動じさせたものは鼻につく獣臭であり、感情の揺らぎがそれで済んだのは、“剛馬の訓練”が早速役に立ったからだ。

 その姿は、強引に知識を当てはめて想像すれば、“体毛の濃い山賊”と云えなくもない。

 綻びの目立つ衣に獣皮をなめした皮鎧は暗色系で、全身に生えた体毛も黒に近い濃い灰色――日の差さぬ洞穴に溶け込むには打って付けの格好であった。

 無論、異様なのはその色使いにあらず。

 一見すると“人”かと安堵させるが、手足の先や関節が見るからに二足歩行をし始めた“獣”といった塩梅で、やはりこの世にあらぬ“怪異”なのだと淡い希望を打ち砕く。

 肝心の猫背に乗ったその面は、犬に似た形状の頭部であると分かるばかりで、青黒い波打つ線が引かれた奇妙で歪な形の仮面によって覆い隠されていた。

 何かのまじないか……?

 いや、今知るべきはこちらに対する殺意の有無。


「(去れ)」


 あきらかに獣の吠え声を耳にしながら、なぜか月齊達はその意味するところを適切に理解していた。びりびりと痺れるような感触が身内に走り、自分だけではない全員の動揺を月齊は感知する。


「(ここは俺たちのだ。去らねば敵と見なす)」


 それが連中の気性なのか、はたまたこの森で生きるための術なのか。

 用件のみを伝えるや、ふいに向けられた強い敵意に思わず反応して月齊が棍を構えた。それを敵対行為と判じたのか、またも音もなく矢が飛来し、月齊が苦もなく弾いて見せた。

 今の一事で洞穴の奥に最低でも一体は潜んでいると知れる。同時に、相手が策を弄する智恵を持つと知った以上、気持ちを引き締めてかからねばならぬこともはっきりした。それは相手も同じであったらしい。しかも、より好戦的に判断したようだ。


「(やはりマグレではないか。だが『無音の矢』を凌いだくらいで勘違いされても困る)」


 まるで自分の方が“格上”と疑いもせぬ言葉の後、威圧するようにゆらりと全身から敵意を立ち上らせる。その圧力は、如何なる分野にあろうとも、手練れであれば発するそれと同質のもの。


(儂らを躾ける・・・つもりか――?)


 不遜な侮りを黙って受け入れるほど月齊も大人しくはない。何よりも明確に賽は振られたのだ。


「楠――」

「承知っ」


 月齊に皆まで云わせず、楠が岩場に向かって走り出す。壁のようとはいえ、多少凹凸のある岩場ならば『猿身』を修得した抜刀隊員にとって、上りに苦慮することはない。

 余計な茶々を入れさせぬようにした上で、月齊は満を持して眼前の黒き犬人に向き合う。それへ待ったを掛ける者がいた。


「後生に――ここは拙者に任せていただきたい」

「元部――」


 己を通す強い意志に、月齊は自然と身を退いていた。これまでにない戦意の高まりを、静かなる炎として月齊の見えぬまなこが捉える。

 そこまで充実した剣士の意志を無下にできる彼ではない。


「かたじけない」


 元部の感謝を無言で聞き入れ、“黒き犬人”というべきモノに隙をみせることなく、するりと位置を入れ替える。

 その背に声を掛ける必要はなかった。

 対峙する黒き犬人も感じているだろう。

 己が二人を・・・相手にしていることに。

 油断も隙もなく、名実ともに『抜刀隊』の者がそこに立つのを感じて、月齊にはいかなる不安もなくただ見守ることができた。


         *****


 元部は広場に踏み入るなり、皆が云う不穏を感知して戦いの準備に入っていた。

 それは副長から教示された『想練』の実践だ。

 楠が示唆する“手練れ”の存在に狂喜したのは、何も剛馬ばかりではないということ。「己の剣で示す」と宣誓した以上、折りに付け機会を狙っていた元部にとってすれば“撤退”などは言語道断――調査隊の行く手に立ちはだかる者皆、片っ端から斬って捨てたい欲望が腹腔で煮えたぎっているのだ。

 だから今度こそ、と思っていた。

 万一を考え『想練』で戦意を練り込み、十全に身体機能が発揮できるように備えていたのだ。

 機は熟し、熱い何かが全身をうねって“力”が解き放たれるのを待ち望んでいる。


 今ならやれる――例え相手が剛馬や月齊であっても。


 そう豪語するほどの自信が己の中に生まれている。無論、蛮勇に振り回され暴走するような脆弱な精神を持ち合わせてなどいない。

 ただそれほどに、仕上がりは万全だということ。


「――拙者に任せていただきたい」


 自然と言葉にしていた。

 己の力に疑うことなく。

 事実、一歩踏み出すごとに“いける”と感じる。

 相手の異様な面に驚かされはしたが、それだけだ。怖れもなければ戸惑いさえない。肉は適度にゆるみ、思考が硬直することもない。

 月齊が変わらぬ心技で、近づく自分に気づいて脇へ避けてくれるのを「かたじけない」と感謝する。心からの素直な言葉が口から漏れた。

 代わって相手から向けられた威圧感を怖れるどころか全身で心地よく受け止め、はっきり“問題なし”と確信した。


「元部軒岳――お相手仕る」


 すらりと白刃を抜いて凡庸な青眼に構える。だが、それに対峙する相手が明らかに気配を変えた。刀の切っ先から放たれる元部の剣気に“同格”あるいは“それ以上”と感じたからに違いない。

 相手は油断なく眼光を突きつけたまま、無言で片手を背にやり一刀を抜きはなつ。その手にする剣もまた、漆を塗りつけたような黒き刃とは。

 慄然とさせるのは、鉈状の分厚い剣身がどれほどの重さになるのか、それにも関わらず、何気ない動作に筋力が完全に対応していると察すれるからだ。

 だが、それを視界の片隅で捉えても元部の心に揺らぎは生まれない。


 朝焼けに澄んだ湖面のごとく。


 そこに立てるさざ波は相手の動作が為さしめたもののみ。

 “明鏡止水”を体現する剣士に死角なぞあろうはずもない。それを認識したか、あるいは、剣の術理など知るはずのない“獣”故の振る舞いか、先に仕掛けたのは黒き犬人。


 プンッ


 ぶん、ではなく。いかに早く振り抜いても鉈が立てる音とは明らかに領域が違うと元部が気づいたかは分からない。

 叩き折るつもりであろう、狙われた刀身を軽く下げてやり過ごし、飛燕の返しで突きを放つ。


 ぱん、と面が真っ二つに割れ、下に隠された面貌が露わになる。


「犬……か」


 馬面との表現があるが、犬歯を剥く面構えは正しく犬面というべき相貌。ここまでつくり・・・が違えば、しゃべり・・・・が吠え声となるのも頷ける。

 そして、初めて目にする犬面が明らかな驚愕に引き攣っているのを元部は理由もなく確信する。同時に、白目のない真っ黒い瞳に確かな知性を感じとり、思わず「全力で来い」と相手を叱咤した。


「ぐるる……」


 元部の力に唸ったのかもしれない。だからと怯むことはなく、むしろ黒眼に怒りを燃え上がらせて黒き犬人が地を蹴った。


 左――


 重心の中央を軸にして元部がくるりと向きを変える。だが、そこには蹴り上げられた微細な砂利が宙にあるのみ。

 相手が二歩目でさらに加速したことなど元部に分かるはずもない。


 さらに左――


 動じず、さざ波の発生源を冷静に捉えて元部が刃を走らせる。振り向く力と刀を振るう力を同調させて、懐へ踏み込んでくる犬人に向けて白刃を導くように滑らせた。


「ゴルォ……ッ」


 犬人の呻きは肩に食い込む刃のせいだ。完璧な交差法に絶命するは必至だった。しかし、元部への斬撃よりもさらに踏み込みに力を入れ、刃の力点をずらすことを咄嗟に計った犬人の機転が功を奏して難を逃れ得る。その場馴れした対応力に元部は初めて驚きを覚える。それが攻守を逆転させることになった。


「ゴァアアッ」


 咆哮が唾と共に圧を持って元部の面貌に叩きつけられ、一瞬眼をつぶった隙に嫌な気配・・・・が左から襲ってきて、元部は咄嗟に左腕を掲げた。


 ズガッ


 猛烈な衝撃が腕越しに頭部を襲い、簡単に肉体を転がされる。


「くっ」


 さらに上から襲い掛かってくる気配を感じて元部が身体を捻れば、空いた地に重い音が叩きつけられた。

 それを確かめることもなく、夢中で身を翻し、真っ先に取り落とした刀を捜すや犬人の動きより速く飛びつく。

 危なかったと思わず元部は安堵する。

 相手の身体能力の高さは俊敏さだけに偏らず、特にあの暴力的なまでの怪力に真っ向から立ち向かっては駄目だと肝に命じる。だが、それは相手も同じであったらしい。


「(信じられん。この森で俺の速さについてこれるヤツなど……)」

「“速さ”とは動きの“俊敏さ”のことではない」

「(何だと……?)」


 驚いたのはむしろ元部の方だ。如何なる気紛れか思わず口にした理由は自分でも分からない。いずれにせよ、


「術理を知らぬ獣に云うても分かるまい」


 侮りではなく、事実として元部は告げる。


「(それは剣技スキルのことか?)」

「“すきる”?」


 思わぬ質問で返された。

 初めて耳にする言葉に眉をひそめる元部。


「(『探索者』のお前達がいつも好んで使っているだろう。俺たちがそれを使えないとでも?)」

「悪いが“すきる”どころか『探索者』なるものも知らん」

「馬鹿にするな。俺たちはこれまで、お前達のようにひとの住処を勝手に荒らす悪党を何度も退治してきた。嫌でも剣技スキルのひとつやふたつ覚えもするわっ」


 苛立ち犬歯を剥く犬人に、元部も困惑を隠せない。それへ意外にも助け船を出したのは、殿を勤める剛馬よりさらに背後からの声。

 月齊だけは気づいていたのか、すでに後ろへ向き直っている。


「(そこまでにしておこう、グルカ)」

「こいつは……味な隠し玉じゃねえか?」

 

 喜悦を浮かべる剛馬がゆるりと下がり、あらたな犬人を広場へと招き入れる。先のものより身長は同じだが身体の厚みがひとまわり違い、それに比して内包する気配・・の量も相応にあるようだ。

 恐らく班の中でもその者と敵対関係を回避すべきと冷静に判断できたのは月齊のみ。

 無論、負けると思っているわけではない。ただ、あたら犠牲を出すのを愚かと知る故だ。

 だが幸いにも、相手にその気はないようだ。

 敵愾心を剥き出しにする剛馬に相対しながらも、その新手あらては一切の緊張をみせずに、ゆるりと一行を迂回する。

 退路を空けたのは、わざとであろうか。

 何よりも、背にある剣を抜こうとしない態度に“狩り”をするつもりがないことだけは読み取れた。


「(グドゥ。悪いがこいつには借り・・がある)」


 肩口の傷を差しているのだろう。グルカと呼ばれた犬人が異論を告げれば、「(お前の目は節穴か?)」と新手のグドゥは仲間を窘める。


「(とくと見ろ。今までの『探索者』と異なる独特の衣服に独特の武器――何よりも先の得物を操る美麗な手技を見て、何も気づかぬのか)」


 そこまで云われてグルカが黒目をぐあっと見開く。何かに合点がいったのか途切れ途切れにグドゥに応じる。


「(まさか……この方達・・・・は、“狂の者”、いや縁ある者か……?)」

「(そうでなければ、すべてが剣技スキルと見紛う手技を繰り出せるはずもない)」


 訳知り顔で説き伏せる仲間に、グルカが犬面に冷や汗を浮かべ明らかな狼狽をみせてがばりと地に伏せた。


「(これは、とんだロウゼキをっ)」


 額を土にこすりつけ、地を震わすような声で元部に謝罪する。


「(まさかこんなところに“狂の者”が訪れるとは思わず……)」

「(グルカ、やり過ぎだ。彼らも引いて・・・いるぞ)」

「(やかましいっ。俺はこの方達に誠意を示さねばならんのだ)」


 あくまで顔を伏せたまま、地面に向かって反論する仲間にグドゥがやれやれと嘆息する。


「(そもそも、“狂の者”と我らは主従の関係にない。こちらが勝手に恩義を感じているだけだ)」

「(ならば同じ事だろう)」

「(同じものか。その忠義と云うべき思いは感心するが、相手に嫌がれるのでは見当違い。胸に秘めておく方がカッコいいぞ?)」

「(そんな愚劣な気持ちで立てた忠義ではないっ。……だが、お前の意見はありがたく受け取ろう)」


 結局はカッコ付けなのか、満更でもなさそうに「(では、そういうことで)」と元部に断ることなく勝手に顔を上げ立ち上がる。犬面で分かりにくいがグドゥが苦笑いしながら同胞の滑稽振りを見つめている。


「(実に不穏当な顔合わせではあったが、あらためて場を仕切り直したい。いかがかな?)」


 そう問われても。

 突然展開された“茶番”に呆気にとられ、とっくに興を削がれていた元部に思い浮かぶ答えもなく、黙って刀を鞘に収めるだけだ。


(だが、まあ――)


 よかろうと。

 勝ちきることはできなかったが、相手の尋常ならざる身体能力とくぐった修羅場の数を感じさせる実力には正直瞠目しており、その強敵を相手にやり合えたことで、確かな手応えを掴んでいた。

 そうであれば、今は己の気持ちをぐっと堪え、申し出の対応は班長に託すのがあるべき姿勢であろうと己を納得させる。

 出番は終わったのだ。

 グドゥの視線もまとめ役が誰かに気づいているらしい。そろりとだが剣呑な秋波を送ってくる剛馬にではなく、ひとり泰然と佇む月齊にその黒目をぴたりと向けていた。


「こちらとしても異論はないが――まずは、あの二人を止めてからにしようか」


 月齊の差すものに気づいた全員の視線が「あ!」と岩場の上へ向けられる。


「グガァアアッ」

「しりゃああっ」


 軽業師のように尖った岩場を飛び跳ねて、死力を尽くして血しぶく激闘を繰り広げる楠と犬人の姿がそこにあった――。

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