第28話“異界の森”の探索(後編)
洞穴の入口から真っ直ぐ奥へ進み、まだ外の景色が望めるあたりに、広めの空洞があった。
割と天上が高いためか息苦しさは感じられず、中央に設けられた
ススの臭いに負けぬ獣臭が鼻につくものの、全体にきつい感じでない理由は、上側に外へと抜ける空気の通り道があるからなのかもしれなかった。
竈近くに、ほどよく山積みにした枝葉に布を敷いただけの粗野な布団がいくつか置かれ、そこに月齊達を招き入れた犬人たちが座り込み、あるいは身体を横たえ
数は全部で四匹――いや四人と表現すべきか。すっかり警戒心を解いて、熱心に得物の手入れに取りかかる者までいる。
対して客人となった月齊達は入口を背に、犬人が用意してくれた大きな石くれに薄布を敷いただけのものに腰掛けていた。
こちらは万一の罠にも警戒する故か剛馬以外は浅く腰掛け、さらには妙に馴染んでみえる剛馬以外、どこか居心地悪げに見えるのも致し方あるまい。
むしろ、もしかすれば敵地となるやも知れぬ状況で、どっかと腰を下ろす剛馬が剛胆すぎるのだが、班長たる月齊からは諦めているのか信頼の表れなのか一言の注意もなかった。
「(あなた方の住処と比べれば雲泥の差ではあるが我慢していただこう)」
「いや気遣いは無用に。むしろ、招いていただき感謝する」
月齊は二つ折りにした根を抱え込んだまま、気にするなと中央に座すグドゥに返す。彼らの様子から察するに、理由が判然としないものの、どうやら本当に敵意どころか好意的な方へ気持ちが変わっているようだ。
ならば客側から一言あってもいいだろう。
「まずは、知らぬこととはいえ、そちらの住処に踏み入ってしまったことを謝りたい」
「(済んだことだ。物盗りでなかったのが幸いというもの――そうでなければ、そちらのような手練れと殺り合わねばならないところだった」
何気ないグドゥの言葉だが、そこには決して臆したところはない。装備をほどきながら、その実、しっかり耳をそばだてている他の犬人たちと違って、彼だけは月齊に似た泰然とした雰囲気を纏っている。
「(……まあ、若干名に多少の支障はあったがね)」
場に生まれた軽い緊張感に気づいたせいか、グドゥが戯けたように差すのは、空洞の隅で「俺の面が……」と割れた仮面を手に持ち項垂れているグルカと別の一組――血で汚れた顔を拭いもせず、むっつりとふて腐れている岩場にいた犬人と楠の二人だ。
特に止めに入るのが多少遅れることになった楠達は、“とんだ道化を演じさせられた”と憤り、命懸けで争った故の奇妙な連帯感が生まれたか、今や二人仲良く洞穴の隅で拗ねている。
「この血は道化の証」とか何とか語り合ってる二人を苦笑混じりで眺めるグドゥ。
そういえば、言葉もそうであるが、犬面で分かりにくい彼らの感情の機微まで、どうして月齊達に
「(それより、よく俺たちの
「それよ――」
はたと指摘する月齊が疑念を口にする。
「先ほど、我らを“キョウノモノ”と呼んでいたが、それはどういう意味かな?」
「(は? 何を云ってるんだ)」
思わずといった感じで横から口を出したのはグルカであろうか。それを「話しがややこしくなる」と制するようにグドゥがあらためて聞き返す。
「(意味とは?)」
「言葉のとおり。正直、儂らは“諏訪”の人間であって“キョウノモノ”という者ではない」
それをどのように捉えたのか。グルカは目を丸くして素直な驚きをみせているが、グドゥは予期していたようにしばし思案した後、語り出す。
「(そこにいるグルカはともかく、
そう前置きを置く。
「(“狂”とは
「(何といっても、あの凄くキレイな手技だよなっ)」
またも興奮気味に横槍を入れるのはグルカだ。迷惑そうなグドゥを気にせず早口で捲し立てる。
「(忌々しいが『探索者』の使う技術を凄いと思うのは認めるが、あいつらは切り札としてしか使ってこねえ。だが、あの方達の場合、手技のすべてが
「(そう……まるで先ほどの、あなた方の手技のように)」
グドゥも過去に思いを馳せるグルカと同じ光景を思い出したか感じ入ったように相づちを打つ。
「(ただ、あなた方と違って彼らは全身黒づくめだがね……その
自分達のように、と軽く手を広げるのは、体毛は別にして、むしろ真似した結果が今の出で立ちだと云いたいのだろう。
「(彼らには世話を受けた。傷の直し方、得物の扱い方、森での生き方についても技術が広がった。……言葉も習ったな)」
「(本来俺たちの種族で、ここまで言葉を知っている者もいねえぞ?)」
犬面で分かりくいが得意そうな顔をするのはグルカだ。
月齊達からすれば、二足歩行は同じかもしれぬが“言葉を操る獣”という時点で常識の範疇を超えてしまっている。なのに、グルカの言い回しでは、多少なりと言葉を操ること自体が当然であるらしい。その違和感にいまだ戸惑いを覚える月齊達をよそに犬人たちのやりとりは続く。
「(俺たちは種族でもハグレ者だからな)」
「(ス・ネヴァラの長老より長生きするとは思わなかった)」
グドゥがしみじみと洩らす。
「そんなに年経たように見えぬが」
何気なく見た目の活力で判じた元部が洩らしたのをグルカが笑いながら拾い上げる。
「(それがですね、なんと、俺たち3倍くらいは長生きしてるんですよ!)」
「(そんなにあるか。せいぜい倍であろうよ)」
「(おいおい。お前こそいい加減すぎるだろ、グナイ!)」
ふいに突っ込まれた仲間からの物言いに、グルカは「(何でお前の感覚はそーなんだよ)」と呆れたように切り返す。
「(まあ、いずれにしても、俺たちが普通の連中より長生きしているのは確かだな)」
グドゥが強引に話しを戻せば、当然の疑念を口にしたのは月齊だ。
「それは何か、理由があるのか?」
「(さて。ただ、“狂の者”に同じ話をしたとき深く考えるなと云われた――「どのみち戻れぬ」からだと)」
「?」
「(特別だと云ったろう? 俺たちには他に仲間がいないのだ。気づけば
再度、腕を広げて濃い灰色の毛皮に包まれた己を示す。特に体色は塗っているのでなく地肌に自毛であるのだと。口調は変わらず、だがその仕草にほんのりと哀切が漂う。
(自分でも素性が分からぬ――か)
月齊達が感じたものは同じであったろう。若干抱いた
「(つまり長寿なのは“黒”であることが原因だと俺たちは考えている。無論、種族を遙かに超えたこの肉体の強さも)」
“黒”であること――? 話しがより奇妙になってしまったがそれ以上聞いても無駄だということだけは分かった。
話しぶりから推察するに、“狂の者”もまた“黒”であり、犬人よりは事情を知っているようだが一体何者なのか。特に月齊達に似ているというのが非情に気になるところだ。
「その“狂の者”とやらはどこに行けば会える?」
「(そうだよ! 会って確かめれば、繋がりが分かるかもしれねえな)」
良い考えだと素直に賛同するグルカと違い、グドゥは腕を組み迷いをみせる。それを代弁するのは楠と拗ねていたはずの犬人だった。
「(馬鹿め。
「(いや、それはないだろ。どうみたって仲間だぜ?)」
グルカの反論を楽観だとその犬人は否定する。
「(そうとも云えん。これは俺の考えだが、恐らく“黒”とそうでない者とでは反発し合う傾向があるのではないか? 実際、友好を求めた『探索者』が対峙して間もなく斬り捨てられたことがあったろう)」
「(そりゃ昔は……)」
「(今も昔もない。あのとき殺されたのは、治癒の術を持つ無害で心優しき女であった。他に剣呑な空気をまき散らす戦士や俺たちの物をくすねようとした盗人もいたのに、だ。
誘われるように、
「(つまり、だ。清らかさのような“光”に対し攻撃的になるのが“黒”にはあるのではないかと俺は思うのだ)」
どこか怪談じみた奇怪な話に、場が静まり返る。
真実は、何か知らぬうちに“キョウノモノ”の禁忌に触れて起こったひとつの悲劇――と考えた方が常識的であろうというものだが、なぜかそうではないと確信するものがある。
とはいえ――。
犬人達の話だけでは、月齊達に何をどう判ずる術はない。とにかくグドゥも悩んでいるのは“下手に関われば命の危険がある”ことを危惧してのことだと、そこだけは理解できた。
「どう思う?」
月齊から向けられた話しに剛馬は当然唇の端を上げて想像通りの答えを返してくる。
「“キョウノモノ”とやらの剣術に興味があるな」「だが、相当の手練れのようだ。相対してすぐに殺し合いでは……」
月齊の迷いは“調査”の任務をどこまでに捉えるかだ。本来は森の状況を知るのが目的であり、下手に誰かを刺激して厄介な敵を生み出すのは行き過ぎかと思われる。
かといって、犬人たちとの交流以上に何やら重要な話しが聞けたのは確かであり、さらなる情報集めをする必要を感じてもいた。
「ちなみに“キョウノモノ”とは貴方たちのような数人? それとも……」
ふいに放った質問は隅で拗ねていた楠だ。相方がこちらの会話に参戦してしまったため、手持ち無沙汰になったのだろう。
「……種族みたいに、たくさんいるとか」
「(確かに両手の指では収まらん。
腕組みしたままのグドゥの答えに、「森の真ん中だと?」月齊達全員がはっとする。
「城の近くではないのか……?」
ごくりと唾を呑む元部に「さすがに面白くなったとは云えぬな」と剛馬も神妙に応じる。聞きようによっては、自分達に互する力を持った“凶悪な癇癪持ち”が近所にいる――あまりに危なっかしい状況ではないのか?
やにわに立ち上がったのは月齊だ。
「グドゥ殿。突然のことですまぬが、力を貸してくれまいか?」
これまでの泰然たる雰囲気を霞と消して、ぴりりと刺激のある緊迫感を放ちながら月齊が願い出る。
「(貸すとは?)」
「“キョウノモノ”が危険な存在であることは分かった。その住処がどうやら我らの根城近くにあるようだとも」
「(何っ……つまり
それを月齊は否定する。
「塒の近くに行き、場所と様子だけでも窺いたい。下手な接触は避けるがよいのであろう?」
「(ふむ……)」
「我らも殺し合いは望んでおらぬ。だが、近くにいるとなれば、いつ凶事が起きても不思議ではない事態。早急に状況を把握し、仲間に下手な手出しは控えろと注意せねばならん」
月齊の焦りを含んだ切実な訴えはグドゥも理解できたのだろう。
「(俺たちも、例えあなた方が
「(なら、俺たちは俺たちで、あの方達に頼んでみてはどうだ?)」
グルカも勢い込んで提案すると「俺は構わんぞ」とグナイ達も同意する。
「(確かに俺も、『探索者』を無性にぶち殺してやりたくなる時があるが、あなた方にはそんな気が起きない)」
だからきっと大丈夫とグルカはあまりに薄い根拠で安請け合いする。
「(では途中まで案内しよう)」
その後は犬人達だけで“キョウノモノ”の塒を訪れるという段取りで両者は合意するのだった。
*****
「む。
「あとにせい。今は急ぎ戻らねばらぬとき」
元部が何かに目を留めれば、剛馬が足を止めるなと注意する。しかし、「少しだけ」折角見つけたのだからと足先を変え、元部は足早に隊列から離れてしまう。
「……あやつ」
「休憩と思えばよい」
下生えに覆われた道なき森を、城近くまで戻るには相応の体力を使うことになる。ならば、普通に一定度にしっかり休憩を入れるか、あるいは元部の気紛れではあっても短くこまめに休息をとったとしても方法論の相違だけで決して悪くはない。
月齊はあくまで元部への同情からでなく班にとって損のないことを計算の上での選択と剛馬に告げる。それを額面通りに受け取る剛馬ではなかったが、理が間違っていない以上、否定することはない。
熱心に採取を始める元部の背をみて「ふん」と鼻を鳴らすだけだ。
さわあざみ、おにあざみ……あざみには多くの種類があり、ただ独特の形状は共通している。すなわち――
それは棘状に裂いたような触れ難い葉。
一年を通して山地でみられ、独特の形状なため覚えやすく見つけやすい。気が逸って手を出せば小さくも傷を拵えることになるので採取には慎重さが必要となる。
見た目がそうだけに、なるべく若いものを選び、小さくゴボウに似た根も食せるから、丁寧に掘り起こし土をとる。
山菜採りに精通していた小室の教えだ。
調査の一環として、山菜の自生地を確認し、採取することも含まれていたため、得手とする小室の教えを受けながら、途中まではそれなりの成果を挙げていた。
覚えると、見つけるのが存外に愉しくなり、見つけたら見つけたで、いつの間にやら採取そのものに夢中になる。
今が急ぎと知りながら、目についた時には、元部は思わず足を向けていた。
「元部っ」
「早うせい」
鋭く促されつつ、元部は数株だけ採取する。
「申し訳ない」
「先ほど採ったばかりだろう」
剛馬の嫌味に「つい」ともはや言い訳にならぬ弁明をする。
「その“ついなんとか”だったな?」
「“釣り鐘人参”です。根を掘るのに苦労しました」
「
元部の冷静な訂正に剛馬は「馬鹿か」と憤るも、あまり反省の色はみられない。そのやりとりを後ろから眺める犬人達が互いに頷き合っている。
「(やはり詳しいな)」
「(ああ。さっきの
微妙なグルカの言い間違いをグドゥは「大勢に影響なし」と軽く受け流す。
二人はグナイを先導として任せ、今は列の最後尾に付けていた。列の先頭付近では、グクワがすっかり通じ合ったらしい楠という者と何やら語り合いながら歩いている。
「(あんなところまで似ているのだから、やはり何らかの関係があるのだろうな)」
「(決まってるだろ。第一、そうじゃねえと俺たちはどうする?)」
「(どうとは?)」
「(もしかすると、この方達と敵対するかもしれないんだろ?)」
自分達の願い叶わず“狂の者”の判断によっては。不穏な未来を予想してグルカが嫌そうに告げるのをグドゥは逆に感心する。
「(さすがに“狂の者”を優先するのだな)」
「(当然だろーが。俺たちは受けた恩義を忘れちゃいけねえよ……まさか、グドゥ?)」
そこで仲間の表情にグルカは何を読み取ったのか、不安げに声を潜める。
「(この方達は
「(おいおいっ)」
「(心配するな。ただ、我らとて必ず安心できる関係ではないからな……不安を感じるのは仕方あるまい?)」
「(はっ。それこそいらぬ心配だろーよ)」
グドゥの不安を不敬だとばかりグルカは鼻で笑う。
「(まあ、どっちに転んでも、俺たちの意見くらいは合わせておこーぜ)」
仲違いなどまっぴらごめん。
それには同意とグルカは頷き、採取した山菜をどことなく嬉しげに背嚢にしまっている元部を見つめていた。そこにいかなる感慨を抱いているのかは、仲間であるグルカもさすがに読み取ることはできなかった。
*****
「……これは」
「ああ。だいぶ城に近いのではないか?」
あれから黙然と歩むことしばし。
真っ直ぐ“キョウノモノ”の塒へ案内してもらっているはずだが、月齊と剛馬の感覚では相当に城の近くであると感じられた。
このような近くに恐るべき戦力が巣くっていたとは、知らぬが仏もいいところ。とにかく、方向感覚については自分達よりも優れた楠に確認すべしと、二人の視線が楠の背を捜す。
「楠――」
丈の長い下生えを押し分け、すぐ眼に入ったその背にただならぬ緊張感を感じとり剛馬が口を閉ざす。それだけで答えは十分だ。
「やはり」
「ああ」
月齊と剛馬が互いに得心したところで、身体にまといつく下草の海原がふいに途切れる。
視野が一気に広がり樹林を先まで見通せるようになった。だからこそ、先導の犬人から元部、楠と順次足を止めることになる。
「――儂らの城だな」
剛馬がぽつりと洩らす。不思議なのは犬人達も驚きで足を止めたように見受けられることだが、月齊達にそこまで気づく余裕はない。だが――
「(何だ、あれは――)」
「(いつの間に、あんなものが?! )」
口々に驚愕にまみれた言葉を放つ犬人たちが明らかに狼狽し戸惑いをみせるのは、道案内を間違えたわけではないということだ。
「グドゥ殿」
「(……)」
「グドゥ殿、よいか?」
月齊が二度呼んでようやく普段は落ち着き払っている犬人が「(なんだ……?)」と応じる。いまだ心ここにあらずといった感じは拭えないまま。
「念押しで聞くが、お主らは確かに“キョウノモノ”の塒に向かっていたのだな?」
「(そうだ……そのつもりだったが)」
よほど驚いたのだろう。
中天をとうに過ぎた今日一番の強い陽射しを浴びる羽倉城は、高さや豪奢な門構えがあるわけでもないが、内在する厳粛な空気を放ち、異界の森ではひときわ目立っている。
「(森の“惑わし”も受けちゃいねえんだ。俺たちが間違えるはずがねえ)」
憤りを向ける相手もなく唸り声を上げるのはグルカだ。
「“キョウノモノ”が消え、儂らが現れた……?」
目の前の現実を噛みしめるように月齊が起きたことを言葉に代える。
「……なるほど」
仏の説く道理を得たような高僧のごとき面持ちで呟くも、実際のところは何も分かってはおらず、ただ何となくそんな言葉が洩れてしまう。
実際、どうせよというのか。
自分達が受けた衝撃を考えれば、そう口にするよりほかはなかったのだ――。
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