第4話 月天の凶事


夜半

羽倉城周縁の森

 同盟軍『本隊』――




 同盟軍が夜陰に乗じて諏訪領へと侵攻し、諏訪の本城――羽倉城を取り囲む広大な樹林の影を視界に入れたのは、夜半を前にした亥の刻。

 繰り出した斥候より「森に潜む敵影あり」との知らせを受け、一時進軍を停止させた同盟軍本営は、結局そのまま一夜を明かす決定を全軍に発した。

 そう。

 彼らは諏訪家の読みとは異なり、兵力のほとんどを“明朝の決戦”に備えさせたのだ。ただし――部を除いては・・・・・・

 ともかく、軍上層部を除き全兵に本営が命じたのは、あえて森東の進入口前に本陣を置き、そこから左右へ軍を偏在させる――万一の敵援軍に備えると共に、敵の奇襲を誘う巧妙なる布陣であった。

 しかしやはりと云うべきか、敵が仕掛けてくる気配はなく、夜は静かに更けてゆく。その中で唯一、最左翼の部隊だけは“奇襲返しの要”として過剰なまでに見張りの数を増やし、細やかな監視網を構築していた。


「何か気掛かりでも、八真はっしん様?」


 そろそろ夜半かという頃合いに、陣奥を離れ、驚く歩哨に見守られながら最前線まで歩いてきた隊頭を、色白の少年が不安げに見上げる。

 腰まで届く長い黒髪を右に寄せ、赤・蒼・翠の三色紐で結った男――犬塚いぬづか 八真はっしんは、眼前に広がる森を静かに見つめていた。


「寒ぅございます。お身体が冷えては――ぁ」


 短い悲鳴に艶が紛れるのは、少年の胸元の合わせ目から八真の白い手が滑り込んだためだ。


暖かいから・・・・・、問題ない」

「でも――ぁ」


 触れれば意外に筋張っていると知れる八真の腕を抱きかかえるようにして、少年の細面が見る間に朱に染まってゆく。

 だが、少年の胸元をまさぐる手はすぐに止められる。


「八真様……?」


 なぜか名残惜しげな少年の問いに八真が答えることはない。

 夜風に当たりにきた、と云われれば納得してしまいそうなたたずまいからは、決戦前夜の兵の様子を見に来たとも感じられ、あるじの思考の片鱗さえ少年に分かろうはずもない。

 少年に課された役目は、“慰め”でしかないが故に。にもかかわらず。


「敵が森から出ることなどありませぬ」


 毅然とした少年の言葉に、初めて八真の顔が己の半生にも満たぬ年少者の小顔へと向けられる。

 わずかに情欲の翳りさえあった面影は消え失せ、理知的な黒瞳とどこか酷薄ささえ漂わせる薄い唇を持った、別人としか思えぬ少年の顔を。


「彼らは林野に隠れ、林野を駆け、林野を天然の要害として活かす術に優れたる者。夜襲に利あるといえど、己の主戦場を捨てるような愚は、おかしませぬ」

「それでも『軍神』自ら、あるいは『抜刀隊』であれば必殺の一撃が放てる」


 やはり八真は、敵の奇襲を危惧していたのだろうか。白山一武力を誇る犬豪において、八将――『そう四牙しが』にまで上り詰めた戦歴が、不穏なる空気を感じ取らせていたとしても不思議はない。


「さらに秘策でも授ければ、もっと効果的な攻めができるかもしれぬ」

「だとしても」


 少年は問題ないと断言する。


「何か仕掛けてこれば……その時は塁様が・・・、敵の喉笛を食いちぎって下さいますから」

「――俺ではなく・・・・・?」


 わざとらしく片眉を上げ、美貌に似合わぬ掠れた声で拗ねてみせる八真に、少年は目を細める。


「あすこにいるのは“雷様らいさま”ですよ? されば、いかな八真様とて互角の勝負・・・・・となりましょう」

「――なら、仕方ないか」


 今度こそ、少年の瞠目すべき慧眼に目を見開いたのも束の間、八真はふっと口端に微笑を含んで再び森に視線を向けた。

 隣国を統べる大名が「割に合わぬ」と敬遠する白山地域において、“諏訪の万雷”と云えば猛将中の猛将――白山の猛者達でさえ「命じられなければ相対せぬ」が決して口外しない共通した思いとなっている。

 そのような人物と少年は「互する」と述べたのだ。

 八真が胸中に抱くものは“微笑”程度であるはずがない。

 事実、自身と同じ考えを・・・・・・・・、副将からでなく年端もいかぬ小姓から聞かされる痛快さを愉しみながら、彼は樹々の連なる影を眺めていた。

 だからであろうか。

 秘すべき内情を口にしてしまうのは。


壱与いようていた――」

「壱与殿が?」

「このいくさ将来さきが視えぬと」

「――」


 少年が息を呑む。

 古代の女王から名を取ったと言われる犬豪子飼いの巫女については秘事とされ、本来、小姓に過ぎぬ少年が耳にすべきことではなかったからだ。

 それでも寝物語に聞かされたのは、大嵐の夜、難破船で漂着した者であり、どこか遠くの島の住民であったということ。そして何よりも、非常に優れた“易占”の術士であるということだ。

 だが、それこそが武力ばかりが目立つ犬豪の強さの秘密と知れば、少年も恐れおののき安易に口にできるものではない。

 それだけに、『諏訪の伐り倒し』のただ中で、今また犬豪が誇る名将の口から、その名が出されたのは衝撃的であった。しかも。


「将来が視えぬ……勝敗が分からない・・・・・・・・と?」

「どう思う?」


 気軽に問いかけられても、正直、少年には大いなる困惑と戸惑いしかない。


 『白縫』が誇る智将が打ち出した戦略は、ここまで大きな穴もなく狙い通りの展開を見せている。

 電光石火の侵攻に、敵の対応は後手に回っており、まともな抵抗もさせずに敵の本城まで迫っていた。その城にも敵が物資や兵を集める刻など少しも与えていない。

 事を起こす以前の“段取り”の段階ですべてが・・・・決まった・・・・というべき見事な策である。

 その上、冷静に計っても、おそらく敵の兵力は五百程度。念のため倍で考えても千人はいくまい。それに対して策の提案者である『白縫』が三千。『犬豪』は二千だが、自慢の八将を三人も参戦させており、戦力として引けは取っていない。

 いずれにせよ、同盟軍として五千の兵数は敵の優に五倍はあり、城攻めをするにしても十分な戦力であった。


 今の戦力差で負ける要素などどこにもない。

 ましてや、犬豪の武将を相手に“敗北”の二字など口にしてよいはずがない。

 だが、頭では分かっているはずなのに、少年は別の答えを口にしていた。


「……壱与殿が申されるならば、その通りなのでしょう」

「そうか」


 重苦しく洩らされた言葉に、意外にも、八真はただ受け止めた。

 兵数で勝りながら――聞きようによっては「質で劣る」と言われたも同義の屈辱的見解を、気にした風は一切無く、ただ本当にありのままを受け容れたようだ。

 いや、もしかすれば、彼もまた同じ考えでいたのもかもしれない。


「華美丸」

「はい」

「あるいは『白狐・・の小細工・・・・が要因ではと危惧する者もおる。止めるべきではないかと。逆に、そう口にする不和こそが要因で、このまま策を為すべきと推す者もいる。だが正直、策の成否など――どうでもいい」


 もっと憂慮すべきことがあるのだと。

 束ねた黒髪を揺らして、少年に向けられた八真の鋭い視線には強烈な自負が込められていた。


「何があろうとも――我ら『四爪四牙しそうしが』の三名を以てして、砕けぬ凶事とは、いかなるものと考える?」


 それは齢十二の童子に問うべき内容ではなかったが、先ほどとは打って変わって、八真の掠れた声音には紛れもない真剣さが含まれている。

 本気で求めているのだ――一介の小姓にすぎぬ、華美丸の意見を。

 それでもすぐに答えは出ぬと承知しているのだろう。


「まさか我らとの約定を違え、北部の『相馬』が手を貸したのか? それともあの森の奥に、『白狐』でさえ暴けぬ奴らの“秘中の秘”が隠されていると思うか……?」

「秘策、でございますか……」


 赤い小さな舌でその言葉を転がし、少年――華美丸は必死に頭を絞り上げる。

 愛すべき主の求めに応じんと、その薄い眉をきつく締め上げ、知らず親指の爪を噛みしめるも、さすがに情報が少なすぎては良い考えも浮かばない。


「……同盟軍にとっての凶事が、“諏訪の秘策”によるものと捉えるのは、最もあり得る筋道かと」

「だが、“違う”と申すか?」

「いえ、正直どちらとも――」


 そう言いかけた時だった。

 八真が鋭く森へ顔を向け、思わず華美丸もそれにならう。


「……え?」


 森が揺らいでいた。

 月明かりのせいで、より黒々と陰影をいや増す樹林全体が、まるで揺らいでいるかのように何かが湧き上がってきたのだ。


「あれは、煙……?」

「いいや、靄だな」


 冷静に訂正する八真の言葉に華美丸は細眉をひそませる。

 ぶあり、とまるで大規模な山火事でも起きているかのごとく、木々の隙間より溢れ出す勢いの濃霧など見聞きしたこともない故に。それは八真だとて同じこと。


「それにしても、あのように……?」


 右も左も視認できる範囲の樹林から、靄が堰を切ったように平地へ溢れ出してくる異様な光景。

 さすがに異変に気付いたか、森近くに立たせていた歩哨が狼狽えた動きを見せ、隣の陣営でも誰かの騒ぐ声が聞こえ始めた。

 だがそれは、森を覆い尽くさんばかりに溢れ出す靄のせいばかりではない――歩哨より森から離れて佇む八真達にも、何が起こっているのか、すぐに知れることになる。

 突然、樹影の足下より幾つもの人影が、靄を振り払う勢いで駆け抜けてきたからだ。


「***!!」

「**っ」


 何かを叫びながら、足をもつれさせながら、それだけは遠目にも惹きつける鮮やかな銀髪を振り乱し、靄を抜けたところで全員が立ち止まった。



「「「――――っ」」」



 何かに驚いたように、急激に足を止めた全員が、八真達の方を凝視している様子でその理由は明らかだ。

 森を抜けた途端、千人に達する兵達が夜営している光景を目にすれば、誰もが度肝を抜かれるに違いない。

 呆気にとられた様子が遠目にも感じられ、しかし、樹林内より「ほぉう」と梟に似た鳴き声が聞こえてくると、全員が反射的に背後を振り返った。釣られて八真達の視線も。

 何かがいた。

 少なくとも、銀髪達にとっては千の兵士よりも脅威を感じさせるほどの何かが・・・

 その背中から伝わる緊張感。

 これから何が起きるのかと、八真達が固唾を呑んで見守る中。

 ざわり、と樹々が揺れ、それ・・が視界に入る前に鋭い声が発せられる。


「****っ」


 先頭にいた銀髪が腕を振り、仲間に森と反対の方へ促した。逃げろと。

 樹木の枝葉が揺れる――銀髪達の背丈に比して、頭三つ四つは高い位置の枝葉が、風もないのに揺れている。その意味するところを彼らは当然知っているのだろう。


「**――!!」


 もう一度、まるで自身の恐怖を振り払うかのように、先頭の銀髪が叫んだ。そこで我に返った仲間達が弾かれたように動き出す。

 靄を全身に纏わりつかせながら、それ・・が悠然と現れた。


「熊――?!」


 半信半疑な華美丸の呟き。

 明らかに、銀髪の人影よりも遙かに上背のある体躯であったが、二足歩行で歩く獣を“熊”と呼んでよいのかどうか。

 むしろ頭部には丸い目と嘴状のもの――鳥獣の頭が乗っており、お伽噺に出てくる“物の怪”を思い起こさせた。



 ぼおぉぉぉぉう!!



 それ・・が立ち止まって鳴いた。

 耳にするだけで全身の肌を粟立てさせるような薄気味悪い声で。


「***、***」

「**!!」


 負けじと対峙するのは銀髪の二人。

 ここで足止めしようというのか、ひとりが弓を引くような仕草を見せ、今ひとりが斜め後ろの位置で腕を前に突き出し、掛け声を発する。

 あの体格差で、それも化け物相手にたった二人で何ができようか?

 それでも覚悟を示す二人を嘲笑うように、新たなる敵が現れた。

 大股で近づいてくる鳥頭の足下を駆け抜けて、多数の小さき人影が溢れ出し、驚く二人の隙を突いて躍りかかっていた。



 ******――――!!



 響き渡る苦鳴。

 思わぬ攻撃に、前にいた銀髪は為す術なく押し倒され、あっという間に人だかりに呑まれてしまう。

 間髪置かずに人波はもうひとりの銀髪へと。


「――***!!」


 驚愕の金縛りを解いたのは恐怖だったのか。

 残った銀髪が、苦し紛れに人波に向かって腕を振るう。その虚しいだけの行為に、まさか意味があったとは。


「え、今――?!」


 華美丸の困惑は、腕の振りに合わせて人波が総崩れとなったため。もっと詳しく云えば、群がる小さき人影達全員が、一瞬で上下に断たれてしまったのだ。

 何をした――?!

 銀髪は確かに武器を持っていなかった。

 なのに実際はどうだ。

 目を疑う華美丸が答えを得る前に、瞬時に新手を撃退してのけた銀髪が、迫っていた鳥頭の一撃をまともに喰らってしまう。


「――あっ」


 一瞬の終幕。

 頭は鳥でも肉体は熊並だ。かぎ爪であろう一撃を受けた銀髪が力なく草地に倒れた。すかさず、また新たに湧き上がった小さき人影達が、もはや肉の塊となった銀髪へ群がってゆく。



 ぶがる、ごぶ

 るぶが、ぶぶ

 ぎゃぶ、ぶば



 痰を咽に絡ませたような醜悪なるだみ声。

 幼い頃に聞かされた魑魅魍魎とは、正にこの声を云うのではあるまいか。

 ならば自分達は、気付かぬうちに異境の地へ迷い込んでしまったのか。

 信じがたいものを目にした八真達はどうしたか。


「“猿”にしては大きすぎる――」


 この状況で、目前の出来事を冷静に見極めようとする八真が眉間に皺を寄せる。

 見た目は五、六歳児より大きく、突き出た腹が特徴的な見知らぬ獣。鳴き声も含めて、これまで見聞きした、いかなる生き物にも当て嵌まるものはない。

 いや、仮に猿だとしても、ここまで猛々しく人を襲う行為に至るなど、聞いたこともない。

 八真達の視界では、今や何の脅威でもない銀髪の骸に、なおも群がったままの数体が、まっすぐ歩む鳥頭に蹴散らされていた。

 怒りに喚く者。

 我に返って、逃げる銀髪達を追い始める者。

 もうひとつの人だかりについては、一心不乱に何をしているのか、死骸から離れようとしない。


「まさか屍肉を? それも何と貪欲な……」


 八真の呻きが「八真様」と華美丸を震えさせる。

 花柄模様の派手な小袖の先をキュッと掴む小さき手に気付くことなく、八真は目に映る光景を食い入るように睨みつける。

 何なんだ、あやつらは?

 一体何が起きている?

 だが忙しなく思考を回転させる余裕すら、八真達には与えられることはない。


「そんな、まだ――」


 唖然とする華美丸が年に似ぬ理知的な瞳に捉えたもの。

 逃げる銀髪達に追う怪猿の群れ。

 それは止めどもなく靄の中から湧き出てきて、鳥頭であろう長影の数もひとつ、ふたつと増えてゆく。

 だが最も驚かせたのは、その後からさらに悠然と現れた騎影であった。

 騎馬にしては小さすぎる――八真なら瞬時に気付く異様なる影は、しかし、紛れもなく四つ足の獣に人影が跨がる騎馬の影。

 それが幾つも樹林の内より産まれ出でる。




 ぶえぇぇぇえええぇえ~~~~!!!!




 出来損ないの法螺貝を吹いたような、耳障りな音が大音量で静かなる平野に響き渡った。

 途端に、ぎゃあぎゃあと濁った喊声が樹林を揺らし、林外へと先ほどに倍する群影を吐き出した。

 そう。今のは進軍の合図。

 相手が何者であろうと、吐き出されたそれは、正しく軍影であった・・・・・・


「――っ」


 急報の声も上げられず、最も間近にいた歩哨が絶句したのも仕方あるまい。その目前を斜めに駆け抜ける銀髪達は、もはや後ろを振り向く余裕もなく、逃げに徹する。


「何をしているっ、お前も逃げい!!」


 はっとしたように八真が歩哨に命じるも微動だにせず。むしろその声で我に返ったように、歩哨は逃げるよりもまず、己の職務を遂行した。



「てき、敵襲――――!!」



 その発声は最後まで為されることなく、叩きつけられたかぎ爪に薙ぎ払われた。

 血塗れであろう両腕を広げ、誇らしげに胸を反らして、嘴を開閉させる姿は先頭にいた鳥頭のもの。



 ほぶぅぉおおおおおお!!

 ごぶる、ぶるぐ

 ぎぶら、ぎゅぶる



 獲物を仕留めた鳥頭の咆哮と怪猿の悍ましい喚き声。そうした一連の騒ぎによって、すでに騒ぎ立てていた兵達が、ようやく切迫した状況にあることを呑み込み始める。


「何だ、あの数――」

「おい、こっちに来るぞ?!」


 相手が“人”であるならまだしも。

 動き出した得体の知れない集団に、歴戦の兵達が動揺するのも無理はない。騒ぎ立てるか茫然と立ち尽くす者ばかりが増えてゆき、将たる八真でさえ、頭が困惑に塗り潰される。

 そしてまさかと、馬鹿げた妄想が口をついて出るのも致し方あるまい。


「こやつら……これが“諏訪の秘策”か?!」


 疑念混じりに吐き捨てる八真。

 こんな常軌を逸した軍勢を敵は隠し持っていたのかと。

 銀髪の存在も含めて、もっと冷静に状況を整理すれば、無理のある解釈だ。それすら気付けぬあるじの動揺に、むしろ平静さを取り戻したのは華美丸の方であった。


「そんなわけがありませぬっ」

「だが、あのようなもの――」


 ある種、安易な答えに固執する八真の頬を「犬塚八真!!」気丈な少年の声が張りつける。


「華美丸……」

「どうぞ、冷静に」


 華美丸は冷たいあるじの手をきつく握り締める。


「諏訪者は皆が“夢追い人”。語弊を怖れず語るなら――この乱世で高潔を貫こうとする、どうしようもないほど世間知らずな者達の集まりです。そんな彼らが、あのように悪しく悍ましき異物・・の手を借りると、本当に思われますか?」

「……思わぬ、な」


 思案は短く、八真ははっきりと否定する。


「卑怯ではなく、狡猾。残虐ではなく、苛烈。奴らと幾度も戦ってきたが、兵を殺されて憎むより、負けて悔やむ方が胸に残る――真に不思議な敵だ」

「私より、分かっておいでです」

「……それが、答えか」


 呟く声にでなく、迫り来る軍勢を見つめる瞳に八真が得心した胸内が表れていた。




 ぶべぇぇえぇぇえええええ~~!!




 鳴り響く不気味な法螺貝の音。

 小柄ながら素早く駆けてくる小さき人影の群れ。

 群れを蹴散らし先頭を切るのは、数頭の鳥頭。

 これが諏訪の秘策でないと解したところで、状況が好転するわけでもない。


「だが、気持ちは落ち着いた」


 軽く息をつく八真。

 正に百鬼夜行のごとし軍影を目にして、落ち着ける胆力は天晴れであるが、化け物達の足は速く、悠長に見守っている場合ではない。


「八真様、お下がりをっ」

「そこのお前っ、俺の傘を持ってこい!」


 華美丸が艶やかな小袖を引っ張るのを、八真は無視して近くの兵卒に鋭く命じる。


「八真様!」

「ダメだ華美丸。あんなの・・・・を相手に此奴らだけで、持ち堪えられると思うか?」

「ですが――」


 敵の先陣を切る、地響きが聞こえそうな巨躯の群れを目にすれば、華美丸も言葉を失う。実際、周りにいる兵達は騒ぎ声が大きくなるばかりで、隊列を整える素振りもない。

 並の下士官では狼狽えてばかりで、統率どころか指示ひとつさえ出せないのだ。


「分かるな? 俺がここに留まるしかないっ」

「くっ――されば、得物を調達して参ります!」

「おい――」


 八真の制止も聞かず、華美丸は飛ぶように走り出す。それを一瞬追いかけようとした八真は寸でで思い止まり、すぐに喫緊の危機へと向き直る。


「あの者共を捕らえておけっ」


 犬塚隊を避けるように逃げてゆく銀髪達を指差し、八真が手短に指示を出す。奴らには聞かねばならぬことがある。「必ず、ひとりは生かしておけ」と付け加えたところで、今度こそ、己の為すべきことに意識を集中した。




「者共、ここに集まれいっっ――――」




 玲瓏たる白面に似つかわしくない、猛々しい声を張り上げ、八真は鋭く拳を突き上げる。


「誰だ?!」

「馬鹿、あの“牡丹”を見ろっ」

「え、まさか――」


 よほど目前の異常に目を奪われていたのだろう。

 前線にいるはずのない将の姿を捉え、兵達が「八真様」と口々に発しながら、動揺と興奮を露わにする。


「集まれぃ!! 疾く、駆けよっっ」


 再び発せられた命に、血相を変えた兵達が弾かれたように反応する。


「急げっ、あの牡丹だ!!」

「八真様の命ぞっ、遅れるなっ」

「どけぃ、のろまっっ」


 例え月明かりの下でも、牡丹を散らした派手な小袖姿は異様に目立ち、漲る覇気が内から輝きを放っているかのように、周囲にいる兵達の確かなしるべとなる。


「今は有事。急ぎ槍を取り、俺の声を聞けぃ!!」


 兵卒、士官にこだわらず。

 己を起点に兵力の集中を図ることを、八真は咄嗟の判断で実行する。

 必要なのは戦術に非ず。

 ただ、集めた兵力を一点にぶつければよい。

 犬塚隊の兵ならば、それで対抗できると八真は見積もった。


「よいかっ。明日は宿敵“諏訪の大樹”を伐り倒す決戦の刻――」


 迫り来る群影を背にしながら、八真は動じず続々と参集する兵達を睨み据える。


「今こそ恐れを払えっ。人食い熊なぞ・・・・・・返り討ちにし、神仏に捧げる供物とせよ!!」


 おおう!!


「怖れるな、払えいっ。我らも神仏にあやかり、熊を喰らい、獣の力を手に入れるのだ!!」


 相手が単なる熊でないことは百も承知。

 しかし曖昧な発言は悪戯に兵を混乱させ、少しでも恐怖を抱かせれば、即座に散り逃げるのが兵というもの。

 なればこそ、“人食い熊”としてその正体を解き明かし、大義を掲げて立ち向かう意志を植え付けねばならぬ。

 兵に熱を注ぎ込むのだ。


「敵を討てぇい、犬豪の武者達よ!!」

 ぉぉぉおおぅ!!


 喊声が上がるもまだ足りぬ。

 八真の焦燥を煽らんと、狂気の軍勢が放つ獣声が背を叩く。

 それでも八真は拳を幾度も突き上げて、兵達の士気を天まで届けと鼓舞し続けた。


「ゆくぞ者共っ。熊を討ち払い、白山の覇者たるは犬豪われらだと、月天に轟かせようぞ!!」


 ぉおぉおおおおお!!!!


 ぶち殺せっ

 犬豪の牙を突き立てろっ


 ひときわ喊声が高まる。

 同時に「八真様!」の声と共に、宙をふわり飛んできた槍を、掲げた手でしっかと掴む。

 ここぞ、圧力を持った軍気を一点に向けて開放する時――



「続けぇ――――い!!!!!」



 くるりと振り返り様、八真は大きく利き足を踏み出し、全身をしならせて渾身の投擲を放った。



 ひゅきっ――――



 そこにどれほどの力が込められていたのか。

 耳慣れぬ金切り音を発して、肘の先から槍もろとも霞んで消えたと見えた時には、先頭を切る鳥頭の頭部で何かが炸裂していた。



 ――――っっっ



 衝撃で仰け反りつつも、二、三歩前へ足を運んだ巨体が前のめりに倒れる。続く小さき影達の群れが勢いを止められずに巻き込まれ、進軍の一画が崩れたことにより、全体の勢いが一気に弱まった。そこへ雪崩を打って、犬塚隊の兵達が襲い掛かっていった。


「ごりゃあぁあああああ!!!」

 ごるぶ、がぶ

 ぎばぶ、ぐあら


 人の怒声に獣の咆哮が混じり合い、すぐに苦鳴や肉を裂く音なども加わって、世にも凄惨な戦いが巻き起こる。


「~~~~っ痛たた」


 だが、たった一撃で相手の猛威を挫くほどのとんでもない槍撃を放った八真はといえば、顔を目一杯しかめて、軌跡の一撃を放った利き腕を押さえ込んでうつむいていた。

 今にも転げ回らんばかりの勢いで、びりびりとした刺激をもたらす激痛を必死にこらえる。


「――八真様?!」


 尋常ならざる一撃はそれなりの代償を求めるのか、苦痛に歪む八真を駆けつけた華美丸が血相を変え、具合を確かめる。


「ここは任せなさいっ。お前達は奴らを――」


 せっかくの好機を逃すなと、華美丸は不安げに覗き込む数名の兵達に撃退を命じて、八真の腕をとった。


「少し我慢を」

「くむっ?!」

「筋は大丈夫ですね――こちらは?」

「っ……お前、遊んでいないか?」

「ご冗談を」


 腕を曲げ伸ばし、筋を押さえる華美丸にそのような心得があったかと疑念に思いつつ、八真が質すも少年はしれっとした表情で怪我の具合を診続ける。


「思ったよりは……急に全力を出すからでしょう」

「……年寄り扱いだな」

「不服でも、事実は曲げれませぬ」


 すまし顔で憎まれ口を叩く少年のおとがいを何を思ったか、八真がくいと細指でつまんで自分の方へねじ上げる。


「あ……」

「そんなに、俺に年食ってほしいのか?」


 戦いの最中で、八真のいかなる心情を刺激したというのか。

 いきなり真顔で聞かれて、「いえ、その……」と華美丸は恥ずかしげに目を伏せる。顔が近すぎるとぼそぼそ呟きながら。

 突如として、そこだけおかしな空気を生み出しながら。


「……八真様、皆の援護をせねば」

「分かっている」


 ようやく指を放し、立ち上がった八真の下へ、ちょうど後方から長物を抱えた兵が汗だくになりながら駆け戻ってきた。


「八真様、お待たせしました!」

「うむ、ご苦労」


 差し出された長物は、冗談としか思えぬ、どう見ても大振りの傘。

 犬の一字をもらうまで、八真の実家『大塚家』では傘作りで生計を立てていた。幼少の頃から木刀よりも身近にあった傘を自然と手に取り、遊んでいたのが事の始まりと言えようか。

 気付けば、傘をわざわざ鉄で補強し、立派な武具に仕立てて幾多の争い事に参戦してきたのだが、意外な使い勝手の良さもあり、今では八真にとっての愛刀替わりとなっていた。

 戦のたびごとに、汚れ擦れて消えるのを承知で鮮やかな牡丹を絵柄として。

 阿鼻叫喚が渦巻く凄惨な戦場で、八真は一輪の牡丹を常に携える。

 それが血で血を洗う戦いの場で、己を保つ秘訣でもあるかのように。


「――お供します」


 当然のように、己の前に立つ少年の肩に八真は優しく手をかけた。


「八真様?」

「お前は下がっていろ」


 優しくも、有無を言わさぬ力強い声。

 「殺生な」と苦しげな顔を向ける華美丸に八真は「頼む」と手に力を込める。


「俺を安心して戦いに向かわせてくれ」

「――ずるいです」


 ぽつりと洩らし、力んでいた細い肩の強張りを解いて華美丸が下がるのを八真はそっと胸を撫で下ろす。

 それで憂いなしとばかりに白き頬を引き締めて。


「では存分に舞いろうか――」


 まるで謳うように。まさに舞うように。

 先ほどの力強さと異なり、八真はするりと足を滑らせてゆく。

 特注の傘は、振るえば打撃系の武器になり、突けば鋭利な尖端が刺突系の武器となる。

 『四爪四牙』である武将達のほとんどが、己の生活背景を軸にして発展させてきた独自の戦闘法を有しており、八真の傘を得物とした特殊な戦闘法もそのひとつであった。

 ある意味、“初見殺し”の効能も彼らの強みであったのかもしれぬ。

 だが、相手は人外の者共だ。

 正に暴れ熊と評すべき鳥頭の獣に、大型の狼を用いた奇怪なる騎馬――さらには一度に十数名を炎に巻き込む妖術としか思えぬ術まで使われて。

 軽く二百を越える死傷者を出しながら、それでも八真の陣頭指揮が功を奏し、後半には圧倒的兵数の利も活きてきたことにより、戦いは犬塚隊の勝利で幕を閉じた。

 ただし、喜びよりも強烈な疑念のみを抱かせる勝利であったが。それは敵将と対面することでより濃厚になる。


「八真様っ、軍本営より、状況の説明を求める伝者が参っておりまする!!」

「同じくっ、右に接する犬飼様からも、“あれは何か”とのお質しがっ」

「少し待て」


 息を切らせて取り次ぐ側近達に、八真は一瞥もくれようとはしない。


「殿っ――」

「構わぬから、待たせておけ」


 静かな声音に有無を言わせぬ力強さを込めて、取次を黙らせた八真は、目の前に並べられたふたつの異物に意識を向ける。


「――これが敵の親玉だと?」


 何か小動物の頭骨を数珠つなぎにした首飾りに、輝く玉石を埋め込んだ腕輪など、身に付けたる服飾の数は他の者よりも多く、身分の高さは確かに窺える。

 だが、ぎょろつく目玉に歯並びの悪い尖り歯の何と異様なことか。肌の色合いも小豆のように黒づんで、破裂しそうに突き出た腹だけが、やけに艶やかなのが気持ち悪かった。

 とても人と思えぬ醜悪な面構えと体つきに、八真が困惑の声を洩らしたのはやむを得まい。しかし、その心情を察することのできなかった下士官が、敵大将に違いないと力説し始める。


「敵軍の中央で指揮を執っていた姿、それに護衛と思しき手練れの存在。何よりこの者を討ち取ると同時に、奴らの統率が乱れ、千々に散った事実――念のため、こうして身体まで持ち帰ったのをあらためさせていただきましたが、大将格に違いないかと」

「そうか。こやつらに、諏訪が関わっていると思われるものは、何かあったか? 例えば旗や家紋の入った品、あるいは諏訪の侍が混じっているとか」

「いえ、そのようなことは、何も」


 諏訪が関与していない?

 下士官の返事に、隊上層部の困惑はますます強くなっていく。


「我らは一体、何と戦ったのでしょうか……」

「これではむしろ餓鬼ですな。餓鬼の王」


 側近達の評に無言で同意を示しつつ、討ち取られた敵大将と思しき首級から八真は目を反らした。


「殿……?」


 訝しむ側近が、八真が向ける視線の先に『白狐』が密かに放っていた“必殺の矢”があるなど気付くはずもなく。


「……策の練り直しを提言すべきか」

「は?」


 指揮官が胸に抱く深い懸念に気付かぬ側近が訝しげな顔をする。それに答える代わりに、八真は命じた。


「森に探りを入れろ。あのような部隊が、まだいないとも限らん」

「は、すぐに!!」

「浅めでいい。下手に藪をつつきたくない」

「しかとっ」

「それと、今のうちに前陣の三列目以降に矢を備えさせておけ。小物・・が現れたら、それで片付ける」

「ははっ」

「――では、待たせている伝者に会おうか。二人一緒に」


 怪しげな部隊の出現で、戦略の大きな転換が必要となるかもしれない。急ぎ本営と話しをせねばならなかった。

 表情を厳しくさせる八真が森に向けていた視線を切ってきびすを返す。その胸中で、西の林野に向かった同輩の身を案じつつ。


(これでは塁にも、異形の手が伸びていような)


 八真の懸念は確かに的中する。

 それだけでなく。

 犬豪の巫女が予見したことが、夜を明かさずして具体化する。

 その後、再び森を中心として怪異が溢れ出し、まるで百鬼夜行のごとき様相が、同盟軍を奇怪なる戦いへと巻き込んでいくことになるなど、この時、誰にも分かろうはずもなかった――。

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