第20話:お互いに少し早い夏休みなるだけでしょ
美織が手紙で呼び出された屋上は静寂だった。
お昼時ならまだしも、放課後なんてあがってくる生徒もおらず。
「まぁ、私だって告白されるときに来るくらいだもの」
用もなければこんな寂しい場所には来ない。
ひとりベンチに座り、美織は待っていた。
彼女はラブレターを読み返しながら、
「……何か嫌な予感がしてきたゾ」
読めば読むほど、自分がよろしくない勘違いをした気がする。
てっきり告白だと思い込んできたものの。
手紙に書かれた文字は手書きではなくパソコンでプリントアウトされたもの。
よくよく考えれ見れば、屋上に来て欲しいという内容で、これをラブレターの類だと勘違いしたのは早計だったかもしれない。
そして、その封筒も気になる。
ピンク色の可愛らしい手紙。
「……男の子がこんな可愛い封筒で送ってくるわけもないわ」
むしろ、ホントに男子だとしたらロマンチストすぎる。
ふいに思い浮かんだのは、去り際の淡雪の言葉だった。
『復讐とか考える子もいないとは言えないでしょ』
これまで、美織がしてきた行為を思えばあり得ない話ではない。
もしかするとこれは罠なのかもしれない。
「まずいわ、私……ハメられたかも」
「そうね。まんまと乗せられて、ここにやってきたわけ」
「――!?」
背後を振り返ると、そこには優雨が立っていた。
膨れっ面の少女は憮然とした様子で、
「逃げずにきてくれてありがとう」
「ゆ、優雨さん?」
「また男子からの告白だとか思ったでしょ、自惚れレディ?」
「なんで、貴方が……」
「その差出人は私です。ちゃんと来てくれてよかった」
騙された。
思わず、美織は「あはは」と乾いた声で笑うしかない。
復讐相手としてきたのは男子ではなく、優雨だった。
予想していた中では一番最悪だ。
用があるとすれば今、彼女がちょっかいをかけていることについてだろう。
彼女は動揺しつつも、それを表面上は隠しながら、
「優雨さんじゃない。まさか私に告白でも? 私もさすがに女子は……」
「アンタなんかにするわけないでしょ。猫かぶり娘」
「うぐっ」
一蹴されて彼女は素の表情をようやく見せる。
「……猫かぶってるわけじゃないんだけどなぁ」
「裏と表の顔を使い分けているとでも?」
「皆にちやほやされてる良い子の私も、告白してきた相手の想いを踏みにじることに楽しみを感じてる悪い子の私も、どちらも私よ」
「厄介な二面性ね。で、修斗もその犠牲者か」
本人は騙されていることすら知らないでいる。
今日もハーレム気分で、自分が罠にハメられたことに気づきもしない。
無駄に煽り過ぎたせいで、美織は今、危機に陥ってるわけだが。
「修斗クンは素直でいい子なのに。今日もハーレム満喫中でしょ」
「我が世の春が来た、とか調子乗ってくれちゃって。まったく、アンタみたいな性格の捻くれた子に弄ばれてるなんてね。ホントにダメなやつなんだから」
「そういう言い方しかできないのかな。優雨さんは大事な子相手にそんな態度ばかりとってるから今みたいな状況なんじゃない? もっと優しくできないの?」
今回は優雨に隙があったせいで、美織の暇つぶし的な行為の餌食になった。
分かっていても素直になれない。
自分のダメさ加減には本当に怒りしかないものだ。
「そうね。素直になり切れない弱い私のせい。でもさぁ、人の恋路の邪魔をするのはどうかと思うわ。昨日、私の気持ちを勝手に教えたそうね」
「……ふっ」
「何を笑ってるの?」
「そこを怒られるとは思わなくて。よっぽど鈍感すぎる子じゃない限り、優雨さんの気持ちはバレバレじゃない。私が教えなくても、彼だって気づいてたんじゃない?」
「それに気づけないのが修斗でしょう。アンタも分かってやったくせに」
鈍感すぎる修斗にわざと教えた結果が昨夜の事件である。
修斗の顔を腫らす原因となったのは美織の発言がきっかけ。
責任は当然あるし、煽りに煽ったのも彼女だ。
「大好きな相手に気持ちをばらされてご不満?」
「それ以上に、好き勝手されまくってたことに大いに不満を感じてるわ」
ここ数日の間に、優雨は何度もちょっかいを出されている。
ひとつひとつは些細なことでも微妙な時期には効果抜群。
そのせいで、修斗との関係に大きな溝ができてしまった。
責任の全部が美織にあるとは言えないが、原因となってるのは事実だ。
「アンタ、私を特に恨んでいるわけでもないでしょう」
「うん。優雨さん個人には何の恨みもありません」
「なのに、これだけのことをした理由は何?」
「夏休み前のイベントみたいなものかな? ただの暇つぶしでしかないわ」
「そう。嫌がらせしてきたのも、全部暇つぶしなんだ」
「テストも終わって暇じゃない。刺激が欲しかっただけだよ」
「……悪びれることもなく言い切れるのがアンタの性格か。最低ね」
そう優雨は静かにそう答えると、彼女になぜか笑いかける。
「暇つぶしの代償はアンタ自身に払ってもらうけどいい?」
「は?」
「もちろん、いいわよね。今日の修斗みたいにしてあげよっか」
なぜ彼女が屋上に呼び出したのか。
それは絶対に逃がさないためだ。
屋上から脱出するためには優雨の背後にある扉からしか逃げられない。
「……しくじった」
美織はそう小さく呟く。
目の前の優雨は笑顔だが、その目が笑っていない。
彼女は本気なのだと悟る。
逃げ場を失い、美織は冷や汗をかきながら後ろに一歩下がる。
「あ、あのね? さすがに暴力はよろしくないんじゃない?」
「大丈夫。あと数日もすれば夏休み。お互いに少し早い夏休みなるだけでしょ」
「ま、待って? ホントに待って。顔はやめて!?」
「アンタは美人だもの。モテる女の顔をひどい目にあわすのは快感かな?」
「恐ろしいことを笑顔で言うなぁ!」
この子はやる時はやる子なんだ、と。
彼女が本気だと知り、焦る美織は慌てて謝罪する。
「わ、私が悪かったわ。謝ります。ごめんなさい」
修斗のような目に合うのだけは勘弁と降参する。
恋愛の邪魔をしたのはただの暇つぶしだ。
修斗のことは気に入ってるが、恋慕の気持ちがあるわけではない。
これ以上の干渉はしないと宣言する。
「もう手は出しません。なので見逃してくれないかな?」
これ以上邪魔して、痛い目に合うほどの覚悟が美織にはない。
だが、それで終わるはずもなく。
「……謝って許してもらえるほど、現実って甘くないのよね」
「ど、土下座しろとでも? したら許してくれる?」
「土下座とかしなくてもいい。私、ああいうのも好きじゃない」
普通に修斗にはさせそうだが。
とびっきり、優しい声色で優雨は囁くのだ。
「綺麗な貴方の顔に傷つく姿だけが見たいの。みじめな姿を私に見せて?」
「……余計にひどいっ。鬼畜じゃん。優雨さん、暴力はやめてぇ」
「アンタが悪い。報いを受けなさい」
「いやよっ。誰が好き好んで殴られますか」
追い込まれた美織は「ごめんなさい」と連呼しておびえる。
さすがに今回はやり過ぎたと猛省。
猫の尻尾どころか、虎の尾を踏んだ。
徐々に後ろに下がるも、後がなくなる。
「修斗には勢い余って二発も殴っちゃったから、主犯のアンタは三発くらい?」
「だ、だから暴力はやめましょう? ここは、平和的な解決で収めない?」
「もう遅い。私の怒りはアンタをどうにかしないと収まらない」
「ひっ!?」
本気の怒りの彼女を前に美織は成すすべもなく、
「……誰かぁ、助けてぇ。この子、マジでやる気だよ」
小さく泣き事を呟くことしかできない。
ぎしっと、背中にフェンスが当たる。
「あ、あぁ……どうしよ」
後ろに下がり続けた結果、ついに優雨はフェンス際に追い込んだ。
もう彼女は逃げられない。
「遠見美織。何か言い残すことは?」
「わ、私を傷つけたら、修斗クンに言いつけてやるわ」
「へぇ、それで?」
「絶対に優雨さんの恋愛をぶち壊してやるんだから。覚悟しなさいっ」
「アンタ、全然反省してないでしょ。そんな言葉が出ないくらいにしないとダメかな」
ただでは済まないと逆に脅すも無駄な行為。
あきれ果てた優雨は美織に襟首をぎゅっとつかむ。
「わ、わぁ、冗談です。すみません。もう抵抗しないので、あ、あの……」
「他人の恋路を邪魔したら、どうなるか思い知らせてあげる」
「きゃんっ」
襟首を離されて尻もちをつく。
見上げた優雨は強い怒りの瞳で蔑んでいた。
どうにもできない美織は恐怖にすくむしかない。
「う、うぅ……」
まさに優雨のこぶしが振り上げられたその時、
「――ちょっと待ってぇ!」
屋上の扉が開かれて飛び出してくる少女がひとり。
「暴力はダメよ。絶対にダメなんだから!」
このタイミングを見計らったかのように間に割って入る。
少女はどちらもよく知る相手だった。
「「――またアンタか!?」」
思わず、美織と優雨の言葉がハモる。
二度あることは三度ある。
屋上に現れたのは須藤淡雪。
おせっかい娘がまたこっそりと伺っていたらしい。
突然の登場に美織も唖然としつつも、
「淡雪、実は私の事が大好きでしょ。ストーカー癖ついてない?」
「失礼ね。友達のピンチを助けに来てあげたのに」
「……いつも私の後ろにいる。まるで淡雪は見た、ね」
「ひどい言われよう。助けに来てあげた相手になんて言いぐさなの」
拗ねる淡雪だが、彼女は単純に心配性なだけなのだ。
ここ最近の美織の行動には目に余るものがあり、いつかこうなるのかと心配だった。
予想外の方向に事態が進展しているので見かねて出てきたのである。
「こうなるって思ってたのよ。伊瀬さん、気持ちは大いに理解できる」
「なら、わかるでしょ。こいつはぶん殴らないと反省もしないダメ女だわ」
「うん、私もそう思う。でも、暴力はやめよう? 暴力じゃ何も解決できない」
「……淡雪さん。邪魔しないでくれる。これは私とこの女の問題。私には殴る権利くらいあるでしょう? こいつのせいでどれだけ迷惑をこうむってるか」
「分かってる。十分に権利もあると思う。それでも、ダメなものはダメ」
「私の怒りのぶつけ場所がないの。こいつのせいで私は修斗と喧嘩したんだから」
ぼそっと美織は「それは自分のせいでは?」と悪態つく。
すぐさま睨まれると子ウサギのように身を震わせた。
淡雪はそっと優雨の手を握り締めて説得する。
「小さな手ね。この手はこんな悪女を殴るためにあるんじゃない。幸せをつかむためにあるの。その手を汚しても、何の意味もない。悪女を殴るだけ損なのよ」
「……淡雪も私に言う事がひどくない?」
「すべては貴方が悪いのでしょう。自業自得だとは思うもの」
しばらく、淡雪に諭されて、優雨は「はぁ」と殴る気力を失う。
完全にタイミングを逸してしまった。
元々、本気で殴るつもりはなく、引っ叩いてやるくらいのつもりだったのだ。
「なんか、しらけた。分かったわ。殴るのはやめてあげる」
「ほ、ホントに?」
「その代わり条件を追加するわ。美織、今すぐ上着を脱ぎなさい?」
「わ、私の裸なんて見たいの? やはりそっちの趣味が?」
「違うわよ。……その、あられもない姿の写真を校内中に拡散させてあげる」
「――!」
容赦のない優雨の発言に美織は凍り付く。
服を脱げと命じられたことに対して、あからさまな動揺を示す。
「な、なにを言ってるの? そんなことできるわけないじゃん」
「男の子は歓喜し興奮するでしょうね。学園のアイドルの裸写真なんて大きな話題よ。いい暇つぶしになるじゃない。残り少ない夏休みまでの間は話題も独占よ?」
「や、やだぁ。絶対にやだぁ。私の人生終わっちゃう!」
殴られるよりマシか、殴られた方がマシか。
おびえすくんだ美織は涙ぐみながら淡雪の背後に隠れる。
「た、助けて、淡雪。このままじゃ私の人生、強制終了させられる」
「……あー、美織。とんでもない子を狙っちゃったわね。残念」
「冷静に言わないでよ! やーだー」
「ほらぁ、隠れてないで、出ておいて? 猫かぶりの子猫ちゃん?」
遠慮容赦なく、悪意しかない優雨の顔。
スマホをちらつかせて、彼女は美織に迫ってくる。
首を横に振って「来ないでぇ」と半泣きで叫ぶ。
「写真を撮るだけで許してあげるのよ。殴られるのとどちらがいい?」
「どっちも嫌ですっ!」
「……我が儘な子。しょうがない、私が脱がせるからジッとして?」
「きゃぁっ。うわぁん、ごめんなさい。謝るから普通に許してぇ。ぐすっ」
自らの行いに後悔しかない。
美織の涙声だけが初夏の屋上に響くのだった――。
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