第27話:求められることは嫌いじゃない


 8月中旬になり、優那達は真夏の海にやってきていた。

 賑わう青い海。

 押し寄せる小波。

 太陽に熱せられた砂浜を歩く。

 

「で、そろそろ、海に入らないのか? ほら、Tシャツなんて脱いじゃえ」

「……なぁ、ちーちゃん」

 

 水着に着替えた優那は静かな声で言う。


「私はちーちゃんに対して、文句があるんだ」

「なるほど、聞きましょう。文句って何だ?」

「……どうして、私の水着にこんな露出の高い物を選んだ?」


 千秋の選んだ水着に大いに不満がある。

 派手な色のビキニ。

 特別に露出が高いワケではないがこれでも十分に恥ずかしい。


「選んだ時にはクレームつけず、いざ、実際にここまできて文句言うのはどうかと」

「……私が選んだ水着はこれじゃなかった。いつのまにすりかえたんだ?」

「さて、何のことやら?」

「昨日、持っていこうとして初めて気づいたよ。これは却下したはずの水着だろう?」


 水着選びをした際に優那が選んだのは露出が控えめなものだった。

 だが、買う寸前に「俺からのプレゼントだ」と千秋に支払いを任せたのが間違い。

 こっそりと違う水着に変えられていたのだ。


「そもそも、気づくのが遅い。買ってあげたのはもう前のことだぞ?」

「買った後に放置して、確認しなかった私が悪いのか」

「悪いですよね。ていうか、昨日まで袋に入れられた状態だったのか! ぐぬぬ、悲しい。あれから一度も試着とかしなかった? 水着さん、放置プレイで忘れてた?」

「……す、すまん。そうだな、私も悪かった」


 昨日の夜、旅行準備をしていて初めてすり替えられたのを知ったのだ。

 その前にちゃんと確認するべきだった。

 恋人のプレゼントをないがしろにしていたのは罪悪感がある。


「まぁ、いいや。細かい事は気にするなって。優那は可愛いし、スタイルもいいぞ」

「そういう恥ずかしい事を臆面もなく言うなっ」


 優那は水着を隠すように海の中へと入っていく。

 千秋も同じく後を追ってきた。

 水に入ると冷たさが気持ちいい。


「せっかくの水着を隠すな。もっと楽しもうぜ、優那?」

「……ちーちゃんも私の気持ちを少しは考えて欲しい」

「優那の気持ち? その水着がめっちゃくちゃ似合っているという事か? さらに言えば、その胸を強調したデザイン、それが似合う優那はホントに美人だよな」

「だ、誰が私を褒めろと言った。私は、その、あぅ……」


 あまりにも素直に褒められたので、顔を赤らめて照れた。


「やべぇ、うちの恋人、マジで可愛すぎだ。ちょっとその辺の岩陰に連れ込みたい衝動にかられるが我慢しよう」

「そう言うセリフを口にしている時点で私の好感度は下がってるぞ」

「……気を付けなければ。優那は真面目だなぁ」

「お前が不真面目なんだよ」


 元々、欲望に忠実な男ではあったが、優那と付き合うようになってひどくなった。


「いまや、千秋はただのエロい猿になり果てた」

「……いや、その判断はひどくない?」

「付き合うまでは優しくて頼りになることもあったのに。あの頃の千秋はどこに?」

「好感度が下がりすぎでしょ。俺、今でも役に立つ男ですが!」

「はいはい」

「おざなりな返事だ。俺、頑張ってるんだけどなぁ」


 不遇な扱いに文句をつける恋人である。


――ちーちゃんも私に遠慮がなくなっただけなのかもな。


 恋人になったことで関係に変化があるのも普通のことだろう。

 半ば呆れつつ優那は「こういう水着が好きなのか?」と千秋に尋ねた。


「男なら誰だって好きだろう。水着姿の美人、それが自分の恋人なら最高だね」

「……ふんっ」


 照れくささに身体中が火照りそうになる。

 のんびりとふたりでゆるやかな波に揺られている。

 海の冷たさが心地よい。


「優那は素直になってからずいぶん可愛くなったよなぁ」

「素直、か。私を可愛くさせたのはちーちゃんだよ」

「そーいう発言も付き合うまではしなかったもんなぁ」


 発言が嬉しいのか、千秋はにこやかに微笑む。


「でも、昔から優那は可愛かったからな」

「……そうやって、私を褒めて心をときめかすのはやめて欲しい」


 素直な自分。

 優那自身が知らない自分をさらけ出すなんて想像もできなかった。

 

「私にはもう恐れる事など何もない。だから、素直になれるんだ」

「そりゃ、よかった。俺としてはちょっとツンっとした優那も好きだったぞ」

「本当にちーちゃんって変な男だよ。私みたいな女を好きになる、モノ好きだ」

「おいおい、愛があるといってくれ。優那がどんな性格だろうと、俺は昔からずっと優那が好きなんだ。どんな優那であろうとな」


――欲しい言葉をくれる人がいる。


 それが何よりも幸せなのだと知った優那である。

 ふたりで軽く泳ぎながら、夏の海を満喫していく。

 照りつける強い日差し。

 海の中にいれば全く苦にならない。


「優那は泳ぎは綺麗なんだよな。フォームがいい」

「昔、少しだけ水泳を習っていたからな。基本のフォームが身についているだけだ」

「スイミングスクールか。やってたよな。懐かしい」

「基本さえできていれば、泳ぐくらいは容易い。まぁ、勝負でもしたら勝てないだろうけどね。男女の体力差を埋めるほどの実力差はないよ」


 謙遜気味に言うが、実際に勝負すれば二人はいい勝負になるだろう。

 

「泳いでる優那を見てると人魚みたいで素敵だなぁ」

「ぐふっ。な、なにを?」


 思わず輝きに満ちた目になってる変態に呆れる。


「海と美少女。この組み合わせに興奮しないやつはいない」

「バカ千秋。私に欲情するな。発情期の犬か」

「だって、男の子だからしょうがないっス」

「自分で言っておいてアレなんだが、ちーちゃんの性欲はもっと抑えて欲しいな。せめて、こういう時ぐらいは我慢しろ」

「それは無理だ。俺という人間は“欲望”という2文字の漢字で出来ている」


 そう堂々と言い切れる辺りが千秋だった。


「それなら、ちーちゃんにとってダメージを与えてやろうか」

「へ?」

「あんまり我が侭が過ぎるからな。私のお願いでも聞いてもらおうか」

「なぬ?」


 こういう時の意地悪の仕方は優那のお手の物だ。


「も、もしや、スキンシップ(お触り)禁止やキス禁止、いや、今晩の……」

「ほら、私についてこい」

「あ、あの優那さん? 怒った?」


 ぶつぶつと呟く彼を連れて人気のない方へと連れていく。

 優那は近くに人がいないのを確認してから、


「――今すぐここでキスをしてくれ」

「お、おー。びっくりさせるな、優那。そんなのお願いされなくてもいつでもするぜ?ゆ~な~っ、ぐふっ!?」

「はい、コレとキスをしてみせて欲しい」


 千秋の顔に近づける優那の手には黒い何かの物体。

 彼は顔を青ざめさせてその物体をつつく。


「何か変な色をして、ぶにょぶにょと動いてますよ?」

「可愛くないか?」

「いえ、全然。まったく。それ、何ですか?」

「軟体動物門腹足綱に属する生き物だ。一般的な名称で言うとウミウシだな」

「そ、そんな気持ち悪いものを手で掴むな! おりゃーっ!」


 思いっきりそれを海の方へと投げ飛ばす。


「さらば、軟体動物問複足網」

「あー、ウミウシのモーちゃんが。せっかく捕まえたのに可哀想な事をするな」

「それとキスしろという優那はひどい」

「発情期の猫と遊んでるとつい悪戯心が……」

「いたずらにも程度があると思うんですよねぇ?」

「エロいちーちゃんが自制しないのが悪い」


 彼女にだって千秋と触れ合ったり、キスしたりしたいという願望もある。

 求められるのは嫌いではないが、場所を選ばない彼を止めなければいけない。


――自制心を身につけさせねば。


 優那の未来が心配だ。

 いろんな意味で。


「さて、モーちゃんを再び探すか」

「モーって鳴かないし、あれってただの巻貝の仲間だし。海の生き物だから問題なし」

「そんな事は知っている。私はアレとちーちゃんのキスシーンが見たかったんだ」

「ぶちっ。優那ちゃん、ちょっとお兄さんを怒らせたな。ん?」


 千秋が優那の身体を掴むと身動きできないようにする。


「やっ、ちょっとした冗談だ。本気じゃなくて」

「問答無用」

「あっ、待って。ここじゃ……んぅっ!?」


 強引に優那の唇を奪う千秋。

 ここが岩陰でよかった。

 誰かに見られていたら優那は恥ずかしさで死んでしまうだろう。

 人前でキスをするほど、優那の心は羞恥心がないわけではない。


「こ、このっ。ちーちゃんっ!」

「悪い子にはお仕置きをってね」

「だからって、やめっ。うぅっ……」

「可愛すぎる優那が悪い」


 耳元に甘く囁く千秋。

 優那はそれを責める事なく受けいれる。

 強引にされるのも結構好きな自分がいるのだ。


「……私も恋に溺れてるな。まったく、素直になるもの考えものだ」


 唇を重ね合いながら、行為に酔いしれる。

 夏の海の中で優那達は甘ったるい特別な時間を過ごした。

 

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