第6話:離れていく距離


 “愛”とか“好き”とか優那はそんな言葉が苦手だった。

 恋愛なんてしたくない。

 恋愛は自分を、他人を苦しめる物だと知っているから。

 結局、姉夫婦との食事も満足に楽しめず。

 優那は重たい気持ちを抱えて家に帰宅する。


「にゃー」


 家に帰るなり、優那の足元にすりよってくる猫。


「キャラウェイ。お腹がすいてるのか。んー?」


 優那がずっと飼っている愛猫のキャラウェイを抱きかかえる。


「すぐにエサを用意してやるから大人しく待っていて」

「にゃんっ」

「ふふっ。可愛い奴め」


 心地よさそうに撫でられてる。

 キャラウェイは優那が小学生の時に親から買い与えられた猫だった。


『お父さんとお母さんはこれから忙しくなるんだ』


 製薬会社の研究職と言う職種。

 新薬の開発が関係して、その頃から両親は頻繁に家を空けることが多くなっていた。


『優那には寂しい想いをさせてしまうかもしれないが、我慢してくれ』


 優那が寂しい気持ちにならないようにと、キャラウェイを友達代わりに与えてくれた。


「あれから、もう6年も経つんだな。キャラウェイも6歳か」


 当時、片手に乗るサイズの子猫だったキャラウェイも今じゃ立派な大人の猫だ。

 毛並みもよく、その愛くるしさに癒される。

 

「お前と彩華だけだよ。私が心の底から信頼できる友達は……」


 優那の大事な友達、ペット以上の存在だ。


「……さて、と。エサの準備だな」


 優那がキャラウェイにエサを与えていると、携帯電話が震える。


「千秋か?」


 予想通り、着信相手は「千秋」だった。

 一瞬、無視したい気持ちがあったが、邪険にもできず。

 彼女は電話に出ることにする。


「なんだ、千秋?」

『……あのー、優那さん。さっきの件についての話があるのですが』


 こちらに対して低姿勢の千秋。


――例の恋人とはちゃんと話をしたのだろうか?


 修羅場に巻き込まれたこともあり、彼女はため息がちに、


「今どこにいる?」

『優那の家の前にいるぞ』

「なら、鍵を開けて入ってこい」


 許可を得て合鍵で入ってきた千秋は申し訳なさそうな顔をしながら開口一番。


「――今回の件、どうもすみませんでした」


 頭を下げて謝罪する幼馴染。

 ちゃんと筋を通そうとするところは千秋らしい。


「私もちょうどお前に話があるんだ」

「え?」

「修羅場の件も含めてだ。その辺に座れ」


 優那がリビングに招くと、ちょうどエサを食べているキャラウェイとニアミスする。

 普段なら猫嫌いの彼が来るときは別の部屋に連れていく。

 だが、今回はタイミングが悪かった。


「うぎゃー、猫!? 俺の天敵!?」


 キャラウェイを見るや、黒い悪魔を見つけた並に大慌てする。

 優那の背後に隠れる情けない幼馴染に、


「……大声で騒ぐな、見苦しい」

「頼む、俺の視界に猫を入れないでくれ。お前のお気にいりなのは分かってるんだが、苦手なんだよ。あれは俺が小学生の頃、帰り道に出会った一匹の猫が……」

「はいはい。お前の話はどうでもいい。キャラウェイの可愛さを理解できないなんて、ひどい奴だな。ほら、行こうか。このお兄ちゃんは猫嫌いのヘタレなんだ」


 優那はキャラウェイを廊下の方へと連れていく。

 その背後で「いつも最後まで話させてくれない」と千秋は拗ねる。

 千秋の猫嫌いの理由。

 小学生の頃に大きな猫に襲われて、ひどい目にあったことが原因だ。

 寝てる猫の尻尾を踏んだ、自業自得の果て。

 散々、ひっかきまわされて怪我をした苦い記憶。

 猫に敗北したとご近所や同級生からは大いに笑われて以来、トラウマである。


――こんなに可愛い天使を苦手になる千秋の気持ちが分からない。


 つまらない理由なので優那は何度も聞く気はない。

 優那達はソファーに座りながら、先ほどの話をすることに。

 

「お前がこの時間に来るのは珍しいな」

「優那が手料理を振舞ってくれるのなら、いつでも大歓迎です」

「その機会は当分ないから期待するな」

「つれないな。まぁ、いいや。今日の本題、愛紗美がお前に暴言を吐いたようで。ごめんな。ああいう行為はもうしないように言ったから」


――お前に振り向いて欲しくて、あの子も必死なんだよ。


 そう思っていても、あえて言わない。

 それは亜沙美にとっても望んでいない事だろう。


「恋人なら大事にしてやれ。千秋のせいで私にまで被害こうむるのはごめんだ」

「すまん。約束場所に来ないからどうしたんだだろうって思ってたら、彩華ちゃんから修羅場ってるって聞いて飛んでいきました」

「修羅場というほどのものでもないさ」


 ただの口喧嘩程度の争いを修羅場と呼ぶこともない。

 

「頬をぶたれたり、嫌がらせをされ続けたりしたわけでもないしな」

「……修羅場が怖い」

「そんなことよりも、あの子とちゃんと話したのか。まさか別れたとか?」

「一応はまだ付き合ってるよ。ただ、愛紗美には幼馴染としての優那との関係を理解してもらうのは難しそうだが」

「他人に理解してもらおうとは思わないさ。ただ、あの子のいうことも一理はある」


 幼馴染としての千秋は頼りにしている。

 面倒くさがりな彼女をどうにかしようとしてくれる。

 優那にとっては大事な幼馴染と言う認識は変わらない。


「千秋……色々と考えたんだが、しばらく距離を置くか」

「は? 何をおっしゃる」

「お前は今の恋人を大事にしろ。遊びで付き合ってるワケじゃないんだから」


 優那は彼の隣に寄り添う資格はない。

 千秋の想いを踏みにじった優那には……。


「……明日の朝からは桜岡と登校してやれ」

「待ってくれ。そんなことをすれば、お前はどうなる」

「私と距離を置くのもいいんじゃないか。しばらくの間でいい。お互いに距離を置くのも大切なことかもしれない」


 優那は千秋に甘えすぎていた。

 千秋の想いを知りながら、ずっと傍に置いておいた。

 それは優那の我がままみたいなものだ。

 

『先輩はずるいです。本当にずるい……』

  

 亜沙美の言葉を思い出す。

 恋愛を拒否しておいて、傍にいて欲しいなんて。

 ただの我がまま以外の何物でもない。


「心配せずとも朝くらいはちゃんと起きれる」

「そうじゃなくて」

「千秋は今の彼女を大事にすることをまず考えろ。お前の恋人は私じゃない」


 なんでそう言うセリフを自分で言うのか。

 傷つくのも自分だと言うのに。


――そうだ。私たちは恋人じゃない。ただの幼馴染だ。


 言葉と矛盾する優那の気持ち。

 千秋を遠ざけたいわけじゃないのに。

 

「分かった。優那がそう言うのなら、しばらくは来ない」


 納得はしていない様子だが、千秋も頷いてくれた。


「こうすることがお互いのためになるはずなんだ」

「そうかな。俺はそうは思わないけどさ」

「少し距離を離して、見えてくるものもあるはずだ」

「見えてくるものねぇ?」


 千秋には悪いと思いつつも、優那も前へ進むために行動する。

 いつまでもこの関係が続かない。

 そのことを理解しなきゃいけないのだ。

 幼馴染としての関係を見直す。

 それは優那にとって大きな試練の始まりでもあった――。

 

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