第15話:結婚しました、させられました


「それじゃ、これは私が預かるわ」


 その日のうちに、なぜか亜衣の家にすでに置いてあった婚姻届にサインをさせられて、亜衣の両親に預ける事となった。


「実際に出すのは何年か後にしても、事実婚みたいなものよねぇ」

「伊月。浮気だけはしたらアカンで」

「……しませんよ。したら、ひどいめにあわされるのが目に見えている」


 サインを終えた伊月はげんなりとしている。


――これ、絶対に確信犯だ。保奈美さんにやられた。


 今回の騒動の原因が誰なのか分かってきた伊月である。


――保奈美さんの手の平の上で俺は踊っている気分だぜ。


 亜衣がなぜここまで結婚と言う言葉に執着しているのか。

 おそらく、子供の頃から亜衣に対して、そういう考えを刷り込んできたに違いない。

 理由を考えてみれば、そうとしか考えられない。


――責任は取るものではなく、取らされるもの。罠にはめられた。


 その言葉を重くかみしめる伊月だった。


「伊月君のお嫁さんになるのが、亜衣の小さな頃からの夢だったもんねぇ?」

「や、やめてよ。恥ずかしい」

「……素直じゃないんだから。ふふっ」


 亜衣はといえば、嬉しそうに笑顔なのが印象的だった。


『私は遊びじゃなくて本気で伊月を愛したいの』


 あの発言こそが彼女の気持ちだからだろう。


――終わりよければ、という感じか。これでよかったのかな。


 亜衣の笑顔を見ながら、伊月はそう感じていた。





「俺の人生、詰んじゃった」


 長い夜が終わろうとしている。

 家に帰り、ベッドに寝転がりながら伊月はため息をついていた。


「……結婚とか実感わかないし」


 薄暗い天井を見上げながら、


「亜衣は俺なんかでいいのかねぇ」


 恋人になるという事と結婚する事の意味は大きく違う。

 ただ付き合うだけではそこまで大きな責任にはならない。

 遊びで付き合う、喧嘩して別れる。

 出会いと別れを繰り返し、大抵の人は結婚する相手を選んでいく。

 初めて付き合った人間と結婚する方が稀だろう。


「結婚って人生の墓場だと誰かが言った」


 結婚では責任の重さも違えば、簡単に別れるわけにもいかない。


「……俺だって亜衣以外となんて考えもしてないけどさ」


 付き合いたい、その気持ちがあるのは事実だ。

 だけども、伊月には腑に落ちないことがある。

 

「やっぱり、アレかな。流されてる感があるからかも」


 自分から言い始めた事ではない。

 それがどうしても引っかかっている気がする伊月であった。


「ちゃんと自分の言葉で言わなきゃ始まらないか。言うまでにどれだけ時間がかかったのか、と言われそうだけどな」


 伊月は枕元に置いてある携帯電話に手を伸ばす。

 すぐさま亜衣の番号にかけると、眠そうな声で相手は出た。


『……伊月?』

「悪い、もう寝てたか?」

『眠りそうだったわ。で、こんな時間に何?』

「今日の事なんだけどさ。えっと……」


 言いよどむ伊月に亜衣は不安そうな声で、


『婚約破棄は許さない。したら、後悔するほど慰謝料とってやるから』

「怖いわ!?」

『……お母さんが伊月が変な事を言い始めたらそう言えって』

「お前も素直じゃないわりには保奈美さんの言う事はよく聞いてるよな」


 何だかかんだで、亜衣は保奈美の言葉を聞いて育ってきている。


――それで結婚とか常に意識してたんだろうなぁ。


「心配するな。今さらなしとか言うつもりはない」

『ホントに?』

「ホントに。ただ、俺は結婚とかは意識したことがなくて。実感がないのが本音だ」


 つい数時間前までは幼馴染の関係だった。

 それが今では婚約者、突然すぎて頭がついていきやしない。


『じゃ、私の事、どれだけ好き?』

「へ? あ、普通に好きだけど」

『普通って何? 普通って!』


 怒った声に伊月は耳元から携帯電話を離す。

 亜衣は気分屋のために、ご機嫌取りが大変なのである。


――こういう時はどういえばいいんだよ。愛を囁く、とか?


 想像して恥ずかしくなる。

 だが、言わねば亜衣は納得しないのも知っている。


――ちくしょう、えっと……こういう時は……。


「……ちゅっちゅしたいくらい好き?」

『その言い方が古臭い』

「ですよねぇ」


――母さん、やはりこれは死語じゃないか、ちくしょー。


 やっぱりな、と言いたげに、言ったことを後悔する伊月であった。


『大体、キスならしたよね? それ以外は?』

「これはどんな羞恥プレイだ。俺に言わせるつもりか。仕方ない。いいか、よく聞け。×××がしたくてたまらず、×××しちゃうぞ、こらっ!」

『な、何言っちゃってるの!? 変態じゃないの、バカ伊月!』


 思わず伏せなければいけないほどのストレートすぎる欲求。

 伊月の発想では好感度が激減する結果となった。


「くっ。エロいだけの俺には恋人を喜ばせる愛の台詞なんて思いつかなかったよ」

『今のどこがを愛の台詞だって言うの?』

「恋人同士なら、誰だってする行為……ハッ、耳元で叫ぶのはやめれ!?」


 恋人になってもあまり二人の関係は変化していなかった。

 落ち着きを取り戻して、改めて亜衣に問う。


「お前は俺のどこが好きなわけ? 言っちゃなんだけど、エロいだけの人間よ?」

『……うん。それだけなのは知ってる』

「認めちゃった!? 認めないで、まだ他にも何かあるって言って!」


 実際、伊月は勉強ができるわけでもなければ、運動神経が抜群というほどでもなく。

 年頃の男並みにエロいだけの、ここが良いという特徴のない男である。


「ほ、ほら、何かあるだろ? 優しいとか、頼りになるとか?」

「んー。変態で年中発情期? あえて言うなら、普通に近づきたくない」

『お前はそんな男に責任を取らせるつもりか』

「そうね。自分に言葉が返ってくると辛いわ。少しは良い所、あればいいのに」

「全然、フォローしてくれてねぇ!?」


 恋人の発言に絶望するしかない伊月である。

 がっくりと落ち込んで布団の中にもぐりこむ。

 彼はしくしくと拗ねながら、


「良い所もないのに、亜衣はどこを好きになったんだよ」

「私も同じだもの。私も良い所はあまりないから」


 亜衣は自虐するワケでもなく、淡々としたものいいで、


「私は頭がいいのと見た目が可愛いだけで、性格悪い方だし。協調性もなければ、気分屋で、あんまり友達もいなければ、人から好かれることもしていない』

「うん。俺もそう思う。あと、容姿にはかなり自信があるのな」

『とりあえず、明日は覚悟しておいてね? お仕置きするわ』

「理不尽すぎるだろ!? 俺も同じことを言われてるのに」


 少なくとも、亜衣には伊月と違って長所があるのが悔しかった。


「や、やめよう。うん、せっかくの恋人になったのに互いの批判合戦は辛いだけだ」

『……別に批判してない。こんな私でも、伊月はずっと傍にいてくれるじゃない? 幼馴染として私は伊月とほぼ毎日、一緒にいたわ。でも、その時間の中で居心地の悪さを感じる事はあまりない他人と一緒にいて居心地がいいってすごいことだもの』


 他人に不快感を感じる相手とは一緒にいても苦痛なだけだ。


『居心地の良さ=ずっと一緒にいてもいいって事でしょ。私達はきっと相性がすごくいいと思う。これから先もずっと、傍にいても苦痛にならない』

「……そういうものなのかな」


 お互いを空気のように当たり前で、必要と感じあえる。

 亜衣にとってはそれが何よりも大事な事だった。


『それに……伊月の体温を感じてると、すごく気持ちいい』


 彼女の口から漏れた思わぬ本音に、


「よし、今からお前を抱きしめに行くぞ! 待っていろ」

『来るなぁ!? 興奮すると気持ち悪いよ、バカ伊月』

「……ひどいや」


 完全なる拒絶に凹む。


「そういや、お前、いつも俺の傍で寝てるもんな」

『何か悪戯したりしてる?』

「俺のそんな勇気があれば、もっと早くどうにかなってるよ」

『うん。伊月はもっと早く私に告白するべきだった。散々、待たされたし』


 伊月に愚痴る亜衣に思わず、


――だったら、お前から告白してくれよ!?


 と言ってやりたい。


――何でもかんでも、俺から言わせようとするんだからなぁ。


 そういう所が亜衣らしくて伊月は口元に笑みを浮かべる。

 雑談も終えて、電話を切る間際に伊月は素でこう言った。


「なぁ、亜衣。俺さ、本気でお前が好きなんだ。だから、結婚しても後悔なんてしないし、大事にしてやりたいと思う。色々とあったけど、それだけは本音だ」


 その言葉に亜衣は照れながら「そういう言葉を私は聞きたかったのよ」と呟いた。

 そして、ふたりの新しい関係が始まる――。

 

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