第5話:責任は取るものではない

 

 亜衣は水たまり事件以来、すっかりと登校拒否をしている。

 伊月も粘り強く毎日、話はしているのだが……。


「――帰って」


 扉を開けてくれることもなく、今日も扉越しの会話が続いていた。

 伊月はこの2週間、亜衣の顔を見ていない。

 放課後になり、彼女の家を訪れての説得の日々。


――こんな大事になるなんて思ったなかったんだよな。


 どうしてボヤ程度の頃にもっと抜本的な策を打っておかなかったのか。

 こじれて、ねじれて、どうしようもなく大炎上した後ではもう遅い。


「……亜衣、ちゃんと話そう。部屋から出て来てくれ」

「いやだ」


 伊月の言葉は届かず、亜衣は引きこもったままだ。

 彼の説得を受けても、心は動かず。


「あのなぁ、このままじゃお前が留年するかもしれないぞ」


 こんなものが何週間も続けば必然的にそうなる。

 その前に、なんとかしてやりたいと必死な伊月であった。


「それにみんなも心配しているしさぁ」

「私の心は深く傷ついてる。傷つけた人の顔は見たくない」

「うぐっ。い、いや、あの件は俺の全責任と言うわけでは……」


 言葉に詰まる伊月は何も言い返せない。


――俺に会いたくないってことなのかな。


 さすがに彼もショックを受けている。

 肩を落として、今日はダメだなと諦める。


「今日はも帰るよ。また明日、朝に来るから。明日は学校に行こうぜ」


 引きこもりの子を強引に連れ出しても意味はない。

 亜衣が再び自分の意思で学校に行きたいと思えることが大事なのだ。

 部屋から離れて伊月は考えていた。


「どうすりゃいいんだろうな?」


 学校には特別な事情だと説明しているらしい。

 イジメでもない、精神的なもの。

 それゆえに学校側としても対処がし辛く、膠着状態が続いている。


「俺が何とかしなくては……」


 彼女が学校に通わなくなると授業にも当然ついていけない。

 そうなると、亜衣を頼りにしている伊月も共倒れ。

 つまり、いろんな意味でここでの踏ん張り次第で彼の人生にも大きく影響する。


「このまま、ふたりして留年とかマジでないわ」


 自分の事は自分で何とかしろと言うのも限度があって。

 先日のテストのように亜衣の存在は今の学校にいる以上、伊月には必要だった。

 それ以前に幼馴染としても当然何とかしてやりたい。

 だが、原因の一端を担うものとしての罪悪感もある。


「あー、もう、どうすりゃいいんだよ」


 まさに板挟み、亜衣を何とか早期説得させるのが彼の役目であった。

 

「――私もさっさと何とかしてしてほしいのよねぇ」


 玄関の前で腕を組みながら保奈美が伊月に視線を向ける。


「ほ、保奈美さん」

「伊月君~、こっちにおいで」


 手招きされて伊月は仕方なくついていく。

 突然、部屋に引きこもった娘、母親としても心配のはずだ。

 保奈美からは当然、何度か説明を求められている。

 だが、それに伊月はまともに答えられていない。


――どう答えろと? さすがに、あの件は秘密だしな。


 何か学校に合わないんじゃないかとか、適当にごまかすのが精一杯だ。

 リビングに連れてこられた伊月はソファーに座らされる。


「伊月君、ジュースでいい?」

「……お、おかまいなく」

「今日は逃がすつもりがないから、そのつもりで。お話、聞かせてくれるわよね?」


 笑顔で詰め寄られて、説明を求められる。


「あんまり、私を困らせちゃダメよぉ?」

「え、えっと」

「洗いざらい、話しちゃいなさいよ? ねぇ、伊月君。嘘つきは許さないわよ?」

「は、はひ……」


 その脅し文句にあっさり怯む伊月だった。

 保奈美と伊月の母、凛花は学生時代からの大親友であり、昔からの付き合いがある。

 そのためか、保奈美も伊月に対して遠慮容赦はあまりない。

 

「で、実際の所、うちの娘に何しちゃったわけ? 素直に言っちゃいなさい」

「保奈美さん。俺は何もしてませんよ?」

「あの子の理由を聞いたら、伊月君のせいだって。それしか言わないんだけど?」

「……俺が何かしたと言うか、結果的にそうなる原因を作っただけと言うか」


 伊月が体育倉庫でしょうもないことをしなければ――。

 実際はそれだけの理由であり、悪意があったわけでもない。

 中に人がいる事を確認せずに鍵を閉めた女の子達の方が悪い。

 だが、伊月も彼女達に責任を押し付けるわけもいかず。

 結局、矢面に立たされて亜衣から一方的に攻撃されていた。


「まさか……無理やり、亜衣を襲ったとか?」

「その勇気が俺にあれば、もっと早くどうにかなってると思います」

「そうね。伊月君は優しいだけだもの。優しいだけじゃダメ」

「ぐふっ!?」

「それに男の子はもっと刺激的じゃないとねぇ」

「その言われ方も男としては傷つくんですが」


 げんなりとする彼に保奈美は「信頼はしているの」と前置きして、


「伊月君があの子を傷つけたとか考えているわけじゃないの。でも、引きこもった理由は絶対にキミ絡みであることに間違いない。違う?」

「いえ、結果的とはいえ、違わないですね」

「私もさぁ、小学校時代に引きこもった経験があるから。無理やり、学校に突き出す真似はしないけど。せっかくいい高校に入れたのにもったいないじゃない」


 意外な話だったので、伊月は「その理由を聞いても?」と尋ね返す。

 保奈美ははっきりと物を言うタイプで、若い頃は小悪魔系で男を翻弄し続けていた。

 世間的には大人しく、内弁慶な亜衣とはあまり性格は似ていない。


「こう見えても、小学校の時くらいは内向きな亜衣みたいな性格だったのよ。当時、好きだった子にからかわれてさ。何かそれ以来、学校に行けなくなったんだよねぇ」


 他人からすればどうということのないきっかけでも、大きな影響がある場合がある。

 イジメではない、精神的な理由の場合は気持ちの問題だ。


「一回こういうことすると癖になるって言うか、ホントに学校にいけなくなるわけ。私の場合は色々と周りが助けてくれて復活できたけど」

「亜衣も今、似たような状況なんですかね」


 行きたくない、と一度思うと足がもう向かなくなる。


「気持ちが完全に折れる前に復帰してもらわないと困るのよねぇ」

「今週中に何とかします、多分。いや、頑張ります」


 保奈美からのプレッシャーを感じて、そう言わざるを得なかった。

 伊月が頑張って何とかなる問題とは思えないが。


「ホントに頼むわよ? 伊月君、できなきゃ責任を取ってもらうから」

「せ、責任?」

「……いざと言う時には亜衣をお嫁さんにしてもらうからね? 冗談抜きで」


 思わず、飲みかけのジュースをぶふっと吹き出す。

 口元をぬぐいながら、伊月は動揺してしどろもどろに、


「は? え、えっと、嫁? 意味が分からないんですが」

「自分達の意思で恋人になるか、責任を取らせて恋人になるか。どっちかよ」

「いや、その二択はおかしいでしょ!? 大体、亜衣の意思はどうなんですか?」

「……鈍い子には教えてあげない」


 母として娘の気持ちはちゃんと理解している。

 だが、目の前のその意中の相手はまるで自覚がないのが保奈美の悩みである。


「とにかく、ちゃんと責任は取らせるからそのつもりで」

「……責任って言葉が重いっす」

「伊月君、覚えておいて。責任って取るものじゃなくて、取らされるものよ」

「あ、あわわ」


 さらに追い打ちをかけられて、冷や汗をかくしかない伊月だった。





 翌日、学校に行く前に亜衣の家に寄るつもりだったのだが。

 寝坊してしまい、気が付けばギリギリの時間帯。

 慌てて家を飛び出して学校に向かう。

 説得できないことを気にしながらも、「また放課後にこよう」と、気楽に思ったのが悪かったのかもしれない。


「――伊月?」


 偶然にも、亜衣は自室の窓からカーテン越しに外を眺めていた。

 急いで家を出ていく伊月の後ろ姿を寂しげに見つめていた。





 学校も終わり、今日こそはと意気込んで彼女の部屋の前に立つ。


「このままでは責任を取らさらされてしまう」


 本気で保奈美の言葉にビクつきながらも、亜衣の部屋をノックする。


「おーい、俺だ。今日こそは話を聞いてもらうぞ」


 間をおいて扉越しに寂しそうな声がする。


「伊月。……なんで、今日の朝、来なかったの?」

「え? あ、いや、今日の朝は」

「昨日の帰りに朝に来るって言ったくせに。嘘つき」


――まさか、そこを責められるとは思わなかった。


 伊月にとってもこの亜衣の反応は予想外だった。


「待っていても来なかったわ。伊月は嘘つきね」


 こうして毎日、顔は見えなくても会話のやり取りをすることを亜衣は望んでいたのだ。


――しまったなぁ、もしや今日は行く気だったとか?


 思わぬ形で亜衣の機嫌を損ねた事に後悔する。


「今日は起きるが遅くて遅刻しかけていたんだ。だから、その」

「……私との約束より、遅刻が大事なの?」

「そ、それは……すみませんでした」


 理不尽とも思えるような亜衣の言葉。

 申し訳なくなって扉越しに謝罪するが、拗ねた彼女は聞いてくれない。

 もっと、彼女の事を理解すべきだったと深く後悔する伊月だった。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る