第22話:アレは魔性の女の子やからな。怖い子やで

 

「やっちまった」

 

 本日のデートの失敗はその一言に尽きる。

 何度も繰り返されてきたはずの失敗の経験を活かせず。

 

「俺のデートが失敗するのはもはやジンクスになりつつあるな」

 

 初めて出来た恋人との破局危機に陥っていた。

 ぐったりとうなだれた弘樹はひとり寂しくカップラーメンをすすっていた。

 

「ほんま、アカンやつやなぁ。俺は……」


 何度同じ失敗を繰り返せば、気が済むのだろうか。

 ずるずると、デカ盛りのカップラーメンを食べながら空腹を満たす。

 本日、凛花が夕食を外で食べてくるとメールがあったのだ。

 どうやら例の年下美少年の彼とお食事に出かけたらしい。

 

「姉ちゃんは俺と違ってうまくやってる様子です。姉に勝てる弟はおらんのや」

 

 ザーっと降り出した雨。

 すっかりと暗くなって雨音だけが聞こえる窓の外を眺めながら、

 

「はぁ、何で俺は肝心な所でいつもやってしまうんだろうか」

 

 男の欲望。

 今回はそれに負けて失敗した。

 可愛い綺羅が好きで、キスをしたい衝動を抑えられなかった。

 

「綺羅の性格はよく分かってるから、彼女に合わせると約束したのに」


 そう思っていても、理性よりも体が動いてしまった。

 約束を破って、綺羅にキスをしようとしたら拒絶されてしまった。

 それは当然のことではないのか。

 

「いきなりだったから無理もない」

 

 受け入れてくれるかなって雰囲気はあったのだけども。

 せっかく楽しめていたデートを台無しにしてしまった。

 

「勢いだけで何もかも上手くいくなんて事はないんだ」


 分かっていたくせに、今回の失敗だ。

 弘樹は自分が情けない。 

 綺羅の事を考えてもっと行動すればよかったと後悔ばかりしている。

 

『さよなら。……帰る』

 

 すぐに彼女のあとを追いかけたけども、見つけられず。

 あのまま別れてしまったが、連絡する勇気もなく。

 弘樹はどうしようもなく、ただ時間が過ぎていく。

 

「ごちそうさま」

 

 ラーメンを食べ終わり片付けていると、

 

「にゃーにゃー」

 

 弘樹の足元に子猫のアレキサンダーが身体をすりよせる。

 無邪気な子供のような愛らしい瞳を弘樹に向けてくる。

 

「なんだ、アレキサンダー。お前もご飯が欲しいのか?」

 

 子猫は可愛く「んにゃー」と返事する。

 

「ふっ。ホント、お前って可愛いよな」

 

 素直な反応に思わず頬が緩んだ。

 男でも猫を可愛いと思う。

 弘樹は少し癒された気がしながら、固形のエサを用意する。

 キャットフードをエサ入れにいれてやる。

 

「ほら、カリカリだ。たくさん食べて大きくなれよ」

 

 エサを与えるとアレキサンダーは美味しそうに食べ始める。

 

「……美味そうに食べるな。俺もまだ何か食べるか」

 

 落ち込んでいても年ごろの男の子はお腹がすくのだ。

 弘樹はラーメンだけで満足できず、冷凍食品のチャーハンを作る。

 自炊できない弘樹はレンジでチンできるものしか作れない。

 花屋の仕事で忙しく不在気味の両親。

 頼りにしている姉がいなければ弘樹の食事事情はわびしい冷凍食品なのである。

 

「天気が悪くなければ近所の牛丼屋にでも食べに行くんだけど。今日の綺羅の作ってくれた弁当は美味しかったよな。料理ができる、と言っていたがホントだった」

 

 彼はハッとして首を横に振る。

 

「……いかん、思いだしたらまた自分の愚かさを痛感するぜ」


 己の情けなさに凹みまくりだ。


「ごめんよ、綺羅。傷つけるつもりは一切なかったんだ。許してくれるかな」

 

 弘樹は嫌な気分を払しょくするように、チャーハンを食べ始めることにした。

 少し温めるのが早すぎたのか、ところどころが生ぬるい。


「今日の俺は何をやってもダメだな」


 ため息ばかりつきながら、子猫を見つめる。

 がむしゃらにエサをほうばっている。

 

「……カリカリって人間が食べても美味いのだろうか。気になる」

 

 足元でカリカリを食べるアレキサンダーと静かな夕食の時間を過ごしていた。

 

 

 

 

 凛花が帰ってきたのは夜の8時過ぎだった。

 その頃には一時的に雨はやんでいた。

 天気予報では深夜から明日の昼までまた雨が降るらしい。

 

「……なんや、弘樹。どないしたんよ」

「なにが?」

「そんな思いっきり落ち込んだ顔をしたら分かるわぁ」

「放っておいてくれ。俺は今、窮地に立たされてるんだよ」

 

 弘樹は猫じゃらしに良く似た猫用のおもちゃでアレキサンダーと遊んでいた。

 元気よく跳ねまわる子猫に癒され中である。

 

「なんや、猫ちゃんと遊んでるんか。意外と気に入ってるん?」

「まぁな。これだけ懐いてたら可愛く思えるのは当然だろう」

 

 アレキサンダーは預かってるだけの猫だけども愛着は湧いてくる。

 

「残念ながら数日後には離れる事になるわだが、それまではいっぱい遊んでやろう。何か、ゴロゴロ言ってるし。唸ってるのか?」

 

 ゴロゴロと喉を鳴らすアレキサンダー。

 

「それ、めっちゃ気持ちいいって言ってるみたいやわ」

「そうなんだ。お腹撫でられると気持ちいいのかな」

 

 くつろぎモードの子猫の柔らかなお腹に触れていると、

 

「弘樹がアレキサンダーを気に入ってくれてよかったわ」

 

 弟の様子を見ながら凛花はある話を切りだしてきた。

 

「……実はなぁ、そのアレキサンダー。うちで飼ってもいいんよ」

「どういうこと? 預かってるだけじゃないのか?」

「ホントは里親を募集してるんや。友達が旅行に行ってるんはホンマやけど、その間に預かる形で実際に飼って体験して飼うかどうか決めるつもりやってん」

 

 どうやら、何匹か子猫が生まれたのはいいが、飼い主が家で飼いきれないので子猫を飼ってくれる相手を探していたようだ。

 アレキサンダーの他の兄妹も別の友人の家に預けられている。

 いわゆるお試し体験だったわけだ。


「実際に飼う体験をしてみなければ、猫と暮らす実感も体験できないってことだな。そう言う話だったんだ?」

「うん。両親にはうちの好きなようにしたらいいって言われてるけど、今の弘樹の様子を見てたらこの子をホンマに飼おうと思うんやけど、どう?」

「いいぜ。アレキサンダーは可愛いからな」

 

 弘樹自身、自分がこんなに猫を可愛がるとは思ってなかった。

 リラックスした表情のアレキサンダーを抱き上げて撫でてやる。

 

「それを聞いて安心したわ。ほな、飼い主の子にはうちで飼うって言っておくわ」

「ちなみに飼い主って誰? 俺の知ってる人?」

「えっと、アンタには言いにくいんやけど……保奈美ちゃんやで」

「な、ナンデスト!?」

 

 弘樹はその名前に大きくため息をついてがっくりと肩を落とす。

 心の古傷がひどく痛む。

 

「あー。やっぱり、まだ引きずってるん?」

「その名前を聞くだけで思いだす。心の傷がまた開く。ぐふっ」

「あはは……保奈美ちゃんはアンタのこと、結構気に入ってるんやけどなぁ」

「それでも、俺の純情を弄ばれるのはもう嫌なのだ。年上美人は恐ろしい」

 

 松島保奈美(まつしま ほなみ)は凛花の友人だ。

 弘樹も高校に入りたての頃に知り合い、一目で惹かれた美少女である。

 気さくなお姉さんキャラがとても気に入って、仲良くなり、デートも何度かしたのだが、結果的に弘樹は彼女に純情を弄ばれていただけだった。

 

『私の相手はひろ君じゃ全然、物足りないんだよね。ごめんねー』

 

 かなり親しくしていたと思いこんでいたのに、あっさりとフラれてしまった。

 

『ひろ君って刺激とか全然ないし。一緒にいても満たされないんだよねぇ』

 

 などと、男の矜持を踏みつぶされ、思い出すだけで心に深く刻まれた傷が痛む。

 

「はっ、まさか。このアレキサンダーはヴァリアントの子供なのか?」

 

 保奈美はヴァリアントという独特のネーミングセンスの猫を飼っていた。

 何度も写真を見せられたので覚えている。

 なお、ヴァリアントとは勇気を意味する英語であり、猫につける名前ではない。

 

「……そうやで。アレキサンダーやハイぺリオン、デュオ、ファントムも全部、保奈美ちゃんの命名や。あの子も変わった名前をつけるからなぁ」

「他の子猫もすごい名前だぜ……はぁ」

 

 凛花ですらも苦笑い気味な、保奈美の名付けセンスは相変わらずのようだ。

 普通の色っぽいお姉さんなのに、ネーミングセンスだけは中二病なのだ。

 

「アレキサンダー、世界征服なんてしないでくれよ」

「にゃん♪」

「俺を征服しそうなかわいさだな」

 

 名前に込められた意味を知ってか知らずか、子猫は膝上に乗って甘えてくる。

 小さく欠伸をするアレキサンダーに凛花は感心した様子で、

 

「なんや、ホンマにこの子は弘樹に懐いてるなぁ」

「人懐っこいだけじゃなくて、男同士、通じ合うものがあるのだよ」

 

 すると、それを聞いていた姉は真顔で衝撃の真実を口にする。

 

「――何を言ってるん。アレキサンダーはメス猫さんやで」

「マジかよっ!? 女の子か、お前」

「ほんまや。あれ、言ってなかった?」

「初耳だ。メス猫にアレキサンダーなんて名前をつけちゃってるのかよ?」

 

――男の子ならまだしも、女の子につける名前じゃないよ、松島さん。

 

 保奈美の名前センスにはもはや呆れるしかなかった。

 

「分からねぇ。松島さんの名前のセンスだけはマジで分からん」

「そうやなぁ。で、どうする? 他に新しい名前でもつける?」

「改名か。必要ならばするのもよし。例えば?」

「んー。ここは“ほなみ”とかどうや?」

「やめて!? 名前を呼ぶたびに俺が過去の傷に苦しむことになる」

「冗談や、冗談。さすがにそれはないな」

「現状維持でいいさ。これはこれで今さら変えるのもアレやしな」


 もうすでに馴染んでしまっている。


「……仲良くしようぜ。なぁ、アレキサンダー」

「にゃー」


 子猫は小さく鳴く。 

 

「……アンタ、まだ保奈美ちゃんのこと、引きずってるん?」

「男の純情を弄ばれまくった意味ではな」

「アレは魔性の女の子やからな。怖い子やで」

「姉上も似たようなもので……ぎゃー」 


 過去の傷跡。

 思い出したくないことなら、思い出さない方がいい。

 保奈美との思い出は記憶の奥底に放り込んでおきたいのだ。

 そんなわけで、子猫の名前は引き続きアレキサンダーのままになった。

 失意の中のわずかな希望、家族が一匹増えました。 

 

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