第16話:それ、十分に惚気だから。自覚してる?

 

『恋人が出来てよかったじゃん。おめでと、キラ』

「……うん」

 

 その日は有希と電話しながら綺羅は報告をしていた。

 付き合う前に相談に乗ってもらったので彼女に伝えておきたかった。

 

『あーあ。でもさぁ、キラの方が先に恋人ができるなんてずるい』

「私は自分に恋人ができるなんて思いもしてなかった」

『あの他人に苦手意識のあるキラが信じられる相手を見つけたってのは友達としては嬉しいよ。いい先輩に会えてよかったね。キラ、惚気てもいいんだよ?』

「……だから惚気ないってば。あからさまな惚気はしません」

 

 人に対して惚気るほどに綺羅は素直じゃない。

 

『他人の惚気を聞くのはつまらないと思うけど、キラの惚気は聞いてみたい』

「有希……からかわないで」

『あははっ。でも、たった1ヶ月くらいしか経っていないのに、今のキラは私の知らないキラだもの。恋は人を変えるんだね』

 

 彼女の言う通り、この恋は綺羅を変えた。

 具体的にどこが、と言われると、他人との接し方かもしれない。

 弘樹に出会わなければ、綺羅は他人と距離を置き続けたままだった。

 今もたいしてそれは変わらないが、これから変わっていける気がする。


――こんな私が初めて好きになった人だもの。

 

 弘樹はイケメン過ぎるほどでもなく、特別な魅力があるわけじゃない。

 けれど、綺羅にとっては誰よりも必要な人だ。

 彼以外を好きになる事はないだろう。

 彼以外が綺羅を好きになる事もないと思う。

 その自覚があるからこそ、彼女は弘樹の告白を受け入れたのだ。

 

「相手から告白されて悩んでたでしょ。その時間は大切なものだったの」

『自分の気持ちに向き合うって大変だもんねぇ』

「うん。だからこそ、先輩と相思相愛になれてよかった」

 

 綺羅自身がそう思っているとは、本人に恥ずかしくて伝える事はないけども。

 

『それ、十分に惚気だから。自覚してる?』

「……っ……!?」

『幸せそうでなにより。私も嬉しいよ、うふふ』


 電話越しに有希の笑う声が聞こえて恥ずかしくなる。

 友達に恋の話をする自分が今でもどこか不思議でしょうがない。

 わずかな変化でも、綺羅にとっては大きな変化だった。


『キラの恋人の名前、何だっけ?』

「弘樹先輩。私はヒロ先輩って呼んでる。時々はHERO先輩だけど」

『ヒーロー?』

「何でもない。ヒロ先輩がどうかした?」

『弘樹先輩って本当にキラを愛してくれてるんだね。聞いてるだけでも分かるよ」


 こんな自分を好きだと言ってくれる。

 弘樹は変わり者だと思いながら、


「そうだね。愛してくれてる」

『先輩の事、好き?』

「……好き」

『ふふっ、キラももっと素直になったら可愛いのに』

「それができないから私は私なんだ」


 綺羅はこう言う性格であり、それを理解しているのが弘樹でもある。

 話を聞きながら有希は「相性良くて羨ましい」と笑う。

 

『そう言えば、付き合い始めてからキスとかデートとかした?』

「デート……」

 

 ストレートな有希の言葉に綺羅は固まる。

 恋人になれば当然することになる。

 

「……デートの予定はあるけども、キスはしてない」

『まだなの? キラもキスとかしたいんじゃない?』

「それは……」

 

 そう言われて、綺羅は自分の唇を人差し指で撫でた。

 ファーストキス。

 綺羅にとっては未だに経験のない行為。

 恋愛小説とか漫画ではよくあるシチュでも、未経験の行為である。

 そして、未知の行為には恐れも含まれる。


「……今はまだいいと思ってる」

『そうなの?』

「今は先輩と一緒にいるだけでいい。すごく安心できるの」

『キラにとってはまだ恋人って、いちゃいちゃしたいっていうよりは、一緒にいたいって気持ちだけなんだ? まだそこまでじゃない感じ?』

 

 綺羅は頷いて自分の気持ちを言葉にする。

 

「まだ先輩の事、知らない事も多いから。今はその関係をもっと近付けたいだけ」

『なるほど。距離感を近づけたいわけだ』

「キスとか、興味がないわけじゃないけども、焦らなくてもいいでしょ」

『……先輩の方もそれでいいのかな? 男の子ってガツガツしてない?』

「大丈夫だよ。私の性格を分かってるから、自分達なりのスタイルで付き合っていけたらいいって言ってくれてるもん」

 

 彼が与えてくれるのは安心感だ。

 無理に変えることなく、ゆっくりと時間をかけていい、と言ってくれた。

 その言葉に綺羅は彼の事をもっと好きになった。

 

「私のことを分かってくれる。それだけでとても安心できる」

『いい先輩だね。キラが好きになるワケだ』

「……普段は変な人だけどね」

『ふふっ。またそう言う事を言って。いい人だって、素直になれないの?』

 

 有希の言葉に何も言い返せなかった。

 恥ずかしがりやな自分が素直になるにはまだまだかかりそうだ。

 

 

 

 

 人嫌いの綺羅にとって最も苦手と呼べる相手がいる。

 彼女の存在にこれまでの人生でどれほどの苦痛を与えられてきたのか。


「ただいまっ」

 

 綺羅がお風呂からでてくると、元気のいい明るい声が玄関から聞こえてくる。

 

「……ん?」

 

 聞きなれたその声に彼女は眉をひそめる。

 

「あら、おかえりなさい」

「ただいまなのです。電車の乗り換え、大変だったぁ」

「ちゃんとゴールデンウィークには帰ってきたのね、夢逢」

「当然じゃない。久々の我が家へ帰ってきましたよ」


 リビングに大きな荷物を持って現れたのは綺羅の実姉だった。

 綾辻夢逢(あやつじ ゆあ)。

 彼女は今は大学生で、先月から離れた場所で暮らしている。


「やぁ、綺羅ちゃん。貴方の素敵な姉が帰ってきたわよ」 

「夢で逢える、なんてメルヘンな名前の姉が帰ってきたのね」

「わ、私の名前をそんな風に言わないで」

「どうせなら、ナイトメアと読ませた方がいんじゃないの」

「なんで悪夢なのよぉ。夢でも逢いたい、素敵な私ですよ」


 ぐすっと涙目の夢逢はしょげながら、


「……帰って来て早々、痛烈なボディーブローを入れてくる妹がいるんですけど」

「貴方たち、仲良くできないの?」

「うるさい人が帰ってきちゃった。もう部屋に戻る」

「なによぉ。そんなに邪険にしないでぇ。お姉ちゃんだよー」

 

 にこやかな笑みを浮かべながら綺羅に抱きついてくる。


「んー。綺羅ちゃんの抱き心地は最高だ」

「ちっ。姉、ウザい。離して」


 苦手とする綺羅とは違い、夢逢の方は妹を気に入っているのだ。

 ツンッとした態度も懐かない猫みたいで可愛らしい。

 いつもの鬱陶しい行為に綺羅は無視する。

 

「……もういいでしょ。あっち行って」

「あれ、反応薄くない? 久々に帰って来たのに」


 久しぶりと言ってもほぼひと月も経っていない。


「私がいなくて寂しいでしょ? ねぇ?」

「全然。家が広くなってむしろ嬉しい」

「な、なんてことを……ひどい。私はとっても寂しいのにぃ」

 

 ひとり暮らしの彼女は家族がいないことが寂しい。

 逆に綺羅は正直、兄も姉もいなくなってからの我が家は静かで過ごしやすい。

 

「新しい物置ができてよかったのに」

「わ、私の部屋はまだある? まさか兄さんみたいに物置状態にされたり?」

「……いなくなった人の部屋がそのままなわけがないでしょ」

「えー!? そんな……私の寝床が……」


 遠慮なくそう告げると、どうやら傷ついたようで落ち込んで見せた。

 

「ぐすっ。綺羅ちゃんはお姉ちゃんが嫌いなの?」

「別に。興味ないだけ」

「お母さん、綺羅ちゃんがひどい~」

「綺羅、せっかくお姉ちゃんが帰ってきたんだからつれなくしない」

「だって、ホントの事だもの。いつも無駄にテンションが高いし、抱きついてくるからウザい。いなくなってからの生活はすごく快適だったのに」

 

 フルボッコの毒舌っぷり。

 さすがに夢逢もがっくりと肩を落としながら、

 

「ひ、ひどい。こんなにも私は妹を大事に想ってるのに」

「私は猫じゃない。まずは頭を撫でる所からやめて」

「やだなぁ。綺羅ちゃんが可愛いから、ついハグしちゃうだけだよ」

「嘘つけ」

 

 何かあれば抱きついてくるのが鬱陶しいと感じている。

 過剰なスキンシップは綺羅の好みではない。

 

「もうっ。なんで、そんなにクールかなぁ。テンション低いって言うか、大人しいというか。人生はもっと楽しく生きなきゃ損だよ?」

「お姉ちゃんみたいにテンションが高いだけの可哀想な人になりたくない」

「ぐぬぬ。そんな冷たい目で見ないで欲しいなぁ」

 

 対応するのにも精神的に辛くなってきたのか。

 

「……おやすみなさい」

 

 逃げるように反転する綺羅を引き留める。


「ま、待ってよ。せっかく、帰省したのに、もう少しお話してもいいじゃない」

「やだ。もう飽きた」

「えー。なんでぇ」

 

 夢逢は不満そうに頬を膨らませる。

 そのやり取りを見ていた七海もどうやら姉の味方のようだ。

 

「綺羅。ココアでもいれてあげるから、座りなさい」

「……ちっ」

 

 逃げられないと思った綺羅は姉を睨みながら小さく舌打ちする。

 

「お、お母さん。この子、今、私の顔を見て舌打ちしたよ。ひどくない!?」

「ふたりとも。夜なんだから静かにしなさい。夢逢も何か飲む?」

「私も同じのでいいよ。それにしても、ホント、綺羅ちゃんは私に懐かないね」

 

 嘆く姉に綺羅は言ってやりたい。

 人を猫みたいに撫でるのをまずやめて、と――。

 

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