第2話:その些細な欲望を叶えてあげてもいい

 

 朝食を食べながら、朝のニュース番組を眺めていたら、

 

『今朝は晴天ですが、午後からは急に天候が崩れ、雨になります。お出かけの際は傘などを持っていった方がいいでしょう。天気がいいからって油断禁物ですよ』

 

 などと、満面の笑みを浮かべながらお天気のお姉さんが言っていた。

 

「こんな良い天気で雨なんて降るのかね?」

 

 弘樹が窓の外を眺めると、見事に雲一つない青空。

 雨なんて降りそうもない、と疑いたくもなる。

 

「でも、お天気のお姉さんが言うのだから信じるか」


 お気にいりの美人の言葉は無条件に信じるのが信条だ。

 そんなわけで、彼女の言葉を信じて傘をちゃんと持っていくことにした。

 

 

 

 

 放課後になり、弘樹は空を見上げて思わず呟いた。 

 

「……ホントに降ってきやがった。お姉さん、すごい」

 

 帰り際になって、急に天候が崩れ、大雨になっていた。

 この豪雨を朝の光景から想像などできるはずもない。


「あれだけ良い天気だったのに、ホント、空模様と女心は簡単に変わりやすい」


 本降りになる前に帰ろうとすると、


「おや?」


 玄関先で憂鬱そうな表情を浮かべる少女が一人。

 雨を見上げる、その少女の横顔には見覚えがある。

 

「おぅ、綺羅じゃん。お前も帰りか?」

 

 弘樹が声をかけたのは後輩の綺羅だった。

 偶然は積み重なり、毎日、昼休憩に屋上へ来ている。

 今では軽い雑談をする程度の関係にまではなっている。

 口が悪くて気分屋な子は、どんよりとした雨空のように顔色を曇らせていた。

 

「あれ? 元気ないぞ。どーした?」

「……ヒロ先輩。今日も冴えない顔をしてるじゃない」

「冴えない顔をしてって言うのは元気のない様子を指す言葉だぜ」

「それと、冴えないと言う言葉には“つまらない”という意味もある」

「余計にひどいわ! 先輩なんだから言い方くらい気を付けて」


 彼は心が痛むのを我慢しながら、


「先輩の顔をつまらない顔扱いするのはやめなさい。リアルに傷つくから」


 その言葉に「はいはい」と投げやりに言葉を返す。

 先輩への敬意というものはどうやら皆無のようである。


「帰るのなら早く帰れよ。今日はずっと雨でこれからひどくなるからな」

「言われなくても。今から、誰かの傘でも強奪して帰ろうと画策中」

「するなっ!?」


 ただいま獲物を狙って物色中のようでした。

 学校内での軽犯罪を未遂で止める。


「人様の迷惑になるようなことはやめなさい」

「されて嫌なことの上位に、勝手に傘を持っていかれるのはランクインしてそう」

「確かに地味に嫌だ。人のモノを取るのは犯罪です。ダメ、絶対。……なんだ、傘でも忘れてきたのか?」

「朝の良いお天気で傘を持ってきてる方が珍しい」

「そうか? ちゃんと天気予報を見てる奴は持ってきてるけどな。俺のように」

 

 弘樹は傘を見せると綺羅はあからさまに落胆の表情を浮かべた。

 

「それは置き傘というやつじゃないの?」

「お天気お姉さんが傘を持っていけって言うから持ってきた」

「ああいうセリフ、真に受ける人っているんだ」

「ふっ、なんとでも言え。お姉さん、グッジョブ」

「……くっ。HERO先輩ですら傘を持ってきてるのに。なんという不覚」

 

 肩を落として落ち込み、ショックを受けている様子。

 

「ショックを受けたいのはそんな扱いをされる俺の方だぜ。あとHEROはやめろ」

「はぁ。本気で最悪だわ。なんで雨なんて降ってくるの」

「傘を持ってないのか。どうせ帰り道なんだ、家まで傘にいれてやろうか?」

「などと甘い誘いでおびき出し、私をひどい目にしようと企んでる?」

「するかっ。言っておくが俺にそんな勇気はないっ」

 

 断言してみせると「あー」と納得されてしまった。

 

「……お願いだから納得しないでくれ。相合傘はそこまで嫌いか」

「先輩と一緒の傘に入る事で雨には濡れないけども、デメリットもあるわ」

「例えば?」

「周囲から好奇な視線をさらされたり。知り合いに見られたら、からかわれたりする。明日には噂でもちきりね」

「……逆に俺が見たら、リア充たちめ、と不快な気になるが」

「他にも『あの子たち、もしかして恋人?』なんて言う話題を提供してしまうかも……困った、困った」

「それは逆に青春って感じがしてよくね?」

「ホントに無事に家に帰れるかどうかも怪しい。どこかに連れ込まれて……」

「ねぇよ! 最後のだけは自信持って無事に帰すって断言してやる」

  

 人の目が気になるってのは分かる気がする。

 噂になるのは別にしても、恥ずかしさもあるだろう。

 弘樹と綺羅は知り合ってまだ間もない。

 警戒されるのも自然かもしれない。

 決して弘樹と言う人間に対しての評価が低いことを理由だとは思いたくない。

 

「こちらとしても無理にとは言わない。俺は帰るけど、気をつけて帰れよ」

 

 無理強いは出来ず、弘樹が綺羅と別れてようとしたその時、

 

「……待って」

 

 くいっと弘樹の制服のすそを掴んで止める綺羅。

 その小さな手が可愛くて、つい意地悪したくなる。


「おやぁ。なんです、綺羅さん? この可愛い手はなぁに?」


 意地悪くそう言って弘樹は振り返ると、


「……うぅっ」


 彼女は気恥ずかしそうに、ほんの少し頬を赤らめていた。

 

――この子のこんな恥じらいの表情など初めて見たぞ。


 素材は最高に良いので表情を変えるだけでもとても素敵女子に見える。

 

「せ、先輩がどうしてもと言うのなら、雨の降る中を女の子と一緒に並んで一つの傘に入って帰りたいって言う、その些細な欲望を叶えてあげてもいい」

「……欲望じゃなくて願望ね。俺はそこまで変態さんやないで」

「寂しい人生を過ごす先輩に、可愛い後輩としてひと時の潤いを与えてあげるわ」

「めっちゃ、上から目線じゃん」

 

 少なくとも、それは人にものを頼む態度ではない。

 

――ホント、なんていうか……素直になれない奴。


 弘樹はくすっと笑ってしまう。

 ちょっとずつ、綺羅の事が分かってきた気がする。

 人に甘えるのも、素直になるのも苦手なあまのじゃく。

 そんな彼女を思わず可愛いと思ってしまうのは、


「それじゃ、俺の些細な夢を叶えてくれよ。可愛い後輩さん」

 

 弘樹が思いのほか、綺羅の事を気に入ってるからかもしれない。

 綺羅は照れくさそうに「しょうがないね」と言って横に並ぶ。

 小柄な彼女だと弘樹とは身長差があり、良い具合に傘にも入れる。

 甘いイチゴの香りに弘樹は鼻孔をくすぐられる。

 

「綺羅のつけてる香水ってイチゴの匂いだよな。好きなのか?」

「……うん。あんまり匂いがキツイ香水は校則違反。これはギリギリセーフ」

「そんなものか。いい匂いだぞ」

 

 弘樹がそう言うと彼女はドン引きした表情で、

 

「女の子の匂いをクンクンと嗅ごうとする変態趣味の性癖の持ち主?」

「俺はそんな変態的な趣味はないっ! 多分」

 

――こんな風に異性の匂いに興奮する気持ちは分からなくもないけども。


 変態疑惑の目を向けられながら、ふたりで雨の中の帰り道をゆっくりと歩く。

 地元の高校なので互いの家までは徒歩15分もしない道のりだ。

 でも、今日はそのたった15分がすごく長く感じられる。

 

「綺羅、もうちょいだけくっついてくれ」

「言葉巧みに、私に身体を密着させようとする罠?」

「そんな罠はない。お前が雨に濡れるんだろうか。ほら、こっちに来い」

 

 微妙に距離感を取ろうとされると、傘からはみ出るからだ。

 弘樹は彼女を抱き寄せる形で密着しながら、並んで歩く。


「あっ……」


 綺羅は大人しくされるがままにされていた。

 そっと横顔を見下ろすと、どうやら照れているらしい。

 何だかんだで、年相応な可愛らしいところも見せる。

 お互いに妙な意識をしてしまい微妙な雰囲気になりかける。

 そのため弘樹はあえて話題を変える。

 

「そうだ。学校の方はどうだ? 高校生活にも慣れてきたか?」

「私は最初から高校生活に対して期待もしてない。こんなものかと納得してるわ」

「もうちょっと新しい環境に変わった事に希望を持てよ」

「んー、希望ねぇ?」

「俺が高校に入った頃はな、そりゃ、大いに期待もしたものさ」


 環境が変わることに対しての期待感は誰にでもある。


「高校に入ったら、可愛い彼女ができるんじゃないか、とか?」

「はい。下心のある希望的楽観論を抱いてた頃も若さゆえにありました。ほら、高校に入れば、すぐにでも、ひとりくらい彼女もできるだろ的な?」

「よくある男子の妄想ね」

「高校に入った所で人生変わるわけもなく、可愛い彼女なんてできるもんじゃない。人生、そんなに甘くないぜ」


 期待が失望に変わり、人生ってこんなものかと諦めたくらいである。

 

「……HAHAHAっ、俺の事は置いといて」

「高校に入っても寂しい現実の変わらないヒロ先輩。甘い幻想なんて捨てちゃえ」

「ちくしょー! 青春の大バカ野郎ーー!」


 悲しい男の叫びは大雨の叩きつける音にかき消された。

 

――いいじゃないか、青春真っ盛りな学生だもの。

 

 まだ大人じゃない、無駄な夢や希望を持つ事くらい許される。

 弘樹の輝く青春はまだ来てないだけで、いつかきっとくるはずだ。

 そう信じて何が悪いとふてくされた。

 

「とはいえ、俺だって、全然、モテないわけじゃないんだぞ」

「お財布、都合のいい相手、友達としてならお付き合いを、惜しい人、etc……」

「うぐぅ、やめてぇ。人の過去の傷口をえぐるのはやめてくれぇ。お願いします」

 

 悶えて、地面をのたうちまわりたくなるほどに凹む。


――それ、全部、告ってフラれた時に言われた台詞やん。


 リアル経験がゆえに、とっても悲しく辛い。

 現実には期待が持てません。


「女の子って怖い生き物。男の下心を利用するだけしてポイするひどい悪魔や」


 そんな弘樹の肩をポンッと軽く叩いて彼女は同情的な目を向けた。

 

「元気だしなよ、先輩。来世ではきっと良い事もあるわ」

「現世は!? 俺の現世は期待ゼロなのか!?」

「ヒロ先輩。現実に期待したら失望するだけだよ。しっかり現実と向き合って」

「神様、少しでいいので俺の現世に生きる希望をください。ぐすっ」


 雨の雫が傘を弾く音だけが響く。

 こんな風に女の子と密着して歩くのは初めての経験だ。

 今まで他人の同じ光景を見たら、「このリア充め」と石を投げたかったが、これは思っていたよりもいいものだ。

 この時間も終わりを迎える、目的地が見えてきた。

 

「綺羅のマンションってこの辺だっけ」

「もう少し先。ほら、見えてきたでしょ」

「おー、あれな。立派じゃないか」

 

 立派なマンションが立ち並ぶ住宅街の一角。

 綺羅の住んでいるマンションのエントランスの前で弘樹達は立ち止まる。

 

「ここまででいいよ。その……ありがと」

 

 小さな声で礼を言う彼女に弘樹は「どういたしまして」と頷いた。

 

――綺羅も素直な所を見せてくれれば、可愛いのにな。


 弘樹の傘から出ようと身体を離そうとする綺羅。

 だが、ここで弘樹達に思わぬ展開が待っていた。

 エントランスに入ろうとした、その時。


「――あら、綺羅じゃない。隣にいるのは……?」

 

 スーパーの買い物袋を持った綺麗な女性が傘をたたんでいた。

 

「嘘でしょ」


 綺羅はドキッと驚きながら慌てた様子をみせる。


「――ま、ママッ!?」

 

 どうやら綺羅の母親らしく、微笑ましそうに笑う。


「あらぁ、もしかして隣の子って……彼氏さん? 綺羅もやるじゃない」

「い、いーやー!」


 見られたくない相手に見られた、そんな娘の悲痛な叫び。

 そんな綺羅の悲痛な叫びを聞きながら、


「さすがだぜ。親子そろって美人だなぁ」


 そんな感想を弘樹はのんきに呟いたのだった。

 世の中は、隠したいものほど簡単にバレてしまうもの。

 うまいようにできているのである。

 

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