第7話 第一部 南方編 亶州 1891年11月4日-4
それは協会で出会った少女、亜耶音(あやね)の声だった。
音声魔法で拡声されたセリフが辺りに響きわたる。
「侯斌文(ホウビンウェン)、遂に馬脚を現しましたわね?冒険者協会は市警当局との契約によって未成年の人身売買の摘発を委任されています。未成年者掠取の現行犯として逮捕させて頂きますわ」
それは窓の外から聞こえて来た。
此処は二階なので距離から言うと空中としか思えないのだが俺の所からは分からなかった。少なくとも軒の上には居ない。
しかしなんで共通語なんだ?
侯と呼ばれた指揮官以外はキョトンとしてるぞ?
侯は声がした瞬間に挟撃を恐れたのか窓からも此方からも遮蔽物になる倒れた机の陰に退避している。
すごい判断と反応の速度だ。
「鷹司のクソガキか!さっさと何処かの成金に嫁入りしてXXXの世話でもしてろ!」
仲間に退がる様手振りをしながら言い返す。
「…なんと下品な。分かりました…では強制執行させて頂きますわ」
「は!よく言うぜ!大体何処に子供が居るって言うんだ?そもそも俺は子供の勾引(かどわ)かしなんてした事は無え…何企んでやがる!」
子供…侯は杏子に気付いて居ないのか?確かに扉からは俺が邪魔で彼女の姿ははっきりとは見えなかっただろうが…或いは惚けているのか?
いや、そもそも一体この状況は何なんだ?
俺は宿屋に帰って来た途端に昼間会った子供の空き巣に遭い、直ぐに俺を錬金術師と知らないこの侯の一味の襲撃を受けた。
そしてそれを見計らった様に冒険者協会で護衛に付く筈だった冒険者の介入を受けた。
しかも、その介入の理由が未成年者の掠取の現行犯…杏子が冒険者協会か亜耶音の手下で仕込んで置かなければ成り立たない仕組みだ。
だとすれば昼間の一幕も仕組まれたのか…
目的は侯か俺か?
何処までが陰謀で何処までが偶然なのか?
亶州に来て早々これ程事態が複雑化するとは思っても見なかった。
そう俺が考え始めた時だった。
「残念!」
俺の思考を亜耶音が得意げな声でぶった切る。
「…あなたが能天気に襲ったその余所者の冒険者!未成年なのですよ!…ギリギリですけど」
…俺の話だった。
いや、その理屈だと…そう言う事か。
道理であっさり引き下がった訳だ。
「馬鹿言うな!この顔で10代だと!?二、三人子供が居てもおかしくねえ面構えだぞ!」
「眼鏡を掛けると上に見えるんだ!」
思わず反応してしまった…と言うか絶対に言い過ぎだ!
仕方ないので外が見える様に床に踏み出す。
後詰めの二人が気圧される様に下がる。
彼らは健気にも侯の合図にも拘らず俺に対応する為に持ち場から離れ無かったのだ。
ベッドの上の二人に付いては…気にしなくて良い。もう脅威になる事は無い。
箪笥の向こうに開かれた窓の先は月明かりに照らされて意外とよく見えた。
そこには革のオーバーオールにジャケットを羽織った一人の少女が浮かんでいた。
酒場で見た衣服とは違う。これがこの少女の仕事服なのだろう。
髪が風に靡きもせずまるで唯そこに立っている様に見える。腰に手を当て傲然とイラついた表情で辺りを睥睨している姿はとても救いの騎士には見えなかった。
空力を使用せずベクトル制御だけで空中浮揚を行なっていた。技術的にはそれ程では無いが継続的なベクトル加速は魔力の消耗が激しいので余り使われない。
彼女は自分の魔力キャパシティにかなり自信がある様だった。
それにしても魔術師なら必ず持っている筈の収束器を持って居ない様に見えた。最近では両手を開ける為に装甲タイプの収束器も有るし、或いはかなり高価だが集積度の高い小型のものを隠し持っているのだろうか?
「出てらっしゃいましたね…かなり苦戦されている様にお見受けしましたが?執行の邪魔ですから此方にいらして下さい」
何処となく勝ち誇った様な雰囲気がするのは気のせいだろうか?
「別に苦戦もして居ないし年下の女の背中に隠れる趣味も無い」
「な!何故わたくしが年下だと?…まさかキャナルが話したの??」
犯罪者にまで個人情報が広まってるのに何故か焦った様に亜耶音が答える。
「そこの男が言っただろ?俺も鷹司の娘が冒険者になったって記事を読んだ記憶があった」
記事にはフルネームが掲載されていたし、魔術師でエルフとの混血って話も一致している。そんな特徴のある人物がそうそういる訳が無い…記事通りなら俺より一つ下になる。
鷹司と言えば扶桑の大貴族で誓約公会議の現事務次官長である鷹司昭彦を出した名家だ。この娘の父親は別筋らしいが俺が一番関わり合いに成りたく無い人種だった。
「そ、そう言えば、北都日報の編集主幹が何か言ってた様な?道理でいく先々で…」
世界的大新聞の名前を出して得心がいった風に呟くちょっとズレたお姫様に我慢しきれなかったのか…
「…くそ!やってられねえ!北洋鬼子(ベイヤングイツィ)覚えてろよ!」
侯が列強国民に対する侮蔑語を叫ぶ。
それから華夏語で何か大声を上げると背後の壁に突進する。
次の瞬間、宿屋の建物が揺れた。
壁が吹き飛び土煙が辺りを満たす。
灯りが吹き消える。
俺は一瞬反撃を警戒したが手下共々そちらに逃げ出した様だ。
「ふふ…逃がしませんわ。緋衣!隣の部屋に全員移動しましたわ!」
すぐに闇の中怒号と剣戟の音が聞こえてくる。
侯の運命などどうでも良い俺はベッドの脇に戻りベッドの下を探る。
俺の眼鏡は特別製だ。
色々な仕掛けがある。
先程の戦闘で使った相手の攻撃動作の予測線を表示する機能もその一つだ。"レンズ"を入れ替える事でその機能を変更出来る。一度に三枚までは"レンズ"を重ねられるがツルに仕込んだ霊力堆(マナストレージ)の容量を食うので持続時間とのバランスになる。
今はまだ余裕があるので闇の中でも僅かな星明かりで視界を確保出来るレンズを呼び出し、探し物を続ける。
やがて賊の脚に引っ掛かった後そっちに滑って入り込んだ俺の金属製の鞄を取り戻した。
ベッド上での戦闘で血糊がべったりと付いてしまった様だ。早く洗わなければ…
そこで魔法の発動による魔力の奔流を感じ取る。
次の瞬間再び突風が吹き荒れ土煙と遠くで何かが吹き飛んだ。
近所迷惑は早く終わらせて欲しかったが、まあこれで建造物破壊の主因は連中の戦闘という事になる筈だ。
俺は早々に退散すべくトランクを閉じようとして荷物の間で震えている羌民の少女の存在に気付いた。
「な…なんでござるか…あ、あれ」
此方の存在に気付いた杏子が口を開き慌てて手で抑えた。
「い、いやー、拙者何も見てないでござる!」
闇の中よく見えない筈だが不穏な空気に少女はかぶりを振る。
俺は今日何度目かの溜息を吐き少女に声を掛けた。
「付いて来い…逃げようとしたら殺す」
啄木鳥の様に頷く杏子の手を引き手荷物をもう片手に持ち俺は正式な部屋の扉に向かった。
戦闘はまだ続いている様だった。
…トランクは取り敢えず諦めるしか無いな。
宿屋の親父は難を恐れてか姿が見当たら無かった。
他の泊り客もいた筈だが部屋で震えているのか下の広間は無人だった。俺たちはそのまま昼間確認して置いた裏口から路地に出て宿屋から離れる。
途中で井戸を見掛けたので立ち止まる。
杏子にそこに座っている様に言うと俺は井戸水で金属鞄を洗う。本当は中身の調整もしたいが此処では不可能だ。
「…何処に行くでござる?」
少女が抑えた声で囁く様に言う。
「さて、どうするか…落ち着いて話せる所を知らないか?」
「警察はもう無しという事でござるか?うう、死体の隠し場所まで犠牲者に探させるとは…麟太郎様もあまりにご無体な…よよ」
…こいつに名前を覚えられたのは一生の不覚だった。
それにかなり賢い。
口封じ云々は兎も角として状況をよく把握している。見た目は10歳行くか行かないかと言った所なのに油断も隙も見せられない気がする…うまくしないと足を掬われそうだった。
「最終的にご納得頂けたら生きて帰れるさ」
「ひいい…本気で風前の灯火でござったか!なぜ拙者はこの様なお方を良い人などと…」
「人を見る目が無かったんだろ?さあ、時間稼ぎも程ほどにして質問に答える気が有るのか教えてくれ」
「う!分かり申した…羌民街に空家を一つ知ってるでござる」
その部屋は三階にあった。
下の通りは市場のようだったが今は全てが片付けられて連なる軒の下はがらんどうだった。
蝶番が壊れて立て掛けてあるだけの扉をずらして階段を上がろうとすると杏子が灯りを欲しがった。
仕方なく《もう一つ》の手持ちの鞄から携帯用のガス灯を取り出して渡すと何も教えない内に月明かりに機構をかざすとカチャカチャとやって火を灯してしまう。
「火打石もレバーで操作出来るでござるか…便利なものでござるのお」
「おもちゃだ。早く部屋に案内しろ」
部屋には扉すらなく、ただ窓には風雨が入らない様目張りがしてあった。
俺がガラクタの一つに腰かけると杏子も灯りを床に置くと椅子(だったもの)を引き出して座る。
「さて、本題に入る前に幾つか聞きたい事がある。お前は何時も単独で仕事をしているのか?」
まず背後関係を洗う。
杏子はしばらく沈黙した後、一度目を瞑り深呼吸してから話始めた。
「…何時もは親方の下で働いているでござるが今日は一人働きでござった」
「信用できないな。でもまあいい…その親方はどこの誰だ?」
「…この部屋での話については拙者嘘を付くつもりはござらん。親方については…話す事は何も無いでござる。大恩ある方故、拙者の命と引き換え如きで何かを口には出来ませぬ」
彼女の話し方は真剣で先ほどまでの芝居じみた雰囲気は消えていた。少し青ざめた顔で真っ直ぐ此方を見て話していた。
これも演技なら大したものだった…正直俺は気圧されてしまう。
「…分かった。ではなぜ今日単独で仕事をしたんだ?誰か親方以外に頼まれ事をされたりしていないか?」
「一人で仕事をした訳は…親方に秘密の贈り物をしようとしたからでござる。それに金が掛るゆえ焦ってしまいこの様な仕儀になったのでござる」
「…」
「誰の頼みでもなく全て拙者がやった事でござる。宿も港の苦力に聞けばすぐに分る事でござる」
俺は弱ってしまった。
彼女は真実を話して居る様に見えた。
嘘が有るならそこから弱みを握って取引に持ち込める可能性は高い。嘘を見破られた動揺は心理的な隙に繋がるからだ。だが覚悟を決めて真実を話す相手から交渉材料を引き出すのは至難の技だった。
しかし、この少女に秘密を握られるのは不味かった。いくら真剣な様子を見せても彼女は盗賊で他人を犠牲にする事に躊躇いがある人物ではないのだ。
交渉は諦めて”処置”を行うか?
いや、まずは卑怯だがこの親方が少女に取って重大なら利用しよう。
そちらの方が”処置”よりはマシな筈だ。
糸口を探そうと俺は質問を重ねた。
「住んでいるのはここか?」
幾つかの質問の末に住所を問うと長い沈黙があった。
…当たりか?
「…いえ、違うでござる」
「どこだ?」
「松果小路教会の孤児院でござる」
「そこに親方が居るんだな?」
「…居ないでござる」
「聖輪教会とお前の仕事には関連はあるのか?」
「聖輪教会とは関係ないでござる」
「とは、か…でも教会関係者とは関係あるんだな」
「…」
彼女の表情の厳しさが増した。
ようやく隙と言えるものに突き当たったが…辺境の教会のスキャンダルで彼女を黙らせる事は出来るのだろうか?
恐らく話しぶりからして”親方”本人は教会の人間では無いだろう。教会関係者は便宜を図っている程度か?情報を公開しても幾らでもいい訳出来るような仕掛けはしてあるに違いない。
捜査機関もこの程度の情報は握っているはずだ。
正直言って打つ手が無かった。
…馬鹿な考えがまた浮かんで来た。
処置…俺の持つ短期記憶を消去する薬剤を使用しての記憶操作は上手くすれば後遺症もほとんど残らないが一定のリスクを持つのは確かだ。羌民の外見年齢が見た目通りか確認はしていないが人間とそれほど違わないはずだ。
子供に薬剤による処置をする危険性が高いのは当然だ。
俺は再び少女を見つめた。
彼女は顎を上げ俺を見返してくる。
彼女には自分の命を賭して守るべきものが有るのだ。
例えそれ以外の人間にとっては信用できない根っからの犯罪者だとしても…
「なあ、あのトランクの鍵は自分で開けたのか?」
「そうでござるが?流石に戸の鍵よりは大変でござったが…鍵開けはあまりした事がござらぬので要領が掴みにくいでござるな」
不審そうに彼女は答えた。
親方絡みの追求が続くと覚悟をしていたのだろう。
そう、それに彼女は驚くべき才能を持っている事が伺えた。
俺が機巧技師としての力を込めたトランクの鍵を簡単に開き、初見で新奇な道具の使用を把握してしまう。彼女は生まれながらの技術者なのだ。
恐らく俺よりも上の才能を持っている…それを傷つけたくは無かった。
だとすればきっと…そして。
「そうか…正直暗礁に乗り上げた気分だ…杏子、あんたは随分と手ごわい」
「あそこで見たものは誰にも話さないでござる…拙者、この部屋では嘘を吐かぬと」
「他で噂になって親方に聞かれても?」
「…」
「…ほら、一つ嘘を吐いた。我々には信頼関係が決定的に不足しているんだ」
「信頼関係?」
「もっとお互いに知合わなければならないな」
俺は羌民の少女に近付いた。
「は???」
唐突な展開に流石の彼女も頭の中は疑問符だらけになった様だった。
俺は無表情に作業を行おうとした。
「…え?もしかして麟太郎様はそっち系の趣味の??」
逃げ腰になって胸を抱く姿勢で震え始める彼女の肩を抱く。
ビクッと小動物の様に震える身体を部屋の隅に移動させた。
「あわわ…せ、拙者かなり汚いでござる!!よ?」
関係ないだろ。
そのまま部屋の中央に向き直った俺を見て彼女は再び間抜けな声を上げる。
「へえへ!?」
…と言うかそっち系って何だ?
「実際俺はあの程度を見られた位では相手をどうこう出来ない…と言うかしない。でも、これから知る事を誰かに明かしたらそれが誰であろうとお前を殺す」
「…何を言ってるのでござるか?」
そう、深みに嵌めてからの脅迫!
ディープな秘密を打ち明けてもう逃げられないと悟らせる高等技だ。
「相手も殺す。こいつの実力を知れば不可能なんて思わないさ」
不合理な行動を以って合理的な行動を取る相手の判断を拘束するMADMAN戦略に見事に引っ掛かった杏子が叫ぶ。
「む、無茶苦茶でござる!それ位なら拙者をこの場で殺した方がまだ筋が通るでござる!」
…まあそう言う考えも有る。
しかし俺は彼女の反応を知りたい。
錬金術が…人間の営為がどれだけの事を成し遂げるのか?
それを知っても他人の財布をスリ取る事だけで満足できるのか?
確信がある訳でも無いのにこんなハイリスクな行動を取るなんて滅多に無い事だった。エリスが聞いたら卒倒しかねないだろう。
でも確信は無いけど予感はあった。
…何かが変わると。
つまり俺はこの羌民の子供に興味が湧いてきたのだ。
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