第6話 第一部 南方編 亶州 1891年11月4日-3

 ひっくり返された俺のトランクの中身の山からまだ小さな子供の尻が飛び出していた。

 ボロキレに包まれたその尻は何やらごそごそと荷の中を探っているようだった。それからそれは一旦動きを止めると華夏語でボヤきながら俺の下着を乗っけたまま頭を上げた。


 その後ろ向きの頭、と言うより髪を見た俺はこの世の不条理を嘆きたくなって来た。


 ここは港近くの宿屋の二階の一室。

 俺が昼間に取って置いた部屋だ。

 戻って来た俺は部屋で灯りを点けたまま堂々と俺の荷を探る小さな空き巣を見付けたのだ。


「あんた一体ここで何をやってるんだ?」

 俺は共通語でその気持ちを現す。

 こいつには通じる事が分かっている。


 びくんと華奢な肩が震える。

 パンツの下の髪の毛は白い巻き毛…地元の亜人である羌民(チアンミン)の特徴だ。髪の下には小さな角の痕跡が認められる筈だ。

 その巻き毛に赤毛の筋が幾つか混じっていて、そこだけ残して作った総が幾つか首筋に垂れていた。

 これは種族の特徴ではなくこの少女のものの筈だ。

 バツの悪そうな笑いを浮かべた顔が振り返り俺はそれが正解である事を知った。

「ひ、昼間は忝うござった」

「…確かもうしないって言うのが条件だったよな?」

「…」

 彼女とは知り合いだった。

 いや、過去形で語るほど旧知の仲では無いかも知れない。

 彼女と初めて会ったのは今日、港に上陸して間も無くの事だったからだ。


 それは呆れる程陳腐な出来事だった。


 波止場に着いた俺が宿の当たりと人力車夫を探していると目の前の路地から泥塗れの布切れの塊が転がり出て来た。

 華夏語の怒号が飛交い続いて数人の男たちが飛び出してくる。


 トラブルに巻き込まれるのは嫌だったので俺は引返そうした。


 …しかし、トランクが動かない。

 最新の車輪付きの奴にしたのが仇となったか?

 ため息を吐いて俺は再び振り向き、何か噛んだのか車輪が壊れたのか確かめようとしゃがみこむ。

 すると俺は涙ぐんだ黒く円らな瞳と目を合わせる事になった。


「…その手を離せ」

 果たして通じるのか疑問に思いながらも一応警告する。

「た!助けてくだされ!拙者人買いに追われて大ピンチなのでござる!」

 通じた。

 しかしその子供が話した共通語は滅茶苦茶だった。

 蓬莱方言を更に適当にした感じ…一体誰に教わったのだろう?


 何にせよこうなったら事実を確認しなければならない。

 俺はちょうど取り囲む様に立ちはだかる数人の胡服姿の男達の一人に問い掛ける様に目を合わせた。

 そいつは一瞬戸惑ったようだが誰かが言葉を発するとゆっくりと首を振った。


 俺は再びその目の付いたボロ切れに向き直る。

「あ、悪党が正直に言う訳ござらぬ!拙者山から出て来たばかりのところを晩飯をあげると言葉巧みに誘われ、哀れ悪党どもの…」

 俺はその子供をつまみ上げた。

 その瞬間そいつが慌てて分厚い財布を布切れの間に隠すのが見えた。

「旦那、その羌蛋(チアンダン)は向こうの通りで私の主人の財布を掏り取ったんで御座いますよ」

「みたいだな…」

 先ほど言葉を発した男が答えた。

 リーダー格の様で装飾の入った柳葉刀を下げている。


 羌蛋と呼ばれた亜人の子供の顔色がみるみる青ざめて行った。白の巻き毛に赤の総が幾つか混ざる髪の毛が心無しか萎れた様に見えた。

「なあ、俺がこの子供をあんたらに引き渡すとどうなるんだ?」

「やめるでござる!!幼気(いたいけ)な女の子をあんな連中に投げ与えるなんて人で無しじゃ!勘弁してくだされ!」

 女なのか?

 汚れきったボロ布を纏った痩せっぽちの身体からは性別を想像させる様な何の徴候も見られなかった。


「…財布を取り返すだけで御座いますよ」

 まあ、それは嘘だろう。

「嘘でござる!嬲り殺しにする気でござる!」

 俺は再びため息を吐くと、男が答える。

「…もし、御信用頂けないなら警察に突き出しても結構で御座います」

 それを聞いたその子供の反応は激しかった。

「い、嫌じゃあ!警察だけは勘弁でござる!」

「スリってそんなに罪が重いのか?」

「この羌民は累犯で御座いましょう。常習犯なら首が落ちる事も御座います」

 どうしようも無かった。

 俺と男は目を見合わせた。


「…せ、拙者を戻して欲しいでござる」

 しばらく間があってその子供がポツリと呟く。


 俺は男を再び見た。

 その他の男達もリーダー格のその男が冷静に話しているので興奮が冷めて来ている様だった。

 男が苦笑した。

「主人の面子も御座いますのでそのまま放免する事は出来ませぬが殺したり、障害が残る様な事にはしませんよ」


 財布を返しトボトボと連れ去られようとするその亜人の子供の姿を見る内に馬鹿な考えが浮かんで来た。

「なあ、失礼だったら謝るがあんたらの主人の面子って金で買えるのか?」

 男が振り返る。

「申し訳有りませんが我が主人の面子には値段を付けられません」

「…そうか」

「ただ…旦那、あなたは冒険者では有りませんか?」

「…ああ。よく分かったな」

「保鏢(ようじんぼう)じみているがそこまで崩れている訳では無い…殆どあてずっぽで御座います。南方には長い間いらっしゃるのですか?」

「…期間は言えないがしばらくは」

「ではお名前をお聞かせ頂けますか?借りを一つと考えて頂けるならこの子供を手放しても主人は許してくれるでしょう」

「…分かった」

 金より高く付くと思ったが乗りかかった船と考えるしか無かった。

 俺はその後もう盗みはやるなと約束させてその羌民の子供を解放した。


 …本当に馬鹿な考えだった。

 もちろんそんな約束を守るとも思えなかったが…まさか自分の部屋で空き巣をされるとはどんな不運な偶然なんだ?


「あんた空き巣もレパートリーに入れてたのか?」

「いやー、あんまり得意でないゆえしませんな。あ、拙者、杏子(シンツィ)と申す」

 …如何でもいい。

 馴れ馴れしく笑うな。

 それに得意じゃ無いって事は無いだろう。

 そのトランクの鍵は俺が付け替えて特別に調整したものだ。空き巣でその道数十年のプロにも破られない自信がある。

 一人でやったのなら天才と呼んでやる。


「はあ?じゃあ、今してるのは何だ?」

「空き巣…でござるな」

「意味がわからん」

「ああ!拙者が普段やらない空き巣を志し申したのはここが麟太郎様の部屋だからでござる」

 偶然じゃ無かったのか!


 いや、それでも意味が通じなかった。

 ジェネレーションギャップなのか?

「…やっぱり意味がわからん」

 取り敢えず鍵の謎はどうでも良くなった。

 最悪な予感がする。

「えーとでござるな…それは麟太郎様が良い人だからでござる!だから例え捕まっても笑って許して貰えると拙者踏んだのでござるよ」

 にっこり笑ってとんでもない事を答えた年端も行かない少女を俺は唖然として眺めた。


 人生の不条理に直面した時に人の取れる態度は二つだけだ。

 それを受け入れるかそれとも拒絶するか?

 心を広く取って事態を受け入れ次の対策を考える事は素晴らしい事だと思う。一方、拒絶が悪い訳でも無いと思う。

 人間の心にキャパシティが有るのは当然だし、拒絶のエネルギーが事態を打開する事もある。


 それを踏まえて今回の事案を考えよう。

 受け入れない場合は簡単だ。このまま杏子を警察に突き出せばいい。


 一方、受け入れる…つまり彼女がどうしてそう考えたかを理解してより良い次のステップを考えるのは少々冷静になる時間が必要だ。


 俺はじっと彼女を見た。

 羌民の少女は何となく居心地悪そうに笑顔を張り付けたまま身じろぎする。

 …早く俺のパンツを置け。


 彼女が非常に貧しいのはその服装を見ても分かる。

 更にさっきの会話でも差別語染みた言葉で彼女の種族が呼ばれていた事を考えるとこの地方で羌民が差別されているのも容易に想像出来る。

 だとしたら彼女の心がこの様に荒みきってしまうのも当然だろう。

 誰が悪いのでも無い、社会が悪いのだ。


 よし理解した。


 とすると次のステップだ。

 俺と追っ手のリーダーは彼女が警察を嫌がるのを厳罰に処されるからと解釈した。

 …本当にそうだろうか?

 もしかしたら親代わりの老刑事とかが居てバツの悪い思いをするのが嫌だったのかも知れない。或いは本当は大金持ちの娘で親バレするのが不味かったのかも知れない。

 だとしたら彼女の矯正の為にもここは心を鬼とするべきでは無いだろうか?


 何が真実か敢えて問い質さない。

 彼女が正直に答えるとは思えないからだ。


「じゃ、警察に行こうか?」

 論理的にどの選択をしても結論が同じならそれが正解という事だ。


 しかし彼女は思っても見なかった答えにパニックに陥っていた…大袈裟な。

「ひいいいいいい!勘弁じゃあああ!」

 逃げる事も忘れて手足をバタつかせるだけの彼女を確保しようと俺はトランクの方に近付く。


 すると彼女は俺の方を呆然と見つめる。


 …やれやれ。

 俺は手持ちの鞄を床に置き両手を自由にすると<鞄の一つを後ろに蹴り出した>。


 彼女の瞳に映る”軌跡”が大きく乱れた。


 滑って来る鞄に足を取られて大きく姿勢を崩した男が振り向いた俺に首筋を晒す。

 直剣による奇襲に失敗した誰とも知らぬ南方人の”そこ”に俺は手を当てた。

 手首の動きと共にせり上がった突針に込められた魔力がそいつの硬化帯をゴリゴリと削る。

 硬化帯とは練気術と言う体内の魔力を精錬して身体機能を高める術で作られる力場だ。体表に拡がるオーラを強化するタイプで様々な機能、主に防護系の能力を持たせる事が出来る。

 誓約諸国で戦闘訓練を受ける人間は大概習得している。


 こいつもそれ相応の強度で対断裂帯を展開していたが、俺の暗器に仕込まれた術式の魔力の方が勝った。

 針先が僅かに体内に穿入する。

 直後に発動した針先の刻印に込められた錬金術の術式によって中枢神経の一部を焼き切られ男は絶命した。


 俺はそのまま男の背後に続く第二の襲撃者に相対する。

 ある程度の規模の練法を練り上げる時間があった為にそいつが振り抜いて来る青龍刀にはかなりの気が篭っていた。その一撃が掠めでもすれば俺の服に仕込んだ楔帷子など簡単に弾け飛ぶだろう。

 刀の作る軌跡が延びて俺の腹を切り裂いている。


 俺はその望ましからざる未来を避ける為にステップを踏み脇のベッドに飛び乗る。練気術で筋力を強化した男の速度は俺を上回っていたが勢いを乗せようとに大きく振りかぶっていた為、対応するのが遅れた。

 結果として俺はその一撃を逃れベッドの上に降り立った。


 見回すと杏子の姿が見えなかった…いや、衣類の山の下だ。特徴的な髪が一部見えていた。いち早く逃げ込んだらしい。


  直ぐに何かが弾けるような音がして男が崩れ落ちる。

 男を倒したのは俺が左手に持った拳銃…の紛い物だ。金属の弾体を圧搾空気で打ち出すオモチャ見たいな代物だ。

 ”本物”の拳銃を殺傷力を確保するレベルで操るには俺よりもっと高い魔力が必要となる。

 まあ、実際はちょっとした改造をすれば俺も使えるのだが、商売に役立つので俺は自分特製の紛い物を使う様にしている。


 華夏語の指示が飛び扉から続こうとした三番手が扉の陰に隠れる。

 錬金術師と言う単語が含まれていた。

 ここに来るまで何度か聞いたのでそれは覚えていたのだ。

 世間では銃と言えば錬金術師のものと言う認識がある。

 俺が誰か知らないで襲撃を掛けたのか?


 しかし襲撃者達は考える暇を与える気は無いようだった。

 一斉に襲撃して銃撃を飽和する気だ。

 扉の両側向こうの壁に四人の敵が張り付く。

 それから外の軒を伝って三名が接近している。

 廊下には更に後詰めが指令を発した人物、恐らく指揮官を含めて五人…かなりの大所帯だった。

 先陣の実力から考えて平均は青銅、指揮官のランクを推測出来るものは無いけど銀未満という事は無いだろう。

 一斉に殺到されたら不味い事になる。


 ただ、準備が整うまで待ってあげる義理は無い。

<俺は頭の位置が特定出来た一人を壁越しに撃った。>


 薄い木の板に漆喰を塗っただけの壁は”銃弾”に対しては無力だ。

 展開途中の硬化帯を弾かれた見えない敵が倒れる音がした。それでも弾体は運動エネルギーをかなり失っている筈なので死亡する事は無いはずだ。


 それに触発されて扉の残りの三人が室内に突入して来る。

 それに引きづられる様に後詰めも行動を開始した。

 窓の外の連中の動きは変わらない。


 突入して来た三人は背中の大刀では無く腰の短剣を構えていた。室内での連携を重視したのだろう…嫌な連中だった。


 後詰めの先頭を切った指揮官は一人を引き連れ此方では無く窓の方に向かう。俺がそちらから逃げるのを警戒したのだろうか?


 俺は窓に向かうつもりは無い。

 何故ならこのベッドの上が一番有利だからだ。


 残りの後詰め三名は二名が続いて突入して最後の一名は扉の向こうで弓を構え始めた。

 射手は実はもう一人居て続いて突入した二人の一方は弦の張った弩弓を手にしている。


 幸いにして軽機甲を着込んだ奴は居なかったが全部倒すのはかなり骨の折れる仕事になるだろう。


 この数秒で対応しなければならない脅威は四つ。

 弓手と最初突入して来た三人だ。


 俺は一番危険性の高い弓手を撃ち殺した。

 彼が倒れ、狙いの外れた高威力刻印矢が壁の書画を壁材ごと吹き飛ばす。


 その刹那刃を閃かした三人の剣士がベッドの上に乗り込んで来た。

 …無粋な連中だ。


 そこで一番先頭の剣士が足を絡れさせた。

 “鞄”にまた爪先を引っ掛けたのだろうか?

 指揮官の舌打ちが聞こえる。


 それは俺が直前に姿勢を変えた方向と重なり残り二人の未来の剣先の軌跡を俺の身体から外してしまった。


 先頭の一人の軌跡は元から見えない。

 絶命して居たからだ。


 俺は死体を盾にする為手で残りの剣士へと推しやり一人を突針で攻撃し一人を銃撃しようとした。


 しかし俺はその動作を完結出来なかった。


 …指揮官が動く。


 それを察知した俺はそいつの”軌跡”を把握する為に振り返ら無ければならなかった。


 彼は長穂剣(長い総付きの直剣)を刺突する形勢で硬化帯を重ねて突っ込んで来た。

 鋭角的な印象を与える男の練気術のランクは金相当か銀でもかなり上位だ。銃弾の刻印では奴の硬化帯を破れるか微妙だった。

 何本もの軌跡が俺を染める。後ろの二人がまだ俺を狙って居る以上、対応は手持ちの手段だけで行わなければならない。

 一気に状況が厳しくなった。


 まず銃撃。

 …やはり弾かれた。

 それでも銃弾の衝撃で姿勢が崩れ軌跡の位置はかなり乱れた。


 ほとんど同時に突針をケースからスライドさせる様に投擲。

 暗器の霊力堆(マナストレージ)の容量全てを使って貫通力を高めた攻撃は相手をかなり警戒させる。

 奴が足を踏み締めてそれを剣で弾くと軌跡は俺の頭を幾つかかすめるだけになる。


 俺は身を屈め短剣を抜くと反撃に出ようとした。


 その時共通語の警告が室内に響き渡った。

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