第4話 第一部 南方編 亶州 1891年11月4日-1

 龍の浮彫を施した両開きの戸を開くと上品なマナーとは縁の無い酔客達の怒鳴り声じみた会話が俺の耳を打った。

 一歩を踏み出すと酒場の大広間の正面の横木に掲げられた二枚組の扁額(へんがく)が目に入る。そこには「何以解憂(なにをもってうれいをとく) 唯有杜公(それはさけのみにあり)」と大書してあった。俺は華夏語を解さないが旅の途中の酒場にもあって飲酒を勧める諺らしい。

 良く考えると必ずしも場所に合ったモットーでは無いのだが、冒険者達は素直にその勧告に従って大騒ぎを繰り広げている。


 見回すと亶州(ぜんしゅう)の冒険者協会は種族の坩堝だった。


 並んだ赤提灯が照らすほの暗い大広間で飲んだくれる冒険者達の中で一番多いのはそれでも人間だったが、獣人はそれに匹敵する位居たし、エルフやドワーフ、邪妖精と言った妖精族も何人か屯っていた。珍しい鬼族や俺にはよく分からない種族もいて入って来た俺をチラッと見ると直ぐに興味を無くして仲間との話に戻って行った。

 扉の外は俺と同じ南方人と呼ばれる黒髪に黒い瞳を持った人間がほとんどだったから現地人の使いとでも思ったのかも知れない。


 確かに俺は軽機甲(ライトアーマ)の類いも付けて居ないし魔法杖の様な目立つ収束器(コンヴァージェンタ)も持っていない。

 服は黒の革のツナギで手に革張りと金属の鞄を二つ下げているだけだ。腰には西方様式の短剣も下げているけど気取った現地の人間でも持っているものだからそう間違われても仕方無かった。


 でも俺はれっきとした冒険者、冒険者協会員だ。古竜のエンブレムの入った協会員証も持っている。

 だからここで飲む最初の一杯もタダになる。

 俺は正当な権利を行使する為に亞人たちを掻き分け大部屋の奥にしつらえられた西方式のカウンター席に着いた。そして中に立っていた鞣革のベストを着た冒険者風のやたら乳のデカい獣人の女に協会員証を提示した。

 愛想笑いを浮かべていた女の目が僅かに細められる。


「え?ちょっとあなた…」

 それより大きな反応を示したのは隣で鬼族の女と談笑していたダークブラウンの髪を縦ロールにした人間の少女だった。バーテンダーよりは倹しい胸をした少女の瞳の色は翠だった。妖精の血でも入って居るのだろうか?南方系がメインだけど種族不明の美しさがあった。

 ついでに言えばその隣の連れの赤毛の鬼族の瞳もそうだった。血のせいだとすると相当に珍しい。鬼と妖精は全く居住域の異なる少数種族だからだ。


 ただ俺にはどうでも良かったし、関わり合いになるつもりも無かったので無視して注文を続けた。

「ジントニックを一杯」

 今度は獣人の目が大きく開かれた。

 茶に少し金の粒の入ったその瞳は随分表現力豊かだ。縦にスリットの入った瞳孔は猫系の獣人のものだが割と人に近い風貌なので獣化しないと本当の種族は分からないだろう。

 直ぐに苦笑する様に再び細められた瞳は俺の提示した黒いカードを指で軽く突いた。

 偽造だとでも言うのか?


 カードをひっくり返す。

 麟太郎・リーストン/18才/人間男性/魔動錬金術師(マギナリーアルケミスト)―顔写真も半年前のものだ。丸眼鏡を掛けた瘦せぎすの男が此方を睨んでいる…現実の俺より目付きが悪過ぎる様にも思えるがこんなものだろう。

 表記に不整合なところは無いし魔力透過器に掛ければ真正性も確認出来る筈だ。協会の会員証はそれ程簡単に偽造を許す様にはなっていない。


「…年齢欄を見て?他所じゃ知らないけどここじゃ未成年にアルコールは出さないのよ」

「街が埃っぽ過ぎる…南方に来てからずっとそうだ。大体20が成年に成ったのは一昨年からじゃ無いか?勘弁してくれ」

「その前は18よ…あんたが成人だった時は無いわね。本当わざわざ快適なシャロウスピルからお呼びだてしといて申し訳無いんだけどやっぱりダメね」

「あっちも潮風が酷くて飲まずに居られなかった…いや、そういう事人聞きのある所で言うのかここは?」

「この騒ぎよ。誰も聞いて居ないわ」

 俺のヘタなノリ突っ込みは当然の如く無視され、協会員の個人情報を公然と暴露する職員への抗議も軽くいなされてしまった。

「やっぱりそうだったのですわね!あなた火…」

「聞かれてるじゃねえか?」

 さっきから無視されてイラついていた少女が猛然と口を挟むのをぶった切って獣人の女に返す。

「…彼女達は良いのよ」

「そうですわ!私は魔術師の亜耶音、そしてこちらは…」

「おい!話が見えないんだが…これじゃまるで…」

 確か俺が此処に来た理由である依頼は単独の仕事の筈だった。


 俺がここしばらくの住処にしていた星辰海沿いの港町シャロウスピルの冒険者協会に大陸級の広域依頼が入って来たのは二ヶ月程前だった。

 南方の奥地の都市、亶州の共同租界の警備隊が導入した最新式の自動機(オートマトン)や魔動騎(マギナリーキャヴァリエ)の稼働に難儀して居るので詳しい人材が欲しいと言うものだった。こう言う仕事を請負うのは錬金術師でも特に俺の様な魔動錬金術師と呼ばれる騎士が駆る魔動騎や自律戦闘機械であるオートマトンなどの機構に詳しい連中だ。もう一種類の現代錬金術兵器の代表である収束機(コンヴァージェントマギナリー)に付いては魔術も相応に勉強した双修と言われる連中が必要になるがそちらの整備はこの仕事には入っていなかった。

 ただ言っておくが”そちら”が俺に出来ない訳じゃない。


 それは稼ぎも良いし正に俺向きの仕事だった。

 何よりこういった業務は専門性が全てなので単独依頼になる。現地の職人は使うことになるだろうが他の冒険者との絡みは無いのが普通だ。

 現に募集要項にも指導顧問一名とあった。俺は鵜の目鷹の目の冒険者が余り好きじゃないのだ。


 …が俺は放置した

 南方の、しかも海岸線から離れた地域は遠過ぎるのだ。片道だけでも鉄道、航路を乗り継いで一ヶ月は掛かる。前の依頼でかなり実入りが良かったので少し休暇を取ろうと思っていた事もある。


 冒険協会の本務である”因子”絡みの仕事には直接的には向いてない為に魔動錬金術師の協会員は少ない。それでも戦闘錬金術師(コンバットアルケミスト)や魔術師(メイジ)でそれなりの技能を持っている奴はいるし、この程度の仕事が方面本部を跨いだ依頼になる事は滅多に無かった。

 よほど困って居るのだろうが直ぐに地元で手空きが現れて消えるだろうと思っていた。

 しかし依頼は三週間経っても消えなかった。


「麟?南方の依頼がまだあるの知ってました?」

 俺が石畳の通り沿いのカフェでアクアビット入りのコーヒーを飲んでいるとエリスが声を掛けて来た。

「…随分仕事熱心だな」

 それににっこり笑って応えると彼女は俺の隣に座った。

 正確に言うと俺の座っている椅子のちょっと空いているスペースに強引に尻をねじ込んのだ。その上大きな胸を俺の腕に押し付ける。

 そして俺の“レンズの入ってない”眼鏡を取り上げると間近で瞳をうるうるとさせて見つめて来た。

「何の真似だ?」

「こうやって落ちない男は居ないってばあちゃんが言ってた」

「何でばあちゃんなんだ?…いや、安売りするなよ」

「安売りじゃないんですけどね」

 パッと全てを離す様に立ち上がったシャロウスピルの冒険者協会長は対面に座り直した。人質にする様に俺の眼鏡を手で弄ぶ。

 返してくれ…


 青の瞳にヘーゼルの髪、長身の典型的な北方人の容貌の彼女は武装戦闘師(マギナリスト)、あらゆる個人兵装の専門家だ。彼女が若くして協会支部長に成ったのはまあ、親の七光りって奴だが本人は職務に過ぎるくらいに熱心だ。

 本当はもっと依頼を受けて腕を上げたいと酔った勢いで俺に零した事もあったが平常の彼女はそんな事はおくびにも出さない。あらゆる手管を使って依頼を融通する冒険者協会職員の鑑だ。


「直接向こうの支部長から泣きが入っちゃったんですよ。お高い照応鏡を使った通信で1時間も粘られたら誰でも根負けしちゃいます」

「そりゃ…」

 でも、そんなに南方って魔動錬金術師の層が薄かったのだろうか?

 俺の疑問にエリスは肩を竦めた。

「南方西部で軍閥同士のイザコザが有ってですね、扶桑とマーデリアが魔動機材を掻き集めてるんですよね」

 それに伴って整備に必要な人材も掻き集められたと言う事か。

「介入するのか?」

 列強が介入するとなれば冒険者協会どころか現地に入り込んでる私設顧問連中まで総浚いだろう。辺境の都市の警備隊には手も足も出ない筈だ…例えそれが列強の末端の手先である共同租界の役人だとしてもだ。

「さあ、そこまでは…紛争の規模が拡大しない様に戦略物資の供給を絞ってるんじゃないか?って見方もあるみたいですけど」

 それは善意に見過ぎてると思うが事情は分かった。


「それで俺が依頼を受けなきゃならない訳は?」

 困った様に顎に手を掛けて考え込む彼女の姿を見て俺は少し後悔する。

 彼女には借りが幾つもある。

 色香に迷った訳でもないが彼女がもう一押しお願いをしたらどんな裏があっても俺は受けざるを得ないだろう。

 しかし、彼女は真正面に俺の疑問に応えた。

「真面(まとも)な依頼だからです。現地領事委員会は差し迫った”因子”の脅威に備えようとしています…」

 なら俺には受ける以外の選択肢は無かった。


 エリスとの会話を思い出した俺は何処にも他の冒険者、しかも専門外の魔術師や(恐らくだが)機甲拳士(アーマボクサー)の入る余地の無い事を確認した。

「俺は単独の依頼しか受けない…それにこいつらが役に立つとは思えない」

「でも!あなた黒カードじゃない…この依頼には事情があって…」

 どんな依頼だって受けた時点では把握しきれない事情はある。大体冒険者協会に持ち込まれる時点でワケありなのだ。それも含んで俺は仕事をしてきた。余計な配慮は却ってトラブルをひき起こす。

「はあ、なるほど…大方暗殺か襲撃の危険があるって事だな?心配ない」

「な…」亜耶音とか言う少女が驚いた様に息をのんだ。

 当たりらしい…分かり易い女だ。


 冒険者協会の会員は使える対因子討伐能力によってランク分けされる。討伐能力は古龍が扶桑国に与えた二つの魔法技術、近代魔術と練気術の能力に比例する。この能力は魔力を鍛錬し技術に落とし込む事によって成長する。そしてそれは因子が関与する以外の敵対的な状況でも力を発揮する。

 従って見習いは別にしても十干が割当てられた正規の十等級を登るほど戦闘能力が向上する事になる。冒険者協会員なら癸級でも列強の正規兵並みの戦闘力を持つのだ。

 因みに十干の正式名で等級が呼ばれる事はあまり無くカードの色から連想される金属名の鉛 (癸)、青銅(壬)、銀(辛)、金(庚)、プラチナム(己)、ミスリル(戊)、オルハリコン(丁)、アダマンタイト(丙)、ヒヒロカネ(乙)、賢石(甲)で通称されるのが普通だ。

 ただ協会の仕事をするのに特殊技能が必要となる場合がある。錬金術関連が代表的だが人類が古龍の魔法技術を応用して開発した技術の能力は討伐能力では測れない事が多い。その為そういった技能保持者を迎えるために通常のランク外の正規協会員用のカード、黒があるのだ。しかし、そう言った技能のほとんどは直接の戦闘能力とは関係ないサポート用のものだ。

 だからそう言う心配をされるのは分かる。しかし俺には本当に必要ないのだ。そしてその理由を他の冒険者にはあまり明かしたく無い。

 結論として俺は極僅かの例外を除いて単独依頼しか受けない事にしている。


「…どうしてもと言うなら俺はこれで帰らせて貰う」

「分かったわ、連絡も行き違いになったみたいだしそれは謝罪するわ」

「こいつらは?」

「うーん…亜耶音、緋衣?悪いけどお払い箱よ…あんた達を振るなんて勿体無い話だけどね。埋め合わせは今度するから…ね?」

 顔を真っ赤にして抗議を捲し立てる少女と諦め顔で腕を組む鬼族の娘をちらっと見ながら獣人の女に声を掛ける。

「おい、ここは環境が悪いな…こんな所で話をするのか?」

「奥に部屋があるわ…それにしてもトラブルしか起こしそうに無いわね、あんた。あたしも追い返したい所だけど支部長がこの件はご執心なのよね」

 げんなりして何のプラスの感情も表現しなくなった瞳が失礼な言葉を並べ立てる。名前も名乗る気が無いらしい…知ったことか。


 獣人の女は脇の引戸を開けた。

 俺を目線だけで誘い奥に進もうとする。

 流石に翠目の二人組はそこまでは付いてこない。

 少女の方は凄い目で俺を睨みつけていたが気にしない事にした。育ちは良さそうだし闇討ちって事も無いだろう。

 俺は大広間を後にした。



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