ツイオクノユメ *
人間が生まれるよりも前、最古と呼ばれる時代に現れた竜という生物。
彼らはこの世界に生きる動植物の頂点であり、食物連鎖の覇者である。
他種族を嫌い、群れることを厭う竜が殆どのなか、とある竜が人間に興味を持った。
人間の生活を観察し助け、守った竜はやがて「聖竜」と呼ばれるようになる。
彼の竜は死ぬ時まで人を守り続け、傍に人を置き、人は聖竜を信仰した。
それをきっかけに、竜達の中から人間と良き関わりを持つものが次々に現れ、聖竜の名は一体だけを表すものでは無くなった。
聖竜は時に、災害から人間を守った。
聖竜は時に、人間に知恵を貸した。
竜という種族は人に寄り添う万能な獣、そう言われるようになるまで大した時間は掛からなかった、しかし。
人間に、悪い関わりを持つ竜も現れた。
ある一時を境に彼らは、駆り立てられるように人に牙を向いたのだ。
何故、彼らが人に怒りを向けるのか。
──分からない人間が殆どだろう、ある一部を除いては。
執拗に近づいてきては災厄を齎す竜達を、人間は「邪竜」と呼んだ。
聖竜を信仰し、邪竜を恐れた人々。
邪竜から身を守る為、人々は聖竜に縋る。
人間の懇願を聞き入れ、聖竜たちは邪竜を退けるようになった。
かつて一つだった竜種は二つに分かれ、戦いが始まり、邪竜も聖竜も「転生」を重ねて進化を繰り返した。
聖竜は強靭な体と治癒能力、奇跡とも例えられる神秘の力を手にし。
邪竜は草木を腐らせ、人の心と肉体を汚染する魔素を放つようになった。
戦い、子孫を残し、死んで、転生する。
聖竜の存在理由は、人を守り邪竜を滅ぼすことに変わった。
大空の覇者は人の守護者となり、最強種は人の営みを守る存在となって信仰を受ける。
戦いに明け暮れる命のなかで、その「変わり者」は生まれた。
最古に現れた彼の竜と同じように、人間の営みに強い興味を持つ銀翼の聖竜。
幾度となく邪竜と戦う中で無敗、人間を守護することで祀られ、転生を重ねながらも子孫を残すことは無く。
変わり者は、憧れているのだという。
──人間が作る、家庭という概念に。
絶滅を防ぐ為に子孫を残し、交わる為だけに出会い、生まれた子には一切関わらない。
そんな竜の在り方が、どうしても受け入れ難いものなのだと。
時代が流れて世界が変わっていっても、
変わり者は孤独のままに戦い続けた。
この世には聖竜と契約を結び共に生きる「竜士」という人間たちが存在する。
それは最古に降り立ちし彼の竜の、傍に控えた巫女から始まった。
竜士は聖竜の心を理解し、傷を癒やし、永き時を共に在り続ける者。
聖竜の「願い」を叶える者として、身を捧げることを望んだ人間。
聖竜が願うならばどんな姿形にもなり、どんな命にもなり得る。
不老になり、不死になり、永劫の時を縁を結んだ聖竜に預けるのだ。
人を守護する聖竜に差し出された、人間が唯一出来る返礼の形、それが竜士。
彼らは決して、無限に繰り返される聖竜の命を独りきりにはしない。
だというのに──変わり者の聖竜は、孤独を一番に恐れていながら、竜士との契約すらも拒んだ。
独りきり、決して傍らに誰も置くこと無く、何万年もの時を邪竜と戦い続ける。
他の聖竜も、竜士も、口を揃えていう。
あれは変わり者なのだ、人のことを好いているのか恐れているのか分からない、と。
「人を愛するなどと語るのだから、傍に侍らせれば良いものを。
──奴はいつまで、独りでおるのか」
***
夢を見ている。
彼女を見つけた時の夢を。
邪竜の気配を追って夜空を駆けた先には、炎上する城があった。
この世界を統べる王が住まう城だ、それを燃やし尽くさんとする邪竜の首に、食らいつくところから、夢は始まる。
竜が見る夢は、ただの過去の回想だ。
だからこそ、あの夜に起こったことを鮮明に見ることが出来る。
邪竜の首を噛み、体を大地に叩きつけたところで、感じ取った気配があった。
人間が息絶えようとしている。
世界に絶望し、自らの命を諦めようとしている。
邪竜が身を捻って、此方の縛りから脱し空高く舞う。
それを追って飛び上がりながらも、己の思考は別のところにあった。
この者は、幸せが何か知らないのかと。
最初に生まれてから数万年、その間ずっと人間を守ってきたが。
未だに分からないことがある。
何故、人間は簡単に命を投げ出すのか。
何故、幸せや愛を知らぬ人間がこの世には存在するのか。
全てに絶望した気配を持つこの人間を側に置けば、何か分かるのかもしれない。
「どうして君は、諦める」
彼女を助けた理由は、興味だった。
彼女の体を操り城から抜け出させることは、難しいことではない。
それこそ喉笛を噛みちぎるよりも簡単だ。
邪竜の首を咥え、何の抵抗も起こさない人間に疑念を抱きながら飛ぶ。
この頃はまだ、興味が「想い」に変わるなど考えもしなかったものだ。
何が起ころうと、自分は永遠に独りなのだと思っていたから。
彼女の姿は、正しく死にかけだった。
数多の血と傷を見てきたが、人間が人間に切り刻まれて出来た傷は、初めて見た。
酷い有様だと思う、この傷を与えた者は彼女に何の恨みがあったのか。
こんな惨いことが出来る人間がいるなんて、想像もしたことがなかった。
人間は恋をして家族を作る生き物なのに、優しさや慈しみを持てる体で、こんな残酷なことが出来るだなんて。
彼女は息をし、心臓を動かしていても、
生きているとはとても言えない。
光無き瞳で見つめてきた彼女は、やがて意識を失い、生と死の狭間をさ迷い始める。
神秘を伴う竜の舌で彼女の体を治癒し、命を救うことには成功したが、その体に無数に刻まれた傷跡は消すことが出来なかった。
まるで戒めのように刻みつけられた傷跡。
彼女を口に咥えて、片足で邪竜の頭を掴んで飛び上がる。
そろそろ、回想も終わりだ。
シャーナに凄く驚かれたところで。
――夢は覚めた。
***
「ニール、起きてください」
エルフィが呼び掛けてくる声を聞いて、ニールは身を起こす。
重たい巨躯から鱗が剥がれた、そろそろ新しいものに変わる時期だ。
「よく寝入っていましたね、お昼になりましたよ、お腹すいてるでしょう」
小首を傾げながら問い掛けてくるエルフィの、海の色をした髪が風に揺れた。
出会った当初はくすみ、痛みきっていたその髪も、今は艶めいて甘い花の香りがする。
瞳は明るく、夜空のような藍色だ。
自分を好きだと言ってくれる女の子。
「ニール、どうしました?」
「夢を見ていた」
言葉を交わすのはあまり得意ではない。
だが、エルフィはニールの声を好きだと言ってくれる、落ち着く声だと。
ヴァンのようにお喋りではない為に慣れず、短く話すので精一杯だ。
人は会話をする、発声という点ではとても便利そうである。
人の姿になれば、流暢に話すことも出来るだろうか。
ニールは自分の身体構造に拘りが無い。
己を証明する要因が姿形ではなく、別の部分にあるからだ。
もっと言えば竜種としての肉体に煩わしさを感じる時の方が多いくらいだった。
特にエルフィと会話し難いのが気に入らない、弾まない、腹が立つ。
(一度アレを試してみるのもありだろうか)
胸の内でそう呟いていると、エルフィが不思議そうな顔で問い掛けてきた。
「どんな夢を見ていたんですか?」
「……それより腹が減った」
「はいはい、あっちにご飯用意してありますから、鹿肉がいっぱいですよ。
わたしも横で食べていいですか、ニール」
片手に下げた籠を揺らしながら笑うエルフィに、ニールは勿論だと頷く。
何となくニールは、エルフィのその嬉しそうに緩んだ頬を舐めてみた。
神秘を伴う竜の舌、傷を癒すこともあれば、人の肌など簡単に引き裂くこともある。
だから加減して、慎重に舐めあげた。
「くすぐったいです、なんですか?
ニール、最近こんなことばかりして……嫌じゃないですけど」
楽しそうに笑う顔、その顔が見たいからだと言ったら、エルフィは真っ赤になってしまった。
何故なのかニールには、分かるようで分からない。
「どうしたの、顔が真っ赤よ、エルフィ」
家の中から出て来たシャーナが、エルフィを見て驚く。
シャーナも自分の恋人と昼食を取るために、作業を中断して来たのだろう、エルフィと同じように小さな籠を持っていた。
「な、なんでもな……」
赤面したままのエルフィが言い終わる前に、前振りもなく、巨大な割には俊敏だと仲間内から有名な体が、エルフィに近寄った。
エルフィは病弱だ、顔が赤いということは、人間基準で考えるならつまり、体調が悪いのかもしれない。
そういうときは温めた方が良いと、ニールは聞いた事がある、つまりはこうだ。
「わっ、な、なんですか?
ニールそんな……突然っ!」
「あら、楽しそうでいいわね」
自分の体を用いてエルフィを温ませようとのし掛からんばかりのニールの動きに、叫び声を上げるエルフィを見てシャーナが呑気に笑った。
側から見たら食われているようにも見える光景だが、ニールとしてはかなり慎重に、エルフィの体に全身で擦り寄る。
エルフィはますます顔を真っ赤にしてその場に立ち尽くしていた、頭に顎を乗っけられてもされるがままだ。
平和だわぁなんてふたりを眺めていたシャーナの手に、いつの間にやら近付いて来たヴァンが顎を擦りつけ、彼女に言った。
「シャーナ、終わった?」
「ええ、今からご飯を……わあっ!」
シャーナの言葉が終わる前にヴァンは器用に鼻先を使い、シャーナを背中にぽいっと乗せる。
放り投げられて驚きながらも、ヴァンの背中の上に着地したシャーナは、彼の意図を察して呆れた顔をした。
「そんなに私と飛びたかったの?
ちゃんと夕方までには戻ってよね、もう」
シャーナは文句ありげにヴァンの鱗を指でつつくが、満更でもなさそうだ。
風圧で家を吹き飛ばさないよう、若葉色の翼が気を使って飛び立つ。
空の散歩に出かけたシャーナとヴァン。
そして庭で昼食を共に食べ始めるエルフィとニール。
仲睦まじい恋人たちの様子を、家の中から眺めていたルドーは思わず呟いた。
「嫁探しでもするかぁ……」
「ママー?」
「ままなのー?」
ぴょこりと跳ねるのは双子の頭。
ルドーは苦笑いを浮かべて、それぞれの頭を掻いてやってから、串で突き刺した掌大の鹿肉を庭に向かって放った。
娘達は歓声を上げて肉に食らいつく、今日も変わらず此方も平和だ。
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