「夫婦になるまで」
変わり者とかわりもの *
──あの夜に起きたことを、エルフィは運命だと思っている。
奇跡だとか偶然だとか、実のところ呼び方は何でもいい。
エルフィはあの時、とある聖竜に助けられ、それをとても感謝している。
命を救ってくれた彼は、エルフィに居場所をくれた。
傷が癒えるのを見守り、信頼できる家族のような友人達に出会わせてくれたのだ。
今はもう、何もかもどうでもいいなんて思わない。
死にそうになったら全力でもがいて、足掻いて何としてでも生き残ってやろうと思う。
そう思えるようになるまで、三年も掛かってしまったのだけれど。
エルフィは、今を生きている。
ちゃんと自分の意思で、両足を踏ん張って。
もう大丈夫だから、安心して欲しい。
毎日が幸せだと、この日常が愛しいのだと、いっぱいのありがとうを伝えたい。
「わたしは貴方に恩返しがしたいのです」
そう言うと決まって彼は穏やかに、きみが幸せでいるなら何も要らないという。
エルフィは彼のそういうところが好きだ、いつもそう想ってる。
***
「エルフィ、洗濯物干してくるから朝ごはん作るのお願いできる?」
「はい、お任せあれ〜!」
忙しく働き回る若葉色の髪の女性、シャーナの声に、エルフィは元気よく返事をした。
シャーナが笑いながらエルフィに言う。
「なあにその返事、何かの真似?」
「あっ、最近読んだ本の影響が……」
エルフィは本が大好きね、と楽しそうに笑って去って行くシャーナを見送ったエルフィは、庭の上に軽やかに飛び降りた。
──そう、彼女は今の今まで、寝そべる竜の背に腰掛けて本を読んでいたのである。
彼は全然、意にも返さず眠っている、その体に軽く手を触れさせ囁きかけた。
「まだ寝ていていいですからね、ニール」
返事は瞬きひとつ、エルフィは微笑んで、竜の側を離れて、家の方へ向かって行く。
さっきまでエルフィが座っていた背中に鳥達がとまった。
鳥達は微動だにしないその銀色が竜の鱗だなんて夢にも思っていないのだろう。
近くには広大な森と、綺麗な川。
自然に囲まれた場所に建つ「家」で、エルフィは、何人かの男女と共同生活をしていた。
三年も一緒に暮らせば家族同然だ、エルフィは毎日突拍子もないことが起きる日常をとても気に入っている。
皆を纏める姉御肌な女性シャーナに、ちょっと良い加減だけど穏やかな男性ルドー。
二人はエルフィの姉兄のような存在で、何かあるたびに助けてくれる。
家族はまだまだいるのだが、ひとまず人間はこれくらい。
「つかまえたっ!!」
エルフィが菜園で取れたトマトを籠から取り出して、幾つ使おうか悩んでいると、庭の方から幼子の楽しそうな声が響いてきた。
と、同時に起こる激震と轟音。
エルフィはおっとと、こぼれ落ちそうになるトマトを掴む、よしこの三つにしよう。
庭の方で取っ組み合っているのは幼子の姉妹、身を回転させるだけで土埃が舞う。
エルフィは日常茶飯事な光景を眺めながら朝食作りを開始した、今日はサンドウィッチが良いと思う、お散歩日和だから。
「次はリリが鬼なの!」
「なの!? じゃあミミはにげるのー!」
木に憩う鳥たちが飛び立つ。
今度は駆け回り始めた双子の姉妹は、ばっさばっさと翼を広げて楽しそうだ。
鼻歌交じりに調理を進めるエルフィに、居間から黒髪の青年──ルドーが声を掛けた。
「ご機嫌だね、エルフィ。
良いことでもあったのかい?」
庭で遊ぶ幼子たちを見守っていた彼は、エルフィに穏やかな笑顔を向ける。
深い森のような落ち着きをもつ彼は、エルフィとシャーナより少し歳上に見えた。
エルフィは嬉しそうにルドーの問い掛けに頷く。
「そう見えるのはきっと、今日もニールとお話ができたからですよ」
「ああ、そういうこと。
仲良しっていうのは良いものだと、君たちを見るたびに思うよ。
……あの誰にも寄り付かなかった変わり者が、まさかこうなるとは」
エルフィの言葉にルドーはそう言って、開いた窓の向こう、庭で寝そべっている若者に声をかけた。
「なあヴァン、君は今のニールをどう思う?」
「……僕が興味あるのはシャーナだけだよ、良い方に変わってるならいいんじゃない?
それくらいにしか思わないな」
「君たちと俺たちでは違うかぁ、感覚が。
まあ俺も同じ考えなんだけど」
ヴァンという名の若者はのそりと身を伏せ、喉を鳴らした。
若葉色の鱗が朝日を浴びて輝いている。
「今日は風が気持ちいいな。あとでシャーナを誘って空でも飛ぼうか」
「君は大きくていいよなぁ。あの子達はまだ子どもで小さいから」
ルドーはヴァンの言葉に、取っ組み合いをしている幼子たちを見つめた。
エルフィはその優しい目を見て頬を緩める、あの子たちが大きくなっても、きっとルドーは背中に乗るなんて出来ないだろう。
「リリ、鬼ごっこじゃなかったの?
なんで首をねらってくるの!!」
「別に楽しければなんでもいいのミミ!
お姉ちゃんを超えてみせるの!」
暴れ回る姉妹、揺れる大地。
流石に騒がしいのかヴァンが首を起こして迷惑そうな顔をする、ルドーが苦笑いしながら姉妹に声をかけた。
「朝から暴れてるとまた夜眠くなって狩りに出れなくなるぞ、ふたりとも」
「ええっ、パパが正しいことを言ってるの!」
「そんな日があるの!?」
「お前たちは俺をなんだと思ってる……」
ルドーが苦笑を深めて庭へと降りて行くと、太陽色の翼が嬉しそうに飛び上がる。
ヴァンは欠伸をしてまた伏せった、その横にエルフィは大桶に入った生の鹿肉を置く。
「はい、ヴァンさんどうぞ、おやつです」
「ありがと、ニールにも持っていったら?」
鼻先から顔を桶に突っ込んで、器用に肉を食べ始めるヴァン。
エルフィはそうしますと返事をして、新しい肉を取りに家へ戻った。
***
伏せていた身を起こすと、背中にとまっていた鳥達が一斉に飛んでいった。
微動だにしない岩とかしていた体を伸ばして、彼は空を見上げる。
良い空だ、そう思いながら振り返る。
眠たい眼に写ったのは、見馴れた庭と暇そうに伏せている若葉色の若い聖竜。
取っ組み合っている小さな双生の聖竜と、遊びに付き合わされているルドー。
彼は――ニールは、視界の中である少女の姿を探した。
探していた姿は直ぐに見つかる、此方に向かって歩いてくる、海色の髪の毛。
あの夜、生きることを諦めていた少女を助けた理由は、ある興味からだった。
だが今のニールと彼女を繋ぐ関係性には、名前がある。
何がどうしてこうなったか、思い返してみると面白い。
歩み寄ってくる彼女を、ニールは黙って見つめていた。
彼女の方も、大きな桶を重たそうに持ちながらニールに向かって笑みを向けてくれる。
「はい、ニールにもおやつです」
どんと、置かれた生の鹿肉を見て、ニールはぐるぐる喉を鳴らした。
サンドウィッチをシャーナとルドーに渡すと、皆で庭に出て食べる事になった。
聖竜たちは各々伏せていたり遊んでいたりするが、側に居たい人間の近くにいる。
食べ終わるとルドーはリリとミミの遊びに再び付き合い始めて、ヴァンとシャーナは楽しそうにお喋りを始めた。
聖竜と人間、それぞれの関係性がある。
エルフィはニールの体に背中を預けて空を見上げた。
見事なまでに晴天だ、あの中を飛んでいけたらとても気持ちが良いだろうなと思う。
いつもニールはどんな気持ちで空を飛んでいるのだろう、楽しんでいるのだろうか。
気を抜けばうたた寝してしまいそうな良い天気、エルフィは小さく欠伸をした。
──悪夢を見ることも、嫌な出来事を思い出してしまうことも少なくなった。
今の彼女の記憶からは、暗い過去がほとんど薄れてきている。
それもここにいる人達、そして聖竜たちとニールのお陰だ。
生きてきた中で、一番だと言っても良いくらい幸せな日々をエルフィは送っている。
時折、何もかもが泡の様に消えてしまうのではと、不安になることもあるけれど。
抱くのは不安ばかりではない。
「あ……」
風が吹いてきて、エルフィは揺れた髪を抑えた。
ニールが顔を持ち上げて、エルフィに擦り寄せてくる、顎を掻いてやれば嬉しそうだ。
──今のエルフィとニールの関係性には、名前がある。
それを思うと照れくさいような、恥ずかしいような気がするけれど。
命を助けてくれた、それだけでは済まないほど、エルフィの心はニールでいっぱいだ。
今まで重ねた時がそうした、この銀翼が自分をここまで連れてきてくれた。
明日も彼がいるなら大丈夫なんだ。
共にいられるならきっと、この世界をエルフィは好きになれる。
世界が彼女の敵では無いのだと、教えてくれた彼がいるなら。
「綺麗ですね、ニールは」
鱗に頬を寄せて呟けば、彼の機嫌が良くなったのを感じる。
変わり者の聖竜だと彼は呼ばれているらしい、ならエルフィはもっと変わり者だ、だって。
「わたし、貴方のことが好きです」
自分の心も意思も殺して生きていた彼女は、確かにここで生きている。
変え難い幸福な毎日を、生きている。
エルフィの言葉にニールは、顎をぐいぐい押し付けることで答えた。
とても照れ屋なのだ、この人は。
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