第242話・その想いの結末

 約二時間に及ぶ演劇が終わったあと、俺はホールの中に居るほぼ全員が居なくなるのを見計らってから外へ出た。

 それにしても、陽子さん達の演技は相変わらず素晴らしかった。もちろん、下手とか上手とか、そんな事は専門家でもない俺にはよく分からないけど、その世界観に引き込まれる様な感覚は常にあった。本当なら演劇を楽しめた気持ちを噛み締めながら帰路に着くところだけど、今日だけはそうはいかない。

 憂さんと演劇が始まる前に話をし、色々な事を思う内に、俺の中で一つの答えが出ていた。その答えがこれからの自分にどんな影響をもたらすかは分からない。でも、それでいいと思う。人生の先なんて、誰にも分からないんだから。


「……よしっ! 行くか!」


 奮い立たせる様に両拳を握り締め、気合を入れて約束の場所へと向かった。そして約束の校門前の日陰部分で二人を待ちながら、演劇を見終わった人達が桜花おうか高校の校門を抜けて去って行くのを見る。

 未だに衰えない強い陽射しを避けて陽子さんと憂さんが来るのを待っているが、時間が経つにつれ、俺の緊張感は凄い勢いで高まっていた。

 それにしても、この感覚はある意味でヤバイ。緊張の高まりと比例して心臓がその動きを速めているから、走ってもいないのに妙な汗もかいているし、息遣いも浅く早くなる。そんな俺は傍から見ると、ただの危ない奴にしか見えないかもしれない。


「嫌な緊張感だな……」


 一刻も早くこの緊張感から解放されたいと思っていたが、そんな俺の思いも虚しく、このもどかしい時間はしばらく続いた。


「――待たせてしまってごめんなさいっ!」


 校門近くの日陰で待つこと約二十分。ようやく待っていた内の一人がやって来た。


「いや、気にしなくていいよ。後片付けが大変だったんでしょ?」

「うん、本当にごめんなさい」

「本当に気にしなくていいってば。ところで、憂さんは?」

「あっ、あの、憂先輩がね、『もうちょっと時間がかかりそうだから、先に二人で話を進めてて』だって」

「そっか……それじゃあ、お言葉に甘えてそうしよっか?」

「う、うん、分かった。それじゃあ、中庭にいいかな?」

「うん、いいよ」


 緊張の面持ちで歩き始めた陽子さんのあとに続き、中庭へと進んで行く。


 ――いよいよこの時が来たんだな……。


 今まで経験した中で一番の緊張を感じながら、心臓が胸を突き破るんじゃないかという気分を味わう。

 そして五分ほどの距離を歩いて中庭に着くと、陽子さんはそこにある大きな木の下へと進んでからその木に背中を向け、神妙な面持ちで俺を見た。


「今日は本当にごめんなさい。せっかく舞台を見に来てもらったのに、こんな事になっちゃって……」

「ううん、大丈夫だよ、大切な事なんだからさ。それに舞台は凄く良かったよ! 専門家じゃないから偉そうな事は言えないけど、見る度に陽子さんの演技に惹き込まれていく感じがするよ」

「ホント? 龍之介君にそう言ってもらえると凄く嬉しいよ」


 陽子さんはそう言うと、少しだけその表情を綻ばせた。


「……あの、陽子さん、雰囲気も何もあったもんじゃないかもだけど、昨日の告白の返事を伝えてもいいかな?」

「あ、う、うん……お願いします……」


 少しほぐれていた表情が再び強張ったかと思うと、陽子さんはまるで、神に祈りを捧げるシスターの様に両手を握り合わせ、両目を強く閉じた。

 今の陽子さんはきっと、とてつもない不安を感じているだろう。どんな返事がくるのかという不安、駄目だったらどうしようという不安、駄目だった時のその先はどうすればいいだろうかという不安、そんな様々な不安が、陽子さんの脳裏を凄まじい速さで駆け巡っているはずだ。俺も過去に経験があるから分かる。


「突然だったから色々と考えたよ。陽子さんの事、憂さんの事、自分の事……」


 そう、本当に色々と考えた。一生分悩んだんじゃないかってくらいに悩んだ。そして俺は結論を出した。


「……陽子さん、本当に俺なんかでいいのか分からないけど、こんな俺で良ければ、彼女になって下さい!」

「えっ!?」


 俺の言葉はちゃんと聞こえていたはずだけど、閉ざしていた目を開いた陽子さんは、茫然自失と言った感じで立ち尽くしていた。


「あの、陽子さん? 大丈夫?」

「あ……あの、えっと……ご、ごめんなさい……」


 陽子さんは震える声で謝ると、その瞳からぽろぽろと涙を零し始めた。笑顔になるならともかく、どうして泣き出したのか分からなかった俺は、この状況に困惑してしまった。


「な、何で泣いてるの? 俺、何か変な事を言った?」

「ううん、違うの……ごめんなさい、ごめんなさい……」

「あーあ、女の子をこんなに泣かせるなんて、龍之介君はとんだ困ったさんだね」

「えっ!?」


 明るい声が大きな木の後ろから聞こえたかと思うと、その陰から憂さんが姿を現した。


「ゆ、憂さん!? いつからそこに?」

「いつから? 『本当に俺なんかでいいのか分からないけど、こんな俺で良ければ、彼女になって下さい!』って辺りにはもう居たかな」


 憂さんはいつもの様に意地悪っぽくそう言うと、ニカッと笑顔を見せた。

 するとそんな憂さんを見た陽子さんの表情が変わり、申し訳なさそうに顔を俯かせた。それは多分、憂さんに対する悪いという気持ちだ。自分が憂さんの告白を、俺に対する気持ちを届かなくしてしまったという、後ろめたい思いだろう。

 しかし陽子さんは意を決した様にして顔を上げ、憂さんの方を見て口を開いた。


「あ、あの、憂せんぱ――」

「ストーップ!! 陽子、ここで謝るとか無しだからね? そんな事をされたら私が困るから」

「えっ? こま、る?」

「そうよ。陽子に、ううん、二人に謝るのは私の方だから。だから、ごめんなさい! 陽子、龍之介君!」


 憂さんはそう言ってから深々と頭を下げた。そして俺はそんな憂さんを見て、更にこの状況が分からなくなっていた。


「あの、憂さん、どういう事ですか?」

「まあ、ぶっちゃけて言うとね、私は龍之介君の事が好きだったわけじゃないの」

「「はっ!?」」


 思わず陽子さんと反応が被ってしまった。でも、それは仕方ないだろう。誰だって今の憂さんの言葉を聞けば、同じ様な反応をすると思うから。


「要するにね、私が龍之介君にした告白は、全部嘘だったって事」

「あの、憂さん、どうしてそんな事を?」

「うーん、理由は凄く単純なんだけど、陽子が今回の舞台の役作りで悩んでたのを見て、それでどうにかできないかなって思ってた時に、今回の舞台の内容を、そっくりそのまま再現すればいいんじゃないかって思ったの」

「それで龍之介君に嘘をついてまであんな告白をしたんですか?」

「ま、まあ、そういう事かな。でも、陽子の為とは言え、今回の件はやり方が駄目だったと思う。本当にごめんね、龍之介君」

「あ、いや、正直色々と衝撃的過ぎて混乱してますけど、陽子さんの為だって事は分かったんでいいですよ」

「さっすが龍之介君だね! でもまあ、龍之介君が陽子を選んでくれて良かったよ。もしも私を選んだりしたらどうしよう――って、内心ビクビクだったからね」


 憂さんは本当に安堵したと言った感じの、晴々とした表情を浮かべた。結果としてはこれで良かったんだろうけど、俺的にはちょっと複雑な気分だ。


「龍之介君が怒ってないから、私も憂先輩を責めるつもりはないですけど、こんな事はもう、絶対にしないで下さいね?」

「うん、今回みたいな事は絶対にしないよ。でも、良かったね陽子、龍之介君に想いが届いて」

「あうっ……」

「あっ、赤くなってる~、かーわーいーいー♪」

「も、もうっ! 憂先輩! 怒りますよ!」

「おー、怖い怖い! それじゃあ邪魔者は舞台からはけますかねー♪」


 嬉しそうにそう言うと、憂さんは踵を返してホールがある方へと走って行った。


「相変わらずと言うか何と言うか、どこまでも憂さんらしいね」

「ごめんね、先輩が色々と……」

「そんなの気にしなくていいよ。それに結果論かもしれないけど、憂さんの行動が無かったら俺は陽子さんの気持ちに気付けなかったし、陽子さんも俺に告白しようとか思わなかったんじゃない?」

「そ、そんな事はない……とは言い切れないかな……」

「ははっ、なんだか色々と急展開だったけど、これからよろしくね」

「うん、よろしくお願いします」


 俺が差し出した右手を見て、陽子さんは恥ずかしそうにその手を握った。その手に感じる柔らかな温かみは、前に水族館で擬似恋人デートをした時に握った時よりも熱く感じる。


「そうだ、夏休みが終わるまでに暇はあるかな?」

「えっ? どうして?」

「ちょうど水族館に行きたい気分だったから、一緒にどうかなと思ってさ。今度は恋人の真似事じゃなくて、本当の恋人として」

「龍之介君……うん、行く! 一緒に行きたい!」

「よっし! それじゃあどこを見て回るか、一緒に計画を立てよう」

「うん! 龍之介君、大好きっ!!」

「おっと!?」


 そう言って陽子さんは俺の右腕に力強く抱き付いた。そして俺は、嬉しそうな笑顔を浮かべる陽子さんを間近で見ながら、この笑顔をいつまでも大切にしていきたいと思った。





アナザーエンディング・雪村陽子編~Fin~

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