第184話・妹の気遣い

 始まりはいったいどこだっただろう。

 お姉ちゃんが苛めを受け始めた時からだったのか、引っ越しをしたあとに男性としての生活を送り始めた時からだったのか。それとも、あの人に恋心を抱いた時からだったのか、それは私にも分からないし、きっとお姉ちゃんにも分からない。

 でも、一つだけはっきりと分かっている事はある。それは、私がお姉ちゃんの心の欠片かけらから生まれ、お姉ちゃんの想いから存在する様になった――という事だ。

 傷付きやすく繊細なのに、思ったよりも頑固で我慢強い。それでいてとてももろく、いつも周りの視線を気にしている。それが私のお姉ちゃん、涼風まひろ。

 そしてそんなお姉ちゃんの中に生まれた私は、妹の涼風まひる。


「少し遅れてる。急がなきゃ」


 時刻は午前十時を少し過ぎたところ。

 お姉ちゃんが龍之介さんとしていた約束の時間は十時。その時間を少し過ぎていたから、私は焦っていた。

 せっかく遅刻しない様にお姉ちゃんが早くから起きて準備をしていたのに、私がちょっと身支度に気合を入れ過ぎた事と、龍之介さんと会うのが初めてで凄く緊張していたから、家を出るのが遅くなってしまったというのが原因として大きかった。

 龍之介さんとの初対面が遅刻だなんて最悪だけど、それをいていたって仕方ない。それに、お姉ちゃんに『あとは私に任せておいて』と言ってしまった以上、私がしっかりしなきゃいけない。

 こうして急いで待ち合わせ場所である時計搭へ向かっていると、その時計塔の壁に背中を預け、リズムを取る様に足のつま先を上下させている龍之介さんを見つけた。

 私はそんな龍之介さんの姿を見て、一度足を止める。

 こうして龍之介さんを見るのは初めてだけど、その姿を見ているだけでドキドキと胸が高鳴ってしまう。私にとってはとても不思議な感覚だけど、これはきっと、お姉ちゃんの龍之介さんを好きな気持ちが流れ込んでいるからだと思う。

 高鳴る胸に両手をやり、何度か深呼吸をして気持ちを落ち着けたあと、私は龍之介さんのもとへと向かった。


「ごめんなさいっ! 待たせてしまって!」

「遅いよまひろ。いったい何してたん――だ?」


 龍之介さんは私の方を振り向くと、驚いた表情でその身体を硬直させた。


「ど、どうしたんだまひろ? その格好は何だ?」

「あ、あの……」


 一応ちゃんと話す内容を考えてはいたけど、いざ龍之介さんを前にすると、緊張で上手く喋れなくなった。でも私は、お姉ちゃんの代わりにこうして来ているんだから、しっかりしなきゃいけない。


「あの……私はまひろお兄ちゃんの妹で、まひると言います」

「はい?」


 私がそう言って自己紹介をすると、龍之介さんはきょとんとした表情を見せた。


「い、いやー、まひろがこういうドッキリが出来るとは思ってなかったよ! いや、驚いたっ!」

「えっ?」


 私の言葉にきょとんとしていた龍之介さんは、突然、ハッハッハ――と笑いながら私に近付いてそんな事を言った。色々と驚かれるとは思ってたけど、まさかドッキリと思われるなんて想像もしていなかった。


「なかなかクオリティの高いドッキリだけど、他の奴ならともかく、俺はそう簡単に騙せないぜ?」

「あ、あの、私はまひるなんです……」

「おいおい、冗談もいい加減にしろよな?」


 少し不機嫌そうな龍之介さんの言葉に、身体がビクッと跳ねた。

 正直ちょっと怖かったけど、いきなりだから信じてもらえないのも無理はない。

 私はどうすれば龍之介さんに信じてもらえるだろうかと、少し顔を俯かせながら考えた。


「あっ……えっとあの、すまん、まひろ……」


 私が考えを巡らせながら信じてもらえそうな方法を思いついたその時、龍之介さんが凄く申し訳なさそうな表情で私に謝った。

 そしてそんな龍之介さんを見た私は、やっぱり優しい人なんだろうな――と、そう思った。


「いえ……あの、龍之介さん。私の目を見てもらえますか?」


 私が恐る恐るそう言うと、龍之介さんは不思議そうな表情を浮かべながら私の目を見つめた。自分で言った事だけど、ちょっとドキドキしてしまう。


「……まひろとは目の色が違う?」

「そうです。私がまひろお兄ちゃんじゃないって、これで信じてもらえましたか?」

「てことは、本当にまひろの妹さん!?」

「はい!」


 私がにこやかに返事をすると、龍之介さんはまた驚きの表情を見せた。

 これで信じてもらえそうな突破口が開けたと感じた私は、畳み掛ける様にして龍之介さんに私が作り出した設定を話して聞かせた。


「――と言う訳なんです」

「なるほどね。そういう事だったんだ」


 少し話が長くなったけど、とりあえず今できるだけの事は話せたとは思う。

 話を聞いていた龍之介さんは終始驚いた表情を見せていたから、信用してもらえるか不安だったけど、そこはまひろお姉ちゃんの積み上げて来た信頼と信用があったおかげか、思いの外あっさりと信じてもらえた気がする。


「すみません、龍之介さん」

「あ、いやいや、別に謝る必要は無いよ。とりあえず事情は分かったし、プレゼント選びに行こっか」

「は、はい。あの……龍之介さん。このワンピース、どうでしょうか?」


 今日の目的であるお母さんの誕生日プレゼント探し。それを始める前に、私はどうしてもこの質問をしておきたかった。

 それは、まひろお姉ちゃんの密かな望みでもあったから。


「とっても似合ってて可愛いよ」

「本当ですか? ありがとうございます!」


 少しも悩む事なくそう答えてくれた龍之介さんの言葉に、私は思わず顔が熱くなるのを感じた。

 それから龍之介さんとの会話やショッピングを楽しんだ私は、目的だったお母さんへのプレゼントを買ってから無事に自宅へと戻った。


× × × ×


「最初はちょっと怖かったけど、凄く優しい人だったな」


 自宅へと戻った私は、普段まひろお姉ちゃんが使っている勉強机の上に買って来たプレゼントを置いた。


「さてと……お姉ちゃんが目を覚ます前に、やる事をやっておかなきゃ」


 私はお姉ちゃんの机の引き出しから数枚のルーズリーフを取り出し、そこに今回の件の概要をしたため始めた。

 本当は直接話した方がいいんだろうけど、それはできないし、お姉ちゃんはまだ私という存在を認知していないから、こうして文章に残しておかないと、目を覚ましたお姉ちゃんが混乱してしまう可能性が高い。

 もちろん、お姉ちゃんがこれを見てその全てを信用してくれるとは思わないけど、それでも私とお姉ちゃんは繋がっているから、いつかは二人でお話だってできるんじゃないかって、私はそう思っている。

 そしてお姉ちゃんが本当の自分を見せる覚悟ができるその時まで、私はお姉ちゃんを陰ながら――ううん、内側から支えようと思う。


「お姉ちゃん、頑張ってね。私はいつでも側に居るから」


 両手を胸の上で重ね合わせてからそう言ったあと、私は静かにベッドへ横たわってからお姉ちゃんを呼びに向かった。

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