第176話・小さなメッセージ

 今年も茜から杏子に渡す分と一緒にチョコを貰い、まひろからはまひるちゃんからのチョコを受け取り、愛紗からは感謝の気持ちと一緒にチョコを受け取った。バレンタインに受け取るチョコの数としては、十分な数ではないだろうかと思う。

 自宅へと帰った俺は自室で普段着に着替え、そのまま台所でブラックコーヒーを淹れる為に台所へと向かった。今日貰ったチョコをブラックコーヒーと共に味わう為だ。


「うん。いい香りだ」


 ポットから注がれたお湯がインスタントコーヒーの粉を溶かしていくと、コーヒー独特の苦味ばしった香りが鼻を刺激する。

 そして俺は湯気とコーヒーの香りが立ち上るカップを持ち、自室へと戻った。


「さーてと。どれから食べよっかな」


 室内にある四十センチ四方の小さなテーブルの上には、茜とまひろと愛紗から受け取ったバレンタインチョコが入った紙袋と箱、それと持って来たばかりのコーヒーカップが置いてある。

 俺はテーブルの上に並べた三つの品を見ながら、まずはどれから美味しくいただこうかと悩み始めた。


「――よし。まずはこっちから食べるか」


 色々と迷った末に、俺は愛紗から貰った綺麗なピンク色の紙でラッピングをされた四角形の箱を手に取った。


「ほー。愛紗のは生チョコか」


 開いた箱の中には、滑らかな見た目にココアパウダーをまぶされた生チョコが、縦に四列、横に四列の状態で入っていた。

 そして綺麗にココアパウダーがまぶしてある生チョコを見た俺は、その内の一つを指で摘み上げ、ココアパウダーを落とさない様にしながら口の中へと運び入れた。


「……うん! 美味い! 流石は愛紗だな」


 口へと運び入れた愛紗お手製の生チョコは、しっかりとした味わいを感じさせながら口の中でゆっくりと溶けていく。そして振りまぶされたココアパウダーの純然たる苦味が、生チョコの甘さと相まって更に美味しい。

 俺はココアパウダーの付いた指をペロリと舐め、次に控えているチョコがあるにもかかわらず、次々と愛紗が作った生チョコを口の中へと運び入れた。


「――ふうっ。美味かったな……」


 愛紗から貰った生チョコは、蓋を開けてから五分もしない内に綺麗に無くなってしまった。

 普段は甘い物を一気に食べたりはしない方なんだけど、この生チョコはあと引く感じで本当に美味しかった。

 そして久々に美味しい生チョコを食べられた俺は、大きな満足感と共にコーヒーを飲んだ。


 ――さてと。次は茜とまひるちゃん、どっちのチョコを食べよっかな……。


 再びどれを食べようか迷ったあと、俺は茜から貰った可愛らしいうさうさのイラストが描かれた黄色の手提てさげ紙袋を手に取った。

 そして手にした紙袋を開けて中身を取り出し、包まれている紙を丁寧に開くと、そこには綺麗に切り分けられラップに包まれた茶色のパウンドケーキが入っていた。しかもご丁寧な事に、それぞれに名前入りの付箋ふせんが付いてきっちりと分けられている。

 見た目で言えば杏子の方がはっきりと分かるくらいに大きいが、それは甘い物好きの杏子の為に茜がそうしてくれているんだろうと思う。

 それに茜は俺があんまり甘い物をパクパクと食べないのを知っているから、この分量は俺にとって丁度いい。この点は流石に幼馴染だなと思う。

 俺は『龍ちゃんの分』と書かれた付箋を剥がし、ラップを取ってからパウンドケーキーを一切れ口へと運んだ。


「……うん。流石は茜だな」


 口の中に広がる甘いチョコの味。そして噛んでいると感じる、ドライフルーツの爽やかな酸味と食感。それに付け加えてクラッシュアーモンドの香ばしい風味がプラスされていて、絶妙な味わいをもたらしている。

 それにしても、茜が作る料理の安定感にはいつもながら感心する。俺が思う世間の一般的な感覚で言うなら、茜は最も嫁にしたいタイプに該当するだろう。

 そんな事を思いつつ、俺は茜が作ったパウンドチョコケーキを美味しく食べ進めた。


「ふうっ……」


 愛紗の生チョコに続き、茜のパウンドケーキも綺麗に平らげてしまった俺は、さすがにお腹がいっぱいになっていた。本当ならまひるちゃんから貰ったチョコも続けて食べたいところだけど、この満腹状態で食べるのはかなり勿体ない。

 それにまひるちゃんからチョコを貰えるなんて思っていなかったわけだし、せっかくだから愛紗と茜のチョコと同様にしっかりと味わいたい。

 俺は続けてまひるちゃんのチョコを食べる事を止め、黒と白のストライプ柄の紙袋を持って机の上へと置いた。


× × × ×


 あと四時間も経てば二月十四日も終わろうかという頃。突然家の中に玄関のチャイム音が鳴り響いた。


「はいはーい!」


 夕飯を食べ終えたあと、杏子から手渡されたチョコレートを目の前で食べながら感想を求められていた俺は、鳴り響いたチャイム音を聞いて玄関へと向かった。


「どちら様ですかー?」

「あっ、夜分遅くにすみません。如月美月です」

「あっ、美月さんか。ちょっと待っててね」


 来訪者が誰か分かった俺は、急いでサンダルを履いてから玄関の鍵を回して扉を開けた。


「こんばんは。遅くにすみません。今、お時間は大丈夫でしょうか?」

「うん、大丈夫だよ。どうかしたの?」

「あの……これ、良かったらどうぞ」


 美月さんは少しモジモジとしたあとで後ろにやっていた両手を前に出し、二つの可愛らしい赤いハートが散りばめられた箱を差し出してきた。


「あっ、もしかしてバレンタインのチョコレート?」

「はい。杏子ちゃんの分も作ったので、良かったら食べて下さい」

「わざわざありがとう。杏子も喜ぶよ。おーい! 杏子ー! 美月さんがチョコを持って来てくれたぞー!」

「ホントー!?」


 玄関口からリビングに向かってそう言うと、嬉しそうな声と共に杏子が玄関へとやって来た。


「わあー! 美月お姉ちゃん、ありがとう!」

「いいえ。どういたしまして」

「あっ、私も美月お姉ちゃんの分を作っておいたから、一緒に食べませんか?」

「いいねえ。美月さん、杏子もこう言ってるし、良かったら一緒に食べない?」

「いいんですか?」

「もちろんだよ。さあ、上がって上がって」


 俺はサンダルを脱いで廊下へ足を上げ、お客様用のスリッパを急いで取り出してから廊下に並べた。

 それからリビングで美月さんを交えてのチョコレートタイムへと突入し、三人で一緒にそれぞれのチョコを食べながら楽しいひと時を過ごした。

 そして美月さんを交えての楽しい時間も過ぎ去り、あと一時間ほどで今日という日が終わろうかという頃。俺は机の上に置いていたまひるちゃんからのチョコレートを食べようとしていた。

 せっかくだからちゃんと今日中に食べて、明日まひろに食べた感想を伝えてもらおうと思ったからだ。

 俺は机の椅子に座って紙袋を開け、中からピンク色のハートイラストの包装紙に包まれた指輪ケースくらいの小さな箱を取り出し、丁寧に包みを取った。

 すると中から小さな空色の箱が姿を現し、その蓋を開けると中には至ってシンプルなハート型のチョコが一個だけ入っていた。

 まひるちゃんの可愛らしいイメージそのままに、箱の中にある小さなチョコレート。俺はそれを優しく摘み上げ、丁寧に口の中へと運び入れた。

 綺麗な見た目から丁寧に作られた事が分かるチョコはもちろん美味しかったんだけど、そのチョコは今日口にしたどのチョコよりもほろ苦さを感じた。


「ん?」


 そしてチョコの甘さとほろ苦さを味わいながら紙袋の中を何の気なしに見ると、そこには一枚の俺へ宛てたメッセージカードが入っていた。

 俺は紙袋の中に入っていたシンプルな白のメッセージカードを手に取り、その内容に目を向けた。するとそこには、『修了式の日の十五時に、海世界の大パノラマ水槽の前で待っています。誰にも言わずに一人で来て下さい』とだけ書かれていた。

 それは疑うまでもなくまひるちゃんからのメッセージだろうけど、このチョコが入った紙袋を手渡してきたまひろからは何も聞いていない。となると、まひるちゃんが俺を呼び出すメッセージを入れている事を、まひろに言っていない可能性は高い。

 そしてまひるちゃんが『誰にも言わずに一人で来て下さい』と書いているのを考えると、この事はまひろにさえ秘密にしておいてほしいんだと考えるのが自然だろう。

 ともあれ、こうしてまひるちゃんからお誘いを受けたのは正直嬉しい。だってまひるちゃんと最後に会ったのは、今年の一月中頃に、クリスマスの件で謝りたい――と言っていた杏子の為に場をセッティングした時以来だったから。

 俺としては少しまひるちゃんらしくないやり方に違和感はあったけど、それでも楽しみに思う気持ちが大きかった俺は、あまり深くその違和感を追求しなかった。

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