第175話・受け取り方の違い

 花嵐恋からんこえ学園に入るまでは憂鬱に感じていたバレンタインだったが、二年目の今日も平穏無事に、精神を健やかに保つ事ができた。普段は鬱陶うっとうしい事この上ないくらいにカップル率の高い学園だが、この日だけはそれに感謝したくなる。


「さてと、帰るか。んじゃな」


 必要な物を鞄に入れ、近くの席に居る茜や美月さん、まひろに向けて軽く手を振る。すると三人はそれぞれ俺に向けて言葉を掛けながら、同じく手を振り返してくれた。

 そして俺はそんな三人に背を向けて教室を出たあと、いつもと同じコースを通って下駄箱へと向かい始めた。

 下駄箱へと向かう途中の廊下には、まだ授業が終わったばかりという事もあってか、沢山の生徒達の姿がある。

 廊下にあるロッカーから何かを取り出している生徒、仲良く部活へ向かっているのであろう生徒、楽しそうにお喋りをしている生徒、俺と同じく家へ帰ろうとしているんだろう生徒。そんな沢山の生徒で廊下は賑わいを見せているけど、それもほん少しの間だけ。なぜならあと三十分も経つ頃には、ここに居る生徒達はみんな居なくなり、物音一つ聞こえてこない静かな風景へと変わるからだ。

 俺はそんな短く限られた時間の喧騒を聞きながら下駄箱へと向かい、学園をあとにした。


「――先輩!」


 下駄箱で靴を履き替えて学園を出てから、まばらにしか生徒が居ない帰路を進んでいると、不意に近くにある公園内から聞き慣れた声が俺の耳に届いた。


「よう、愛紗。どうしたんだこんな所で? 誰かを待ってるのか?」


 放課後に愛紗から声を掛けられる時はだいたい下駄箱を出た辺りなので、今回の様に学園外で遭遇するパターン珍しい。


「いえ。先輩を待ってたんです」

「えっ? 俺を? 何で?」

「そ、その……今日は先輩と一緒に帰ろうと思っていたので……」


 愛紗と高校で再会してからだいぶ経つけど、愛紗が自分からこんな事を言ってきたのは初めてだった。

 そしてそんな予想外の言葉に不意を突かれた俺は、その事に少し唖然としていた。


「ど、どうなんですか!? 一緒に帰れるんですか? 帰れないんですか?」


 俺が何の返答もしない事に業を煮やしたのか、愛紗は凄い勢いで簡潔な二択を迫ってきた。


「あ、ああ。大丈夫だよ。一緒に帰ろう」

「そ、そうですか。それなら良かったです……それじゃあ、早く行きましょう」


 返答を聞いた愛紗はふうっと大きく息を吐き出すと、俺の横をスッと通り抜けて最寄り駅への道を歩き始めた。


「お、おい。置いて行くなよ」


 愛紗はこちらを振り返る事なく、ひたすら前へ前へと進んで行く。

 俺はどんどん前へと進む愛紗の背中を追いかけて横に並び、速度を合わせてから愛紗の顔をチラッと横目で見た。すると愛紗の表情はなぜか強張っている感じに見え、見えている左耳は誰が見ても分かるくらい朱色に色付いていた。

 そんな愛紗の様子を見た俺は、何か悩みでもあるんだろうか――と、単純にそう思った。だって今まで一度も自分から『一緒に帰りましょう』的な事を言わなかった愛紗が、今回に限って一緒に帰ろうと誘って来たのだから、不思議に思わない方がおかしいと思う。

 それに学園内ではなく、帰路の途中にある公園で俺を待っていたというのも、何か深刻な話があって人目を避けたかったから――とも考えられるわけだ。

 しかし、こうして一緒に帰っているにもかかわらず、愛紗は何も話し掛けてこない。だから俺は色々な想像を巡らせるけど、本人が何も話さない以上、俺に決定的な結論を出すだけの材料が揃う事はない。

 いつもなら学園での出来事などを話ながら帰るけど、今日の愛紗は未だ一言も言葉を発する事なく前へ前へと歩き続けている。


「――な、なあ、愛紗。俺に何か話があるんじゃないのか?」


 一緒に帰路を歩き始めてから最寄り駅まであと半分と言った所で、俺は足を止めて愛紗にそう問い掛けた。すると愛紗はその声にピタリと足の動きを止めてからこちらへと振り返り、とても複雑な表情で俺を見据えた。


「……えっとあの……はいっ! これどうぞっ!」


 複雑な表情を見せていた愛紗は持っていた鞄を開けたかと思うと、中から綺麗なピンク色の包装紙でラッピングされた四角形の箱を取り出し、それを俺に差し出してきた。


「これって?」

「バ、バレンタインのチョコレートです。先輩にはいつもお世話になってますし、お礼も兼ねて作ったんです……」

「そうだったんだ。わざわざありがとな、愛紗」

「い、いえ……。あの、中身は先輩しか見ちゃダメですよ?」

「えっ? どうして?」

「どうしてもですっ! 絶対に他の人には見せちゃダメですからね?」

「あ、ああ。分かったよ。愛紗がそう言うなら誰にも見せないから」


 そう言うと愛紗は、ようやくほっとした様な表情を見せた。


「まあ、何にしてもサンキューな。義理チョコでも嬉しいよ」

「…………」


 そう言った直後、愛紗はとても不機嫌そうな表情を浮かべた。


「ど、どうかしたのか?」

「……何でもないです」


 愛紗はそう言うと、プイッとそっぽを向いてからスタスタと駅の方へ向かって歩き始めた。


「お、おい。待ってくれよ」


 突然不機嫌な感じになった愛紗に慌てて声を掛けると、今度はこちらを振り返る事なくその足だけを止めた。


「何ですか?」

「い、いや。俺、何かいけない事を言っちゃったか?」


 正直に言って、どうして急に愛紗がご機嫌を損ねたのかは俺には分からない。

 だからこそ俺は、回りくどい事は言わずに直球でそう尋ねた。


「……だって先輩、一生懸命作ったのに義理チョコなんて言うから…………」


 その質問にようやくこちらへと振り向いてくれた愛紗は、少し躊躇ちゅうちょする様子を見せたあとでそんな事を言った。そしてその言葉を聞いた俺は、愛紗が機嫌を損ねた理由がなんとなく分かった気がした。

 俺は愛紗から貰ったチョコを最初っから義理チョコと決め付けていたけど、愛紗はチョコを渡す時に、『先輩にはいつもお世話になってますし、お礼も兼ねて作ったんです』と言っていた。加えて愛紗の言った『一生懸命作ったのに』という言葉を考えれば、俺への感謝の気持ちを込めてチョコを作ってくれたのは分かる。

 そしてそれを考えれば、俺の義理チョコ発言はとても失礼なものだったと言えるだろう。


「えっと……ごめんな。一生懸命作ってくれたのに、義理チョコなんて言っちゃってさ」

「あ、いえ……私の方こそごめんなさい。突然不機嫌な態度を取ってしまって……」

「いやいや。これは俺がいけなかったんだから、愛紗が謝る事はないさ」

「でも……」

「そんな顔するなって。本当に気にしてないからさ。それよりもこのチョコレート、ありがとうな。でも、愛紗が言うほど大した世話なんてしてないと思うから、逆に悪い気がしちゃうな」

「えっ?」


 俺が改めて感謝の言葉を言うと、愛紗はきょとんとした表情で俺を見た。


「ん? どうかしたのか?」

「いえ。やっぱり先輩は先輩ですね」

「はっ? どういう意味だ?」

「いえ。先輩は気にしなくていいですよ。凄く先輩らしい――って思っただけですから」

「えっ? それってどうい――」

「先輩。そのチョコ、ちゃんと味わって感想を聞かせて下さいね?」

「お、おい」


 俺の言葉に重ねる様にしてそう言うと、愛紗はまた駅へと向かって歩き始めた。

 そして俺はそんな愛紗を追いかけ、さっきできなかった質問をまたぶつけてみたが、愛紗は最後までその質問に答えてはくれなかった。

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