二年生編・三学期

第170話・近しいアイツの気になる行動

 クリスマスを過ぎてお正月を向かえ、ダラダラと寝正月を過ごせば、あっと言う間に三学期が始まる。


「ふあ~」


 まだまだ寒さがゆるまらない朝。

 まるで冷蔵庫の様にひんやりとした室内で目覚めた俺は、大きな欠伸あくびを出しながら布団から抜け出し、その寒さに身を震わせた。

 部屋に充満している冷たい空気が身体を包み込み、布団の中で温まっていた身体の熱を急速に奪っていく。

 俺は急いで用意していた制服を手に取り着替えを始めたが、部屋の冷えた空気で制服も冷やされているから、着替えるのもかなり辛い。それでも気合いを入れて制服に着替えた俺は、そのままの勢いで洗面所へ行き、温かいお湯で顔を洗ってから台所に向かった。


「さーてと。朝食はどうすっかな」


 ただでさえ家の中には冷たい空気が漂っているのに、開いた冷蔵庫の中からは更に冷たく感じる冷気が出てくる。そんな冷蔵庫の中を見ながら、俺は朝食を作る為の材料を取り出していく。

 そして朝食を作る為の材料を適当に取り出したあと、俺はリビングにあるエアコンのスイッチを入れに行った。人類の英知の結晶とも言うべきエアコン。現代生活においては今や必需品と言っても過言ではない代物だろう。

 こうして部屋が英知の結晶によって暖まるまでの間、俺はいそいそと朝食作りに勤しんだ。


「――おはよー。お兄ちゃん」

「おう。おはよう」


 作った朝食がテーブルに並び終わった頃、タイミング良く制服を着た杏子がリビングにやって来た。

 こうして何年も一緒に住んでいると、俺が料理をテーブルに並べ終わるタイミングもだいたいの察しが付くんだろう。まあ、俺も杏子が朝食当番の時にはなんとなく料理が並ぶ時間が分かるし、やはり共同生活をしていると、そういった習慣の様なものは自然と熟知する感じになるんだろう。


「「いただきます」」


 テーブルに並んだ料理を前に、俺と杏子はいつもの様に両手を合わせてから食事を始める。

 いつもと大して変わらない朝。それは何百――いや、何千回と行われてきた日常だ。


「今日から新学期だね」

「そうだな」

「お兄ちゃんは進路とかどうするの?」

「進路か。そろそろ決めておかないといけないよなあ……」


 朝食時の会話はだいたい杏子を起点に始まる。そして本日最初に振られた話題は、頭の痛い事に進路の話だった。

 あともう少し経てば、俺は花嵐恋からんこえ学園の三年生になる。

 三年生ともなれば、卒業後の進路について色々と準備を進めたり勉強をしたりと、忙しく動く事になるのが普通だろう。いや、もっとしったかりした奴なら、二年生の頃からその準備を進めていると思う。

 しかし俺には何をしたいとか、どんな仕事をしたいとか、そんな漠然としたものすら思い浮かばない。

 俺は小さな頃から、こんな緩やかな日常がずっと続いて行くんじゃないかと思う事があった。いつまでも学生という日々が続いて、茜やまひろや杏子、他の出会った人達とずっと楽しく過ごして行く――みたいな。

 もちろんそんな事があるはずはないけど、それでも俺は、なんとなくこんな日々が続いて行くんじゃないかと思っていた。単純に言えばそれは現実逃避と言うのかもしれないけど、自分が歳をとってどうなるかなんて想像もできないし、想像したくもないと思ったりもする。

 しかしいつまでもこのままではいられない。俺もこれから先の現実を、しっかりと考えなくてはいけなくなったのだ。


「何かやりたい事とかは無いの?」

「恥ずかしながら、これっぽっちも思い浮かばんな」


 兄であると同時に、同じ高校の先輩でもある俺がこんな事を言うのはどうかと思うが、実際に何も思い浮かばないのだから仕方がない。


「そうなんだ。でも、そう簡単に将来やりたい事は決まらないよね。うん、もう少しゆっくり考えてもいいと思うよ」

「おう。そうするわ」


 本当なら、『えー!? 本当に何も思いつかないの!? 大丈夫なの?』くらいの事を言われても仕方がないところなのに、杏子は頼りない発言をした兄に対し、にこやかな笑顔を見せながらそう言った。

 まだまだ甘えん坊なところがある妹だけど、こういったところはとても大人で助かる。

 こうして杏子との朝食タイムをいつも通りに過ごし、食器の後片付けを済ませたあと、俺は杏子と一緒に家を出てから通い慣れた通学路を歩き始めた。


× × × ×


「おはようございます。鳴沢君」

「あっ。おはよう、秋野さん」

「あの、いきなりですけど、少しお時間いいですか?」

「えっ? うん、いいけど」


 学園に着いて教室に入ったあと、席へ座った俺にクラスメイトの秋野鈴音あきのすずねさんが声を掛けて来た。相変らず黒のおさげ髪と黒縁眼鏡が、彼女の物静かな雰囲気を強めている。

 渡の幼馴染である秋野さんとは、二年生になってからよく話すようになった。失礼な話だとは思うけど、秋野さんはとても物静かで、一年生の時も同じクラスだったというのに、俺はその存在を一年生の文化祭になるまでまともに認識していなかった。

 しかし、秋野さんが占いが得意だという事が周囲に知れ渡ってからというもの、彼女の周りには占いをしてもらう為に訪れる人が増え、それと共に俺も秋野さんを認識するようになった。

 秋野さんの占いについては、俺も前にちょっとした機会があって占いをしてもらった事があったけど、彼女が得意とする『鈴占い』の内容は見事に的中した。それはもう、占いと言うよりは、未来予知と言った感じで。

 そんな秋野さんにうながされ、俺は廊下の方へ一緒に歩いて行く。


「――こんな所まで来てもらってすみません。実は、涼風君の事でちょっと気になる事があったので……」


 特別教室などが並ぶ校舎の五階部分。

 ここは移動教室でもない限りは、基本的に誰も来る事はない。そんな静かな五階フロアまでついて来た俺に、秋野さんはそんな事を言った。


「まひろの事? どうしたの?」


 最初こそ秋野さんの幼馴染で想い人である渡の事で相談でもあるのかなと思っていた俺は、意外な人物の名前が秋野さんの口から出た事に驚いた。


「実は、今朝の通学途中の事なんですけど、通学路の途中にある公園で涼風君の姿を見かけたんです」


 秋野さんはやや神妙な面持ちで話を始め、それを見た俺は、何やら言い知れない不安の様なものを感じながら耳を傾けた。


「その時の事なんですが、なんだか思い詰めている様な感じで涼風君がベンチに座っていたので、とても気になっていたんです。その時に私が声を掛ければ良かったんですけど、ちょっと話し掛けられる雰囲気ではなかったので……だから鳴沢君にこの事を伝えておこうと思ったんです」


 まひろは結構悩み症なところがある。根が真面目だからかもしれないけど、本当に些細な事で悩む。まあ、悩みなんて第三者からすれば大した事はなくても、当の本人にはとても重大な事だったりするから、一概に『そんな事』なんて言えはしないけど。


「そうだったんだ。わざわざありがとね」

「いえ。私の取り越し苦労だったらいいんですけど……」

「そうだね。でも、アイツは昔っから独りで色々と抱え込んで無理するところがあるから、そういうのを知れて良かったよ。ありがとね、秋野さん」

「いえ。どういたしまして」


 俺の言葉に少し照れくさそうに微笑む秋野さん。

 彼女はこうして、クラスメイトの事をいつも気に掛けているのかもしれない。本当に渡には勿体ないと思えるくらいの優しい女性だ。


 ――たくっ……渡もいい加減、秋野さんの気持ちに気付いてやれってんだ。


 高校で初めて知り合ったとかならともかく、渡と秋野さんは幼馴染なんだし、なんとなくでもそれくらいの事は気付くと思うんだけど、あれで渡は結構鈍感な奴なのかもしれない。


「それじゃあ、教室に戻ろっか」

「はい」


 悪友の鈍感さに苦笑いを浮かべつつ、俺はきびすを返して階段を下り始める。


「あっ。そう言えばもう一つ聞きたかったんですが、涼風君は視力が悪いんですか?」


 階段を下りて行く途中、後ろから秋野さんがそんな事を質問してきた。

 俺はその場で足を止め、後ろに居る秋野さんの方へと振り返る。


「いや。まひろは昔から視力も良かったはずだけど?」

「そうですか」

「うん。それがどうかしたの?」

「いえ。前に一度だけ、涼風さんがコンタクトの様な物を着けようとしているのを見た事があったので、もしそうだったら、コンタクトの装着感ってどんなものなのかを聞いてみたいと思っていたんですよ」

「あー、なるほど。それじゃあ秋野さん、コンタクトに変えようと思ってるの?」

「はい。ちょっと怖いですけど、興味はあるんですよね」


 ちょっと恥ずかしそうに話す秋野さんを見ていると、なんとなくそれが、渡を振り向かせる為なのかな――なんて思ってしまう。


「そっか。それじゃあ、今日帰ったら妹に聞いてみるよ。妹は眼鏡とコンタクトを使い分けてるから」

「そうなんですか? ありがとうございます」


 俺の言葉を聞いて、にこにこと笑顔で嬉しそうにお礼を言う秋野さん。


 ――そういえば、秋野さんが眼鏡を外したりおさげ髪をほどいたりしたのを見た事ないな。


 顔立ちは凄く整っているんだから、いったいどんな感じになるのか大いに興味がある。


 ――それにしてもまひろの奴、いったいどうしたんだ? 何か悩みがあるなら、俺に相談してくれればいいのに。


 真面目で遠慮深く、それでいて友達の事を何よりも大切にする親友の事を心配しながら、俺は秋野さんと一緒に教室へ戻った。

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