第156話・勝負の幕開け

 綿密な準備を重ねてきた二年目の花嵐恋からんこえ学園文化祭は、澄渡る青空の下、あと五分ほどで開催時間を迎えようとしていた。

 去年の文化祭初日はどんよりとした曇り空で、雨が降らないだろうかと心配していたのを覚えているから、今年の文化祭の出だしはとてもいい感じだと言えるだろう。


「みんな。準備はいいか?」


 お化け屋敷喫茶の準備を整えたB班全員を前にして、渡が最後の確認の声を上げる。するとそれを聞いたB班の全員が、大きく頭を縦に振った。


「よしっ! それじゃあお化け屋敷喫茶の開店だ! みんな! 気合入れていくぞー!」

「「「「「「おーう!!」」」」」


 渡が握りしめた拳を上に突き上げてそう言うと、B班の全員が同じく大きな声を上げて拳を上へと突き上げた。

 普段の渡はお調子者でどこか頼りない感じがあるけど、こういった時に発揮されるリーダーシップ性には舌を巻く。適材適所という言葉があるけど、水を得た魚の様に生き生きとした渡を見ていると、その言葉がこれほど的確に当てはまる奴は居ないと思える。


「まひろ、大丈夫か?」

「う、うん。頑張るよ」


 隣には去年の文化祭で着せられていた牡丹ぼたんの花が描かれた紅色の女性用和服を着たまひろが居て、ぎゅっと握り締めた両手を胸の位置に置いて緊張している様子だった。去年の文化祭でこの姿を見た時も思ったけど、本当によく似合っている。

 俺は和服ってのは絶対に黒髪しかないだろうと思っていた方だけど、まひろだけは例外的に許せてしまう。なぜかと言われれば、可愛いからとしか言いようがない。

 まあ、元が金髪のまひろに髪を黒く染めろとは言えないし、言うつもりもない。しかし今のまひろの姿が、これから演じる妖怪とかお化けといったたぐいのコンセプトに当てはまっているかと言えば、それは疑問に感じる。


「それにしてもさ、今更だけどやっぱり座敷わらしって感じには見えないよな」

「やっぱり龍之介もそう思う?」

「まあな」

「だよね」


 今回まひろがお化け屋敷内で演じる役は座敷わらしなのだが、多分お化け屋敷の中でまひろを見たとしても、綺麗な和服を着た美少女が居る様にしか見えないだろう。まあ、まひろをお化け役として使う時点で色々と選択ミスをしているとしか思えないが、全員がローテーションで仕事を受け持つ以上は仕方がない。

 とりあえずお化け屋敷喫茶の喫茶店を担当する午後に入るまではこのまま頑張るしかないので、まひろには是非とも一人でも多くのお客さんを恐怖におとしいれてほしいもんだ。


「さてと、俺達も行くか」

「うん」


 俺達はお化け屋敷内の自分が担当する場所へと移動をし、お客さんを驚かせる為の準備を整えた。


「「――キャーッ!」」


 お化け屋敷の入口がある方から、女性の恐怖に満ちた叫び声が聞こえてくる。

 そしてその叫び声に呼応するかの様に、別の場所からも次々と叫び声が響く。


「うがあぁぁぁぁーっ!」


 俺は各ポイントでお客さんを恐怖に陥れているであろうクラスメイト達に負けない様にと、近付いて来るお客さんに向かって大きな声を上げた。


「「キャ――――――――ッ!!」」


 チカチカと切れかけの電球が室内の恐怖を演出する中、俺の目の前では大学生くらいの女性二人が抱き合いながら恐怖の叫び声を上げている。俺は女性二人が恐怖でおののく様を見たあとで素早くパネルの裏へと戻り、しっかりと恐怖させた事に思わず顔をニヤつかせた。

 それにしても、俺が被っているこのゾンビマスクの威力は大したもんだ。渡がこんなリアルな被り物をどこから調達して来たのかは分からないけど、この点一つ取っても、渡が本気でこのイベントを成功させようとしている気概きがいうかがえる。


「「きゃーっ!!」」


 そんな事を考えていると、すぐ近くの別の場所から先ほどの女性達の大きな声が聞こえてきた。しかしその声は先ほどとは違い、一切の恐怖を感じさせない。


「またか……」


 もう何度目になるか分からないその反応を聞いた俺は、パネルの後ろに用意していた椅子の上に乗ってからそっと顔を覗かせ、その黄色い声がする方を見た。


 ――やっぱりか。


 俺が覗き見た先には、まひろが担当しているポイントがある。

 そしてそこでは、スタンバイしている場所の下に設置されたライトに照らされているまひろが、女性二人に見つめられながら顔を紅くして晒し者の様に立っていた。

 まひろを見ている女性達は口々に『可愛い』だの『お人形さんみたい』だのと、おおよそお化け屋敷の中に居るとは思えない言葉を発しながら別の意味でテンションを上げている。

 お化け屋敷が開店してからもう何度となく繰り広げられているこの状況。しかし俺はこんな事になるんじゃないかとは思っていたから、特に大した驚きはなかった。むしろまひろならこの状況は当たり前だとさえ思える。

 まあ、状況としては渡の言っていた事が現実になっているんだから申し分ない。


「頑張れ、まひろ」


 そう呟きながら頭を引っ込め、俺は次のお客さんを驚かせる為の準備をする。

 まひろの状況には同情するが、これもA班を打ち負かす為の大事な布石だ。

 俺はまひろに向かって両手を合わせ、軽く頭を下げた。


× × × ×


「やっと休憩時間になったな」

「うん。結構忙しかったよね」


 やって来たお客さんで賑わう学園内を、俺はまひろと一緒に歩いていた。

 お昼を少し過ぎた頃。

 俺とまひろは休憩という事でA班が行っている通常の喫茶店へと向かっていた。まあ、休憩というのはほんの建前で、本当の目的はA班の偵察だ。

 A班がやっている通常の喫茶店と俺達B班がやっているお化け屋敷喫茶は、設置する道具の規模の違いから場所が結構離れている。

 B班は本校舎の外にある多目的ホールの一角でお化け屋敷喫茶を行い、更に逆側の本校舎奥にある教室では、A班が通常の喫茶店を営業している。つまり言ってみれば、催し物が行われている端と端でそれぞれに営業をしているというわけだ。

 それでも普通に移動をすれば大した時間がかかるわけじゃないけど、こうして沢山の人でごった返している校舎内を移動するとそれなりに時間はかかる。人波を抜けて行くのにも苦労するし、何よりこっちは着慣れない和服姿のままのまひろを連れているんだから、移動速度は更に遅くなってしまう。


「やっぱり歩き辛いね」

「まあ、そうだよな」


 本当ならまひろにも着替えをさせてやりたいところだけど、これも計画の内だから仕方がない。

 でも、渡の考えた計画の内容を考えれば、このゆっくりとしか進めない状況はむしろ吉と思うべきだろう。なにせ俺達の目的は偵察だけにとどまらず、お化け屋敷喫茶の宣伝も兼ねているんだから。

 宣伝という事ならプラカードやチラシでも持ってくればいいんだろうけど、この混雑の中でそれをするのは非常に危険で邪魔になる。ならば人を使って宣伝するのが一番なのだが、そういった点でまひろは抜群の宣伝材料と言えるだろう。現にまひろはこうしている今でも、沢山の人の目を惹いているから。


「――あっ! 龍ちゃんいらっしゃーい!」


 お化け屋敷喫茶を出てから十分ほどした頃。俺達はようやくA班が行っている喫茶店へと辿り着いた。

 そして沢山の人が行列をしている最後尾へと並んで待つこと約十五分。ようやく俺達が室内へと入れる順番が訪れて中へ入ると、黒を基調とした服とロングスカートを身に着け、その上に真っ白なエプロンを身に着けたメイド服姿の茜が、長いポニーテールを揺らしながら俺の前へとやって来た。


「おう。こっちも繁盛してるみたいだな」

「まあねえ~。みんなー、B班の龍ちゃんが偵察に来たみたいだよー」


 俺の言葉に短い返答をすると、茜は何の躊躇ためらいもなく教室のみんなに向かってそう言った。


「おいおい。なんて事を言ってくれやがるんだ」

「えっ? だってわざわざ敵陣に来るなんて、普通に偵察しか考えられないでしょ?」


 言ってる事はごもっともだと思うし、事実その通りなのだが、そんなにはっきり言われると抵抗したくなってしまう。


「ちげーよ。単純に休憩だからまひろと食事を摂りに来たんだよ」

「そうなの? まひろ君」


 茜は発言した俺ではなく、その後ろに居るまひろに向かってそう尋ねた。気持ちは分からないでもないが、なんとなくイラっとする。


「う、うん。龍之介の言う通りだよ」


 そんな俺の雰囲気を察したのかどうかは分からないが、まひろは苦笑いを浮かべながら茜の質問に答えた。


「そっか。まひろ君がそう言うなら本当なんだろうね。あっ、とりあえずこちらの席へどうぞ」


 まひろの言葉を聞いた茜はそれをあっさり信用すると、途端に営業スマイルを浮かべて接客を始めた。そんな茜に対して色々と納得いかないところはあるけど、状況は好都合と言えるので、この際何も言わないでおくとしよう。

 俺はまひろと一緒に案内された二人用の席へと座り、テーブルの上にあるメニュー表を手に取った。


「ほらまひろ、先に決めろよ」

「ありがとう」


 まひろはメニュー表を受け取ると、目線を上から下へとゆっくり動かしながら品定めを始めた。

 二人で飲食店へ行く事は結構あったけど、まひろは注文する品を選ぶのにそこそこ時間がかかる。俺はといえば大体いつも代わり映えしないチョイスになるので、基本的にまひろと二人の時には、先にメニュー表を渡す癖がついている。

 周りの人達がこの状況を見ていたとしたら、まさにレディファーストをしている様にしか見えないだろう。しかしながら、まひろは男だ。残念な事に。

 メニュー表を真剣に見つめている和服姿のどう見ても女性にしか見えないまひろを見ながら、俺はいつもの空虚感に包まれる。


「たっくんに涼風君、いらっしゃい。ご注文はお決まりですか?」


 茜と同じ衣装に身を包んだるーちゃんが、軽いウエーブのかかった薄いブラウンのセミロングヘアを揺らしながらにこやかに注文を取りに来た。

 ハーフの様な顔立ちのるーちゃんにこのメイド服はかなりはまっていて、申し分ない可愛さと清楚感をかもし出している。


「あっ、えっと、まひろは決まったか?」

「うん。僕はケーキセットAのアップルティーをお願いします」

「涼風君はケーキセットAのアップルティーだね。たっくんは決まってる?」

「あっ、ちょっと待ってね。えーっと……」


 まひろからメニュー表を受け取った俺は、素早くその内容見た。


「それじゃあ俺は、サンドイッチセットを頼もうかな」

「サンドイッチセットだね。飲み物はどれにする?」

「えっと……それじゃあオレンジジュースで」

「はい、ご注文ありがとうございます。しばらくお待ち下さいね」


 るーちゃんはそう言ってペコリとお辞儀をすると、にこやかな笑顔のまま厨房がある方へと向かって行った。


「茜ちゃんも朝陽さんも、衣装が凄く似合ってたよね」

「まあ、茜は馬子にも衣装って感じだけど、るーちゃんは流石に衣装がはまってたよな」

「もう、そんなこと言ったら茜ちゃんに怒られちゃうよ?」

「聞こえるように言ってないから大丈夫だよ」


 そう言って入口付近に居る茜の方を見ると、なぜか俺の方をじっと見ている茜と視線がぶつかった。

 すると茜はやたらといぶかしげな表情で俺の方を見ていて、その視線に妙な焦りを感じた俺は、すぐさま視線を外して正面に居るまひろの方へと向き直った。


 ――まさか今のが聞こえてたわけじゃないよな……。


 俺達の席と茜が居る位置は、直線距離で約八メートルくらいは離れている。大声で話してたわけじゃないし、周りの賑わいを考えれば聞こえている可能性はまず無いと思える。

 冷静に考えてそう思うんだけど、もしかしたら――という不安がどうしても心の中をぎって行く。


「どうしたの龍之介? 顔色が悪いよ?」

「あっ、いや……なんでもない」

「それならいいけど」


 小首を傾げるまひろの可愛さに癒しを感じつつ、俺は今見た事を忘れようとしていた。


「――お待たせ致しました」


 注文をしてから十分ほどが経った頃。綺麗なライトブラウンのウエーブロングヘアを揺らめかせながら、美月さんが注文した品を持って来た。

 美月さんは持って来た品を丁寧におぼんから取り上げ、そっと俺達の目の前へ置いていく。その優雅で気品ある様は、洗練されたメイドを思わせる。

 きっと美月さんの事だがら、メイドについてもかなりの勉強をしたんだと思う。


「ありがとう、美月さん」


 目の前に置かれたケーキセットを前に、まひろがにこやかな笑顔を浮かべて美月さんにお礼を言う。

 俺がそれに釣られる様にして美月さんにお礼を言うと、美月さんはそんな俺をまじまじと見ながら何かを待っている様な素振りを見せた。


「あの、どうしたの? 美月さん」


 そんな美月さんに疑問の言葉を投げかけると、美月さんは途端に頬をぷくっと膨らませたあとで口を開いた。


「もうっ。龍之介さん、どうして何も言ってくれないんですか?」

「へっ? 何の事?」

「だからその……衣装の事ですよ」


 モジモジしながらそんな事を言う美月さんは、よそおいの違いもあってかいつもより三割り増しで可愛く見える。


「あ、ああー! そういう事か。ごめんね、美月さん。とってもよく似合ってるよ」

「本当ですか?」

「うん。まるで本の中の綺麗なメイドさんがそのまま飛び出して来たみたいだよ」


 ちょっと褒め過ぎかもしれないけど、事実よく似合っているんだから問題は無い。


「ありがとうございます。とっても嬉しいです」


 美月さんは満面の笑みを浮かべてそう言うと、足取りも軽やかに厨房の方へと戻って行った。


「美月さん、嬉しそうだったね」

「そうだな。さてと、俺達もさっさと食べようぜ」

「うん」


 更に賑わいを増してきている店内で飲食をしつつ、俺とまひろはひと時の休憩を楽しんだ。

 そして文化祭初日の戦いは、怒涛どとうの後半戦へと突入して行く。

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