第155話・負けられない勝負

 花嵐恋からんこえ学園の文化祭が明日へと迫った早朝。

 俺は家の前にある道路を通ったバイクのけたたましいエンジン音で目を覚ました。


「――眩しいな」


 まだ完全に開ききっていない目を擦りながらベッドを下り、俺は部屋のカーテンを開けた。シャッと音を立てて開いたカーテンの向こう側からは、眩しい太陽の光。

 虚ろにしていた目を一瞬閉じてからゆっくりと見開いたあと、鍵を開けてから窓を開け、室内の空気を入れ替える。開けた窓から入って来る空気は、やはり冬の早朝らしく冷たい。

 そしてその冷たい空気を押しながら入って来る風で更に空気は冷たさを増し、布団の中で温まっていた身体を冷やしながら通り過ぎる。俺は開け放った窓を十秒と経たない内に閉じた。

 ほんの少しの間とはいえ、外の冷たい空気を受け入れた部屋は一気に冷えてしまい、俺はその冷たさから逃げる様にして再び温もりの残るベッドへと舞い戻って布団を被る。


「ああ~。暖かい……」


 冬場における布団とコタツは、一度入るとなかなか抜け出せなくなってしまう。

 そんな恐ろしくも心地良い魔性の道具の中で暖かな温もりを教授しつつ、俺は昨日の事を再び思い返していた。


「あれってやっぱり、キスをしようとしてたんだよな……」


 昨日まひるちゃんと別れたあとから、俺はあのシチュエーションについて何度も多角的な分析を試みた。だけどどう考えてみても、行き着く結論は同じになってしまう。

 そして行き着く結論が変わらないとなると、次に問題になってくるのは、まひるちゃんがその行動を起こした理由は何なのか――という事になる。

 理由――まひるちゃんが俺にキスをしようとしたその理由を可能性の面で考えてみると、大きく分けて二つのパターンに振り分ける事が可能だ。

 その可能性の一つが、雰囲気に飲まれたから――という理由。

 まひるちゃんはお化け屋敷の中で、『お化け屋敷に来たカップルって、みんなこんな事をするんですよね?』と言っていた。つまりあの出来事は、一般的なカップルが行っているであろう事を、まひるちゃんが擬似的に体験してみようとしていたからとは考えられないだろうか。

 そうなるとまひるちゃんは俺と本気でキスをするつもりはなく、その雰囲気だけを体験してみたかったという事になる。そう考えると帰り道でまひるちゃんが謝ってきたのは、俺を誤解させる様な事をしたから謝った――と考えられるわけだ。

 あの行動における理由としては、俺はこれが一番しっくりとくる感じがする。

 なぜならまひるちゃんは俺と一緒でラブコメ作品が好きみたいだし、そういった世界観やシチュエーションに憧れていると聞いているからだ。

 それにまひるちゃんはああ見えて異性に対しては極端に人見知りをするみたいだし、本人も異性でまともに話せるのは俺と兄のまひろだけだと言っていたから、必然的にあのシチュエーションの相手役として俺が選ばれたのにも納得がいく。

 そして二つ目に考えられる理由だが、それは、まひるちゃんが異性として俺を好きだから――という理由だ。しかしこの可能性は正直言ってありえないと思う。

 もちろんそう思うのには理由がある。なぜならまひるちゃんは、俺の事を二人の時は『お兄ちゃん』と呼んでいるからだ。それはつまり、まひるちゃんが俺を異性としてではなく、兄的存在として見ているという証拠になるだろう。

 世間でも兄的存在、妹的存在は恋愛対象にはならないと聞くから、俺の思っているこの考えはほぼ間違い無いだろう思われる。つまり俺が出した結論を端的に言うと、あれは好奇心旺盛なまひるちゃんが、好奇心のままに動いてしまった結果起きた事故の様なもの――という事だ。


「うん。そうだよな。そうに違いない」


 俺は自分の中で出した結論を反芻はんすうしてから布団を抜け出し、冷たい肌触りの制服へと着替えてから学園へ行く準備を進めた。


× × × ×


「お、おはよう。龍之介」


 木枯らしが吹く寒空の下。ちょうど花嵐恋からんこえ学園へ通う生徒達が利用している最寄り駅の前を通りかかった時、後ろから聞き慣れた声で名前を呼ばれた。


「よ、よう。まひろ」


 相手はまひるちゃんではない筈なのに、聞こえてきた声に身体が一瞬硬直したのが分かった。俺はそんな素振りを見せない様にと平静を装うが、やはりどことなく態度がぎこちなくなってしまった。

 でも、それは仕方がないと思う。自分の中で昨日の出来事に結論を出したとはいえ、すぐにそれを消化できるほど俺は大人ではないのだから。


「あ、あの……昨日はまひるがごめんね」


 その言葉を聞いた俺は、少しだけ身体の緊張が解けた気がした。

 もしかして今目の前に居るのは、昨日と同じくまひるちゃんではないだろうかと思っていたからだ。

 まひるちゃんとまひろの入れ替わりの本番は文化祭最終日だから、今日まひろが来るのは間違い無い事なんだけど、瞳の色と性格以外は瓜二つなので、どうしても不安になってしまう。


「いや、別に気にしてないから大丈夫だよ。まひるちゃんにもあまり気にしないように言っといてくれよ? かなり気にしてたみたいだからさ」

「うん。ありがとね」


 まひろは一瞬だけしょぼんとした表情を見せたかと思うと、そのあとですぐにいつもの柔和にゅうわな微笑を浮かべた。昨日まひるちゃんが家に帰ってから、まひろに色々と話をしたんだろうけど、その事でまひろも結構悩んでいたのかもしれない。

 俺にも杏子という妹が居るんだから、妹の事が心配になる兄の気持ちは分かるつもりだ。


「おう。それじゃあ行こうぜ」


 だから俺は、いつもと変わらない態度でまひろに接した。それが心配性のまひろにとって一番いい接し方だからだ。

 まひろはこちらが気にしている態度をとっていると、それに同調するかの様にいつまでもそれを気にしてしまうタイプだから。


「うん」


 いつもの愛らしい笑顔を見せたまひろは、大きく頷いてから小走りで俺の隣へと並んだ。そして俺はそんなまひろと話をしながら、学園へと歩いて行った。


× × × ×


「おっす! 龍之介! おはよう! 涼風さん!」

「あっ。おはよう、渡君。昨日はありがとね」

「なーに。気にしない気にしない」


 ほどなくして花嵐恋からんこえ学園の教室に着くと、渡がいつもの様にハイテンションに挨拶をしてきた。


「お前は相変らずイベントの時だけは来るのが早いな」

「いやあ~。そんなに褒めるなよ~」


 俺は嫌味のつもりで言った筈なのに、渡はその言葉を聞いて本気で照れている。ここまで物事を前向きに捉える事ができるってのは、凄まじい才能なのかもしれない。

 そんな事を思いながら渡の横を通り抜け、俺は自分の席へと鞄を置いてから椅子へと座る。

 明日はいよいよ、二年目の文化祭本番初日。今日はA班B班に分かれての最終打ち合わせを行う。

 俺はくじ引きによってB班に振り分けられたわけだが、A班には絶対に負けるわけにはいかない。なにせ最終日後にある打ち上げで、二日間の売り上げが低かった班が相手の班の打ち上げ料金の半分を支払うという、罰ゲーム的ルールを取り決めているからだ。

 今回の文化祭、我がクラスは喫茶店とお化け屋敷喫茶に分かれているんだけど、初日はA班が普通の喫茶店、B班がお化け屋敷喫茶を担当、そして最終日は店を交代して営業をし、二日間の売り上げのトータルで競う事になっている。

 そもそもこういう事になってしまった切っ掛けは、『普通に営業するのってつまんないよなー』と、渡が言ったからだ。途中経過は長いので端折はしょるが、最終的に渡が持ち出した提案は、クラスを二つの班に振り分けて売り上げを競おう――というものだった。

 そして負けた時の罰ゲームは、お互いの班が本気でやり合う様にと取り決めたものだ。本来ならこんなアホな提案は通りそうもないんだけど、うちのクラスはみんな揃って負けん気が強いみたいで、あっさりとこの提案は通ってしまった。

 まあ、負けた時の代償はかなり痛いが、面白そうなのは確かだし、俺もやるからには負けるつもりはない。話がまとまるまでには紆余曲折うよきょくせつがあったけど、結果として渡の提案はクラス全体のモチベーションを上げた事になる。

 ともあれ、明日からの本番の為、見事打ち上げの料金をA班に半分出させる為に、今日の最終ミーティングはしっかりやっておかないといけない。

 ちなみにだがA班には、茜とるーちゃん、それに美月さんが居る。

 俺の見る限りでは学園内でも屈指の可愛さを持つであろう三人娘が、よりにもよって敵側に居るというのは結構な痛手だ。おそらく明日のA班の喫茶店は、盛大に盛り上がるだろう。

 それに最終日のお化け屋敷喫茶も、美月さんというブレーンが居る以上は決して油断できない。いったいどんな秘密兵器を登場させるか分からないからだ。そういった意味では、B班にとって一番怖い人物は美月さんと言えるのかもしれない。

 だがそこは、B班も決して負けているわけではない。いつもは大して役に立たないが、こういったイベントには大いに力を発揮する渡が居るし、何よりも我らがB班には、奇跡の潜在能力ポテンシャルを秘めたまひろ兄妹が居る。

 明日からの本番二日間。俺達B班はいかに上手くまひろとまひるちゃんを有効活用できるかが、勝利への必須条件と言えるだろう。

 まひろは明日のお化け屋敷喫茶を担当し、明後日はまひるちゃんがまひろと入れ替わって喫茶店を担当する。この割り当て対しては不安要素はもちろんある。まひろは怖いのが苦手だし、まひるちゃんは異性と話すのが苦手だからだ。つまりまひろとまひるちゃんにとって、それぞれが受け持つ担当の相性は最悪と言える。

 だから俺はまひろとまひるちゃんが入れ替わる日を逆にしようと渡に提案したんだけど、それを聞いた渡は妙案を思いついたとかで、当初の予定通りにしてくれと言ってきた。

 俺はその時に渡の妙案とやらの内容を聞いてみたんだけど、アイツが考えたにしてはえらく興味をそそられる内容ではあった。しかもその内容は、絶対的にまひろとまひるちゃんありきの内容なので、他の誰にも真似は出来ない。

 だけど渡の妙案が上手く型にはまれば、A班の売り上げを大きく突き放す事ができる起爆剤になるだろう。

 しかし渡の妙案のリスクが高いのは事実だし、俺としては完全に不安を払拭する事はできなかった。だがこの相性最悪の組み合わせをいかにして使うのか興味があったのは確かなので、俺は渡のイベントプロデュース能力に期待してそれを了承した。


「よっし! 今日もいっちょ頑張るか! なあ、まひろ」

「うん。そうだね」


 右隣の席に居るまひろに向かってそう言うと、涼やかな声と共に可愛らしい笑顔を俺に向けた。

 きっと明日の本番は、訪れたお客さんの間でまひろの可愛さがとどろく事だろう。

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