第139話・訪れたその時

 渡のいびき翻弄ほんろうされた夜も明け、俺とまひろは今日の自由行動へ行く為の準備をしていた。


「さあ。行こうぜ、まひろ」

「う、うん……でも、本当にいいの?」

「いいんだよ。何度起こそうとしても起きない奴が悪いんだからさ」


 そう言って俺は、押入れの中で未だ鼾をかき続けながら寝ている渡をチラリと見た。

 夜の間まったく止む事なく鼾をかき続けていた渡がうるさくて眠れなかった俺は、渡が使っていた布団と一緒に奴を押入れに押し込めた。普通なら引き摺って押入れに運んでいる最中に目を覚ましそうなものだけど、渡は目覚める気配すら見せなかった。

 そして押入れに押し込まれたままの状態でずっと寝ていたであろう渡は、朝になってから何度起こそうとしても目覚めず、俺はとうとう起こす事を諦めてまひろと一緒にみんなと待ち合わせをしているロビーへと向かう事にしたわけだ。


「――おはよう。待たせてごめんな」

「あっ、龍ちゃんおっそーい! 何してたの?」


 待ち合わせの時間から五分ほど遅れてロビーに到着すると、茜が不満げな表情を浮かべながら俺に詰め寄って来た。


「渡を起こそうとしてたら遅くなったんだよ」

「そうだったんだ。で? その渡君はどうしたの?」

「アイツは押入れの中で幸せそうに寝てるよ」

「えっ? 押入れ?」


 俺の言葉を聞いた茜は、小首を傾げながら怪訝そうな表情を浮かべていた。


「気にすんな。ともかくあいつは、今も夢の世界に居るんだよ」

「放っておいていいの?」

「人聞きの悪い事を言うなよ。俺達なりに起こす努力はしたんだからさ。まあ、アイツもガキじゃないんだから、目を覚ましたら自分で来るだろ」


 俺はそう言って茜から離れ、るーちゃんと美月さんにも同じく事情を話し、今日の自由行動の目的地であるちゅら海水族館へと向かう為にホテルから外へと出た。


「――龍之介の薄情者ーっ!!」


 ホテルを出て高速バス乗り場まで向かい、そこでやって来たバスに乗り込んだ瞬間、部屋に置いて来た渡が血相を変えて同じバスに乗り込んで来た。

 そして車内で息切れを整えながら周りを見渡した渡は、俺が居るのを見つけるとダッシュで近付いて来てから大声でそんな事を言った。


「ば、馬鹿! 声がでかいんだよ! 周りに迷惑だろうが!」

「お前が俺を見捨てて行くからだろ!」


 半泣き状態で俺に詰め寄って来た渡に、他のお客さんが何事かと言った感じで注目してくる。


「わ、分かったから、とりあえずここに座れ。そして大人しくしろ」


 俺は興奮状態にある渡を強引に隣へ座らせ、バスに乗る前に買ってあったジュースを手渡して飲ませた。


「どうだ? ちょっとは落ち着いたか?」

「ああ……」


 さっきまでの取り乱した様子から一変。渡は燃え盛った炎が鎮火してしまったかの様に大人しくなり、昔見たボクシング漫画の主人公の様に真っ白に燃え尽きた表情をしていた。

 俺としては渡からグチグチと恨み言を聞かされるんだろうと思っていただけにこの展開は予想外だったけど、俺としては面倒な事にならずに助かった。

 そしてそんな燃え尽きた渡を隣に据えた俺は、そこから水族館に着くまでの約二時間を他のみんなと話をしながら過ごした。


× × × ×


「おおっ! ここが美ら海水族館か!」


 約二時間の移動を終えた午前十時過ぎ。

 バスから降りて水族館の前にあるジンベエザメのモニュメントを見た瞬間、燃え尽きていた渡のテンションが突然復活した。


「渡、先に行ってるからなー?」

「はいよー!」


 テンション高らかにジンベエザメのモニュメントを激写している渡にそう言ったあと、俺達は水族館の入口へと向かって行った。

 本来入口と言えば一階だろうけど、ここ美ら海水族館の入口は四階にあり、出口が一階にある。

 進んで行った先にある海人門ウミンチュゲートと呼ばれている門の近くにはマンタの模型があり、俺はそれをデジカメで写してから海人門の脇にある場所を目指して歩いて行った。


「みんな来て見ろよ! すげえ綺麗だぞ!」


 海人門のほど近くにある場所から吹き抜けになっている下の三階部分を見ると、そこには太陽の光に照らされてエメラルドグリーンに輝く場所があり、沢山の珊瑚さんごと色鮮やかな熱帯魚の群れがきらびやかに泳いでいるのが見えた。


「わあー、本当に綺麗!」


 俺の隣にやって来たるーちゃんが歓喜の声を上げ、取り出したデジカメで写真を撮り始めた。

 そしてるーちゃんに少し遅れ、海人門近くにあるマンタの模型を撮影していたまひろ達がやって来た。


「わー! 本当に綺麗だね! 龍ちゃん、こんな場所で泳げたら気持ちいいと思わない?」


 下にある屋根無し水槽の中を見て興奮気味の茜。

 いつも元気印の茜がこういう場所で泳いでいたら、さぞかし絵になるだろう。そう言った意味では、沖縄の海に一番合いそうなのは茜と言えるかもしれない。


「そうだな。こんな光景が海の中ではどう見えるのか興味はあるな。なあ、まひろ」

「うん! きっとおとぎの国みたいに綺麗なんだろうなあ」


 そう言ってにこやかな笑顔を向けるまひろはいつもながら可愛く、やはり女の子ではない事が悔やまれる。


「龍之介さん。みんなで集まってここで写真を撮りませんか?」

「いいね! それじゃあ、渡が来たら撮ろっか」


 それから渡が戻って来るまでの時間を珊瑚と熱帯魚を見ながら過ごし、全員が揃ったところで近くに居た人にシャッターをお願いしてから記念撮影をした。

 そして全員で記念撮影をしたあとで海人門を抜けて三階へと下り、券売所でチケットを買ってからロビーを抜けて行くと、目の前には先ほど上から見ていた珊瑚と熱帯魚が居る水槽が見えてきた。


「やっぱり見る場所が違うとかなり違って見えるもんだな」

「本当だね」


 チケット売り場から持って来たパンフレットによれば、この水槽には珊瑚が約七十種類、熱帯魚が約二百種類ほど居るらしい。

 違う角度から見る水槽の中の光景に目を奪われたあと、珊瑚と熱帯魚の水槽をUの字型にゆっくり進んでから直線の通路に入ると、大小様々な大きさの水槽が展示されていた。

 そこには再び珊瑚礁の展示と水辺の生き物の展示という事で、淡水域に住んでいる沖縄特有の魚の姿があった。俺達は大小様々な水槽の中をじっくりと見て回りながら二階へと下り、そこにあるシアタールームで海の生き物についての話を見たりして過ごした。

 こうして展示の約半分ほどを見終わったところでお昼を過ぎている事に気付いた俺はみんなに声を掛け、再び四階部分へと戻ってからレストランで食事タイムを設けた。もちろんそこの支払いは、ホテルに行く時のババ抜きに負けた渡の奢りだ。

 そしてみんなで楽しい昼食タイムを終え、二階部分へと戻って大水槽に居るジンベエザメやマンタを見ていた時、俺の隣にやって来たまひろが辺りを窺う様にしながら俺に話し掛けてきた。


「龍之介。これから茜ちゃんを連れてここを離れるから、美月さんと朝陽さんの事を頼むね」

「わ、分かった。よろしく頼むぜ」


 ついにこの時が来たか――と、俺は少し緊張で身体を強張らせていた。

 そして俺の言葉を聞いたまひろは、『うん。頑張ってくるよ』と言い残してから茜の方へ向かって行き、茜と何か会話を交わしたあとで一階部分に繋がる通路の方へと一緒に歩いて行った。


「よし、俺も行くか」


 まひろの行動を見送った俺は、言われていた通りに行動を起こそうとしていた。


 ――そういえばさっきから渡の姿が見えないけど、どこに行ったんだ? まあいっか。今はとにかく与えられた役目を果たすのが先決だ。


「美月さん、朝陽さん。あっちのカフェに美味しいアイスがあるらしいんだけど、一緒に行ってみない?」

「うん。行ってみたい」

「私も行ってみたいですけど、茜さん達はどうするんですか?」

「茜とまひろは別の場所を見に行ったみたいだから、その間俺達はカフェで待ってようよ。カフェで話してる内に茜達も帰って来るだろうし、何かあれば携帯に連絡が来るだろうからさ」

「そうですね。それならご一緒させてもらいます」

「よし。それじゃあ行こっか」


 俺は美月さんとるーちゃんを連れ、二階部分にあるカフェへと向かった。

 こうして俺達はカフェで紅芋アイスを頼んで食べながら大水槽の中に居る生き物達をじっくりと見て話をし、俺は見事まひろに言われていた二十分をしのいだ。そして別行動を始めてから三十分ほどが経ったところで姿が見えなかった渡から電話が入り、俺達は再び大水槽の前へと集まってから全員で展示を見て回った。

 まひろが俺達と別れている間に茜と何をしていたのかは分からないけど、戻って来た時の茜には特に変わった様子は無い様に見えた。だけど全員で移動をする最中、時々だけどるーちゃんの事をじっと見ている茜に俺は気付いた。

 そしてその時の茜の表情からはるーちゃんへの敵愾心てきがいしんの様なものは見えず、どことなくだけどその表情は、戸惑っている――と言った感じに俺には見えた。俺はそんなおかしな様子の茜を気にしつつも、みんなと一緒に水族館巡りを続けた。

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