第96話・複雑な気持ち

 雷に怯えながらも勉強をする杏子と愛紗。

 杏子にその恐怖の軽減役として連れて来られた俺は、漫画を読みながら時々二人の様子を見て過ごしている。

 今日の雷様はとてもご機嫌が良いご様子で、まるで激しい演奏をしているロックバンドばりに雷を打ち鳴らしては、雷嫌いの杏子と愛紗を絶叫させていた。

 雷が鳴る度に上がる甲高い悲鳴の二重奏を前に、俺は集中して漫画を読めないでいる。本を数ページ捲る度に雷と悲鳴の繰り返しでは、のんびりと本を読めるはずもない。

 窓が風でガタガタと揺れる音と雷の音。

 女の子にこの状況は、怖い事この上ないのだろう。しかし杏子と愛紗はそんな状況に怯えつつも、勉強はしっかりとこなし進めていた。


「――さてと。勉強も終わったし、そろそろ帰らないと」


 雷に怯えながらも二人が勉強を終えたのは、十八時を過ぎた頃だった。

 勉強を終えた愛紗は手早くテーブル上のノートや教科書を鞄に仕舞い始め、帰り支度を進めていた。


「「キャ――――――――ッ!」」


 そんな最中、もう何度目になるか分からない悲鳴を二人が上げたあと、俺はふと気になる事があって愛紗へ質問をした。


「愛紗、ちょっといいか?」

「な、何ですか?」


 杏子くらいとは言わないまでも、愛紗は恐怖に震えた小さな声で短く返答をする。

 俺はその返答を聞いて立ち上がり、窓際へ行ってからスカイブルーのカーテンを少しだけ開いた。


「外はこんな状況なわけだが、どうやって帰るつもりなんだ?」

「あっ……」


 窓外の様子を見た愛紗の表情が、強張ったまま固まる。どうやら帰る時の事については考えていなかった様子だ。


「まあ、明日はちょうど休日だし、今日は杏子の部屋に泊まっていけよ」

「だ、大丈夫ですよ。ちゃんと帰れますから」

「無理だって。外は台風並みの風が吹いてるし、雷だって鳴ってるんだぜ? それにさ、雷にビビって途中で動けなくなったらどうするんだよ?」

「べ、別に雷なんて怖くないですから!」


 ――いや、さっきから杏子と一緒に思いっきり大絶叫してましたよ?


 と、そう言いたくなる気持ちをグッと抑える。

 それを言ってしまえば、愛紗はますますムキになると分かっているからだ。


「無理するなって、絶対に危ないから」

「だ、大丈夫ですってば!」


 この状況でここまで意固地になるとは、そんなに泊まって行くのが嫌なんだろうか。

 もちろん杏子が居るとはいえ、一つ屋根の下に年頃の男が居るという状況は好ましいとは言えない。まあ、愛紗がそういった事を気にしているかどうかは分からないけど、だからと言ってこのまま素直に帰すわけにはいかない。


「……分かった。杏子、玄関にある愛紗の靴を隠して来るんだ」

「イエッサー!」

「えっ!? ちょ、ちょっと……」


 俺がそう指示をすると、杏子はビシッと敬礼をしてから颯爽と玄関へ向かって行く。相変らず兄の意図をすぐに汲み取ってくれる良い妹だ。


「これでもう、今日は帰れなくなったな」

「もう……本当に大丈夫なのに」

「大丈夫なわけ無いだろ? もしもこのまま帰して怪我でもされたら、俺が後悔してもしきれん」

「それじゃあ、先輩が私の事を心配だから泊まって行けって事ですか?」

「そういう事だ。これは俺の精神をすこやかに保つ為でもあるんだよ」

「しょ、しょうがないですね……先輩がそこまで言うなら、今日は泊まって行きます。で、でも、変な事をしたら許しませんからね?」


 顔を紅く染めながらそんな事を言う愛紗。いつもどおりの素直じゃない反応に、俺は思わず安心してしまった。

 それにしても、変な事をしたら許しません――って、俺ってどんだけ信用されてないんだろうか。


「分かってるよ。変な事なんてしないさ」


 そして靴をどこかに隠した杏子が部屋に戻って来たあと、俺達は夕食を作る為に三人でリビングへと下りた。

 こうして三人で一階へと下りてから一時間くらいが経った頃。

 俺達はリビングのソファーに腰を下し、目の前のテーブルにある夕食に手を伸ばした。


「うめえっ!!」

「さすがは愛紗だね。どれも美味しい♪」

「そうかな?」


 今夜はお世話になるのだからと、愛紗は冷蔵庫の中にある余り物や材料を使って手際良く夕食を作ってくれた。

 俺と杏子の料理を絶賛する声に、えへへっ――と照れ笑いを浮かべる愛紗。こんな風に嬉しそうな笑顔をしているのを見ると、いつものツンツンした態度が夢か幻かの様に思えてくる。

 それにしても、愛紗の作った料理は美味い。

 前に愛紗の弁当の玉子焼きや、花嫁選抜コンテストの時にその料理を食べたわけだが、こうやって冷蔵庫の余り物を上手く使って料理を出せるのは本当に凄いと思う。

 目の前にあるオムライスや、溶き玉子のコンソメスープ、野菜炒めに浅漬け、どれもありふれた物ではあるけど、そのどれもが本当に美味しい。


「本当に料理上手だよな、愛紗は。これならお母さんも凄く助かってるだろ?」

「それはどうか分かりませんけど、妹も色々手伝ってくれるし、私としては楽しんで料理してるって感じですね」

「なるほどな。あっ、そういえばさ、愛紗の妹さんていくつなんだ?」

由梨ゆりは私と同じ高校一年生ですよ」

「えっ? それじゃあ、花嵐恋からんこえ学園に妹さんも通ってるのか?」

「いいえ。中学までは一緒でしたけど、由梨は高校から白百合しらゆり学園に通ってるんですよ」

「へえー」


 ――愛紗の妹さんは白百合学園に通ってるのか。それじゃあ、まひるちゃんと同じってわけか。


「ねえ。何で愛紗は白百合学園に行かなかったの?」

「えっ?」


 杏子の素朴な質問に対し、凄まじい動揺を見せる愛紗。

 特に動揺する様な内容の質問ではなかったと思うけど、いったいどうしたんだろうか。


「どうしたの? 愛紗」

「な、何でもないよ!?」


 不思議そうに小首を傾げて愛紗を見つめる杏子。

 愛紗はそんな杏子の呼び掛けに対し、はっと我に返った感じで慌ててそう答えた。

 その態度からは何でもないと言った感じはしないんだけど、おそらくそのあたりについて追求すると、いつもの鋭い視線をもらう羽目になるだろう。だからあえて、そのあたりについての追求はしない事にする。


「まあ、いいけどさ。それで? 何で愛紗は白百合学園に行かなかったんだ?」

「えっ!? えーっと……ほ、ほら、白百合学園て、いわゆるお嬢様校じゃないですか。私はそういった雰囲気が苦手だから行かなかったんですよ」


 自分で言った事に対し、ウンウンと力強く首を縦に振る愛紗。

 その様子を見てるとなんだか嘘っぽい感じはするけど、理由としては納得できる。愛紗ってそういうのが苦手そうだから。


「ふーん。でもさ、妹さんは寂しいんじゃないか? 一緒に居れなくて」

「由梨は明るくて友達も多いから、そんな事は無いと思いますよ?」

「そうは言うけど、愛紗だって友達多いだろう?」

「そ、そんな事は無いですよ……」


 そう言ってしゅんと顔を俯かせる愛紗。

 そんな愛紗の反応は、結構意外なものだった。俺としてはきっと、沢山の友達が居るんだろうと思っていたからだ。

 実際、花嫁選抜コンテストの時にはクラスのみんなが応援してたわけだし。


「そうなのか? 杏子」

「んー、私にはそうは見えないけどなあ。愛紗はみんなに可愛がられてると思うし」

「そ、そんな事は無いよ。女子は仲良くしてくれるけど、男子なんか私を避けてる気がするし」


 ――へー。それはちょっと意外だな。愛紗くらい可愛かったら、男子連中は放っておかないと思うんだが……。


「あー、それは愛紗が男子と話す時に、妙に警戒してるからじゃないかな?」

「えっ?」

「愛紗って男子と話してる時は凄く萎縮してるって言うか、怯えてるって言うか、妙な距離感を作ってるから」

「わ、私はそんなつもり無いんだけど……」


 杏子の言葉に対し、愛紗は困惑している様な感じでそう答える。

 しかしまあ、杏子が言っている事はなんとなく分かる気がした。

 愛紗って警戒心の強い小動物みたいな感じだから、クラスの男子連中は話し掛け辛いのかもしれない。


「愛紗って男子に凄く人気が高いのに、勿体ないなと思うんだよね」

「「えっ!?」」

「あれ? 知らなかった?」

「し、知らないわよ。そんな事……」


 恥ずかしげに顔を赤らめる愛紗。

 俺も杏子の発言に最初こそ驚きはしたものの、愛紗が男子連中に人気があるというのは素直に納得できる。

 確かにちょっと言葉や態度がキツイ部分はあるけれど、基本的にはとっても優しいし、気が利く子だから。それに料理も上手で可愛いともなれば、人気が出ない方がおかしい。


「ごちそうさまでした。食器、片付けて来るね」


 いつの間にか夕食を食べ終わっていた杏子は、綺麗に空になった食器を持って台所へと向かう。

 そんな杏子に対し、俺はついでに熱いお茶を淹れて来てくれと頼んだ。


「それにしても、凄いじゃないか愛紗。モテモテさんなんだな」

「…………」


 単純に凄いと思ってそう言っただけだったのに、なぜか愛紗は俯かせた顔を上げ、鋭い視線を俺に向けてきた。


「な、何だ? どうかしたか?」

「何でもないです!」


 そう言ってオムライスが乗った皿とスプーンを持ち、愛紗はプイッとそっぽを向いた。

 どうやら急にご機嫌斜めになった様子だが、その理由が何なのか、俺には皆目見当がつかなかった。

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