第58話・家族

 買い物から自宅へと戻って来た俺は、さっそく夕食の準備を始めていた。一緒に買い物へ行った美月さんは、私物を自宅へと置きに戻っている。

 そして夕飯作りは美月さんのご要望により、我が家で一緒にやる事になった。

 俺は台所のテーブルの上に置いてある食材が入った袋から、じゃがいも、にんじん、玉ねぎなどの基本的なカレーの材料を取り出してから調理の準備を始めた。

 昔は母さんが包丁でじゃがいもの皮剥きをしているのをよく見たけど、最近はピーラーという便利道具もあり、子供でも簡単に皮剥きのお手伝いできる様になった。人類が使う道具の便利さは、日進月歩で変わっていて感心してしまう。

 しかしどれだけ月日が流れても、傘だけは昔からあまり変わらないから不思議なもんだ。


「お待たせしました。鍵、お返ししますね」


 俺は美月さんに渡していた自宅の鍵を受け取り、ズボンのポケットに仕舞う。

 美月さんは昼間も着ていた仔猫のイラスト付きエプロンを既に身に纏っていて、料理を作る準備は万全と言った感じだった。


「ありがとう。早かったね」

「はい。自宅にはお財布や荷物を置いて来るだけでしたから」


 そう言ってじゃがいもの皮を剥く俺の隣に並び、美月さんは玉ねぎを手に取って準備を始める。その処理の仕方は実にスムーズで、とても手馴れている感じだ。

 美月さんは合計三個の玉ねぎの外側を綺麗に一枚剥くと、それを一個ずつ手元の流し台に並べ、近くに置いてあるまな板を用意してからそれを切る準備を始めた。

 なぜ我が家にある道具の位置を美月さんが熟知しているのかと言えば、たまに杏子と一緒に我が家で料理を作っているからだ。二人は俺から見ても本当に仲が良い。理由はよく分からないけど、何かお互いに通じるものがあるんだろう。

 美月さんは用意したまな板の上に、皮を剥いた玉ねぎを乗せてからツンとなった頂点に包丁を入れて半分に切り分け、その半分になった玉ねぎの断面を下に向けてまな板の上に置き、今度はリズム良く包丁を動かして玉ねぎを薄切りスライスにしていく。


「どうかしましたか?」


 その包丁捌きを見ていて俺の手が止まっていたからか、美月さんも包丁を動かす手を止めた。


「あっ、ごめんごめん。美月さんの包丁捌きがお見事なんで、つい見惚れちゃったんだよ」

「そうなんですか? ありがとうございます。沢山練習をした甲斐がありました」


 美月さんがそう言った様に、きっと相当の練習をしたんだと思う。彼女は誰よりも才女だが、誰よりも努力家だ。それは普段のこういうところにも現れている。

 俺の言葉に対して嬉しそうに微笑んだ美月さんは、お礼を言ってから再びリズム良く玉ねぎのスライスを始めた。そんな美月さんの玉ねぎを切るトントンという音のリズムは、俺にはとても楽しげに聞こえた。


「そういえば美月さん。本当にスパイシーカレーで大丈夫?」

「はい。大丈夫です」

「美月さんていつもは中辛でしょ? かなりキツイと思うよ?」

「龍之介さんも杏子ちゃんも、辛いカレーが好きなんですよね?」

「まあね」

「だから私も食べてみたいんですよ。それに、何事も挑戦ですから」


 美月さんはとことん未知に対しての探究心があるみたいで、それが彼女の成長を促す原動力になっているんだろう。


「分かったよ。それじゃあ、頑張って一緒に作ろう!」

「はい」


 美月さんの意思を尊重し、俺はいつものスパイシーカレーを作り始めた。

 はっきり言って、俺と杏子が作るカレーは相当に辛い。なぜなら我が家のカレーは、特製のガラムマサラが入るからだ。だから美月さんが、我が家のカレーをちゃんと食べられるのかと、とても不安になる。

 しかし、美月さんがそれを食べる事を所望している以上、その意思を最大限に尊重しようとは思う。だけど、もしも駄目だった時の為に、保険はかけておくべきだろう。

 俺は切り分けられた材料の一部を少しだけ取って袋に入れ込み、冷蔵庫へと仕舞った。

 そして玉ねぎを切り終えた美月さんはフライパンを使ってガスコンロで玉ねぎを炒め始め、俺はその隣に用意していた深鍋に油を入れてから牛肉を炒め始めた。

 カレーは家庭によって様々なバリエーションがあり、入れる具材やその調理方法も、千差万別と言えるだろう。だからこそ、どんなものが出来上がるのか楽しみでもある。

 こうして材料の準備と下ごしらえを終えた俺達は、いよいよカレー鍋で材料を煮込み始めた。


「美月さん。ちょっと鍋を見てもらってていいかな?」

「分かりました」


 煮込まれる具材が入ったカレー鍋の様子見を美月さんに任せ、俺は買って来ていたマグロの赤身ブロックを冷蔵庫から取り出した。

 そしてそれを用意した魚用のまな板の上に乗せ、刺身包丁を使って丁寧に刺身を作っていく。


「…………龍之介さん。家族って何でしょうか?」

「えっ?」


 グツグツと音を立てるカレー鍋を見ながらお玉で灰汁あくを取り除いていた美月さんが、唐突にそんな事を聞いてきた。

 俺はその唐突な質問に対してすぐに答えを返す事ができず、間抜けな声を上げて美月さんの方を向いただけだった。


「家族って何でしょうか?」

「……急にどうしたの?」


 いきなりそんな質問をされれば、そう聞き返したくなるのが普通だろう。

 それに、そんな哲学にも繋がりそうな質問に簡単に答えられる程、俺は頭が良くない。


「いえ、変な事を聞いてすみません。ただ最近、ちょっとそんな事を疑問に思っていたから聞いてみただけなんです」


 美月さんは申し訳なさそうにそう言うと、再びカレー鍋に視線を戻した。


「…………正直、その質問に答えるのは難しいけど、あえて言うなら、居てくれると嬉しい存在――ってとこかな。俺にとっては」

「居てくれると嬉しい?」

「うん。俺と杏子は元々他人だったから色々とあったけど、それでも今は家族として、兄妹として普通に暮らしてる。両親は仕事でほとんど家に居ないけど、それでも大切な家族だよ。それに両親が滅多に家に居ないからこそ、杏子が側に居てくれるのが嬉しいんだ」


 我ながら解りにくい説明をしているとは思う。けど、俺にはこうとしか答えられない。


「……つまり、他人でも家族になれるって事ですよね?」

「そうだね。でもまあ、よくよく考えると、どんな家族の両親だって元々は赤の他人だったわけだから、そう考えると、世の中は他人同士で家族になるのが普通って事になるのかな」

「そうですね……確かに龍之介さんの言うとおりだと思います。私、家族が居ないから分からなかったんです。家族って何なのかな――って、ずっと疑問だったんですよ」


 美月さんは物心ついた時には既に天涯孤独の身だった。だから今までずっと、家族というものに対して憧れみたいなものを抱いていたのかもしれない。

 そう考えると、美月さんが四人家族用のテーブルセットを購入したのも、なんとなく分かる気がした。


「結局さ、自分が落ち着ける場所に居る人が家族――みたいなもんじゃないのかな?」

「自分が落ち着ける場所…………それじゃあ私にとっては、龍之介さんや杏子ちゃん、茜さんやまひろさんも、家族って事になりますね。それに、遠く離れている私の親友も」


 その笑顔はとても慈愛に満ちていて、まるで全てを包み込むかの様な優しさに溢れていた。


「うん。そうだね」

「それじゃあ、私と龍之介さんが家族だとすると、私は龍之介さんの妹って事になりますよね?」

「えっ? どっちかって言うと、落ち着きのある美月さんの方がお姉さんになるんじゃないの?」

「それは嫌です」


 美月さんはきっぱりと俺のお姉さんポジションを拒否した。


「どうして?」

「だって私が龍之介さんのお姉さんになったら、私が龍之介さんに甘えられないじゃないですか」


 俺が弟だなんて嫌だとか、そんな俺がネガティブになりそうな理由じゃなくてちょっと安心したけど、甘えたいから妹がいい――とか、美月さんが妹だったらちょっと大変そうだ。


「いや、俺の妹になっても甘えたりはできないよ?」

「そうなんですか? 杏子ちゃんから聞いた話とは違いますね」

「杏子に何を吹き込まれたのかは分からないけど、俺はシスコンじゃないから、妹に甘くはないよ?」

「そうなんですね。でも、例えそうだったとしても、私が龍之介さんの妹だったら沢山甘えると思います」


 そんな事を平然と言われると、なんだか照れくさくなってくる。

 そしてもし、美月さんが俺の妹だったら、俺は美月さんを全力で甘やかすかもしれないと、半ば本気でそう思ってしまった。


「そりゃあ大変そうだね」

「ふふっ」


 俺の言葉に小さく笑う美月さん。

 現実でもわりと杏子と一緒になって甘えて来る事があるのを考えると、美月さんが俺の妹ポジションてのは頷ける話かもしれない。


「あっ、そろそろ煮えたみたいですよ。龍之介さん」

「おっ、どれどれ」

「……ありがとうございます。龍之介さん」


 鍋の様子を見る為に近寄った俺の耳元で、そっとささやく美月さん。

 そしてその言葉を言い終えると、美月さんはサッとその場から離れて食器棚からお皿を取り出し、そのままリビングへと向かった。


「どういたしまして」


 カレー鍋にスパイスとルーを加えながら、誰も居ない台所でそう呟く。

 このあと、出来上がったスパイシーカレーを二人で食べたんだけど、美月さんは辛い食べ物もいける口だったらしく、俺でも辛いと思うカレーを、案外平気そうに食べていた。

 保険として取っておいた材料は今回使われなかったけど、それは杏子が帰って来た時に、シチューでも作る材料にしよう。

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