一年生編・冬休み&三学期

第33話・トラウマとクリスマスイヴ

「やーい! 龍之介のフラレ虫ー!」

「「「「アハハハハハハッ!」」」」


 一人の男子が俺に向かってそう言うと、教室内に居たクラスメイト達が一斉に声を上げて俺を嘲笑あざわらい始めた。その光景はどこまでも恐ろしく、聞こえてくる笑い声はどこまでも俺をはずかしめる。

 俺はそんな奴等に向けて激しく抵抗の意を示したかったが、相手は複数。一人で声を上げて複数に抗っても、その声はまるで大波に消される小波の様に掻き消されてしまうだろう。

 そんな俺ができる事と言えば、悔しさで顔を歪ませながら、ただ黙って顔を俯かせるくらいだった。

 人は誰かに恋をする。それは恥ずかしい事ではないはずで、笑われる様な事でもないはず。だけど俺は、恋心から生じた出来事の結果を、こうして大勢に笑われている。それがどうしようもなく悔しく、どうしようもなく恥ずかしかった。


「――はっ!?」


 聞こえてくる嘲笑いの声に両手でその耳を塞ごうとしたその時、俺の意識は一気に覚醒し、今の俺が過ごしている現実世界へと戻って来た。

 開かれた俺の目には見慣れた天井と変わらない様相の部屋が広がり、部屋の冷たい空気で額に汗を掻いているのが分かった。

 そして布団の中にある俺の身体は、まるで真夏の太陽に晒されたかの様に熱く、身体のあちこちにじっとりとした気持ちの悪い感触があった。


「たくっ……またあの夢か…………」


 俺は小学校三年生の時に、好きだった女の子が居た。

 その女の子の名前は朝陽瑠奈あさひるなと言って、学年内でも断トツに可愛いと評判の女の子だった。

 俺はひょんな事からそんな彼女と仲良くなり、その中で彼女の事を好きになって告白をするに至ったが、結果その恋は実らず、俺は見事に振られてしまったわけだが、そこまではいい。

 問題なのは、その告白の事が翌日にはクラスメイトに知れ渡っていて、その事で酷い辱めを受けた事だ。思えばあの出来事があったせいで、俺は恋愛に対して臆病になった部分もあると思う。


「はあっ……」


 この夢を見たあとは酷く気分が落ち込んでしまうけど、今日はそうも言っていられない。

 俺は布団を捲って熱くなった身体を冷たい空気に晒し、いそいそと出かける準備を始めた。


「――ううっ……さびいぃぃぃ~」


 時が経つのは早いもので、文化祭が終わり二学期も終わると、外の寒さもいよいよ本格的になり、外出する時には手袋やマフラーが手放せなくなっていた。

 十二月二十四日。クリスマスイヴ。

 街は極彩色ごくさいしきのイルミネーションと白い雪で着飾られ、とても楽しげで明るい雰囲気をかもし出している。

 駅前に飾られた巨大ツリーには様々なオーナメントが取り付けられ、その天辺には大きな星型の飾りが付いている。小さな頃はなぜか、あの大きな星が欲しくてたまらなかったもんだ。

 お昼前の商店街や駅前通りからは、クリスマスで定番の音楽があちらこちらから聞こえてくる。そんな人通りも多く楽しげな雰囲気の中を、妹の杏子と一緒に歩いて目的地へと向かう。


「ちっ、この時期は特にイライラするな。カップル共はみんな雪で滑って転べばいいんだ」

「お兄ちゃん。心の内が口から漏れ出してるよ」


 俺の中の闇がそうさせたのか、ついつい思った事を口走っていたらしい。

 そんな俺を杏子が哀れんだ表情で見ている。茜達に冷ややかな目で見られるのも結構キツイけど、身内にこういう目で見られるのはもっとキツイ。


「そんな顔で俺を見るなよ……」

「お兄ちゃんてさ、何で彼女をつくらないの?」

「小学生の工作じゃあるまいし、そんな簡単に彼女が出来る方法があるなら、是非ともご教授願いたいもんだよ」

「可哀想なお兄ちゃん……でも、私が居るから大丈夫だよね!」


 そう言うと杏子は、唐突に俺の右腕を両手で抱き包んできた。


「あの、杏子さんは何をしておられるので?」

「お兄ちゃん、こういう事をしたかったんでしょ? 嬉しいよね?」

「あのなあ、どこの世界に妹と腕組して喜ぶ兄貴が居るってんだ?」

「そうなの? でも、お兄ちゃんの持ってる本やゲームには沢山居たよ?」

「あれは創作物だからいいんだよ」

「ふーん。でも、私には別にどうでもいいけどね」


 杏子はそう言って楽しそうに微笑みながら、更にギュッと腕を絡めてくる。

 何がそんなに楽しいのか分からないけど、来年は高校生になるってのに、まだまだ中身はお子様だ。

 そんなお子様な妹となぜクリスマスイヴに外を歩いているのかと言うと、明日の二十五日に食べる為のケーキを今年は某有名ケーキ店で予約していて、それを二人で取りに行っているからに他ならない。


「――ありがとうございました!」

「杏子よう、本当にこれだけ食べられるのか?」

「大丈夫だよ。ケーキは常に別腹だから」


 お店で予約していたケーキを受け取り、俺達はそれを持って店を出た。

 俺の質問に対して杏子はこう言っているけど、俺達は八号サイズ、つまり、直径二十四センチのホールケーキを四個も買っている。もっと分かりやすく言うと、一つが十人から十二人分と言ったところだろうか。

 それぞれ、ムースケーキにチョコレートケーキ、アイスケーキにホワイトチョコレートと、各種違うネタで四種類だ。俺ならワンホールどころか、一個の半分も食べきれる自信が無い。


「その別腹がいっぱいになったらどうすんだよ?」

「お兄ちゃん知らないの? 女の子にはね、別腹が沢山あるんだよ?」


 俺がこの世に生を受けてから、十六年とちょっとが経つわけだが、女性に別腹が沢山あるなんて話は初めて聞いた。もしも本当にそんなものが沢山あるとしたら、女性ってのはとんでもなく神秘な生き物なんだろう。


「あっ、龍之介に杏子ちゃん。こんにちは」


 店を出てから自宅へ向かって少し歩き始めると、偶然にもまひろに遭遇した。

 まひろは淡いクリーム色のセーターに、デニム生地のレディス用ジーパンを穿いていて、そのスリムな体型がより強調されている。着ているセーターの袖部分は若干長いのか、手が半分くらい隠れていて、そんな姿さえも激しく可愛さを感じさせるから不思議だ。

 ちなみにまひろがレディス用のジーパンを履いている理由だが、男性用だとサイズが大き過ぎて合わないからだと本人は言っていた。その事実一つを取っても、まひろがいかにスリムな体型なのかが分かる。


「よう。偶然だな」

「こんにちは、まひろさん」

「凄い荷物だね。あっ、それってもしかして、あの有名店のケーキ?」

「そうそう、明日食べる為のケーキだよ。てか、箱を見ただけで分かるのか?」

「うん。僕も去年はその店のケーキを食べたから」

「もしかして、まひろもケーキを買いに来たのか?」

「ううん。僕はちょっと本を買いに来たんだ。それに今年は、お母さんがケーキを作るみたいだから」

「手作りケーキか……いいな」

「龍之介は手作りケーキとか好きなの?」

「お兄ちゃんならきっと、女の子が作ったケーキなら何でも食べてくれますよ」


 この妹は普段から兄の事をどんな目で見ていやがるんだろうかと思う。

 しかしながら、その発言があながち間違っていないところが悔しい。


「そうなの? 龍之介」

「まあ、一生懸命に作った物なら食べるさ。それが礼儀ってもんだろ?」

「そっか……」

「それがどうかしたのか?」

「あっ、ううん、何でもないよ。それじゃあまたね」


 まひろは慌てた様にそう言うと、足早に俺達の前から去って行った。

 俺がこんな事を言うのもなんだが、そんな慌てた様子まで可愛らしく見えるからまひろは恐ろしい。


「――あれっ? 龍之介君に杏子ちゃん?」


 自宅に向かってしばらく歩いていると、今度は雪村さんと鉢合わせをした。


「あっ、雪村さん。こんにちは」

「やっぱり龍之介君と杏子ちゃんだったんだ。偶然だね」


 雪村さんは赤と青のチェック柄のミニスカートに、白のふわふわとしたファーが付いた黒のジャケットを着ていた。

 そんな服装に白のロングブーツと黒のニーハイソックスが凄くマッチしていて、とても同い年には見えない妖艶さと格好良さを感じさせる。しかもそれでいて可愛さを失っていないのが素晴らしい。


「こんにちは、凄い荷物だね。もしかして、全部ケーキ?」

「大正解。うちにはケーキが大好きな、食いしん坊の妹様がいらっしゃるもんでね」

「もうっ! お兄ちゃん!」


 杏子は恥ずかしそうにしながら頬を膨らませる。こういう反応を見せるところは、今でも可愛らしいと思う。


「杏子ちゃん、ケーキ好きなの?」


 雪村さんの言葉に顔を赤くしたまま、小さく頷く杏子。質問に対して素直に答えるところは実に良いと思う。


「それならイベントでケーキを作り過ぎちゃって困ってたから、良かったら明日持って行きましょうか?」

「本当ですか!」


 恥ずかしそうな様子から一変、杏子は歓喜の声を上げながら雪村さんを見つめた。杏子のケーキ好きは筋金入りだから、その気持ちは分からなくもない。だけど、ちょっとテンションが上がり過ぎだとは思う。


「そんなの悪いよ、雪村さん」

「ううん、気にしないで。それに、文化祭の時のお礼もしたいと思ってたから」

「お兄ちゃ~ん」


 俺に近寄って仔犬の様にじゃれ付く杏子。俺の苦手なおねだり方法の一つだ。


「ああー、もう、分かったよ。それじゃあ雪村さん、明日取りに行くから、都合の良い時に連絡してくれないかな?」

「えっと、時間がいつ頃になるか分からないから、私が直接持って行くよ。だからその……良かったらだけど、お家の場所を教えてもらってもいいかな?」


 やたらと遠慮気味にそう言う雪村さん。

 内心そこまでしてもらうのは悪いと思うわけだが、雪村さんの事情を考えると、そうしてもらう方が良いかもしれない。


「分かったよ。それじゃあ、あとで地図と住所をメッセージで送るね」

「うん、分かった。ありがとう」


 雪村さんと約束を交わしたあとでそのまま別れ、俺達は再び自宅へと向かって歩き始める。

 そして自宅への帰り道、俺達は彩り鮮やかな飾りをされた家々を見ながら帰っていた。この辺りの住宅街では、家をイルミネーションランプやオーナメントで飾る家が多く、毎年この時期には目移りするくらいに綺麗な飾りをされた家が現れる。


「おー! 今年も茜の家はすげえな」


 自宅への帰り道、俺と杏子は少し寄り道をして茜の自宅前へと来ていた。

 これは毎年の事だが、茜の家は綺麗な大量のイルミネーションランプで着飾られ、庭に用意された大きなツリーにも、毎年派手なイルミネーションランプとオーナメントが飾り付けられる。それは他の家とは明らかに違う派手さがあって、ほぼ毎年の様にそれを見るのが俺の密かな楽しみでもあった。


「あっ、龍ちゃーん! 杏子ちゃーん!」


 突然上の方から聞こえてきた明るい声音こわね。その方向に目をやると、二階にある自室の窓から、身体を乗り出して手を振る茜の姿があった。

 茜は少し手を振ったあとでスッと部屋に引っ込んだが、おそらくここまで下りて来ているんだろう。


「何を買って来たのー?」

「ああ? ケーキだよ、ケーキ」


 ピシッとしたデニム生地のジーパンに、半纏はんてん姿の茜が玄関から飛び出して来た。そんな茜は俺達よりも、その手荷物に興味津々と言った感じだ。

 ホントにこいつは天真爛漫てんしんらんまんと言うか、ガキと言うか。


「むっ!? 龍ちゃん、今失礼な事を考えてたでしょ!」

「バ、バカッ! んな事あるはずねーだろ!?」

「……まあいいや。ところで、そのケーキは今日食べるの?」

「いや、これは明日食べるケーキだけど、それがどうかしたか?」

「えっ? ううん、何でもないよ? それじゃあ、龍ちゃんに杏子ちゃん、気を付けて帰ってねー」


 何やら怪しげな笑みを浮かべたあと、茜はそう言ってあっさりと自宅へ戻って行った。


「お兄ちゃん。茜さん、絶対に何か企んでるよね?」

「やっぱりそう思うか?」


 杏子は俺の問い掛けに、コクリと大きく頷いた。

 さすがは俺の妹。伊達に長年に渡って茜を見てきたわけじゃない。茜が何を企んでいるかは分からないけど、面倒な事だけは引き起こさないでくれと切に願う。

 こうして怪しげな様子を見せた幼馴染の家をあとにし、再び家へと向かって歩き始め、そろそろ自宅へ着こうかという頃、自宅の隣から甲高い叫び声が聞こえてきた。


「きゃあ! また失敗してしまいました~」

「美月お姉ちゃん、何してるのかな?」

「さあ? 俺に聞かれてもなあ……」


 美月さんが自宅で何をしているのかは分からないけど、邪魔をするのも悪いと思い、そのまま家の前を素通りする。

 そんな美月さん宅からは、夜遅くまで何かを派手に落とす音などが聞こえてきていた。

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